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「詭弁」の版間の差分

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*A「人間はBを敬うべきだ。'''哲学者のCもそう言ってるだろう'''」
*A「人間はBを敬うべきだ。'''哲学者のCもそう言ってるだろう'''」


Aの発言は「[[専門家]](または[[有名人|著名人]])も私と同意見だ。故に私の意見は正しい」というタイプの推論。『専門家』や『著名人』は『常に[[真理]]を述べる者』と論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、[[権威]]ある者の[[引用]]は厳密な証明にならない。反論として対立する権威が引用され、同じ権威論証で対抗されることもしばしばである。
Aの発言は「[[専門家]](または[[有名人|著名人]])も私と同意見だ。故に私の意見は正しい」というタイプの推論(追記) 。[[権威に訴える論証]]とも (追記ここまで)。『専門家』や『著名人』は『常に[[真理]]を述べる者』と論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、[[権威]]ある者の[[引用]]は厳密な証明にならない。反論として対立する権威が引用され、同じ権威論証で対抗されることもしばしばである。


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2008年1月7日 (月) 09:46時点における版

詭弁(きべん sophism)とは、しばしば説得を目的として、命題証明の際に、実際には誤りである論理展開が用いられている推論

概要

日本語で日常的に使われる『詭弁』は、誤りである論理展開を故意に用いて、発言者に都合良く導き出された結論、およびその論理の過程を指す。発言者の「欺く意志」があってこその『詭弁』であり、『誤謬』とは区別される。

英語の『sophism』はもう少し意味が広く、形式論理の誤りや、(早とちりも含んだ)論理的飛躍も含まれる。否定的なニュアンスである事は日本語の『詭弁』と同じでも、発言者の不誠実さは定義に関係無い。

詭弁には、論理展開が明らかに誤っている場合もあれば一見正しいように見える場合もある。そして論理展開が正しいように見える場合、論理的には違反しており、誤った結論でも説得力が増してしまう。協働関係や社会的合意においては、論理的推論の整合性よりも話者が対象とする聞き手や大衆に対しての言説上の説得(説明)力がしばしば効果的であり、このため、説得や交渉、プロパガンダマインドコントロールのテクニックとして用いられることがある。

以下、太字で示した部分が詭弁。

前件否定の虚偽

  • A「反撃される覚悟が無いなら、苛めなんてやるな」
  • B「なら反撃される覚悟があれば、人を苛めて良いって事になるな

Aの発言に対するBの返答は「XはYである。故にXではないならYではない」という形式の論理であり、これは論理学で前件否定の虚偽と呼ばれる。このタイプの推論は、XとYが論理的に同値の時のみ成立する為、恒真命題ではない。Bの発言は、「セイウチ脊椎動物だというのなら、セイウチでなければ脊椎動物ではないという事だ」と同じ論理構造である。これはBとしてはAの発言を「セイウチだけが脊椎動物である」と解していることになる。

なおこの虚偽は、仮言的三段論法においても適用される。「もしAがBならば、AはCである。しかしAはBではない。故にAはCではない」は、前件否定の虚偽となる。「AがBならば」という仮定をX、「AはCである」という結論をYと置けば、「XならYである。Xではない。故にYでもない」となり、前件の否定を前提とする論理となるからである。

前件否定」も参照

後件肯定の虚偽

  • A「対象についてよく知らないと人は恐怖を感じる。つまり、怖がりな奴は無知なんだよ

Aの発言は「XはYである。故にYはXである」という形式の論理であり、これは論理学で後件肯定の虚偽と呼ばれる。このタイプの推論も、前件否定の虚偽と同じように、XとYが論理的に同値の時にしか成立しないので、恒真命題ではない。Aの発言は、「シャチ哺乳類である。故に哺乳類はシャチである」という推論と同じ論理構造である。

