→登場作品 : 映画『Yasuke』(Picturestart)の修正と、MGM版『Yasuke』の追加。ノート 参照
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{{告知|ローカルルール|加筆前に必ずノートで議論し、確定した内容のみ記事に反映させること。<br>編集にあたっては、ノートページ上部のローカルルールを必ずお読みください。|date=2024年9月}}
{{For|アニメ作品|Yasuke -ヤスケ-}}
| 画像 = <!--肖像以外の画像を入れない-->
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| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[安土桃山時代]]
| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[安土桃山時代]]
| 生年月日 = 1550年代?{{efn|『信長公記』の1581年の記述に「年の齢廿六・七と見えたり」とある{{sfnm|岡田|1999|1p=99|藤田|2005|2p=4}}ことによる。[[数え年]]で26なら1556年生まれ、27なら1555年生まれとなる。}}
| 生誕 = 不詳<!--1554年頃?--><br>[[ポルトガル領東アフリカ]]
| 別名 = ヤスケ、弥介、彌介、彌助{{efn|name="yasu"}}
| 職業 = [[織田信長]]の従者{{sfn|岡田|1999|p=420}}
'''弥助'''(やすけ、[[生没年不詳]])は、[[安土桃山時代]]の日本に渡来した[[黒人]]男性。[[宣教師]]から[[織田信長]]へと進呈され、信長が死去するまでの約15か月間、彼に仕えた。名は'''弥介'''<ref name="盛本">{{Citation|和書|last=盛本|first=昌広|author-link=盛本昌広|year=2022|origyear=1999|title=家康家臣の戦と日常 松平家忠日記をよむ|publisher=KADOKAWA|series=[[角川ソフィア文庫]]|isbn=978-4-04-400714-0|pages=56–59}}</ref>(彌介{{sfnm|藤田|2005|1pp=1–9|2a1=ソウザ|2a2=岡|2y=2021|2p=215}})とも書かれる。
}}'''弥助'''{{efn|name="yasu"|弥助、弥介、また旧字での彌助、彌介は、どれも同じ。同音異字の置き換えは江戸時代にはよく見られた。}}(やすけ、[[生没年不詳]])は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の日本に渡来した[[ネグロイド|黒人]]男性。[[宣教師]]の護衛<ref name="bbc">{{Cite web|url=https://www.bbc.com/news/world-africa-48542673|title=The mysterious life of an African samurai|first=Naima|last=Mohamud|date=October 14, 2019|via=www.bbc.co.uk |archive-url=https://web.archive.org/web/20201101144729/https://www.bbc.com/news/world-africa-48542673 |archive-date=November 1, 2020|accessdate=2021年04月21日}}</ref><ref name="rfi">{{cite web|url=http://www.rfi.fr/hebdo/20150102-yasuke-samurai-samourai-etranger-africain-mozambique-japon |website=Rfi.fr |title=Yasuke: le premier samouraï étranger était africain |date=January 2, 2015 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200114161630/http://www.rfi.fr/hebdo/20150102-yasuke-samurai-samourai-etranger-africain-mozambique-japon/ |archive-date=January 14, 2020|accessdate=2021年04月21日}}</ref>、従者<ref name="bbc" /><ref name="rfi" /><ref>Lockley, Thomas, African Samurai : The True Story of a Legendary Black Warrior in Feudal Japan (in USA), Yasuke: The true story of the legendary African Samurai (in GB), 2019.</ref>、または[[奴隷]]として[[戦国大名]]・[[織田信長]]に謁見し、気に入られたことで彼の[[家来]]として召し抱えられた{{efn|名前の分かる人物では、日本の史料に登場する最も古い[[アフリカ人]]の1人であるが、所在が確認できる期間は[[1581年]][[3月27日]]から[[1582年]][[6月21日]]の1年余りと極めて短い。信長にとっては最晩年の家来衆となる。}}。
[[(削除) image (削除ここまで):(削除) Rinpa_style_ink (削除ここまで)-(削除) stone_box (削除ここまで).jpg|(削除) thumb (削除ここまで)|(削除) left|230px (削除ここまで)|[[(削除) 琳派 (削除ここまで)]](削除) の1590年代の硯箱 (削除ここまで)。(削除) 蓋内側には (削除ここまで)黒人の(削除) 召 (削除ここまで)使が描かれている。]]
[[(追記) ファイル (追記ここまで) :(追記) Namban (追記ここまで) -(追記) 10 (追記ここまで) .jpg|(追記) 180px (追記ここまで) |(追記) thumb (追記ここまで) |(追記) 『南蛮屏風』( (追記ここまで) [[(追記) 狩野内膳 (追記ここまで) ]](追記) 画) (追記ここまで) 。黒人の(追記) 従者と象 (追記ここまで) 使(追記) い (追記ここまで) が描かれている(追記) {{sfn|藤田|2005|pp=21–25}} (追記ここまで) 。]]
[[ファイル:NanbanGroup.JPG|180px|thumb|日本に到来した[[イエズス会]]宣教師たち。彼らに付き従う黒人の従者が描かれている。]]
[[(削除) file (削除ここまで):(削除) Namban-10 (削除ここまで).jpg|180px|thumb|(削除) 『南蛮 (削除ここまで)屏風(削除) 』 (削除ここまで)([[(削除) 狩野内膳 (削除ここまで)]](削除) 画 (削除ここまで))(削除) 。 (削除ここまで)黒(削除) 人 (削除ここまで)の(削除) 召使が (削除ここまで)描かれている。]]
[[(追記) ファイル (追記ここまで) :(追記) Black sumo wrestler in 17th century (追記ここまで) .jpg|180px|thumb|(追記) 相撲遊楽図 (追記ここまで) 屏風((追記) 一部。 (追記ここまで) [[(追記) 堺市博物館 (追記ここまで) ]](追記) 所蔵 (追記ここまで) )(追記) <br/>左側の力士は、 (追記ここまで) 黒(追記) い肌に髷を結っていないざんばら髪や高い鼻など、明らかにそれ以外 (追記ここまで) の(追記) 人物とは異なる人種的特徴で (追記ここまで) 描かれている。]]
[[file:NanbanGroup.JPG|180px|thumb|日本に到来した[[イエズス会]]宣教師たち。彼らに付き従う黒人の召使が描かれている。]]
弥助は[[モザンビーク]]の出身で{{sfn|藤田|2005|pp=56}}、[[イエズス会]]の[[イタリア人]]巡察師{{sfn|松田|1965|pp=23–34}}[[アレッサンドロ・ヴァリニャーノ]]が来日する際に[[インド]]から連れてきたという{{sfn|藤田|2005|pp=56}}<ref>{{Cite book|url=https://books.google.co.jp/books?ei=eJjFUe3tK4SEkgXlxoGICQ&hl=ja&id=pQE_AAAAcAAJ&dq=&jtp=444#v=onepage&q&f=false |title=Histoire Ecclesiastique Des Isles Et Royaumes Du Japon|volume=1 |page=444 |author=François Solier |publisher=Cramoisy |year=1627}}</ref>。
[[File:Black sumo wrestler in 17th century.jpg|180px|thumb|左側の力士は、黒い肌に髷を結っていないざんばら髪、高い鼻など、明らかにそれ以外の人物とは異なる人種的特徴で描かれている。相撲遊楽図屏風の一部([[堺市博物館]]所蔵)]]
弥助の出自については、フランソワ・ソリエが[[1627年]]に記した『日本教会史』第一巻に記述がある。[[イエズス会]]の[[イタリア人]][[宣教師|巡察師(伴天連)]][[アレッサンドロ・ヴァリニャーノ]]が来日した際、[[インド]]から連れてきた使用人<ref name="p384">{{Harvnb|クラツセ|1925|loc=p.384}}</ref>で、出身地は[[ポルトガル領東アフリカ]](現[[モザンビーク]])であると記されている<ref name=solier>{{cite book|url=https://books.google.co.jp/books?ei=eJjFUe3tK4SEkgXlxoGICQ&hl=ja&id=pQE_AAAAcAAJ&dq=&jtp=444#v=onepage&q&f=false |title=Histoire Ecclesiastique Des Isles Et Royaumes Du Japon|volume=1 |page=444 |author=François Solier |publisher= |date=2019年04月23日}}</ref>。
ヴァリニャーノは[[1574年]]3月に[[ポルトガル王国|ポルトガル]]を出発し、7月にモザンビークへ、その後9月にインドの[[ゴア州|ゴア]]に到着した{{sfn|松田|1965|p=34}}。[[1577年]]9月までインドで巡察を行った後、[[マラッカ]]や[[マカオ]]に滞在し、[[1579年]]7月に日本へと出発する{{sfn|松田|1965|pp=34–40}}。
