「大山崎町」の版間の差分
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*妙喜庵 茶室待庵(見学は要申込)
*妙喜庵 茶室待庵(見学は要申込)
*[[大山崎山荘美術館]]
*[[大山崎山荘美術館]]
*[[サントリー]]山崎蒸留所
== 出身有名人 ==
== 出身有名人 ==
2005年10月17日 (月) 11:37時点における版
大山崎町のデータ
面積
5.97 km²
総人口
15,493 人
(2003年)
(2003年)
町の花
サクラ
町の木
アカマツ
町の鳥
ウグイス
大山崎町役場
所在地
〒618-8501
京都府乙訓郡大山崎町字円明寺小字夏目3
電話番号
電話 075-956-2101
FAX 075-957-1101
FAX 075-957-1101
外部リンク
大山崎町の公式ページ
大山崎町(おおやまざきちょう)は京都府 乙訓郡の町。大阪府 三島郡 島本町との府境に位置する。京都府下で最も面積の小さい町である。
丘陵地が平野に近く迫りそのふもとに桂川と宇治川、木津川の合流点が位置するため、山崎は古来から交通の要地であった。明智光秀を豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が破った山崎の戦いは大山崎町天王山で行われた。この故事から雌雄を決することを「天王山を迎える」という成句が生まれた。
大阪府の島本町山崎から京都府の大山崎町にかけての山崎の地はまた名水で知られ、水無瀬神宮(大阪府三島郡島本町)境内の湧き水は名水百選に指定されている。後鳥羽天皇が水無瀬離宮を造営した場所であり、新古今和歌集巻一冒頭の「夕さればみなもとかすむみなせ川夕べは秋となどおもふらん」はこの地を詠んだものである。また山崎駅前の妙喜庵には千利休の現存する二例の茶室作例の一つである茶室待庵(国宝)が現存する。
歴史
- 725年行基、山崎に橋を架けて布教の拠点とする
- 784年長岡新京の建設に伴い、山崎に橋を架けられる
- 811年嵯峨天皇が山崎河陽離宮に行幸する
- 861年山崎河陽離宮が山城国府と定められる
- 1200年藤原定家が水無瀬離宮への道中の途中で山崎の油売り小屋に泊まる
- 1276年この頃、京都の油販売を山崎神人が独占
- 1311年伏見上皇、山崎神人のために淀などの関津料を免除する
- 1333年播磨の赤松円心が山崎に陣する
- 1392年足利義満、大山崎に守護不入の権限を与える
- 1422年美濃 国司が大山崎商人に不破関の無料通行を許す
- 1568年大山崎惣中、織田信長に矢銭を献ずる
- 1582年羽柴秀吉と明智光秀が山崎に戦う。この後、秀吉は山崎を拠点とする
- 江戸時代は八幡宮の神領として自治を許される
- 明治22年、大山崎村が誕生(大山崎村、円明寺村、下植野村の3村が合併)
- 1967年(昭和42年)、大山崎町となる
地理
- 天王山頂:標高270.4m
- 桂川、宇治川(淀川水系)
経済
地域
交通
鉄道路線
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 都道府県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
出身有名人
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