仮に「無知だから怖がる」という前提が真であったとしても、その前提から「怖がりな人は無知である」と結論することは論理的に誤りである。怖がりな人は無知であるかもしれないし、無知ではないかもしれないからである。(は必ずしも真ならず)

後件肯定」も参照

媒概念不周延の虚偽

  • A「頭の良い人間は皆、読書家だ。そして私もまた、よく本を読む。だから私は頭が良いんだよ

Aの発言は「XはYである。ZもYである。故にZはXである」という形式の三段論法で、これは論理学で媒概念不周延の虚偽と呼ばれる。このタイプの推論は、XとYとZの三つが論理的に同値でない限り成立しないので、恒真命題ではない。Aの発言は「カラスは生物である。スズメバチも生物である。故にカラスはスズメバチである(あるいはスズメバチはカラスである)」という発言と論理構造が等しい。また、Aの発言について、本を読む人が必ずしも頭がいいとは限らない。(逆は必ずしも真ならず)

誤った二分法(false dilemmma)

  • A「君は僕の事を『嫌いではない』と言ったじゃないか。それなら、好きって事だろう

Aの発言は、「Xは必ずYかZのいずれかである。然るに、XはYではない。故にXはZである」という形式の三段論法で、仮に「Xは必ずYかZのいずれかである」という前提が偽であるなら(言い換えると「XがYでもZでもないケースが存在する場合」)、このような推論を「誤った二分法」と呼ぶ。「誤ったジレンマ」またはただ単に「二分法」とも呼ばれる。英語では false dilemma の他に false dichotomy、excluded middle、bifurcation などとも言う。ここでは「好きでも嫌いでもない」や「無関心」などの「好き」「嫌い」以外の状況も考えられる。

尚、「XはYかZのいずれかである。然るに、XはYではない。故にXはZである」という推論において、非ZがY、Zが非Yと論理的に同値である場合、それは矛盾原理および排中原理に従った恒真命題となる(例「あらゆる自然数は素数か素数ではないかのいずれかである。2は「素数ではない」ではない。故に2は素数である」)。応用科学の分野ではこの誤謬・詭弁は容易であり「中央銀行の高金利誘導が景気を悪化させた、だから金利を引き下げるべきだ」「軍備が敗戦の酸苦をもたらした、だから軍備は否定すべき」「抗癌剤Xによる平均余命は高々5年である。だから抗癌剤Xは利用すべきでない」などの論調に利用されている可能性がある。

自然主義の誤謬(Naturalistic fallacy)

  • A「私達はこれまでずっとこの土地で協力し合って暮らしてきた。だからこれからもそうするべきだ

Aの発言は、記述文(「XはYである」という形式の文)の前提から規範文(「XはYすべき である」という形式の文)の結論を導いている。このような形式の推論を「自然主義の誤謬」(自然主義的誤謬)と呼ぶ。この推論がもし有効であるならあらゆる改革や変更は許容されなくなる。Aの発言は「人類は多くの戦争と殺りくを繰り返してきた。だからこれからもそうするべきだ」という主張と論理構造が等しい。

権威論証(ad verecundiam)

  • A「人間はBを敬うべきだ。哲学者のCもそう言ってるだろう

Aの発言は「専門家(または著名人)も私と同意見だ。故に私の意見は正しい」というタイプの推論。権威に訴える論証とも。『専門家』や『著名人』は『常に真理を述べる者』と論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、権威ある者の引用は厳密な証明にならない。反論として対立する権威が引用され、同じ権威論証で対抗されることもしばしばである。

ハロー効果」も参照

多数論証(ad populum)

  • A「B君も早くCを買うべきだ。もう皆そうしている

Aの発言は「Xは多数派である。多数派は正しい。故にXは正しい」というタイプの推論。『多数派』は『正しい側』と論理的に同値ではなく包含関係にもないので、この論理は演繹にならない。また、Aが「多数派は正しい。故に多数派ではなければ(少数派であれば)正しくない」という意味で発言しているならそれは前件否定の虚偽でもある。