戦国時代、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]や[[スペイン帝国|スペイン]]など[[ヨーロッパ]]人が日本を訪れるようになり、[[アフリカ]]出身の者たちも、従者または[[奴隷]]として連れてこられていた。その数は決して少ないものではなく、弥助もそのような一人で宣教師の護衛をしていたとされる。護衛として武術の訓練も受けていたと見られるため[[解放奴隷]]や自由人との説もあり見解が分れている<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/2.html|title=アフリカの日本、日本のアフリカ 第2章 日本に渡ったアフリカ人|publisher=[[国立国会図書館]] |accessdate=2019年10月21日}}</ref><ref name=bbc /><ref name=rfi />。
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には、ポルトガルや[[スペイン帝国|スペイン]]など[[ヨーロッパ]]の船が日本を訪れるようになっており、[[アフリカ]]出身の人々も、従者または[[奴隷]]として連れてこられていた<ref>{{Cite web |title=第2章 日本に渡ったアフリカ人 |url=https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/2.html |website=本の万華鏡 第14回 アフリカの日本、日本のアフリカ |publisher=[[国立国会図書館]] |access-date=2024年09月16日 |language=ja}}</ref>。[[1546年]]に日本に来航したポルトガル人船長[[ジョルジ・アルヴァレス#同姓同名の人物|ジョルジ・アルヴァレス]]は、船員もしくは下僕として黒人を連れていたとみられ、[[1548年]]11月付の[[フランシスコ・ザビエル]]宛ての報告で、日本人は黒人を見ることを喜び、100キロメートル近く離れた場所からも見にくると記している{{sfn|藤田|2005|pp=1–2}}。この後、日本側の記録に黒人が登場するのは、[[1581年]]([[天正]]9年)の『[[信長公記]]』における弥助の記述が最初となる{{sfn|藤田|2005|pp=3–4}}。
ヴァリニャーノは日本に来る前にモザンビークに寄港した{{sfn|クラツセ|1925|pp=427-430}}後インドに長く滞在していた経験があり、弥助が直接ヴァリニャーノによってモザンビークから連れてこられたのか、それとも先行してインドに渡っていたのかはこの文章からは不明である。
===日(削除) 本へ (削除ここまで)===
===(追記) 来 (追記ここまで) 日(追記) 後の弥助 (追記ここまで) ===
1579年7月25日(天正7年7月2日)に[[島原半島]]南端の[[口之津港|口ノ津]]に到着したヴァリニャーノは、その後、[[豊後国]]に移り{{sfn|松田|1965|pp=53, 68, 85}}、1581年3月8日(天正9年2月4日)、[[畿内]]に向け出発した{{sfnm|松田|1965|1p=91|藤田|2005|2p=7}}。豊後を出たヴァリニャーノに同行したのは、[[ルイス・フロイス]]やロレンソ・メシア(メシヤ)ら4人の[[司祭]]と3人の[[修道士]]、そして黒人で{{sfnm|松田|1965|1p=91|藤田|2005|2p=7}}、これが弥助とされる{{sfn|藤田|2005|p=7}}。
[[天正]]9年[[2月23日 (旧暦)|2月23日]]([[1581年]][[3月27日]])に、ヴァリニャーノが信長に謁見した際に奴隷として引き連れていた<ref name="p420421">{{Harvnb|岡田|1999|loc=pp.420-421}}</ref>。『[[信長公記]]』には「切支丹国より、'''黒坊主'''参り候」と記述され、年齢は26歳 - 27歳ほどで、「十人力の剛力」、「[[ウシ|牛]]のように黒き身体」と描写されている<ref>{{Harvnb|近藤瓶城|1926|ref=c19|loc=p.204}}。{{Harvnb|太田|中川|2013|loc=p.259}}</ref>。
ヴァリニャーノたちは1581年3月17日(天正9年2月13日)に[[堺]]に到着し、その2日後に堺を出ようとしたが、その際、非常に背の高いヴァリニャーノと黒人の弥助を見るために、群衆が待ち受けていた<ref name="フロイス0414">1581年4月14日付ルイス・フロイス書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1p=127|松田|1965|2p=93|藤田|2005|3p=7}}。これにより、ヴァリニャーノたちが狭い場所を通る際、道端の店が荒らされることになったという<ref name="フロイス0414" />{{sfnm|村上|1943|1p=127|松田|1965|2p=93|藤田|2005|3p=7}}。
天正9年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]](1581年[[4月14日]])付で[[ルイス・フロイス]]がイエズス会本部に送った年報や、同時期のロレンソ・メシヤの書簡によれば、[[京都]]で黒人がいることが評判になり、見物人が殺到して喧嘩、投石が起き、重傷者が出るほどだった。初めて黒人を見た信長は、肌に墨を塗っているのではないかとなかなか信用せず、着物を脱がせて体を洗わせたところ、彼の肌は白くなるどころかより一層黒く光ったという<ref name="p384"/>{{efn|『イエズス会日本年報』が初出。前述のソリエの『日本教会史』やそれを受けたクラツセの『日本西教史』も年報を出典としている。}}<ref name="Hakken2">藤田みどり『アフリカ「発見」日本におけるアフリカ像の変遷』[[岩波書店]]、2005年5月。{{要ページ番号|date=2019年04月23日}}</ref><ref name="p420421" />。
1581年3月26日(天正9年2月22日)、ヴァリニャーノ一行が織田信長との謁見のため[[京都]]に入ると、黒人の噂はたちまち広まって群衆が[[南蛮寺]]へと殺到し、投石のため負傷者が出て、死者も出そうになった<ref name="フロイス0414" />{{sfnm|村上|1943|1pp=131–132|松田|1965|2pp=97–98|藤田|2005|3pp=4–5}}。その噂を聞いた信長の招きを受けて、3月27日(和暦2月23日)、都の[[教区長]]である{{sfn|松田|1965|p=95}}[[オルガンティーノ]]が弥助を連れて、信長の滞在する[[本能寺]]に赴いた<ref name="フロイス0414" />{{sfnm|村上|1943|1pp=131–132|松田|1965|2p=98|藤田|2005|3pp=4–5}}。
本当に彼の肌が黒いことに納得した信長はこの黒人に大いに関心を示し、ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらい、「弥助」と名付けて正式な[[武士]]の身分に取り立て、身近に置くことにしたと、イエズス会日本年報にあり、信長は弥助を気に入っていて、ゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂されていたという<ref name="nempo"/>。また、[[金子拓]]によると、『信長公記』の筆者である[[太田牛一]]末裔の加賀大田家に伝わった自筆本の写しと推測される写本([[尊経閣文庫]]所蔵)には、この黒人・弥助が私宅と鞘巻(腰刀の一種)を与えられ、時には道具持ちをしていたという記述があるという<ref>「織田信長という歴史 『信長記』の彼方へ』、勉誠出版、2009年、311-312頁。</ref>。
その時の様子が『信長公記』巻十四に記されている{{sfnm|太田|1921|1p=204|松田|1965|2p=99|藤田|2005|3p=4}}。そこには「二月廿三日、きりしたん国より'''黒坊主'''参り候。年の齢廿六、七と見えたり。惣の身の黒き事、牛の如し。彼の男、健やかに、器量なり。しかも、強力十の人に勝たり」とある{{sfn|藤田|2005|p=4|ps=. 藤田の引用元は、[[桑田忠親]]校注『改訂信長公記』(新人物往来社、1978年).}}。ルイス・フロイスやロレンソ・メシアの書簡によると、信長はその肌が墨を塗ったものでなく自然のものであると信じずに、帯から上の着物を脱がせたという<ref>1581年4月14日付ルイス・フロイス書簡、1581年10月8日付ロレンソ・メシヤ書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1pp=132, 185–186|松田|1965|2p=98|岡田|1999|3p=421|藤田|2005|4pp=4–5}}。さらに信長が体を洗わせたところ、白くなるどころか一層黒くなったとされる{{sfnm|松田|1965|1p=98|藤田|2005|2p=5}}。
『[[家忠日記]]』の天正10年4月19日([[1582年]][[5月11日]])付けの記述には「上様{{efn|name="ue"|この文脈では天下様の意味で、ここでは[[天下人]]・織田信長を意味する。松平家忠は「殿様」である徳川家康に仕える陪臣である。}}御ふち候、大うす(デウス)進上申候、'''くろ男'''御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥助ト云(信長様が、扶持を与えたという、宣教師から進呈されたという、黒人を連れておられた。身は墨のようで、身長は約1.82メートル、名は弥助と云うそうだ)」とその容貌が記述されている{{sfn|松平|1897|p=54|}}。これは弥助も従軍していた[[甲州征伐]]からの帰還途上に、信長が徳川領を通った時に[[徳川家康|家康]]の家臣である[[松平家忠]]が目撃したものである。
