7トン365メートルの大綱を上半身裸にサラシを巻いた3000人の男たちが引いて、攻めての肉弾戦 400年祭機に一体感が高まった川内大綱引は、日韓の架け橋にもなった〈重文指定の川内大綱引は今上〉
2024年09月20日 21:00
伝統の川内大綱引は22日、鹿児島県薩摩川内市で開催される。今年は国の重要無形民俗文化財に指定された記念すべき年。過去の節目に携わってきた人たちの話から歴史を振り返りつつ、将来へ引き継ぐための現在の取り組みを紹介する。
今年のポスターには425回目を意味する表記がある。ただし、川内大綱引の起源に明確な根拠があるわけではなく、「島津義弘が朝鮮出兵の折に兵士の士気を高めるために始めた」など諸説ある。
「『400年以上続いている』と毎年、毎年言っている。そんな行事があるのか」。川内大綱引保存会の会長だった田中憲夫さん(87)はそう疑問を感じていた。何か歴史の節目をという声も受け、1999年に400年祭を開催。大会会長を務めた。大綱引や各種イベントが盛り上がった。
毎年の大綱引の一番太鼓や大将といった役は1人1回しかできない。節目ができたことで「自分が何回目かを言えるようになった」と田中さんは語る。加えて、「みんなが一体となった400年祭によって、その後も協力していくきっかけになった」という。
■しかく□しろいしかく■しかく
400年祭の成果はほかにもある。大綱引のルーツを調べたのがきっかけとなった韓国との交流だ。
もともと農耕儀式として綱引きが盛んな国で、当時2カ所に国の無形文化財があった。このうち、南東部にある昌寧郡の霊山綱引保存会長らを400年祭に招待。取り持ったのは元国会議長で、韓日親善協会中央会会長の金守漢氏だった。
その後も両保存会は交流を続け、2009年に友好協定を結ぶ。さらに昌寧郡と薩摩川内市も12年、都市間の盟約を締結。公式団派遣やスポーツ・文化の交流、職員研修を通じて友好関係を築いている。19年に両国の関係が悪化し、各地で交流が中止になった時も、昌寧郡の訪問団は川内大綱引や綱練りの見学に訪れた。
今年6月にも同郡の一行が訪問。霊山の保存会長は将来、互いの綱引きを相手の国で実施する構想を披露した。
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今でこそ多くの引き手と見物客でにぎわう川内大綱引だが、担い手不足に悩む時期もあった。1985年の保存会発足のきっかけでもある。
当時、大型スーパーの進出などで国道3号沿いの商店街は徐々に衰退し、中心となる若手が減っていた。そこで資金集めなどの役割は保存会が担い、引き手は綱引きに専念するという役割分担することで、参加しやすくなった。
保存会発足後、多くの人の記憶に残るのが90年の東京開催だ。新橋駅に近い、今は高層ビルが並ぶ汐留の広場だった。
高校生を含む地元からの参加者に、現地の出身者らを加えた約千人が参加。激しいぶつかり合いも繰り広げた。下方大将として参加した保存会相談役の中内明一さん(77)は「見る人も引く人も、とても盛り上がった」と懐かしむ。「次はハワイで」という話もあったが、立ち消えになったという。
中内さんは小学4年から大綱引に関わってきた。最近は以前より組織がしっかりし、参加したい若者も増えてきたことを歓迎する。一方で「参加する人の熱い思いは昔と全く同じ」と変わらぬ伝統を強調した。
今年のポスターには425回目を意味する表記がある。ただし、川内大綱引の起源に明確な根拠があるわけではなく、「島津義弘が朝鮮出兵の折に兵士の士気を高めるために始めた」など諸説ある。
「『400年以上続いている』と毎年、毎年言っている。そんな行事があるのか」。川内大綱引保存会の会長だった田中憲夫さん(87)はそう疑問を感じていた。何か歴史の節目をという声も受け、1999年に400年祭を開催。大会会長を務めた。大綱引や各種イベントが盛り上がった。
毎年の大綱引の一番太鼓や大将といった役は1人1回しかできない。節目ができたことで「自分が何回目かを言えるようになった」と田中さんは語る。加えて、「みんなが一体となった400年祭によって、その後も協力していくきっかけになった」という。
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400年祭の成果はほかにもある。大綱引のルーツを調べたのがきっかけとなった韓国との交流だ。
もともと農耕儀式として綱引きが盛んな国で、当時2カ所に国の無形文化財があった。このうち、南東部にある昌寧郡の霊山綱引保存会長らを400年祭に招待。取り持ったのは元国会議長で、韓日親善協会中央会会長の金守漢氏だった。
その後も両保存会は交流を続け、2009年に友好協定を結ぶ。さらに昌寧郡と薩摩川内市も12年、都市間の盟約を締結。公式団派遣やスポーツ・文化の交流、職員研修を通じて友好関係を築いている。19年に両国の関係が悪化し、各地で交流が中止になった時も、昌寧郡の訪問団は川内大綱引や綱練りの見学に訪れた。
今年6月にも同郡の一行が訪問。霊山の保存会長は将来、互いの綱引きを相手の国で実施する構想を披露した。
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今でこそ多くの引き手と見物客でにぎわう川内大綱引だが、担い手不足に悩む時期もあった。1985年の保存会発足のきっかけでもある。
当時、大型スーパーの進出などで国道3号沿いの商店街は徐々に衰退し、中心となる若手が減っていた。そこで資金集めなどの役割は保存会が担い、引き手は綱引きに専念するという役割分担することで、参加しやすくなった。
保存会発足後、多くの人の記憶に残るのが90年の東京開催だ。新橋駅に近い、今は高層ビルが並ぶ汐留の広場だった。
高校生を含む地元からの参加者に、現地の出身者らを加えた約千人が参加。激しいぶつかり合いも繰り広げた。下方大将として参加した保存会相談役の中内明一さん(77)は「見る人も引く人も、とても盛り上がった」と懐かしむ。「次はハワイで」という話もあったが、立ち消えになったという。
中内さんは小学4年から大綱引に関わってきた。最近は以前より組織がしっかりし、参加したい若者も増えてきたことを歓迎する。一方で「参加する人の熱い思いは昔と全く同じ」と変わらぬ伝統を強調した。
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7トン365メートルの大綱を上半身裸にサラシを巻いた3000人の男たちが引いて、攻めての肉弾戦 400年祭機に一体感が高まった川内大綱引は、日韓の架け橋にもなった〈重文指定の川内大綱引は今上〉9月20日 21:00
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