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「失われた時を求めて」の版間の差分

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== 備考 ==
== 備考 ==
*この長大な小説において[[語り手]]である主人公の名前は一度も登場しない。しばしば主人公は作者と同じ「マルセル」という名前であるとされるが、これは第5篇「囚われの女」の中でたった一度だけ、アルベルチーヌが主人公の名前を呼ぶときの口癖を描くための苦肉の策として「仮にこの小説の[[語り手]]が作者と同じ名前であったら」という仮定のもとで、アルベルチーヌが「マルセル」という名で主人公を呼ぶ場面を描いているために生じた誤解である。これ以外の場面では「『[[ムッシュ|ムッシュー]]』という単語のあとに私の苗字をつけて私を呼んだ」(第4編「ソドムとゴモラ」第2部第1章)など、多少不自然な表現になることも厭わずに主人公の姓名を隠す工夫をしており、プルーストが主人公を無名の者にする意図を抱いていたことは明らかである。
*この長大な小説において[[語り手]]である主人公の名前は一度も登場しない。しばしば主人公は作者と同じ「マルセル」という名前であるとされるが、これは第5篇「囚われの女」の中でたった一度だけ、アルベルチーヌが主人公の名前を呼ぶときの口癖を描くための苦肉の策として「仮にこの小説の[[語り手]]が作者と同じ名前であったら」という仮定のもとで、アルベルチーヌが「マルセル」という名で主人公を呼ぶ場面を描いているために生じた誤解である。これ以外の場面では「『[[ムッシュ|ムッシュー]]』という単語のあとに私の苗字をつけて私を呼んだ」(第4編「ソドムとゴモラ」第2部第1章)など、多少不自然な表現になることも厭わずに主人公の姓名を隠す工夫をしており、プルーストが主人公を無名の者にする意図を抱いていたことは明らかである(追記) (このエピソードには[[谷川流]]も衝撃を受けており、[[涼宮ハルヒシリーズ|涼宮ハルヒの憂鬱]]の執筆の際、主人公のキョンの本名を誰にも言わさせないようにしている) (追記ここまで)
*嗅覚や味覚から過去の記憶が呼び覚まされる心理現象を「無意志的記憶」あるいは「プルースト現象」と呼ぶが、この小説のマドレーヌ菓子のエピソードに因む。別項「[[意識の流れ]]」参照。
*嗅覚や味覚から過去の記憶が呼び覚まされる心理現象を「無意志的記憶」あるいは「プルースト現象」と呼ぶが、この小説のマドレーヌ菓子のエピソードに因む。別項「[[意識の流れ]]」参照。
*少年期の回想の舞台コンブレーのモデルになったのは、[[シャルトル大聖堂]]で有名な[[シャルトル]]の南にあるイリエの町である。小説が有名になったため、現在の町の名前は'''イリエ・コンブレー'''と呼ばれている。
*少年期の回想の舞台コンブレーのモデルになったのは、[[シャルトル大聖堂]]で有名な[[シャルトル]]の南にあるイリエの町である。小説が有名になったため、現在の町の名前は'''イリエ・コンブレー'''と呼ばれている。

2010年4月19日 (月) 09:54時点における版

失われた時を求めて』(うしなわれたときをもとめて, À la recherche du temps perdu)は、マルセル・プルースト(Marcel Proust)による長編小説。1913年から1927年までかかって刊行された。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』などと共に20世紀を代表する小説の一つと称される[1]

物語は、ふと口にした紅茶に浸したマドレーヌの味から、幼少期に家族そろって夏の休暇を過ごしたコンブレーの町全体が自らのうちに蘇ってくる、という記憶を契機に展開していき、その当時暮らした家が面していたY字路のスワン家の方とゲルマントの方という2つの道のたどり着くところに住んでいる2つの家族たちとの関わりの思い出の中から始まり、自らの生きてきた歴史を記憶の中で織り上げていくものである。第一次世界大戦前後の都市が繁栄した時期・ベル・エポックの世相風俗を描くとともに、社交界の人々のスノビズム(俗物根性)を徹底的に描いた作品でもある。