メシアによると、弥助は日本語を多少話すことができた<ref name="メシヤ">1581年10月8日付ロレンソ・メシヤ書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1pp=185–186|松田|1965|2p=99|岡田|1999|3p=421|藤田|2005|4p=6}}。また、力が強く、少しの芸ができたため、信長は喜んで庇護し、弥助に人を付けて市内を巡らせたという<ref name="メシヤ" />{{sfnm|村上|1943|1pp=185–186|松田|1965|2p=99|岡田|1999|3p=421|藤田|2005|4p=6}}。弥助の姿を見た者の中には、信長は弥助を「殿(Tono)」にするだろうと言う者もいたとされる<ref name="メシヤ" />{{sfnm|村上|1943|1pp=185–186|岡田|1999|2p=421|藤田|2005|3p=6}}。また、『信長公記』尊経閣十五冊本{{efn|[[尊経閣文庫]]に所蔵される写本の一つ{{sfn|金子|2009|p=293}}。[[金子拓]]は、成立時期の遅い伝本で削除された信長の身の回りの細々とした記述が見られることなどから、初期の稿本が元になったとしている{{sfn|金子|2009|pp=313–314, 380}}。なお、弥助に関わることなど、尊経閣十五冊本でのみ見られる記述については、書写過程で加えられた可能性もある{{sfn|金子|2009|pp=295–313}}。}}には、この「黒坊」が「'''弥助'''」と号したことや、扶持や「さや巻之のし付{{efn|『精選版 日本国語大辞典』などで「鞘巻」は腰刀の一種とされる<ref>{{Cite Kotobank|word=鞘巻|access-date=2024年09月16日}}</ref>。『信長公記』巻十二に記載される「さやまきののし付」{{sfn|太田|1921|p=159}}は、中川太古による現代語訳では「金銀飾りの鞘巻き」とされている{{sfn|太田|中川|2013|p=339}}。}}」ならびに私宅を与えられ、時には「御道具」などを持たせられたとの記述がある{{sfn|金子|2009|pp=311–312}}。
天正10年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]](1582年[[6月21日]])の[[本能寺の変]]の際には弥助も[[本能寺]]に宿泊しており、[[明智光秀]]の襲撃に遭遇すると、[[二条新御所]]に行って異変を知らせ、信長の後継者の[[織田信忠]]を守るため明智軍と戦った末に投降して捕縛された。『イエズス会日本年報』によると、「ビジタドール(巡察師)が信長に贈った'''黒奴'''が、信長の死後世子の邸に赴き、相当長い間戦ってゐたところ、明智の家臣が彼に近づいて、恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した」という<ref name="p420421" />。
1581年5月14日(天正9年4月12日)、ルイス・フロイスが修道士や信者、黒人と共に[[越前国]]の[[北ノ庄|北庄]]に赴いた{{sfn|藤田|2005|pp=7–8}}。藤田みどりは、京都に来た黒人は弥助が初めてだったとの記録があることなどから、この黒人を弥助としている{{sfn|藤田|2005|pp=7–8}}。越前に向かう途中の[[長浜市|長浜]]では、黒人だけでなく白人が来たのも初めてだったため大きな騒ぎとなり、宿舎とされた家にフロイスらが入ると、黒人を見ようとした群衆がその戸を破って入ってくるということが3、4度起きたという<ref>1581年5月19日付ルイス・フロイス書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1pp=140–141|藤田|2005|2pp=7–8}}。その後、北庄に滞在したフロイスら一行は5月30日(和暦4月28日)に京都に戻った{{sfn|藤田|2005|pp=7–8}}。
家臣に、弥助をどう処分するかを聞かれた光秀は、「黒奴は[[動物]]で何も知らず、また[[日本人]]でもない故、これを殺さず」として処刑させずに、「インドのパードレ{{efn|「パードレ」は父の意味だが、ここでは伴天連、つまり[[神父]]達をさす。}}の聖堂に置け」と言った。このため弥助は[[南蛮寺#都の南蛮寺(1576年)|南蛮寺]]に送られて命拾いした<ref name="p420421" /><ref name="nempo">{{Citation |和書|author1=村上直次郎|author2=柳谷武夫(訳)|year=2002| title =イエズス会日本年報 上|series=新異国叢書| |publisher =雄松堂出版 |ISBN=484191000X}}{{要ページ番号|date=2019年04月23日}}</ref>。この光秀の発言については、黒人の弥助に対する差別意識の表れだったとする説と、弥助に情けをかけて命を助けるための[[方便]]だったとする説があるが、真相は不明である。
次に弥助の記述が現れるのは、[[徳川家康]]の家臣・[[松平家忠|松平主殿助]]の著した『[[家忠日記]]』天正10年4月19日([[1582年]]5月11日)条においてである{{sfn|藤田|2005|pp=6, 8}}。[[甲州征伐]]からの帰途、織田信長が徳川家康の支配地を訪れた時の記録で<ref name="盛本" />{{sfn|藤田|2005|p=6}}、そこには「上様御ふち候大うす進上申候、'''くろ男'''御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ'''弥介'''{{efn|[[1897年]]([[明治]]30年)の覆刻版<ref>{{Citation|和書|last=岩沢|first=愿彦|author-link=岩沢愿彦|year=1967|title=家忠日記の原本について|journal=東京大学史料編纂所報|issue=2|url=https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/publication/syoho/2/}}</ref>では「弥助」と書かれる{{sfn|松平|1897|loc=53丁表}}<ref>{{Citation|和書|editor-last=柴田|editor-first=顕正|editor-link=柴田顕正|year=1934|title=岡崎市史別巻 徳川家康と其周囲 中巻|publisher=[[岡崎市]]役所|id={{全国書誌番号|46079204}}|url={{NDLDC|1170606/243}}|page=440}}</ref>。}}ト云」と記されている<ref name="盛本" />{{sfn|藤田|2005|p=6}}。
南蛮寺に預けられて以降、弥助の消息については、史料に記されておらず、全く分かっていない。
その後の他地域の史料の中には、黒人が登場するものがいくつかあり、弥助以外にもたくさんの黒人が来日していた。フロイスの『[[フロイス日本史|日本史]]』の[[沖田畷の戦い]]には、[[有馬氏|有馬]]方に大砲を扱える黒人がいるとの記述がある。[[慶長]]10年([[1605年]])頃に描かれた『相撲遊楽図屏風』には、肌の黒い男と髷を結った[[力士]]が相撲を取る様子が描かれている。
天正10年6月2日(1582年6月21日)、京都本能寺に滞在する織田信長を[[明智光秀]]の軍勢が襲う[[本能寺の変]]が起きた{{sfn|岡田|1999|pp=76, 374–377}}。変の際の弥助について、信長の死後、その嫡男である[[織田信忠|信忠]]のもとへと駆け付け、そこで戦った末、明智方に降伏したとされている{{sfn|藤田|2005|pp=8–9}}。『イエズス会日本年報』には、「ビジタドール(巡察師)が信長に贈った'''黒奴'''が、信長の死後世子の邸{{efn|『イエズス会日本年報』には、変が起きた当初「世子の邸」「寺院」にいた信忠が、付近にあった「内裏の御子の居」に移ったと記されている{{sfn|村上|1943|p=257}}。この時の信忠の動きとしては、宿所としていた[[妙覚寺 (京都市)|妙覚寺]]から隣接する[[二条新御所|二条御所]]に移って明智軍と戦ったことが知られている{{sfn|岡田|1999|pp=374-377}}。}}に赴き、相当長い間戦ってゐたところ、明智の家臣が彼に近づいて、恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した」とある<ref name="フロイス1105">1582年11月5日付ルイス・フロイス書簡。</ref>{{sfnm|村上|1943|1p=258|岡田|1999|2pp=420–421|藤田|2005|3pp=8–9}}。また、家臣に弥助をどう処分すべきか聞かれた光秀は、「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として、「インドのパードレの聖堂に置け」と命じたという<ref name="フロイス1105" />{{sfnm|村上|1943|1p=258|岡田|1999|2pp=420–421|藤田|2005|3pp=8–9}}。
その後の弥助の消息については一切不明である{{sfn|藤田|2005|p=9}}。
== ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」について ==
ロックリー・トーマス氏の著作「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」は、弥助が信長に仕えた1年の資料が数が少なかったため、<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.45</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}著者が判明している史実を分析し、まったく知られていない部分を他の文献から推理して、空白のピースを埋めた物語形式で描かれ<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.9</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}、著者による仮説が多分に含まれる。著書の中で、ある出来事に弥助が関わったどうか不明な場合には、信長一族が関わっていた史実のうち、弥助はどのような出来事に参加する可能性が高いかという視点で判断したと書かれている。<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.47</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}
また、様々な仮説を立て、「弥助は信長のそば近くに置かれていた」「弥助は、高貴な人々との会談や軍事戦略には参加しなかった」「弥助は小姓衆とともに、鷹狩りや遠乗りといった信長が好む武芸をからめた遊びに参加していた」<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.48</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}などを想定して弥助の人生の再現を試みた著書である。<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.49</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}
その後の文献にも黒人の描写はあり、弥助の記録が途絶えた後にも黒人が来日していた様子がうかがえる。
