地蔵信仰とは
江戸時代、地蔵信仰は地域の信仰ととけあって、人々はいろいろなお願いをするようになりました。このため、お地蔵さんは長生きや子供の健康、豊作、病気治療などのお願いをそれぞれ分担して、奇跡を起こすようになってきました。延命地蔵、子安地蔵、イボとり地蔵などがそうです。大山にあらわれたありがたいお地蔵さんを信仰する地蔵信仰は、大山山麓にいきわたり、今も盛んに信仰されています。人々はあらゆるお願いを頼み、また亡くなった人の冥福を祈りました。
旧加茂川のお地蔵さん巡りの由来
旧加茂川沿いや寺町のお地蔵さんに札を順番に貼って歩く家族連れをよく見かけます。これは「札打(ふだう)ち」といって身内に不幸があった時、霊をなぐさめ、浄土につかれるまでお地蔵さんにお守りいただくように祈るため、7日ごとにお地蔵さんを巡ってお参りをし、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と書かれた白札を貼り、おしまいの49日には赤札を貼る風習です。これは西国霊場(さいごくれいじょう)や観音(かんのん)霊場の札打ちとは異なり、全国的にも珍しい、伯耆西部から出雲東部地方に伝わる風習です。
旧加茂川沿いのお地蔵さんには延命や開運など、それぞれ願いが込められています。皆さんも日本遺産のストーリーでもある旧加茂川地蔵を巡りに、さあ行きましょう!
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ひょうたん小路地蔵
1ひょうたん小路地蔵
道笑町2丁目地蔵
悪疫退散と安泰をお祈りする
悪疫退散(あくえきたいさん)と安泰(あんたい)をお祈りする
米子で唯一の瓦葺の地蔵堂はおもむきがあります。毎年8月23日地蔵盆の翌日には、「百万遍」の念仏が行われており、特製の長い大数珠(約5メートル)をまわし、百万遍の念仏を唱えながら子供たちの悪疫退散と安泰をお祈りする昔ながらの貴重な風習が残されています。
榎地蔵
2榎(えのき)地蔵
栴檀の木地蔵、糀町1丁目地蔵、糀町2の東地蔵
(所)糀町2丁目東
風格漂う地蔵
風格漂う地蔵
昔、加茂川川船の終着「いとば」と呼ばれる荷揚場でした。榎地蔵の名前は、地蔵堂の裏あたりに榎の巨木があったことにちなみます。
延命院地蔵
3延命院地蔵
糀町1丁目地蔵、糀町橋地蔵
(所)糀町1丁目
気品高い表情で地域を守る
気品高い表情で地域を守る
中央は、硬質の黒凝灰岩で、加茂川地蔵の中でも屈指の石仏で、気品の高い表情にみちあふれています。江戸時代後期、このあたりは綿実油、びんつけ油の製造が行われていました。
子安地蔵
4子安(こやす)地蔵
糀町橋西地蔵
無事故への願いが込められた地蔵
無事故への願いが込められた地蔵
昭和31年、2丁目の子供が亡くなる事故が続いたため、二体の地蔵さまが一石に彫られた地蔵尊がまつられました。
法勝寺町橋地蔵
5法勝寺町橋地蔵
法勝寺町地蔵
(所)法勝寺町
異なる二体の地蔵
異なる二体の地蔵
黒みがかった御影石の自然石と、坐像の石仏の二体の地蔵がまつられています。
土橋地蔵
6土橋地蔵
土橋の地蔵
(所)法勝寺町
在郷と城下をつなぐ重要な小路にただずむ
在郷(ざいごう)と城下をつなぐ重要な小路にただずむ
円形の自然石と、舟形光背をもつ立像の二体の地蔵がまつられています。
瑜伽堂地蔵
7瑜伽堂(ゆうがどう)地蔵
瑜伽堂橋地蔵、ゆうがさん
(所)紺屋町
古くから市民に親しまれる
古くから市民に親しまれる
「ゆが社」、「ゆが院」と呼ばれ、米子地域の人々の信仰を集めています。
善光院橋地蔵
8善光院橋地蔵(ぜんこういんばし)地蔵
善光院地蔵、四日市町の地蔵
(所)四日市町
今も厚く信仰される
今も厚く信仰される
この辺りに、善光院があったことにちなんだ名前です。
