持たざる者たちの文学史 : 帝国と群衆の近代

書誌事項

持たざる者たちの文学史 : 帝国と群衆の近代

吉田裕著

月曜社, 2021.3

タイトル読み

モタザル モノ タチ ノ ブンガクシ : テイコク ト グンシュウ ノ キンダイ

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注記

参考文献: p376-404

内容説明・目次

内容説明

なぜデモや抗議活動の参加者は群衆や暴徒と名指されるのか。なぜ人が集まると危険とみなされるのか。本書ではこれらの眼差しの起源を植民地統治にみる。英米文学からカリブ/アフリカ文学までを扱い、植民地出身の知識人が、否定的な群衆像をいかにして大衆や人民、民衆という主体へと肯椎的に読み替えたかをたどる。ジョウゼフ・コンラッド、C.L.R.ジェームズ、リチャード・ライト、ジョージ・ラミング、グギ・ワ・ジオンゴらをめぐる、新たな第三世界文学論。

目次

  • 第1部 群衆(帝国主義)(人びとが集まることはなぜ「危険」なのか?—ポー、ボードレール、コンラッドに見る都市と植民地の群衆;群衆と共同体、そして不可能な抵抗—ジョウゼフ・コンラッド『ロード・ジム』と『ノストローモ』)
  • 第2部 大衆(革命と反帝国主義)(歴史記述、あるいはハイチ革命における友愛の問い—C.L.R.ジェームズ『ブラック・ジャコバン』;バンドン、脱植民地化の未完のプロジェクト—リチャード・ライト『カラー・カーテン』)
  • 第3部 人民/国民(脱植民地化)(植民地主義と情動、心的な生のゆくえ—ジョージ・ラミング『私の肌の砦のなかで』と『故国喪失の喜び』における恥の位置;モーセと抵抗の考古学—グギ・ワ・ジオンゴ『一粒の麦』のネーションと母性性)
  • 第4部 民衆(新植民地主義)(「諷刺か、食人主義か」—グギ・ワ・ジオンゴ『十字架の悪魔』の新植民地主義批判)

「BOOKデータベース」 より

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