また、Aの多数論証は、規範文の根拠が記述文になっているため、自然主義の誤謬(前述)にもなっている。

なお、厳密には「全員」ではないにも関わらず「皆」「誰も」という言葉が使われているような場合、これを誇張法(hyperbole)という。誇張法は詭弁ではなくレトリック。無論、計数可能な「皆」「誰も」が肯定しているからといってその命題が正しいかどうかは分からない。

脅迫論証(ad baculum)

  • A「黙って私に従えないなら、ここから出て行け」
  • B「国境線はここだと主張しているが、そんなことは許さ(れ)ない。国境線はあちらだ。」

Aの発言は、「あなたがXしないなら、私はYをする。故にあなたはXすべきである」という形式の推論で、脅迫論証という。前件の仮言的命題と後件の命題は、論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、この推論は演繹にならない。Aの脅迫論証は「お前がすべき事は黙って私に従うか、ここから出て行くかのいずれかである。しかし、お前は黙って私に従わない。故にお前はここから出て行くべきである」という論旨なので、脅迫論証であると同時に「誤った二分法」(前述)にもなっている。

Bは「(なぜなら)しろまるしろまる条約によれば〜」などと論証すべきところを脅迫や威嚇の文言で置き換えており有効な演繹推論となっていない。「ゆるさない」と自発の助動詞を挿入する事で主語・主体を曖昧にすることで、あるかどうか分からない根拠を暗示・示唆する(未知論証)なり、権威論証(上述)なりに持ち込む方法がある。

未知論証(ad ignorantiam)

  • A「B氏はC氏をこの事件の犯人だと推理しているようだが、そんな証拠はない。C氏はきっと犯人ではない」

Aの発言は、「XがYでない事は誰にも証明出来ない。故にXはYである」という形式の推論で、これは未知論証という。「結論できない」という前提から「結論」を推論しているので、前提と結論が矛盾する。

同情論証(ad misericordiam)

  • A「そんなふうに言うもんじゃない。B君がかわいそうだよ

Aの発言は、「XをYするのはかわいそう。故にXはYすべきではない」という形式の推論で、これは同情論証という。

対人論証(ad hominem abusive)

  • A「数学の知識なんて、社会に出ても役に立たないよ」
  • B「数学を目の敵にしている君がそんな事を言っても、説得力は無いな」

この場合、Bの発言が対人論証となる。「Aは数学嫌いである。故に数学の知識は社会で役に立つ」は演繹にならない為、論理として成立しない。仮に、BがAの結論を否定する以外の目的で発言したのなら、それは反論ではなく論点のすり替えとなる。

人身攻撃」も参照

状況対人論証(circumstantial ad hominem)

  • A「そろそろ新しいデジカメが欲しいって話をC君としたら、D社の新製品を勧められたよ」
  • B「C君のお父さんはD社に勤めてるんだから、C君がそう答えるのは当然さ。真に受けない方がいい

Aに対するBの発言は、特定の人間が置かれている『状況』を論拠としている。「D社に勤める家族を持つ者」は「D社に都合の良い嘘を述べる者」と論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、「C君のお父さんはD社に勤めている。故にD社のデジカメは買わない方がいい商品である」は演繹にならない。

このように、「その人がそんな事を言うのは、そういう状況に置かれているからに過ぎない(故に信用に値しない)」というタイプの対人論証を指して、「状況対人論証」と呼ぶ。

人身攻撃」および「ポジショントーク」も参照

連座の誤謬(guilt by association)

  • A「科学者Bの学説に対し、C教が公式に賛同を表明した。しかしC教は胡乱なペテン集団だ。B氏の学説もきっと信用には値しない

これも対人論証の一種で、「その主張を支持する者の中にはろくでもない連中がいる。故にその主張は間違った内容である」というタイプの推論である。どのような個人または集団に支持されているか、という事柄は数学的・論理学的な正しさとは無関係なので、これは演繹にならない。