[[愛知県]][[瀬戸市]]定光寺町の西山自然歴史博物館には、信長と伝わる[[デスマスク]]が展示されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20140728dog00m200050000c.html |title=信長のデスマスク:"本物"をテレビ初公開 外国人リポーターの依頼で実現 |website=MANTANWEB(まんたんウェブ) |accessdate=2019年04月23日}}</ref>(信長であるという確証はない)。[[織田秀信]]の庶子を称したという[[織田秀朝]](西山清明)の末孫を主張する<ref>{{Cite book |和書|editor=西山自然歴史博物館, 西山家万世守る会 |title=西山家文言覚書秘伝録 為朝及び信長孫秀信の生涯編 |date=1984 |publisher=}}</ref>西山館長によれば、弥助という黒人の家臣が持ち出した信長の首から作られたという。
[[1584年]](天正12年)、[[島原市|島原]]において[[有馬晴信]]と[[龍造寺隆信]]の戦いが起きた([[沖田畷の戦い]]){{sfnm|村上|1943|1p=433|藤田|2005|2pp=10–11}}<!--藤田は1583年とするが、村上等に従い1584年に修正。-->。フロイスの『[[フロイス日本史|日本史]]』や『イエズス会日本年報』所収の報告書によると、その戦いの際、有馬方に大砲があったものの、それを扱える者がいなかった{{sfnm|村上|1943|1p=433|藤田|2005|2pp=10–11}}<ref name="日本史10" />。そのため、その場に居合わせたアフリカ黒人が砲弾を装填し、インドのマラバル人が点火を行い発射したという{{sfnm|村上|1943|1p=433|藤田|2005|2pp=10–11}}<ref name="日本史10">{{Citation|和書|author=ルイス・フロイス|translator=松田毅一・[[川崎桃太]]|year=2000|title=完訳フロイス日本史10 大村純忠・有馬晴信篇II 大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗|publisher=中央公論新社|series=[[中公文庫]]|isbn=978-4-12-203589-8|pages=284–285}}</ref>。
[[1593年]]([[文禄]]2年)、肥前[[名護屋城|名護屋]]にて[[豊臣秀吉]]がポルトガル人総司令官([[カピタン・モール]])のガスパル・ピント・ダ・ロシャを引見した{{sfn|藤田|2005|p=11}}。カピタンは「金色の槍を携えたカフル人{{efn|「カフル(cafre)」はアフリカ東海岸、特にモザンビーク周辺を指す言葉{{sfn|ソウザ|岡|2021|p=17}}。文献上、弥助も「カフル人(cafre)」と記されている{{sfn|ソウザ|岡|2021|p=30}}。}}を護衛として」連れており、太鼓と笛を持った赤い衣装の黒人たちは秀吉の望みにより踊りを披露した{{sfn|藤田|2005|p=11}}<ref name="日本史3" />。秀吉は彼ら一人一人に、自らの手で褒美として白い帷子を与えている(『日本史』){{sfn|藤田|2005|p=11}}<ref name="日本史3">{{Citation|和書|author=ルイス・フロイス|translator=松田毅一・川崎桃太|year=2000|title=完訳フロイス日本史3 織田信長篇III 安土城と本能寺の変|publisher=中央公論新社|series=中公文庫|isbn=4-12-203582-1|pages=317–318}}</ref>。
弥助が主人公として描かれている作品は★印。弥助をオマージュした主人公は☆印。
弥助が主人公として描かれている作品は★印。弥助を(追記) [[ (追記ここまで) オマージュ(追記) ]] (追記ここまで) した主人公は☆印。
* 『くろ助』([[岩崎書店]]、1968年(削除) )★ (削除ここまで) - [[来栖良夫]]による[[児童文学]]作品(削除) 。執筆された (削除ここまで)のは(削除) 1940 (削除ここまで)年(削除) 代 (削除ここまで){{(削除) sfn (削除ここまで)|(削除) ト (削除ここまで)ー(削除) マ (削除ここまで)ス|(削除) 2017 (削除ここまで)|(削除) pp (削除ここまで)=(削除) 97 (削除ここまで)-(削除) 114 (削除ここまで)}}。1969年に[[日本児童文学者協会賞]]を受賞(削除) {{sfn|トーマス|2017|pp (削除ここまで)=(削除) 97-114}} (削除ここまで)。
* 『くろ助』([[岩崎書店]]、1968年(追記) )<ref name="100選" />★ (追記ここまで) - [[来栖良夫]]による[[児童文学]]作品(追記) <ref name="100選">{{Cite web|和書|url=http://www.iiclo.or.jp/100books/1946/htm/frame050.htm|title=くろ助|website=日本 (追記ここまで) の(追記) 子どもの本100選 1946年〜1979年|publisher=財団法人大阪国際児童文学館|access-date=2024年09月07日}}</ref>。初出 (追記ここまで) は(追記) 1961 (追記ここまで) 年(追記) の『日本児童文学』7巻3号<ref> (追記ここまで) {{(追記) Cite web (追記ここまで) |(追記) 和書|url=https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000239775|title=レファレンス事例詳細|website=[[レファレンス協同データベ (追記ここまで) ース(追記) ]] (追記ここまで) |(追記) date=2018年06月05日 (追記ここまで) |(追記) access-date (追記ここまで) =(追記) 2024 (追記ここまで) -(追記) 09-07 (追記ここまで) }}(追記) </ref> (追記ここまで) 。1969年に[[日本児童文学者協会賞]]を受賞(追記) した<ref name (追記ここまで) =(追記) "100選" /> (追記ここまで) 。
* 『黒ん坊』([[毎日新聞社]]、1971年(削除) 5月)★ (削除ここまで) - [[遠藤周作]]による(削除) ユーモア (削除ここまで)小説(削除) 系列の作品 (削除ここまで)。
* 『黒ん坊』([[毎日新聞社]]、1971年(追記) ){{sfn|神谷|2017|p=110|loc=註1}}★ (追記ここまで) - [[遠藤周作]]による(追記) [[娯楽 (追記ここまで) 小説(追記) ]]{{sfn|神谷|2017|p=34}}。初出は『[[サンデー毎日]]』1970年6月21日号から1971年3月28日号{{sfn|神谷|2017|p=110|loc=註1}} (追記ここまで) 。
* 『結城秀康』([[PHP研究所]]、1998年) ‐ [[大島昌宏]]による小説。本能寺の変を生き延び、主人公[[結城秀康]]の側近として仕え、日本語を習得している。
* 『結城秀康』([[PHP研究所]]、1998年) ‐ [[大島昌宏]]による小説。本能寺の変を生き延び、主人公[[結城秀康]]の側近として仕え、日本語を習得している。
* 『[[桃山ビート・トライブ]]』([[集英社]]、2008年(削除) )‐ (削除ここまで) [[天野純希]]による小説。主要人物の一人として描かれている。本能寺の変を生き延び、その後はアフリカ帰郷のための資金稼ぎに港で働いていたが、詐欺同然の低賃金で働かされていたことを知り脱走。主人公らの一座に太鼓叩きとして加わることになる。
* 『[[桃山ビート・トライブ]]』([[集英社]]、2008年(追記) ) ‐ (追記ここまで) [[天野純希]]による小説。主要人物の一人として描かれている。本能寺の変を生き延び、その後はアフリカ帰郷のための資金稼ぎに港で働いていたが、詐欺同然の低賃金で働かされていたことを知り脱走。主人公らの一座に太鼓叩きとして加わることになる。
* 『王になろうとした男』([[文藝春秋]]、2013年7月) - [[伊東潤]]による表題となった短編小説。
* 『王になろうとした男』([[文藝春秋]]、2013年7月) - [[伊東潤]]による表題となった短編小説。
* 『[[へうげもの]]』([[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]、2005年 - 2017年) ‐ [[山田芳裕]]による漫画。信長殺害の真犯人を目撃した者として描かれ、[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]に幽閉される。その後、[[古田重然|古田織部]]の口利きにより許される。2011年放映のアニメ版の声:[[黒田崇矢]]。
* 『[[アフロサムライ]]』(自費出版、1998年)☆ - [[岡崎能士]]による漫画。父親を殺された黒人侍が敵を討つという未来世界の物語。弥助のイメージが投影された主人公だと言われている{{sfn|トーマス|2017|pp=97-114}}。(2007年放映のアニメ版の声:[[サミュエル・L・ジャクソン]])。アニメ映画は[[エミー賞]]を受賞{{sfn|トーマス|2017|pp=97-114}}。
* 『[[(削除) へうげもの (削除ここまで)]]』([[(削除) モーニ (削除ここまで)ン(削除) グ (漫画雑誌)|モーニング (削除ここまで)]]、(削除) 2005 (削除ここまで)年-(削除) 2017年 (削除ここまで)) ‐ [[(削除) 山田芳裕 (削除ここまで)]]による漫画。信長(削除) 殺害 (削除ここまで)の(削除) 真犯人を目撃した者として描 (削除ここまで)か(削除) れ、 (削除ここまで)[[(削除) 豊臣秀吉 (削除ここまで)|(削除) 羽柴秀吉 (削除ここまで)]](削除) に幽閉される。そ (削除ここまで)の(削除) 後、 (削除ここまで)[[(削除) 古田重然|古田織部 (削除ここまで)]]の(削除) 口利きにより許される (削除ここまで)。(削除) (2011年放映の (削除ここまで)アニメ版の声:[[(削除) 黒田崇矢 (削除ここまで)]](削除) ) (削除ここまで)。
* 『[[(追記) 信長協奏曲 (追記ここまで) ]]』([[(追記) ゲッサ (追記ここまで) ン]]、(追記) 2009 (追記ここまで) 年-) ‐ [[(追記) 石井あゆみ (追記ここまで) ]]による漫画。(追記) 主人公のサブロー([[織田 (追記ここまで) 信長(追記) ]])と同じく平成の世 (追記ここまで) の(追記) [[埼玉県]] (追記ここまで) か(追記) ら (追記ここまで) [[(追記) タイムトラベル (追記ここまで) |(追記) タイムスリップ]]してきた[[アフリカ系アメリカ人 (追記ここまで) ]]の[[(追記) プロ野球 (追記ここまで) ]](追記) 選手 (追記ここまで) の(追記) ヤング (追記ここまで) 。アニメ版の声:[[(追記) 山寺宏一 (追記ここまで) ]]。