記憶時間の問題をめぐり、単に過去から未来への直線的な時間や計測できる物理的時間に対して、円環的時間、そしてそれがまた現在に戻ってきて、今の時を見出し、円熟する時間という独自の時間解釈、「現実は記憶の中に作られる」という見解を提起して、20世紀の哲学者たちの時間解釈にも大きな刺激を与えた。

成立

プルーストが生涯をかけて執筆した大作である。プルーストは1908年頃から「サント=ブーヴに反論する」という評論を書き出した(生前は未発表、ちくま文庫『プルースト評論選』所収)。そこから徐々に構想が広がり、小説になっていった。外部の騒音を遮るためコルク張りにした部屋に閉じこもって書き続け、1912年に作品の一部分を発表。出版社を探すが、長過ぎると断られ、1913年に第1編を自費出版した。当初3巻の予定がさらに長大化。1919年、第2編「花咲く乙女たちのかげに」はゴンクール賞を受賞。第4編まで完成したところでプルーストは死去(1922年)。第5編以降も書きあげていたものの未定稿の状態であった。弟らが遺稿を整理して刊行を引継ぎ、第7編を1927年に刊行して、ようやく完結した。

物語全体はフィクションであるが、作者の自伝的な作品という要素も色濃い。名前のない主人公の「私」はプルースト自身を思わせる人物で、少年期の回想や社交界の描写などにプルーストの経験が生かされている。また、結末で「時」をテーマにした小説を書く決意をするシーンがあり、作品は円環を描いていると考えられる。同性愛が重要なテーマの一つになっているが、プルースト自身同性愛者であり、秘書を務めた「恋人」が飛行機事故死したことが、主人公の恋人アルベルチーヌの死に置き換えられているといわれる。

登場人物

  • 私(マルセル?) - パリ生れで父は高級官僚。
  • スワン - 社交界の人気者で、ユダヤ人。妻はもと高級娼婦のオデット。
  • ジルベルト - スワンとオデットの娘。
  • アルベルチーヌ・シモネ - 主人公の恋人。孤児。
  • ゲルマント公爵夫人 - 貴族のサロンの主人。
  • サン=ルー - ゲルマント公爵夫人の甥で主人公の親友。
  • ヴェルデュラン夫人 - ブルジョワのサロンの主人。
  • シャルリュス男爵 - ゲルマントの一族で社交界の人気者。

注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


構成

  • 第1篇「スワン家のほうへ」Du côté de chez Swann (1913年)
    • 第1部 コンブレー
    • 第2部 スワンの恋
    • 第3部 土地の名・名
マドレーヌ菓子(プチット・マドレーヌ)をお茶に浸して食べたことから、過去の記憶が一気に思い出されるという有名なシーンが始めの方にある。夏の休暇を郊外のコンブレーで過ごした少年期の回想が描かれる。隣人スワンの娘ジルベルトに恋をする。
スワンが結婚するまでの物語を描いた「スワンの恋」の章は独立した小説としても読むことができる。この章は三人称で書かれ(しかし部分的に「私」という一人称もあらわれる)、「私」が生まれる前の時期のヴェルデュラン邸のサロンが主な舞台になっている。
  • 第2篇「花咲く乙女たちのかげに」A l'ombre des jeunes filles en fleurs (1919年)
    • 第1部 スワン夫人をめぐって
    • 第2部 土地の名・土地
主人公が、スワン家に出入りできるようになり有頂天になるが、ジルベルトとは次第に気持ちのすれ違いが多くなる。夏の避暑地バルベックでシャルリュス男爵と知り合う。また、同地で出会った少女たちのうち、孤児のアルベルチーヌに恋するようになる。
  • 第3篇「ゲルマントの方」Le côté de Guermantes (1921年 - 1922年)
一家がゲルマント家のアパルトマンに引っ越す。サロンの社交界に出入りするようになり、シャルリュス男爵とも度々顔を合わせる。はじめてアルベルチーヌにキスをする。
  • 第4篇「ソドムとゴモラ」Sodome et Gomorrhe (1922年 - 1923年)
主人公は偶然、シャルリュス男爵が同性愛にふけっているところを目撃し、ショックを受ける。ゲルマント公爵邸の夜会に出席する。恋人アルベルチーヌの行動に次第に疑惑を持つようになり、別れを考えるが、結局結婚を決意する。
以下の各篇は、プルーストの遺した未定稿を整理したもの。
  • 第5篇「囚われの女」La Prisonnière (1925年)
パリでアルベルチーヌと暮らすようになる。ヴェルデュラン邸のサロンで行われた演奏会に出席する。
  • 第6篇「逃げさる女」Fugitive (1927年)
アルベルチーヌが突然いなくなる。その後、彼女は落馬が元で命を落とす。主人公はアルベルチーヌの過去を調べ、同性愛者であったことを知る。彼女を失ったことで後悔と苦悩の日々を送るが、ある日その悲しみが薄れているのを自覚する。
  • 第7篇「見出された時」Le temps retrouvé (1927年)
第一次世界大戦の前後、パリの社交界も様変わりしてゆく。療養生活を送る主人公は芸術について思考を重ねる。ある日出席したサロンで、旧知の人々がすっかり年老いた姿を見て「時」について考える。主人公は自分の経験を書物に著すことを決意する。