人身攻撃」も参照

早まった一般化(hasty generalization)

  • A「私が今まで付き合った4人の男は、皆私に暴力を振るった。男というものは暴力を好む生き物なのだ

Aの発言は、少ない例から普遍的な結論を導こうとしており、早まった一般化となる。つまり、暴力が好きな男が存在する(ある男は暴力的である)という個別の事実から、暴力が好きでない男が存在するはずがない(すべての男は暴力的である)という全称判断(断定)を引き出しており、誤りを犯していることになる。仮に「男というものは暴力が好きなのかもしれない 」と断定を避けていれば、その発言は帰納となる(帰納は演繹ではないので、厳密には論理的に正しくない)。Aの発言を反証するためには、暴力が好きでない男の存在(ある男は暴力的でない)を示せばよい。Aの発言は、「1は120の約数だ。2も120の約数だ。3も120の約数だ。4も120の約数だ。つまり、全ての自然数は120の約数なのだ」と論理構造は等しい。

この種の話法例は容易であり「ある貧困者が努力により成功した」「ある障害者が努力により成功した」などの論調により統計的な検証を待たずして命題として認証される誤謬の原因となる可能性がある。ある貧困者や障害者が「努力」を要因として成功したとしても、それは貧困問題の解決にとって論証的に有効な提示となりえるかどうかは分からない。

都合の良い事例や事実あるいは要因のみを羅列し、都合の悪い論点への言及を避け、誤った結論に誘導する手法は「つまみぐい(Cherry picking)」と呼ばれる。

早まった一般化」も参照

合成の誤謬(fallacy of composition)

これは「ある部分がXだから、全体もX」という議論で、合成の誤謬と呼ばれる。早まった一般化との違いは、最初に着目するものが「全体に対しての部分」であるという点。Aの発言は「Bさんは白ワインが大好きだ。他にもエビフライアロエヨーグルトカスタードクリームが好きだと聞いた。なら、白ワインとカスタードクリームを混ぜたアロエのヨーグルトをエビフライにかけた物も喜んで食べるに違いない」という推論と論理構造が等しい。

経済学では、ミクロ経済で通用する法則がマクロ経済でも通用するとは限らない、という論旨で使われる(合成の誤謬も参照)。

分割の誤謬(fallacy of division)

  • A「Bさんはお金持ちだ。だから身に付けている装飾品も、自己所有の自動車も、住んでいる家も、全て高価なものに違いない

これは「全体がXだから、ある部分もX」という議論で、分割の誤謬と呼ばれる。合成の誤謬とは逆のパターンの詭弁。Aの発言は「Bさんはカレーライスが大好物だ。だからニンジンジャガイモやカレー粉をそのまま与えても喜んで食べるだろう」と論理構造が等しい。

多重尋問(complex question)

  • A「(痴漢をした事が明らか、ではない人に対し)もう痴漢はやめたの?」

『実際に痴漢をした事がある人』ではない人にこう質問すると、多重尋問となる。「はい」と答えれば、過去に痴漢をしたと認める事になり、「いいえ」と答えれば、現在も継続して痴漢を働いていると認めた事になってしまうので、痴漢をした事が一切無い人にとっては、どちらで答えても不都合な結果になる恐れがある。

また複層・混乱した尋問として因果関係や相関関係の証明がない命題を列記してそれに尋問をおこなう形式がある。

  • B「政治は変わらなければならない。民営化は推進しなければならない。このままでいいんですか?」
  • C「さあ、よくこの商品を見てくださいよ。もう誰もあなたが美しくなる事をとめることは出来ない。誰ができるというんですか?」

この場合、商品を見ないことと美しくならない(商品を見なければ美しくなれない)ことの因果関係は証明されていない。

論点のすりかえ(Ignoratio elenchi)