* 『[[サイボーグ009]] おわりノブナガ編』(クラブサンデーほか、2010年)★ - [[新井淳也]]による[[サイボーグ009#サイボーグ009まんが賞|サイボーグ009まんが賞]]の漫画部門グランプリ受賞作。[[タイムトラベル|タイムスリップ]]した005ことジェロニモが、信長に引き合わされ弥助として扱われる。なおジェロニモは[[インディアン]]であり、正確には黒人でないが、あえて弥助に当てはめたとのこと<ref>{{Cite web|和書|url=http://tripballade.ninja-web.net/jidai-009.html |title=時代考証009 |publisher=新井淳也 |accessdate=2019年04月23日}}</ref>。
* 『[[信長協奏曲]]』([[ゲッサン]]、2009年-) ‐ [[石井あゆみ]]による漫画。主人公のサブロー([[織田信長]])と同じく平成の世の[[埼玉県]]から[[タイムトラベル|タイムスリップ]]してきた[[アフリカ系アメリカ人]]の[[プロ野球]]選手のヤング。(アニメ版の声:[[山寺宏一]])。
* 『[[戦国八咫烏]]』([[週刊少年サンデー]]、2010年 - 2012年) - [[小林裕和 (漫画家)|小林裕和]]による漫画。[[佐渡島|佐渡ヶ島]]に攻め入った外国勢力の奴隷兵として最前線に立っていた弥助が、羽柴藤吉の心意気に打たれて投降し、信長の部下となる。
* 『[[サイボーグ009]] おわりノブナガ編』(クラブサンデーほか、2010年)★ - [[新井淳也]]による[[サイボーグ009#サイボーグ009まんが賞|サイボーグ009まんが賞]]の漫画部門グランプリ受賞作。[[タイムトラベル|タイムスリップ]]した005ことジェロニモが、信長に引き合わされ弥助として扱われる。なおジェロニモは[[インディアン]]であり、正確には黒人でないが、敢えて弥助に当てはめたとのこと<ref>{{Cite web|和書|url=http://tripballade.ninja-web.net/jidai-009.html |title=時代考証009 |publisher=新井淳也 |accessdate=2019年04月23日}}</ref>。
* 『[[(削除) 戦国八咫烏 (削除ここまで)]]』([[週刊(削除) 少年サンデー (削除ここまで)]]、(削除) 2010 (削除ここまで)年-(削除) 2012 (削除ここまで)年) - [[(削除) 小林裕和 (漫画家)|小林裕和 (削除ここまで)]]による漫画。(削除) 佐渡ヶ島に攻め入った外国勢力 (削除ここまで)の(削除) 奴隷兵 (削除ここまで)と(削除) して最前線 (削除ここまで)に(削除) 立 (削除ここまで)って(削除) いた弥助が (削除ここまで)、(削除) 羽柴藤吉 (削除ここまで)の(削除) 心意気に打た (削除ここまで)れて(削除) 投降し、信長の (削除ここまで)部下となる。
* 『[[(追記) 信長のシェフ (追記ここまで) ]]』([[週刊(追記) 漫画TIMES (追記ここまで) ]]、(追記) 2011 (追記ここまで) 年(追記) (追記ここまで) -(追記) 2024 (追記ここまで) 年) - [[(追記) 西村ミツル]]・[[梶川卓郎 (追記ここまで) ]]による漫画。(追記) 宣教師 (追記ここまで) の(追記) 戦略を探ろう (追記ここまで) と(追記) する織田信長 (追記ここまで) に(追記) よ (追記ここまで) って(追記) 保護され (追記ここまで) 、(追記) 働き如何で (追記ここまで) の(追記) 身分や報酬を確約さ (追記ここまで) れて部下となる。
* 『[[(削除) 信長のシェフ (削除ここまで)]]』([[(削除) 週刊漫画TIMES (削除ここまで)]]、2011年-(削除) 2024 (削除ここまで)年) - [[(削除) 西村ミツル (削除ここまで)]](削除) ・ (削除ここまで)[[(削除) 梶川卓郎 (削除ここまで)]]による漫画。(削除) 宣教師 (削除ここまで)の(削除) 戦略を探ろうと (削除ここまで)する(削除) 織田信長によって保護さ (削除ここまで)れ、(削除) 働き如何での身分や報酬を確約 (削除ここまで)されて(削除) 部下と (削除ここまで)なる。
* 『[[(追記) 腕 -駿河城御前試合- (追記ここまで) ]]』([[(追記) コミック乱ツインズ 戦国武将列伝 (追記ここまで) ]]、2011年(追記) (追記ここまで) -(追記) 2012 (追記ここまで) 年) - (追記) 小説『 (追記ここまで) [[(追記) 駿河城御前試合 (追記ここまで) ]](追記) 』を原作にした (追記ここまで) [[(追記) 森秀樹 (漫画家)|森秀樹 (追記ここまで) ]]による漫画。(追記) こ (追記ここまで) の(追記) 中の第十話に登場 (追記ここまで) する(追記) 「仏法僧」と呼ば (追記ここまで) れ(追記) る剣豪が (追記ここまで) 、(追記) 明言は (追記ここまで) されて(追記) い (追記ここまで) な(追記) いが弥助なのではないかと思われる表現がされてい (追記ここまで) る。
* 『[[Yasuke -ヤスケ-#漫画|YASUKE]]』([[月刊!スピリッツ|月刊! スピリッツ]]、2021年 - 2022年)★ - [[奥西敏史]]による漫画。アニメーション『Yasuke -ヤスケ-』のコミカライズ<ref>{{Cite web|和書|title=YASUKE(漫画) |url=https://mangapedia.com/YASUKE-b7sfi59wr |website=マンガペディア |publisher=株式会社DIGITALIO |access-date=2023年09月12日 |language=ja}}</ref>。
* 『[[腕 -駿河城御前試合-]]』『[[コミック乱ツインズ 戦国武将列伝|戦国武将列伝]]、2011年-2012年) - 小説『[[駿河城御前試合]]』を原作にした[[森秀樹 (漫画家)|森秀樹]]による漫画。この中の第十話に登場する「仏法僧」と呼ばれる剣豪が、明言はされていないが弥助なのではないかと思われる表現がされている。
* 『[[Yasuke -ヤスケ-#漫画|YASUKE]]』([[月刊!スピリッツ|月刊! スピリッツ]]、2021年-2022年) - [[奥西敏史]]による漫画。アニメーション『Yasuke -ヤスケ-』のコミカライズ<ref>{{Cite web|和書|title=YASUKE(漫画) |url=https://mangapedia.com/YASUKE-b7sfi59wr |website=マンガペディア |access-date=2023年09月12日 |language=ja |first=DIGITALIO |last=Inc}}</ref>。
* 『[[Yasuke -ヤスケ-]]』(削除) ☆ (削除ここまで) - [[日本]]の[[MAPPA]]が制作し、[[Netflix]]で配信される(削除) テレビ (削除ここまで)アニメシリーズ<ref>{{cite web|url=https://deadline.com/2018/11/netflix-anime-pacific-rim-altered-carbon-cagaster-of-an-insect-cage-yasuke-trese-1202498191/|accessdate=2018年11月08日|website=Deadline Hollywood|title=Netflix Unveils ‘Pacific Rim’, ‘Altered Carbon’ & More In New Lineup Of Anime Originals}}</ref>(削除) 。(声:[[ラキース・スタンフィールド]]・[[日本語]][[吹き替え]]:[[副島淳]]) (削除ここまで)。弥助をモデルとしたヤスケが主人公の、(削除) [[ (削除ここまで)ロボット(削除) ]] (削除ここまで)や(削除) [[ (削除ここまで)ビーム(削除) ]] (削除ここまで)、異能力が乱れ飛ぶ[[サイエンス・フィクション|SF]][[ファンタジー]][[時代劇]]<ref name="mikiki28621">{{Cite web|和書|url=https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/28621 |title=TAKU INOUEが「YASUKE -ヤスケ-」に見たフライング・ロータス(Flying Lotus)のおたくな仕事人っぷり フライング・ロータス『YASUKE』 |author=imdkm |date=2021年06月17日 |accessdate=2023年02月15日 |website=Mikiki |publisher=[[タワーレコード|TOWER RECORDS ONLINE]]}}</ref><ref name="mainichi20220512">{{cite news |url=https://mainichi.jp/articles/20220512/k00/00m/040/250000c |author=後藤豪 |title=信長に仕えた黒人侍Yasuke 昨春アニメ化 世界が注目する魅力 |date=2022年05月13日 |accessdate=2023年02月15日 |website= |publisher=[[毎日新聞]]}}</ref>。
* 『[[Yasuke -ヤスケ-]]』(追記) (2021年)★ (追記ここまで) - [[日本]]の[[MAPPA]]が制作し、[[Netflix]]で配信されるアニメシリーズ<ref>{{cite web|url=https://deadline.com/2018/11/netflix-anime-pacific-rim-altered-carbon-cagaster-of-an-insect-cage-yasuke-trese-1202498191/|accessdate=2018年11月08日|website=Deadline Hollywood|title=Netflix Unveils ‘Pacific Rim’, ‘Altered Carbon’ & More In New Lineup Of Anime Originals}}</ref>。弥助をモデルとしたヤスケが主人公の、ロボットやビーム、異能力が乱れ飛ぶ[[サイエンス・フィクション|SF]][[ファンタジー]][[時代劇]]<ref name="mikiki28621">{{Cite web|和書|url=https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/28621 |title=TAKU INOUEが「YASUKE -ヤスケ-」に見たフライング・ロータス(Flying Lotus)のおたくな仕事人っぷり フライング・ロータス『YASUKE』 |author=imdkm |date=2021年06月17日 |accessdate=2023年02月15日 |website=Mikiki |publisher=[[タワーレコード|TOWER RECORDS ONLINE]]}}</ref><ref name="mainichi20220512">{{cite news |url=https://mainichi.jp/articles/20220512/k00/00m/040/250000c |author=後藤豪 |title=信長に仕えた黒人侍Yasuke 昨春アニメ化 世界が注目する魅力 |date=2022年05月13日 |accessdate=2023年02月15日 |website= |publisher=[[毎日新聞]]}}</ref>(追記) 。声:[[ラキース・スタンフィールド]]。[[日本語]][[吹き替え]]:[[副島淳]] (追記ここまで) 。