映画化

製作:マルガレット・メネゴス、監督:フォルカー・シュレンドルフ、原作:マルセル・プルースト
出演者:ジェレミー・アイアンズオルネラ・ムーティアラン・ドロンファニー・アルダン
製作:ジョン・マルコヴィッチ、 監督:ラウル・ルイス、原作:マルセル・プルースト
出演者:エマニュエル・ベアールカトリーヌ・ドヌーヴ
  • ルキノ・ヴィスコンティが映画化を晩年構想していた。 『シナリオ 失われた時を求めて』(大条成昭訳、筑摩書房 1984年、ちくま文庫、1993年)が残されている。

日本語訳

解説

備考

  • この長大な小説において語り手である主人公の名前は一度も登場しない。しばしば主人公は作者と同じ「マルセル」という名前であるとされるが、これは第5篇「囚われの女」の中でたった一度だけ、アルベルチーヌが主人公の名前を呼ぶときの口癖を描くための苦肉の策として「仮にこの小説の語り手が作者と同じ名前であったら」という仮定のもとで、アルベルチーヌが「マルセル」という名で主人公を呼ぶ場面を描いているために生じた誤解である。これ以外の場面では「『ムッシュー』という単語のあとに私の苗字をつけて私を呼んだ」(第4編「ソドムとゴモラ」第2部第1章)など、多少不自然な表現になることも厭わずに主人公の姓名を隠す工夫をしており、プルーストが主人公を無名の者にする意図を抱いていたことは明らかである(このエピソードには谷川流も衝撃を受けており、涼宮ハルヒの憂鬱の執筆の際、主人公のキョンの本名を誰にも言わさせないようにしている)。
  • 嗅覚や味覚から過去の記憶が呼び覚まされる心理現象を「無意志的記憶」あるいは「プルースト現象」と呼ぶが、この小説のマドレーヌ菓子のエピソードに因む。別項「意識の流れ」参照。
  • 少年期の回想の舞台コンブレーのモデルになったのは、シャルトル大聖堂で有名なシャルトルの南にあるイリエの町である。小説が有名になったため、現在の町の名前はイリエ・コンブレーと呼ばれている。
  • 中村真一郎によれば、自分が知っている西洋人はみな「源氏物語に一番近い文学は『失われた時を求めて』である」と語っているという『国文学解釈と鑑賞別冊 源氏物語をどう読むか』(至文堂、1986年4月5日)所収の座談会「『源氏物語』をどう読むか」
  • 同性愛を扱ったテレビドラマ『同窓会』(1993年日本テレビ、原作:井沢満)の劇中でこの作品が登場した。

脚注

  1. ^ 例えば篠田一士『二十世紀の十大小説』(新潮社、のち新潮文庫)。

外部リンク

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