  • A「スピード違反の罰金を払えというが、世間を見てみろ。犯罪であふれ返っている。君たち警察官は私のような善良な納税者を悩ませるのではなく、犯罪者を追いかけているべきだろう。」
  • B「トマス・ジェファーソン は、奴隷制度は間違いであり廃止すべきだと主張した。しかしジェファーソン自身が奴隷を所有したことから明らかなように、奴隷制そのものは間違いではなかった。」

論じている内容とはちがう話題(主題)を提示することで論点をそらすもの。論理性が未熟なために陥る場合は錯誤であるが、意識的におこなう場合は詭弁となる。燻製ニシンの虚偽(red herring)とも。Bの例ではジェファーソン個人の言動の不一致をもって「奴隷制度そのもの」を話題にしており「お前だって論法」(tu quoque)ないしは人身攻撃を利用した論点のすりかえである。

論点回避(Begging the question)

  • 「喫煙者はいつでも禁煙できます。彼に必要なのは禁煙する能力なのです。」

推論の前提となる命題の真偽を問わず結論を真とする。あるいは前提に仮定を置いて得られた結論を真とする。上の例では「禁煙する能力」について問うことなく「いつでも禁煙できる(結論)」を主張している。倒置法となっているが、論理構造は「もし禁煙する能力があれば、喫煙者はいつでも禁煙できる」である。なお、「できる」「能力」という語自体が、後述される充填された語 に該当する。(たとえば老人力など)

論点先取(petitio principii)
  • A「Bさんは勤勉な人だから、仕事を怠けるはずがないよ

Aの発言は、前提の中に結論を導く事が出来る情報を「あらかじめ」含めている。このように、見掛け上は『論理』の形になっているものの実際は同義反復の推論を論点先取と呼ぶ。同義反復(「XはXである」という演繹)は恒真命題であるが、何かを証明する内容ではない。Aの発言は、「ルノワールは偉大な画家である。何故なら、素晴らしい画家だからだ」と論理構造が等しい(このように発言するだけでは、ルノワールについて何も証明した事にならない)。論点回避の一つ。先決問題要求の虚偽。

論理構造としては、「(勤勉な人はすべて仕事を怠けないと仮定する。Bさんは勤勉な人であると仮定する。すると)Bさんは勤勉な人である。故にBさんは怠けない。」「(素晴らしい画家は偉大な画家であると仮定する。ルノワールは素晴らしい画家であると仮定する。すると)ルノワールは素晴らしい画家である。故に偉大な画家である。」仮定の部分の論点を先取り(回避)した論理構成となっている。

循環論証(circular reasoning)
  • A「B君の言っている事は詭弁だ(屁理屈だ)。だから間違ってる

論点先取の中でも、「前提が結論の根拠となり、結論が前提の根拠となる」という形式の推論を、循環論証と呼ぶ。Aがこの発言の後に、どのような理由から詭弁(または屁理屈)と言えるのか説明出来なければ、Aの発言は「B君の言っている事は詭弁だ。何故なら間違っているからだ。何故間違っているかというと、詭弁だからだ」と述べているだけの内容となるので、循環論証になる。なお。このタイプの循環論証は、英語だと"that's a fallacy" fallacyと呼ばれる。論点回避の一つ。

循環論証は科学の世界で重大な誤謬をもたらすことがある。例えば三段論法は科学的推論においてはある種の循環論証となっており「1すべての生物には寿命がある。2Aは生物だ。3よってAには寿命がある」の場合、本来は結論3を知っていなければ大前提1の全称判断は得られない。

充填された語(loaded language)
  • A「私達は、罪なき善良な社会的弱者により一層の苦痛と不幸を強いるだけのB知事の残酷で無慈悲で恥知らずな政策に、知性と良識ある者なら当然そうするように反対の意を表明しました。しかしB氏は極めて嘆かわしく、そして愚かしい事に私達の訴えを退け、その幼稚な頭で考え付いたお粗末な政策を実行に移したのです。B氏のような人心を顧みず傲慢で冷酷で知能の著しく欠如した人物や、無思慮かつ無責任にもB氏を知事に選んだサル以下の知能しか持たない愚昧な市民の軽率な蛮行によって、この町はますます住みづらくなったように思えます
  • B「今般の軍事作戦により、我が国はかつての海外領土を回復した。なんと素晴らしい事ではないか!

