m 部総括判事を「統括判事」と誤記していたため、修正。
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1948年に[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]を卒業する。[[人事院]]事務官となるが、在職中に[[旧司法試験|司法試験]]に合格し、1953年に人事院を退官した。[[司法修習生]]を経て、1955年に[[新潟地方裁判所]]の判事補となる。1965年に[[東京地方裁判所]]判事に転任する。1968年から[[司法研修所]]教官を務めた後、1972年からは再び東京地方裁判所に戻り判事、部総括判事(1975年)となる。この時代にロッキード事件丸紅ルートの審理を裁判長として担当した。[[1983年]]10月の判決では、被告の[[田中角栄]]に対して懲役4年の実刑判決を下している<ref>[https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/81-1.html ロッキード事件丸紅ルート第一審判決] - [[京都産業大学]]</ref>。
1948年に[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]を卒業する。[[人事院]]事務官となるが、在職中に[[旧司法試験|司法試験]]に合格し、1953年に人事院を退官した。[[司法修習生]]を経て、1955年に[[新潟地方裁判所]]の判事補となる。1965年に[[東京地方裁判所]]判事に転任する。1968年から[[司法研修所]]教官を務めた後、1972年からは再び東京地方裁判所に戻り判事、部総括判事(1975年)となる。この時代にロッキード事件丸紅ルートの審理を裁判長として担当した。[[1983年]]10月の判決では、被告の[[田中角栄]]に対して懲役4年の実刑判決を下している<ref>[https://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/81-1.html ロッキード事件丸紅ルート第一審判決] - [[京都産業大学]]</ref>。
1985年に[[福島地方裁判所]]長に就任するが、翌年には[[東京高等裁判所]]統括判事に転じた。同じ1986年には[[法制審議会]]刑事法特別委員会委員にも選任されている。その後、[[司法書士試験]]委員も務める。1989年から[[横浜地方裁判所]]長を務めた後、1992年に停年退官した。
1985年に[[福島地方裁判所]]長に就任するが、翌年には[[東京高等裁判所]]統括判事に転じた。同じ1986年には[[法制審議会]]刑事法特別委員会委員にも選任されている。その後、[[司法書士試験]]委員も務める。1989年から[[横浜地方裁判所]]長を務めた後、1992年に停年退官した(追記) <ref>以上につき『全裁判官経歴総覧 第5版』公人社 2010年12月10日 p60</ref>> (追記ここまで)。
退官後は[[弁護士]]登録するとともに、東京地方裁判所の調停委員にも就任する。
退官後は[[弁護士]]登録するとともに、東京地方裁判所の調停委員にも就任する。
2024年3月3日 (日) 06:22時点における版
岡田 光了(おかだ みつのり、1925年 8月24日 - 1998年 5月27日)は、日本の裁判官。専門は刑事法。ロッキード事件丸紅ルート第1審の裁判長を務めたことで知られる。
来歴
※(注記)以下の出典は(ロッキード事件関連を除き)「岡田光了先生略歴」『清和法学研究』6号(清和大学法学部、1999年3月31日、p.313)による。
東京に生まれる。
1944年に海軍予備生となり、1945年8月に復員した。
1948年に東京大学法学部を卒業する。人事院事務官となるが、在職中に司法試験に合格し、1953年に人事院を退官した。司法修習生を経て、1955年に新潟地方裁判所の判事補となる。1965年に東京地方裁判所判事に転任する。1968年から司法研修所教官を務めた後、1972年からは再び東京地方裁判所に戻り判事、部総括判事(1975年)となる。この時代にロッキード事件丸紅ルートの審理を裁判長として担当した。1983年10月の判決では、被告の田中角栄に対して懲役4年の実刑判決を下している[1] 。
1985年に福島地方裁判所長に就任するが、翌年には東京高等裁判所統括判事に転じた。同じ1986年には法制審議会刑事法特別委員会委員にも選任されている。その後、司法書士試験委員も務める。1989年から横浜地方裁判所長を務めた後、1992年に停年退官した[2] >。
退官後は弁護士登録するとともに、東京地方裁判所の調停委員にも就任する。
1993年に中央学院大学法学部客員講師(刑法・刑事訴訟法担当)となり、1995年からは清和大学法学部教授(刑事政策・経済刑法担当)に就任した。
1996年勲二等 瑞宝章を受章。1998年に教授在職のまま死去した。
主な担当事件
※(注記)以下の出典は「岡田光了先生略歴」『清和法学研究』6号(清和大学法学部、1999年3月31日、p.313)による。
脚注