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「ダ埼玉」の版間の差分

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== 行政の対応 ==
== 行政の対応 ==
[[埼玉県]]関係者らは、当然のことながら「ダ埼玉」などと揶揄されている埼玉県のイメージアップをもたらそうと常に努力している。1985年には、旧与野市、旧大宮市、旧浦和市、上尾市ならびに伊奈町との合併を計画した際に「さいたまYOU And Iプラン」とし、1992年にはすでに定着している「彩の国」というキャチフレーズが考案され、2001年に旧浦和市、旧大宮市ならびに旧与野市が合併した際には、新市名をめぐる住民投票では漢字の「埼玉市」が一位であったにも関わらず、あえて二位であった「さいたま市」を新市名として採用するなど、常に埼玉県のイメージを改善しようと努力している。さらに、埼玉県関係者らは、2002年に日韓共催として実施されたワールドカップの決勝地や、新東京タワーとしてさいたまタワーの誘致を目指したなど、いずれも失敗はしたけれども、埼玉県のイメージを良くするために行われた政策(削除) である。しかし、一度でも定着してしまった[[偏見]]や[[ステレオタイプ]]を消去することは極めて困難であるという[[社会心理学]]の知見が示唆するように、いくら埼玉県ならびにさいたま市関係者らが「[[彩の国]]」や「[[彩の国]][[さいたま]]」という愛称を定着させようと努力しても、「ダ埼玉」というネガティヴなステレオタイプを消去することは現状ではほぼ不可能 (削除ここまで)である。
[[埼玉県]]関係者らは、当然のことながら「ダ埼玉」などと揶揄されている埼玉県のイメージアップをもたらそうと常に努力している。1985年には、旧与野市、旧大宮市、旧浦和市、上尾市ならびに伊奈町との合併を計画した際に「さいたまYOU And Iプラン」とし、1992年にはすでに定着している「彩の国」というキャチフレーズが考案され、2001年に旧浦和市、旧大宮市ならびに旧与野市が合併した際には、新市名をめぐる住民投票では漢字の「埼玉市」が一位であったにも関わらず、あえて二位であった「さいたま市」を新市名として採用するなど、常に埼玉県のイメージを改善しようと努力している。さらに、埼玉県関係者らは、2002年に日韓共催として実施されたワールドカップの決勝地や、新東京タワーとしてさいたまタワーの誘致を目指したなど、いずれも失敗はしたけれども、埼玉県のイメージを良くするために行われた政策である。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2008年9月29日 (月) 05:29時点における版

ダ埼玉(ダサイタマ、ださいたま)は、「ださい」と「さいたま」をかけたかばん語で、埼玉県及びその県民を揶揄した語。県庁所在地さいたま市を揶揄する時にも用いられる。

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概要

ダ埼玉という言葉は、「ださい」と「さいたま」を掛けた合成語。「ださい」とは、野暮ったく洗練されていないという意味で、1970年代から用いられ始めたとされる。

「ダ埼玉」は、1984年にテレビ番組でタレントのタモリが使用したのが初出とされる[1] [2] 。埼玉が野暮ったく洗練されていないと断じて揶揄する語である。さらに、日本語における「ださい」という語源は、「だから埼玉は〜」というのが「ださい」の語源とされている。

近年では、合併によって発足した「さいたま市」のネーミングを批判する意味で使われることも多い。市名が批判される原因は、「さいたま市#名称問題」「ひらがな・カタカナ地名」も参照のこと。

背景

かつて、埼玉県東京都、それに多摩川を越えた川崎市横浜市は、武蔵国として一つの令制国を形成していた。

第二次世界大戦後、それまで農村地帯が多く、終戦直後は千葉県茨城県とともに買い出し客が多く、東京都区部周辺から押し寄せたと言われる埼玉県は、東京都区部の人口増加や地価高騰に伴い、その郊外住宅地というイメージが強くなっている。

これらの地域は、政経両面で東京都区部との連関が強くなっており、「首都圏」という語が象徴するように、事実上「東京エリア」でもある。近年、国の(関東地方 出先)行政機関が旧国鉄大宮操車場跡地(さいたま新都心)に一部移転しているが、その際の施設建設や開発も近年の先進建設技術で行われており、東京都区内の施設に比べて何ら遜色なく規模内容ともに充実している。

埼玉県内は荒川利根川等流域の稲作に適した平地と、関東ローム層に属し水はけが良くイモダイコンなど根菜類の畑作に適した台地秩父に近い丘陵地があり地域特性に差がある。東京多摩地域が未だに風景豊かな近郊の面影を残しているのと同様に埼玉県内も民俗学的に価値ある風物が残存している。そして新たな開発が作り上げたニュータウンの持つ住民文化が今現在旧来のそれと一体となり興味深い。

現状

かつての都民の埼玉に対するイメージは、某タレントが発した「埼玉はまるごと沈んで東京の水瓶になってしまえ」程度だったが、最近では団塊世代(昭和20年代前半生まれ)の離退職とともに、住民の地域的な紐帯が見直されており、(一旦は関心の外において東京中心の経済活動に猛進した)彼らの壮年期に広まった「ダ埼玉」表現も現実から離れていると埼玉県民は自負するが未だそのイメージは拭われていない。

高度経済成長期に続く(バブル期の)東京中心開発時代も一旦区切られ、東京と住環境全てを比較するという思考が変化しており、河川上流下流である埼玉東京の新たな関係が全国的な人口動態変化(少子高齢化)の中で問われている。

行政の対応

埼玉県関係者らは、当然のことながら「ダ埼玉」などと揶揄されている埼玉県のイメージアップをもたらそうと常に努力している。1985年には、旧与野市、旧大宮市、旧浦和市、上尾市ならびに伊奈町との合併を計画した際に「さいたまYOU And Iプラン」とし、1992年にはすでに定着している「彩の国」というキャチフレーズが考案され、2001年に旧浦和市、旧大宮市ならびに旧与野市が合併した際には、新市名をめぐる住民投票では漢字の「埼玉市」が一位であったにも関わらず、あえて二位であった「さいたま市」を新市名として採用するなど、常に埼玉県のイメージを改善しようと努力している。さらに、埼玉県関係者らは、2002年に日韓共催として実施されたワールドカップの決勝地や、新東京タワーとしてさいたまタワーの誘致を目指したなど、いずれも失敗はしたけれども、埼玉県のイメージを良くするために行われた政策である。

関連項目

脚注

  1. ^ 米川明彦(編)『日本俗語大辞典』東京堂出版、2003年。ISBN 4-490-10638-6 
  2. ^ 『現代用語の基礎知識 1985年版』自由国民社、1985年。 

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