これも論点先取の一種で、読み手(聞き手)に話題・論題への先験的な感情を惹起させようとする文章を言う。論理性ではなく「語調」に頼った主張を、loaded language(または emotionally charged words)と呼ぶ。必ずしも感情的・攻撃的・侮蔑的な形容句で装飾された文章のみを指すものではなく、常用語を用いた文章も含む。このタイプの詭弁は、情報操作プロパガンダの手法として使われる。たとえば一時的に引き上げられていた課税率を下げることを「減税」と呼ぶ、臨時の減税措置を解除することを「増税」と呼ぶような場合、あるいは販売予定価格に割り増した額を最初に提示し「今日は特別に値引きします」などと提案する場合、それぞれ「減税」「増税」「値引き」などがloaded languageである。受け手の感情や価値判断を暗黙に刺激するkey wordを文中にひそませ、ちりばめることで論理によらずに受け手を操作する。論点回避の一つ。

長文で、結論の不明瞭な詭弁を一気にたたみかけると、聞き手の混乱を誘い、反論を抑え、発言者の結論へと誘導しやすくなる。

連続性の虚偽(Continuum fallacy)

  • A「砂山から砂粒を一つ取り出しても、砂山のままである。さらにもう一粒取り出しても砂山である。したがって砂山からいくら砂粒を取り出しても砂山砂山である。」
  • B「建築契約には高額の追加費用の発生のさいには事前に承認を求めよとあるが、10万円は高額ではない。」

術語の曖昧性から生じる砂山のパラドックスを利用した弁証法。ハゲのパラドックス(fallacy of the bald)、あごひげのパラドックス(fallacy of the beard)とも。Aは「砂山」の定義が、Bは「高額」の定義が曖昧であるため詭弁が成立する。産業廃棄物の投棄を「建築資材の保管」と呼称する、閑散とした食堂を「繁盛店」と広告する、食品Xを「健康に良い」と紹介するなどこの種の弁論は容易であり、社会生活上しばしば見られる。

詭弁とパラドックス

詭弁と似たものにパラドックスがある。パラドックスは詭弁に比べて、より正確で厳密な推論を進めることに特徴がある。パラドックスの例としては、ゼノンのパラドックスのように論理展開が正しいように見えて結論が誤っているものや、双子のパラドックスのように結論が誤っているように見えるが正しいもの、自己言及のパラドックスのように矛盾に関連したものなどがある。

詭弁と論理学

公孫竜は、中国春秋戦国時代に現れた思想家である諸子百家のうち、名家と呼ばれる。ゼノンやプロタゴラスは紀元前400年以前のギリシアアテナイなどで活躍し、ソフィストと呼ばれた。哲学の分類では、名家やソフィストなどを含めて詭弁学派と呼ぶことがある。

古代中国の詭弁は、学問的な発展につながらなかったが、ソフィストの詭弁術は、後世の論理学の発展へとつながっていった。

「詭弁」という語

古代中国の『史記』に登場する。

日本では「詭」が漢字制限により当用漢字常用漢字に含まれないため、新聞などでは奇弁と書かれることもある。

参考文献

  • 小野田博一 『正論なのに説得力のない人 ムチャクチャでも絶対に議論に勝つ人 正々堂々の詭弁術』 日本実業出版社 2004年9月30日
  • 野崎昭弘 『詭弁論理学』 中公新書 448 (ISBN-10: 4121004485) 2007年08月17日
  • 三浦俊彦 『論理学がわかる事典』 日本実業出版社 2004年2月20日

関連項目

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