* 『[[信長 KING OF ZIPANGU]]』(1992年、[[日本放送協会|NHK]]) - [[田向正健]]脚本による[[大河ドラマ]]。「ソテロ」の名で登場。二条城の[[織田信忠|信忠]]に変の報告をするために寺を抜け出し、完全武装の鎧武者を素手で撲殺する。その後の消息は不明。演:リード・ジャクソン。
* 『[[江戸プロフェッショナル・必殺商売人]]』([[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]・[[松竹]]、1978年2月17日) - 第1話『女房妊娠 主水慌てる』のゲストキャラクターとして「金太」がおり、弥助と[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]で大人気を博した[[海外ドラマ]]『[[ルーツ (テレビドラマ)|ルーツ]]』の主人公「クンタ・キンテ」の生涯が合わさっている。悪徳[[商人]]から[[見世物小屋]]に[[人身売買]]で買い取った後に自由を手にした点が共通した。(演:ジョン・パーム)
* 『[[(削除) 信長 (削除ここまで) (削除) KING OF ZIPANGU (削除ここまで)]]』(削除) ( (削除ここまで)[[(削除) 日本放送協会|NHK (削除ここまで)]]、(削除) 1992年) - (削除ここまで)[[(削除) 田向正健 (削除ここまで)]]脚本による(削除) [[ (削除ここまで)大河ドラマ(削除) ]] (削除ここまで)。(削除) 「ソテロ」の名で登場。二条城の[[織田 (削除ここまで)信(削除) 忠| (削除ここまで)信(削除) 忠]] (削除ここまで)に(削除) 変 (削除ここまで)の(削除) 報告を (削除ここまで)す(削除) るために寺を抜け出し、完全武装の鎧武者を素手 (削除ここまで)で(削除) 撲 (削除ここまで)殺(削除) す (削除ここまで)る。(削除) その後の消息は不明( (削除ここまで)演:(削除) リード (削除ここまで)・(削除) ジャクソン) (削除ここまで)。
* 『[[(追記) 秀吉 (追記ここまで) (追記) (NHK大河ドラマ)|秀吉 (追記ここまで) ]]』(追記) (1996年、NHK) - (追記ここまで) [[(追記) 堺屋太一 (追記ここまで) ]](追記) 原作 (追記ここまで) 、[[(追記) 竹山洋 (追記ここまで) ]]脚本による大河ドラマ。(追記) ヤスケは (追記ここまで) 信(追記) 長とともに戦い、 (追記ここまで) 信(追記) 長 (追記ここまで) に(追記) 先んじて明智軍 (追記ここまで) の(追記) 槍ぶ (追記ここまで) す(追記) ま (追記ここまで) で(追記) 突き (追記ここまで) 殺(追記) されてい (追記ここまで) る。演:(追記) [[サミ (追記ここまで) ・(追記) ポップ|サムエル・ポップ]] (追記ここまで) 。
* 『[[(削除) 秀吉 (NHK大河ドラマ)|秀吉 (削除ここまで)]]』(削除) (NHK (削除ここまで)、(削除) 1996年) (削除ここまで) - [[(削除) 堺屋太 (削除ここまで)一(削除) ]]原作、[[竹山洋 (削除ここまで)]]脚本による大河ドラマ。(削除) ヤスケは信長ととも (削除ここまで)に(削除) 戦い (削除ここまで)、信長に(削除) 先んじ (削除ここまで)て(削除) 明智軍の槍ぶすまで突き殺 (削除ここまで)されている。(削除) ( (削除ここまで)演:[[(削除) サミ・ポップ|サムエ (削除ここまで)ル・(削除) ポ (削除ここまで)ッ(削除) プ (削除ここまで)]](削除) ) (削除ここまで)。
* 『[[(追記) 軍師官兵衛 (追記ここまで) ]]』(追記) (2014年 (追記ここまで) 、(追記) NHK) (追記ここまで) - [[(追記) 前川洋 (追記ここまで) 一]]脚本による大河ドラマ。(追記) 史料 (追記ここまで) に(追記) ある (追記ここまで) 、信長に(追記) 謁見し (追記ここまで) て(追記) 召し抱えられる状況が再現 (追記ここまで) されている。演:[[(追記) ベルナー (追記ここまで) ル・(追記) ア (追記ここまで) ッ(追記) カ (追記ここまで) ]]。
* 『[[軍師官兵衛]]』(NHK、2014年) - [[前川洋一]]脚本による大河ドラマ。史料にある、信長に謁見して召し抱えられる状況が再現されている。(演:[[ベルナール・アッカ]])。
* 「Black Samurai 〜信長に仕えたアフリカン侍・弥助〜」(2021年5月15日、[[NHK BSプレミアム|NHK BSP]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021114005SA000/?spg=P202100247100000 |title=Black Samurai 〜信長に仕えたアフリカン侍・弥助〜 |date=2021年05月15日 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210520132912/https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021114005SA000/?spg=P202100247100000 |archivedate=2021年05月20日 |accessdate=2021年05月20日}}</ref>
* 「Black Samurai 〜信長に仕えたアフリカン侍・弥助〜」(2021年5月15日、[[NHK BSプレミアム|NHK BSP]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021114005SA000/?spg=P202100247100000 |title=Black Samurai 〜信長に仕えたアフリカン侍・弥助〜 |date=2021年05月15日 |publisher=NHK |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210520132912/https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2021114005SA000/?spg=P202100247100000 |archivedate=2021年05月20日 |accessdate=2021年05月20日}}</ref>
* 『[[大帝の剣]]』(削除) ( (削除ここまで)[[東映]](削除) 、2007年 (削除ここまで))‐ [[夢枕獏]]原作、[[天沢彰]]脚本による映画。主人公の万源九郎はヤスケの孫という設定である。
* 『[[大帝の剣]]』(追記) (2007年、 (追記ここまで) [[東映]])‐ [[夢枕獏]]原作、[[天沢彰]]脚本による映画。主人公の万源九郎はヤスケの孫という設定である。
* 『[[首 (北野武)|首]]』(2023年、[[北野武]]監督作品、[[KADOKAWA]]) - 演:[[副島淳]]。
* 『Yasuke』([[:en:Lionsgate Films|Lionsgate Films]]、)★ - 実話を元に弥助を描く映画製作を[[マイケル・デ・ルカ]]が2017年3月に発表。[[:en:Gregory Widen|グレゴリー・ワイデン]]による脚本<ref>{{Cite web |url=https://deadline.com/2017/03/lionsgate-taps-highlander-creator-gregory-widen-to-script-film-on-first-black-samurai-1202049635/ |title=‘Highlander’ Creator Gregory Widen To Write Movie About First Black Samurai |website=Deadline |publisher=Penske Business Media, LLC |accessdate=2019年04月23日}}</ref>。
*『Yasuke』<ref name="ps" />(公開未定、[[ライオンズゲート]]→Picturestart)★ - 2017年3月、実話を元に弥助を描く映画『Black Samurai』の脚本家として、ライオンズゲートが{{仮リンク|グレゴリー・ワイデン|en|Gregory Widen}}を起用したことが報じられた<ref name="hr">{{Cite web|url=https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-news/black-samurai-highlander-creator-gregory-widen-pen-lionsgate-action-drama-988268/|title=‘Highlander’ Creator Gregory Widen to Pen Lionsgate’s ‘Black Samurai’|website=[[ハリウッド・リポーター|The Hollywood Reporter]]|publisher=[[:en:Penske Media Corporation|Penske Media Corporation]]|author=Ashley Lee|date=2017年03月23日|access-date=2024年09月28日}}</ref><ref name="dh2017">{{Cite web|url=https://deadline.com/2017/03/lionsgate-taps-highlander-creator-gregory-widen-to-script-film-on-first-black-samurai-1202049635/|title=Lionsgate Taps ‘Highlander’ Creator Gregory Widen To Script Film On First Black Samurai|website=[[:en:Deadline Hollywood|Deadline Hollywood]]|publisher=Penske Media Corporation|author=Mike Fleming Jr|date=2017年03月23日|access-date=2024年09月28日}}</ref>。