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なお、息子の[[ジム・アドゥチ (1985年生の外野手)|ジム・アドゥチ]]もメジャーリーガーで、10年間のマイナー生活を経て{{by|2013年}}に[[テキサス・レンジャーズ]]でメジャーデビューした。
(追記) ファミリーネームの発音は、アメリカでは「'''アドゥシー'''」に近い。 (追記ここまで)
なお、(追記) 同名の (追記ここまで)息子の[[ジム・アドゥチ (1985年生の外野手)|ジム・アドゥチ]]もメジャーリーガーで、10年間のマイナー生活を経て{{by|2013年}}に[[テキサス・レンジャーズ]]でメジャーデビューした。


== 経歴 ==
== 経歴 ==
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{{by|1986年}}に[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]でメジャー再昇格を果たし、3試合に出場。
{{by|1986年}}に[[ミルウォーキー・ブルワーズ]]でメジャー再昇格を果たし、3試合に出場。


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{{by|1987年}}シーズン途中に[[日本プロ野球|NPB]]の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜大洋ホエールズ]]に入団。大柄な体からアッパー気味のバットスイングで一発長打を期待されたものの、今一つ迫力と確実性に欠け、(追記) シーズン終了後に退団 (追記ここまで)。なお、同年の大洋は[[カルロス・ポンセ]]と[[ダグ・ローマン]]の2人の外国人選手でシーズンをスタートした。しかし、開幕直後に元メジャーリーガーの[[シクスト・レスカーノ]]を獲得。当時の外国人枠からはみ出したローマンはファームを拒否して退団。レスカーノも極度の不振から結局1か月足らずで退団してしまう。アドゥチは急遽(追記) その (追記ここまで)穴埋めを迫られての獲得で、そこそこまとまってはいたものの特筆すべき点もなく、残留には至らなかった。


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[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
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[[Category:セントルイス・カージナルスの選手]]
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[[Category:ミルウォーキー・ブルワーズの選手]]
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[[Category:横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手]]
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[[Category:フィラデルフィア・フィリーズの選手]]
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[[Category:南イリノイ大学出身の野球選手]]
[[Category:シカゴ出身の人物]]
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[[Category:1959年生]]
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2024年9月25日 (水) 10:13時点における最新版

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(2020年7月)
曖昧さ回避 この項目では、1959年生まれの野球選手について説明しています。1985年生まれの野球選手については「ジム・アドゥチ (1985年生の外野手)」をご覧ください。
ジム・アドゥチ
Jim Adduci
1988年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州 シカゴ
生年月日 (1959年08月09日) 1959年 8月9日(65歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1980年 MLBドラフト7巡目
初出場 MLB / 1983年9月12日
NPB / 1987年6月12日
最終出場 MLB / 1989年7月26日
NPB / 1987年10月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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しかくプロジェクト:野球選手  しかくテンプレート

ジェームズ・デビッド・アドゥチ(James David "Jim" Adduci、1959年 8月9日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州 シカゴ出身の元プロ野球選手(外野手)。

ファミリーネームの発音は、アメリカでは「アドゥシー」に近い。

なお、同名の息子のジム・アドゥチもメジャーリーガーで、10年間のマイナー生活を経て2013年テキサス・レンジャーズでメジャーデビューした。

経歴

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1977年のMLBドラフト28巡目でフィラデルフィア・フィリーズから指名されるも拒否[1]

1980年のMLBドラフト7巡目でセントルイス・カージナルスに指名され契約[1] 1983年9月12日にメジャーデビューを果たし、10試合に出場。

1984年1985年はいずれもメジャーでの出場はなかった。

1986年ミルウォーキー・ブルワーズでメジャー再昇格を果たし、3試合に出場。

1987年シーズン途中にNPB横浜大洋ホエールズに入団。大柄な体からアッパー気味のバットスイングで一発長打を期待されたものの、今一つ迫力と確実性に欠け、シーズン終了後に退団。なお、同年の大洋はカルロス・ポンセダグ・ローマンの2人の外国人選手でシーズンをスタートした。しかし、開幕直後に元メジャーリーガーのシクスト・レスカーノを獲得。当時の外国人枠からはみ出したローマンはファームを拒否して退団。レスカーノも極度の不振から結局1か月足らずで退団してしまう。アドゥチは急遽その穴埋めを迫られての獲得で、そこそこまとまってはいたものの特筆すべき点もなく、残留には至らなかった。

1988年にブルワーズに復帰し、44試合に出場してメジャー唯一の本塁打も記録。

1989年フィラデルフィア・フィリーズに移籍するも、13試合の出場に終わり、同年限りで現役引退[1]

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集 ]
















































O
P
S
1983 STL 10 21 20 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 6 0 .050 .095 .050 .145
1986 MIL 3 13 11 2 1 1 0 0 2 0 0 0 1 0 1 0 0 2 1 .091 .167 .182 .348
1987 大洋 82 309 280 35 75 19 3 13 139 48 1 1 1 1 26 2 1 73 2 .268 .331 .496 .828
1988 MIL 44 97 94 8 25 6 1 1 36 15 0 1 0 3 0 0 0 15 1 .266 .258 .383 .641
1989 PHI 13 19 19 1 7 1 0 0 8 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .368 .368 .421 .789
MLB:4年 70 150 144 11 34 8 1 1 47 15 0 1 1 3 2 0 0 27 1 .236 .242 .326 .568
NPB:1年 82 309 280 35 75 19 3 13 139 48 1 1 1 1 26 2 1 73 2 .268 .331 .496 .828

個人記録

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NPB

背番号

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  • 14 (1983年、1988年)
  • 9 (1986年)
  • 5 (1987年)
  • 18 (1989年)

脚注

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  1. ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、14ページ

関連項目

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外部リンク

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