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鹿児島県立国分高校|人生を切り開く生徒へ送る熱いエール

2024年09月17日 05:00
[画像:石垣や石橋に囲まれ、舞鶴城の面影が残る国分高校=霧島市国分中央2丁目]
石垣や石橋に囲まれ、舞鶴城の面影が残る国分高校=霧島市国分中央2丁目
戦国島津家を率いた島津義久が、晩年を過ごした舞鶴城跡に建つ。新校舎が昨年春に完成したが、正門沿いに延びる石垣や石畳は、城下の風情を残す。

校歌は1955(昭和30)年2月に制定された。歌詞は公募したが、納得のいく作品が集まらず難航。2代目校長を務めた西川伝毅氏が生徒会誌に寄稿した詩『若人の歌』が採用された。曲は県音楽界の発展に尽力したピアニスト武田恵喜秀氏が手がけた。

「国分高校生へ寄せていた愛情、願い、祈りを込めて作ったものである」。西川氏は創立50周年記念誌で、こう振り返る。

<眸(ひとみ)かがやき いや涯(はて)の 真理究むと>。歌詞は、みずみずしい探究心を歌い上げる。<清き友垣>と友情を育み、<人生(ひと)のよの 尊(たか)きいとなみ ここに創(はじ)むる>と、人生を切り開く生徒たちへエールを送っている。

地域を代表する伝統校として創立111年を迎えた。主体性を重んじ、文武両道の気風が強い。校章には空高く羽ばたこうとするツル。卒業生の平山拓磨教諭(61)は「一人一人が気高く、プライドを持って社会に羽ばたく。生徒が目指すべき姿を表した校歌」と話した。

くろまるメモ 1913(大正2)年、姶良郡立実科高等女学校として開校した。県立国分高等女学校を経て、48年に男女共学となり現校名に改称。校訓は「自律・気魄(はく)・端正」。設置学科は普通科と理数科。全校生徒764人(2024年4月1日現在)。


しかく鹿児島県立国分高校 校歌
作詞・西川伝毅
作曲・武田恵喜秀


茜雲空に流れて
国分寺聖なるほとり
若人ら眸(ひとみ)かがやき
いや涯(はて)の真理究むと
ここに集へる
ああ光あれや 国分高校


舞鶴城光溢れて
花と咲く清き友垣
若人ら血潮たぎりて
かぐわしき
情(こころ)の文(あや)を
ここに織りなす
ああ栄あれや 国分高校


歌声をみ空に充てよ
生命の歓び乗せて
若人ら想ひはるけく
人生(ひとのよ)の
尊(たか)きいとなみ
ここに創(はじ)むる
ああ力あれや 国分高校

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