その後、製作を指揮していた{{仮リンク|エリック・フェイグ|en|Erik Feig}}がライオンズゲートから離脱<ref name="dh2019-05">{{Cite web|url=https://deadline.com/2019/05/chadwick-boseman-yasuke-african-samurai-black-panther-1202608769/|title=Chadwick Boseman To Play African Samurai ‘Yasuke’ In Deal With Picturestart, De Luca Productions, Solipsist & X● くろまる ception Content|website=Deadline Hollywood|publisher=Penske Media Corporation|author=Mike Fleming Jr|date=2019年05月07日|access-date=2024年09月28日}}</ref>。『Black Samurai』のプロデューサーだった<ref name="hr" /><ref name="dh2017" />[[マイケル・デ・ルカ]]やスティーヴン・ルルーらと共に、自身のPicturestartで弥助を描く映画の製作を開始した<ref name="dh2019-05" />。脚本は[[ダグ・ミロ]]<ref name="dh2019-05" />。2019年5月、[[チャドウィック・ボーズマン]]が弥助を演じることが発表されたが<ref name="dh2019-05" />、2020年8月にボーズマンは死去した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/53956216|title=米俳優チャドウィック・ボーズマンさん、がんで死去 映画「ブラックパンサー」主演の43歳|website=[[BBCニュース|BBC NEWS JAPAN]]|publisher=BBCグローバルニュースジャパン株式会社|date=2020年08月29日|access-date=2024年9月28日}}</ref>。Picturestart公式サイトでは「開発中(In Development)」となっており、監督および主演は「未定(TBD)」となっている(2024年時点)<ref name="ps">{{Cite web|url=https://www.picturestart.com/projects/yasuke/|title=Not just an action movie, a cultural event.|website=PICTURESTART|access-date=2024年09月28日}}</ref>。
* 『[[首 (北野武)|首]]』([[北野武]]監督作品、[[KADOKAWA]]) - 演:[[副島淳]]
* 『Yasuke』(公開未定、[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー|MGM]]<ref name="dh2019-04" />)★ - 2019年4月に製作が報じられた<ref name="dh2019-04" />。脚本はスチュアート・C・ポール<ref name="dh2019-04" />。製作は[[:en:Whalerock Industries|Whalerock Industries]]の{{仮リンク|ロイド・ブローン|en|Lloyd Braun}}とアンドリュー・ミットマン<ref name="dh2019-04">{{Cite web|url=https://deadline.com/2019/04/yasuke-mgm-african-samurai-film-1201904332/|title=MGM Sets Film On ‘Yasuke’, History’s Sole African Samurai|website=Deadline Hollywood|publisher=Penske Media Corporation|author=Mike Fleming Jr|date=2019年04月18日|access-date=2024年09月28日}}</ref>。
* 『[[婆裟羅2]]』(削除) ( (削除ここまで)[[ビスコ (ゲーム会社)|ビスコ]](削除) 、2001年 (削除ここまで))- [[織田信忠]]陣営の中ボスに「YASUKE」という名前で登場。台詞は英語である。
* 『[[婆裟羅2]]』(追記) (2001年、 (追記ここまで) [[ビスコ (ゲーム会社)|ビスコ]])(追記) (追記ここまで) - [[織田信忠]]陣営の中ボスに「YASUKE」という名前で登場。台詞は英語である。
* 『[[信長の野望・創造]]』(削除) ( (削除ここまで)[[コーエーテクモゲームス]](削除) 、2013年 (削除ここまで)) - (削除) 英雄的戦士 (削除ここまで)として(削除) 描か (削除ここまで)れ(削除) ている (削除ここまで)。
* 『[[信長の野望・創造]]』(追記) (2013年、 (追記ここまで) [[コーエーテクモゲームス]]) - (追記) [[ダウンロードコンテンツ]] (追記ここまで) として(追記) 配信さ (追記ここまで) れ(追記) た<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gamecity.ne.jp/souzou/dlc.html|title=ダウンロードコンテンツ|website=信長の野望・創造|publisher=コーエーテクモゲームス|access-date=2024年09月07日}}</ref> (追記ここまで) 。
* 『[[仁王 (ゲーム)|仁王]]』(削除) ( (削除ここまで)コーエーテクモゲームス(削除) 、2017年)‐ (削除ここまで) メインミッション「佐和山のサムライ」ボスとして登場。[[織田信長]]を蘇らせようと[[エドワード・ケリー]]に協力する。
* 『[[仁王 (ゲーム)|仁王]]』(追記) (2017年、 (追記ここまで) コーエーテクモゲームス(追記) ) ‐ (追記ここまで) メインミッション「佐和山のサムライ」ボスとして登場。[[織田信長]]を蘇らせようと[[エドワード・ケリー]]に協力する。
* 『[[戦国無双シリーズ#『戦国無双5』追加PC|戦国無双5]]』(削除) ( (削除ここまで)コーエーテクモゲームス(削除) 、2021年)‐ (削除ここまで) 5から登場する新規プレイアブルキャラクターの一人。実直で忠誠心篤き青年として描かれている。(削除) ( (削除ここまで)声:[[パディ・ライアン]](削除) ) (削除ここまで)。
* 『[[戦国無双シリーズ#『戦国無双5』追加PC|戦国無双5]]』(追記) (2021年、 (追記ここまで) コーエーテクモゲームス(追記) ) ‐ (追記ここまで) (追記) 『 (追記ここまで) 5(追記) 』 (追記ここまで) から登場する新規プレイアブルキャラクターの一人。実直で忠誠心篤き青年として描かれている。声:[[パディ・ライアン]]。
* 『[[アサシン(削除) クリードシリーズ|アサシン (削除ここまで)クリード シャドウズ]]』(削除) ( (削除ここまで)ユービーアイソフト(削除) 、2024年) (削除ここまで) - 主人公の一人。
* 『[[アサシン(追記) (追記ここまで) クリード シャドウズ]]』(追記) (2025年、[[ (追記ここまで) ユービーアイソフト(追記) ]])★ (追記ここまで) - 主人公の一人。
* 舞台『[[刀剣乱舞]]』
* 舞台『[[刀剣乱舞]]』
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* {{Cite thesis|和書|author=神谷光信|author-link=神谷光信|year=2017|title=ポストコロニアル的視座より見た遠藤周作文学の研究:村松剛・辻邦生との比較において明らかにされた、異文化受容と対決の諸相|degree=博士(学術)|major=文化科学|publisher=[[放送大学]]|id=学位授与番号: 甲第4号|url=https://ouj.repo.nii.ac.jp/records/8485|ref={{SfnRef|神谷|2017}}}}
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* <span id="CITEREF松田1965">[[松田毅一]]「日本巡察師ヴァリニャーノの生涯―「日本要録」の背景―」、{{Citation|和書|author=[[アレッサンドロ・ヴァリニャーノ|ヴァリニャーノ]] 著、松田毅一; [[佐久間正 (スペイン語学者)|佐久間正]] 編訳|year=1965|title=日本巡察記|publisher=[[桃源社]]|series=東西交渉旅行記全集|id={{全国書誌番号|49003257}}}}</span>
* {{Citation |和書 |last =クラツセ|first =ジアン|author-link=|year=1925| volume=上|title =日本西教史|publisher =太陽堂書店|url={{NDLDC|971162/207}} 国立国会図書館デジタルコレクション|pages=384-385}}
* {{Citation|和書|author1=ルシオ・デ・ソウザ|last2=岡|first2=美穂子|author2-link=岡美穂子|year=2021|title=大航海時代の日本人奴隷―アジア・新大陸・ヨーロッパ|edition=増補新版|publisher=[[中央公論新社]]|series=[[中公選書]]|isbn=978-4-12-110116-7|ref={{SfnRef|ソウザ|岡|2021}}}}<!--本書参考文献一覧に「SOUSA, Lúdio de,」とあるのに従い、ここでは姓から「デ」を省く。-->
* {{Citation |和書|last =岡田|first=正人|year=1999|title=織田信長総合事典|publisher=雄山閣出版|pages=420-421|isbn=4639016328}}
* {{Citation|和書|author=ロックリー・トーマス|translator=不二淑子|date=2017-02|title=信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍――|publisher=[[太田出版]]|isbn=978-4-7783-1556-6 |ref={{SfnRef|トーマス|2017}} }}
* {{Citation|和書|last=太田|first=牛一|author-link=太田牛一|year=1921|chapter=信長公記|editor-last=近藤|editor-first=瓶城|editor-link=近藤瓶城|title=改訂 [[史籍集覧]] 第十九冊|publisher=近藤出版部|id={{全国書誌番号|50001537}}|url={{NDLDC|1920322/162}}}}