薮根橋地蔵
9薮根橋(やぶねばし)地蔵
子育て地蔵、土手住田7地蔵
(所)東倉吉町
覚証院橋のたもとで見守る
覚証院橋のたもとで見守る
元は土手住田(どてすみだ)の地蔵でしたが、外堀の埋め立てに伴い、薮根橋のたもとにまつられ、その後、覚証院(かくしょういん)橋のたもとに移されました。
咲い地蔵
10咲い地蔵
(所)東倉吉町
米子のシンボル的地蔵
米子のシンボル的地蔵
昭和59年(1984)覚証院のたもとに地域の人たちの幸福を願ってまつられました。隣に「念ずれば花ひらく」の歌碑も建立されている。
川守り地蔵
12川守(かわも)り地蔵
曲がりの地蔵
(所)西倉吉町
水害から町を守るお地蔵様
水害から町を守るお地蔵様
加茂川筋でも屈指の祠堂(しどう)にまつられています。堂の前には魔除けのザクロの木が植えられています。
寺町地蔵
14寺町地蔵
北向き地蔵
(所)尾高町
加茂川地域唯一の北を向いた地蔵
加茂川地域唯一の北を向いた地蔵
9つの寺が並ぶ寺町通りの入り口で、北を向いて城下町を守っています。
与太郎地蔵
15与太郎(よたろう)地蔵
(所)立町1丁目
縁あってこの地に流れついた
縁あってこの地に流れついた
普段は、立町1丁目の本教寺北西隅の四つ角に。8月23日の加茂川まつり、地蔵盆の際に、立町の遊園地に移り、祭りが行われます。
延命地蔵
16延命地蔵
凉善寺の地蔵
(所)岩倉町
宗派を問わず今も多く愛される
宗派を問わず今も多く愛される
平成27年、凉善寺本堂の改築に伴い、延命地蔵・子育て地蔵・六地蔵が建立されました。
天神橋地蔵
17天神橋地蔵
(所)天神町1丁目
学問の神様が祀られる
学問の神様が祀られる
この付近には、天満宮と稲荷社が並んでいましたが、昭和37年(1962)に賀茂神社に合祀されました。お地蔵さんは橋の守護神として大切にまつられています。
中ノ棚橋地蔵
18中ノ棚(なかんたな)橋地蔵
(所)天神町2丁目
これからも地域に愛され続ける
これからも地域に愛され続ける
中ノ棚にはかつて井戸があり、その橋にはお地蔵様がまつられていたそうですが、今は自然石がまつられています。
塚と橋地蔵
19塚と橋地蔵
塚と橋番地蔵、五十人町の地蔵
(所)天神町2丁目
地域に馴染み深いお地蔵様
地域に馴染み深いお地蔵様
旧京橋の擬宝珠(ぎぼうしゅ)付の欄干(らんかん)が遊園地の入口に並べられています。その広場の中央にまつられています。
橋守り地蔵
20橋守(も)り地蔵
京橋地蔵、京橋の酒飲み地蔵
(所)内町
川岸で歴史を見守り続ける
川岸で歴史を見守り続ける
武三という男の子が親の仇をうとうとして反対に殺されてしまい、かわいそうで、お地蔵さんを作ってまつったといわれています。
橋番地蔵
21橋番地蔵
京橋の地蔵
(所)灘町1丁目
橋のたもとで祈願
橋のたもとで祈願
京橋のたもとには、江戸時代に刑場があり、罪人はお地蔵さんに泣いておわびしたといいます。
味噌なめ地蔵
22味噌なめ地蔵
(所)寺町
どんなイボでもとってくれる...?
どんなイボでもとってくれる...?
このお地蔵さんの口に味噌を塗ってお祈りするとイボやポリープを取ってくれるといわれています。
青石地蔵
24青石地蔵
吉祥院地蔵
(所)灘町2丁目東
青石と、菅笠が印象的なお地蔵さん
青石と、菅笠(すげがさ)が印象的なお地蔵さん
吉祥院の本堂脇にただずんでいます。
みなと地蔵
25みなと地蔵
(所)灘町2丁目
米子港をみつめてたたずむ
米子港をみつめてたたずむ
中海を向き、海のかなたの彼岸を見つめてただずんでおられます。
清洞寺岩地蔵
26清洞寺岩地蔵
(所)西町
米子城主ゆかりの地
米子城主ゆかりの地
昔は岩島だったこの場所には、清洞寺がありました。札打ちの打ち止めの聖地でもあります。