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* [[1889年]]([[明治]]22年)[[5月1日]] - [[町村制]]施行により、和田村、堀ノ内村、和泉村および永福寺村が合併し、[[東多摩郡]]'''和田堀内村'''(わだほりのうちむら)が発足する。
* [[1889年]]([[明治]]22年)[[5月1日]] - [[町村制]]施行により、和田村、堀ノ内村、和泉村および永福寺村が合併し、[[東多摩郡]]'''和田堀内村'''(わだほりのうちむら)が発足する。
* [[1896年]](明治29年)[[4月1日]] - 東多摩郡および[[南豊島郡]]が合併し[[豊多摩郡]]となる。
* [[1896年]](明治29年)[[4月1日]] - 東多摩郡および[[南豊島郡]]が合併し[[豊多摩郡]]となる。
* [[1926年]]([[大正]]15年)[[7月1日]] - 町制施行し'''和田堀町'''となる。
* [[1926年]]([[大正]]15年)[[7月1日]] - 町制施行(追記) ・改称 (追記ここまで)し'''和田堀町'''となる。
* [[1932年]]([[昭和]]7年)[[10月1日]] - 杉並町、井荻町および高井戸町とともに東京市へ編入され、杉並区が発足する<ref>同年[[5月24日]]、東京府[[告示]]第311号</ref>。
* [[1932年]]([[昭和]]7年)[[10月1日]] - 杉並町、井荻町および高井戸町とともに東京市へ編入され、杉並区が発足する<ref>同年[[5月24日]]、東京府[[告示]]第311号</ref>。
2024年7月14日 (日) 13:59時点における最新版
わだほりまち 和田堀町 | |
---|---|
廃止日 | 1932年10月1日 |
廃止理由 |
新設合併 豊多摩郡:杉並町、和田堀町、井荻町、高井戸町 → 東京市 杉並区 |
現在の自治体 | 杉並区 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京府 |
郡 | 豊多摩郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
18,750人 (1930年10月1日) |
隣接自治体 |
高井戸町、杉並町、中野町、代々幡町 荏原郡:世田ヶ谷町、松沢村 |
和田堀町役場 | |
所在地 | 東京府豊多摩郡和田堀町堀之内本村 |
座標 | 北緯35度41分12秒 東経139度39分11秒 / 北緯35.6867度 東経139.6531度 / 35.6867; 139.6531 座標: 北緯35度41分12秒 東経139度39分11秒 / 北緯35.6867度 東経139.6531度 / 35.6867; 139.6531 |
ウィキプロジェクト | |
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和田堀町(わだほりまち)は、東京府 豊多摩郡に属していた町。
地理
[編集 ]歴史
[編集 ]- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、和田村、堀ノ内村、和泉村および永福寺村が合併し、東多摩郡 和田堀内村(わだほりのうちむら)が発足する。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 東多摩郡および南豊島郡が合併し豊多摩郡となる。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 町制施行・改称し和田堀町となる。
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 杉並町、井荻町および高井戸町とともに東京市へ編入され、杉並区が発足する[1] 。
交通
[編集 ]道路
[編集 ]- 甲州街道(国道8号) - 現在の国道20号
- 方南通り - 現在の東京都道14号新宿国立線
- 井の頭街道 - 現在の東京都道413号赤坂杉並線
教育
[編集 ]- 明治大学和泉綜合グラウンド(1930年開設、現在の和泉キャンパス)
- 高千穂高等商業学校
- 日本済美学校
- 和田堀農商公民学校
- 和田堀町青年訓練所
- 和泉尋常小学校
- 大宮尋常高等小学校
- 和田分教場
- 堀ノ内分教場
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
関連項目
[編集 ]関連書籍
[編集 ]- 東京市臨時市域擴張部 『豊多摩郡和田堀町現状調査』 1931年
外部リンク
[編集 ] 西 和田堀町 東
南
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