** {{Citation|和書|last=太田|first=牛一|translator=中川太古|year=2013|title=現代語訳 信長公記|publisher=[[KADOKAWA]]|series=新人物文庫|isbn=978-4-04-600001-9|ref={{SfnRef|太田|中川|2013}}}}
* {{Citation|和書|last=松平|first=家忠|author-link=松平家忠|year=1897|title=家忠日記 第二|others=[[坪井九馬三]]; 日下寛 校|publisher=吉川半七|series=文科大学史誌叢書|id={{全国書誌番号|40013381}}|url={{NDLDC|772514/54}}}}
** [[駒澤大学]]電子貴重書庫『[http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/collections/41447/#?c=0&m=0&s=0&cv=13 家忠日記]』第3冊、14コマ([[駒澤大学図書館]]所蔵)。
* {{Citation|和書|author=[[村上直次郎]] 訳註|year=1943|title=耶蘇会の日本年報 第一輯|publisher=拓文堂|id={{全国書誌番号|46003962}}|url={{NDLDC|1041119/98}}|ref={{SfnRef|村上|1943}}}}
* {{Cite thesis|和書|degree=博士(学術)|title=日本におけるアフリカ像の変遷|author=藤田緑|year=1997|major= |publisher=東京大学|doi=10.11501/3158419|id=学位授与番号: 乙第13482号|pages=10–20}}
== (削除) 関連項目 (削除ここまで) ==
== (追記) 外部リンク (追記ここまで) ==
* [https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000114712 レファレンス事例詳細「織田信長の黒人家来、弥助についての資料を知りたい。」] - [[レファレンス協同データベース]]
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弥助 (やすけ、生没年不詳 )は、安土桃山時代 の日本に渡来した黒人 男性。宣教師 から織田信長 へと進呈され、信長が死去するまでの約15か月間、彼に仕えた。名は弥介 [ 3] (彌介)とも書かれる。
生涯
『南蛮屏風』(狩野内膳 画)。黒人の従者と象使いが描かれている。
日本に到来したイエズス会 宣教師たち。彼らに付き従う黒人の従者が描かれている。
相撲遊楽図屏風(一部。堺市博物館 所蔵) 左側の力士は、黒い肌に髷を結っていないざんばら髪や高い鼻など、明らかにそれ以外の人物とは異なる人種的特徴で描かれている。
生い立ち
弥助はモザンビーク の出身で、イエズス会 のイタリア人 巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ が来日する際にインド から連れてきたという[ 8] 。
ヴァリニャーノは1574年 3月にポルトガル を出発し、7月にモザンビークへ、その後9月にインドのゴア に到着した。1577年 9月までインドで巡察を行った後、マラッカ やマカオ に滞在し、1579年 7月に日本へと出発する。
戦国時代 には、ポルトガルやスペイン などヨーロッパ の船が日本を訪れるようになっており、アフリカ 出身の人々も、従者または奴隷 として連れてこられていた[ 11] 。1546年 に日本に来航したポルトガル人船長ジョルジ・アルヴァレス は、船員もしくは下僕として黒人を連れていたとみられ、1548年 11月付のフランシスコ・ザビエル 宛ての報告で、日本人は黒人を見ることを喜び、100キロメートル近く離れた場所からも見にくると記している。この後、日本側の記録に黒人が登場するのは、1581年 (天正 9年)の『信長公記 』における弥助の記述が最初となる。
来日後の弥助
1579年7月25日(天正7年7月2日)に島原半島 南端の口ノ津 に到着したヴァリニャーノは、その後、豊後国 に移り、1581年3月8日(天正9年2月4日)、畿内 に向け出発した。豊後を出たヴァリニャーノに同行したのは、ルイス・フロイス やロレンソ・メシア(メシヤ)ら4人の司祭 と3人の修道士 、そして黒人で、これが弥助とされる。
ヴァリニャーノたちは1581年3月17日(天正9年2月13日)に堺 に到着し、その2日後に堺を出ようとしたが、その際、非常に背の高いヴァリニャーノと黒人の弥助を見るために、群衆が待ち受けていた[ 17] 。これにより、ヴァリニャーノたちが狭い場所を通る際、道端の店が荒らされることになったという[ 17] 。
1581年3月26日(天正9年2月22日)、ヴァリニャーノ一行が織田信長との謁見のため京都 に入ると、黒人の噂はたちまち広まって群衆が南蛮寺 へと殺到し、投石のため負傷者が出て、死者も出そうになった[ 17] 。その噂を聞いた信長の招きを受けて、3月27日(和暦2月23日)、都の教区長 であるオルガンティーノ が弥助を連れて、信長の滞在する本能寺 に赴いた[ 17] 。
その時の様子が『信長公記』巻十四に記されている。そこには「二月廿三日、きりしたん国より黒坊主 参り候。年の齢廿六、七と見えたり。惣の身の黒き事、牛の如し。彼の男、健やかに、器量なり。しかも、強力十の人に勝たり」とある。ルイス・フロイスやロレンソ・メシアの書簡によると、信長はその肌が墨を塗ったものでなく自然のものであると信じずに、帯から上の着物を脱がせたという[ 24] 。さらに信長が体を洗わせたところ、白くなるどころか一層黒くなったとされる。
メシアによると、弥助は日本語を多少話すことができた[ 27] 。また、力が強く、少しの芸ができたため、信長は喜んで庇護し、弥助に人を付けて市内を巡らせたという[ 27] 。弥助の姿を見た者の中には、信長は弥助を「殿(Tono)」にするだろうと言う者もいたとされる[ 27] 。また、『信長公記』尊経閣十五冊本[ 注釈 2] には、この「黒坊」が「弥助 」と号したことや、扶持や「さや巻之のし付[ 注釈 3] 」ならびに私宅を与えられ、時には「御道具」などを持たせられたとの記述がある。
1581年5月14日(天正9年4月12日)、ルイス・フロイスが修道士や信者、黒人と共に越前国 の北庄 に赴いた。藤田みどりは、京都に来た黒人は弥助が初めてだったとの記録があることなどから、この黒人を弥助としている。越前に向かう途中の長浜 では、黒人だけでなく白人が来たのも初めてだったため大きな騒ぎとなり、宿舎とされた家にフロイスらが入ると、黒人を見ようとした群衆がその戸を破って入ってくるということが3、4度起きたという[ 38] 。その後、北庄に滞在したフロイスら一行は5月30日(和暦4月28日)に京都に戻った。
次に弥助の記述が現れるのは、徳川家康 の家臣・松平主殿助 の著した『家忠日記 』天正10年4月19日(1582年 5月11日)条においてである。甲州征伐 からの帰途、織田信長が徳川家康の支配地を訪れた時の記録で[ 3] 、そこには「上様御ふち候大うす進上申候、くろ男 御つれ候、身ハすみノコトク、タケハ六尺二分、名ハ弥介 [ 注釈 4] ト云」と記されている[ 3] 。
本能寺の変
天正10年6月2日(1582年6月21日)、京都本能寺に滞在する織田信長を明智光秀 の軍勢が襲う本能寺の変 が起きた。変の際の弥助について、信長の死後、その嫡男である信忠 のもとへと駆け付け、そこで戦った末、明智方に降伏したとされている。『イエズス会日本年報』には、「ビジタドール(巡察師)が信長に贈った黒奴 が、信長の死後世子の邸[ 注釈 5] に赴き、相当長い間戦ってゐたところ、明智の家臣が彼に近づいて、恐るることなくその刀を差出せと言ったのでこれを渡した」とある[ 49] 。また、家臣に弥助をどう処分すべきか聞かれた光秀は、「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として、「インドのパードレの聖堂に置け」と命じたという[ 49] 。
その後の弥助の消息については一切不明である。
弥助以後
その後の文献にも黒人の描写はあり、弥助の記録が途絶えた後にも黒人が来日していた様子がうかがえる。
1584年 (天正12年)、島原 において有馬晴信 と龍造寺隆信 の戦いが起きた(沖田畷の戦い )。フロイスの『日本史 』や『イエズス会日本年報』所収の報告書によると、その戦いの際、有馬方に大砲があったものの、それを扱える者がいなかった[ 53] 。そのため、その場に居合わせたアフリカ黒人が砲弾を装填し、インドのマラバル人が点火を行い発射したという[ 53] 。
1593年 (文禄 2年)、肥前名護屋 にて豊臣秀吉 がポルトガル人総司令官(カピタン・モール )のガスパル・ピント・ダ・ロシャを引見した。カピタンは「金色の槍を携えたカフル人[ 注釈 6] を護衛として」連れており、太鼓と笛を持った赤い衣装の黒人たちは秀吉の望みにより踊りを披露した[ 57] 。秀吉は彼ら一人一人に、自らの手で褒美として白い帷子を与えている(『日本史』)[ 57] 。
登場作品
弥助が主人公として描かれている作品は★印。弥助をオマージュ した主人公は☆印。
小説等
漫画
アニメ
ドラマ
ドキュメンタリー
「Black Samurai 〜信長に仕えたアフリカン侍・弥助〜」(2021年5月15日、NHK BSP )[ 67]
映画
ゲーム
舞台
脚注
注釈
^ 『信長公記』の1581年の記述に「年の齢廿六・七と見えたり」とあることによる。数え年 で26なら1556年生まれ、27なら1555年生まれとなる。
^ 尊経閣文庫 に所蔵される写本の一つ。金子拓 は、成立時期の遅い伝本で削除された信長の身の回りの細々とした記述が見られることなどから、初期の稿本が元になったとしている。なお、弥助に関わることなど、尊経閣十五冊本でのみ見られる記述については、書写過程で加えられた可能性もある。
^ 『精選版 日本国語大辞典』などで「鞘巻」は腰刀の一種とされる[ 33] 。『信長公記』巻十二に記載される「さやまきののし付」は、中川太古による現代語訳では「金銀飾りの鞘巻き」とされている。
^ 1897年 (明治 30年)の覆刻版[ 42] では「弥助」と書かれる[ 44] 。
^ 『イエズス会日本年報』には、変が起きた当初「世子の邸」「寺院」にいた信忠が、付近にあった「内裏の御子の居」に移ったと記されている。この時の信忠の動きとしては、宿所としていた妙覚寺 から隣接する二条御所 に移って明智軍と戦ったことが知られている。
^ 「カフル(cafre)」はアフリカ東海岸、特にモザンビーク周辺を指す言葉。文献上、弥助も「カフル人(cafre)」と記されている。
出典
参考文献
史料
関連文献
外部リンク