2019年06月
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

カテゴリー

過去記事

サイト内検索


« 2019年04月 | メイン | 2019年06月 »

2019年05月13日
しかく 胸いっぱいの愛を

夜中 物音がしたのだろうか
眠りからふと目を覚まして暗い天井を見つめていた
そうしていたら、窓の外から歌声が聞こえてきた

弱気なやつ サレンダー
振り向かない フォーリンダウン
落ちてゆくー

「え、なんで?もしかして?」

途轍もなく胸がざわめき
宿の部屋のカーテンを開けて窓の外を見ると
川縁の街路の灯りに照らされて
8人ほどのシルエットが浮かび
(なぜ"8人ほど"かは後述)
耳に馴染んだ"gives"という名の歌をアカペラで歌っていた
嘘だろ?何で?と思いながらとにかく

「みんな、これまでホントにありがとう!」

と伝えに行かなくちゃと飛び起きて
浴衣のままエレベーターに飛び込み
1階のボタンを押すがなぜかボタンがすぐに点灯しない
早くしてくれ!いなくなってしまったら何も伝えられない!と
連打していたらようやくボタンが光りエレベーターが動き出す
そしてドアが開き駆けだそうとした途端目の前に拡がっていたのは

さっき見たのとは違う、暗い天井だった。
混乱した。
見回すと、隣のベッドでは妻がスヤスヤと眠っている。
深夜の、いつもの部屋だった。
「夢だった、んだな」
と理解するまで少しばかり時間を要した。
(作文じゃなくホント、マジでそんな夢でした)

この前日、町内某所において
"女川研究員なりの赤鰤" (注記)赤鰤=マイナビBLITZ赤坂
を有志にて開催、特に告知したわけでもないが数名が集い、
第二期BiSの最期を、それぞれに思いを抱きながら見届けた。
で、翌晩は家でニコ生をタイムシフト視聴し、
また様々なことを思い出したり考えたりしながら
改めて彼女たちによる最期のステージを見届けたところだった。
そんなことがあっての夢だったのだろう。

約5年前の第1期BiSの解散の際、次のようなことを書いた。

4回も女川に来て一度たりとも同一メンバーで会ったことがありません。
逆に言えば、その時その時の彼女達に会えた、ということ。
ある研究員さんがつぶやいてました。
「アイドルと言い張ってる楽器を持たないバンド」
自分の中でも正にそうでした。
だってカッコよすぎるもん。
HM/HR偏食の私にとって、はまりすぎるぐらいにはまりました。
「カッコいい女性アイドル」ってのはなかなかいませんよね?
(中略)
名曲の数々が音源ベースでしかもう聴けなくなる、ライヴで聴けない、
残念でなりません。
でも、メンバー並びに研究員皆さんと女川が過ごした時間と思い出は
女川の復興の歩みに刻まれるリアルなものであり、
色あせることはありません。
いつかまた女川の地で、メンバーさんや研究員さんに再びお会いできることを
夢見たいと思います。
その時は飛び切りの「女川愛」でお迎えさせていただきます!

今回も思いは同じである。
もしかしたらそれ以上かもしれない。
プーちゃんが活動停止になった直後の秋刀魚収獲祭2017、
一体どうなるか、との心配を吹き飛ばしてくれたパフォーマンス。
(ペリちゃんとサキ様の「安心しろ!」という全力な姿が焼き付いています)
プーちゃん卒業直後の、女川復幸祭2018、
本当の意味で第2期最終形態の原型となった6人でのパフォーマンス。
新たなBiSの始まりをしっかり予感させてくれた。
(キカ姐さんとゴジちゃんの「引っ張っていくぞ!」感が頼もしかったし、
BiS復帰してのアヤプリさんの存在感の大きさがガッチリ伝わってきました
しかし、こうやって振り返るとしろまるしろまる直後っていうのが多い女川公演ですな)
考えてみると、こうした第2期始動時メンバーのDNAに
その都度新たな血が加わることで、
苦闘と苦悶と成長が繰り返されていたのだな、と感じる。
そして、結果的に現編成での女川公演ラストとなったONAGAWACKから
解散ツアーに至るまでの進化の著しさ。
もちろんそれには解散という前提があっての様々なブーストが
一人ひとりに掛かってのもの、ということはあるだろう。
そうだとしても、"BiS"としてかどうかはともかく、
このメンバーとしてチームとして目指す在るべき姿へ最後にして到達し、
更にはその頂点を超えた高みにたどり着いたのでは、と感じる。
(仙台でのステージは完璧、特に一人ひとりの歌唱が素晴らしかったっす!)

WACK Exhibitionでの鬼神が如きパフォーマンスと
その裏にあった解散決定という事実。
この残酷なコントラストに、
何度も観返しながら涙があふれて止まらなかった。
「なぜこの子たちは試練に向き合い続けなければならないのだ」
「BiSなんて知らなければ、彼女たちに出会わなければよかった
一傍観者のままでいればこんな悲しみも知らなくて済んだのに」
そう思えて仕方がなかった。
でも、今ははっきり言える。

あなたたちに出会えてよかったよ。
あなたたちのお陰で、俺の中の世界は間違いなく拡がりました。
それぞれに抱くBiS像とその価値と意義は当然ながらそれぞれで、
俺の場合、それは先ずは音楽としてのBiSであり、
それを体現するメンバーのアティテュード、だろうか。
こんな風に人の数だけのBiS像があるだろうけど、
その全部をくくれる輪っかみたいのがあったとして、
その輪っかがどんなのかはわからないけど、
あなたたちはそんな輪っかになりました。
だから、あなたたちは間違いなくBiSでした。
だから、胸を張ってください。
そしてもうひとつ。
「(最終的には)9人のBiS」というBiSとしての存在とともに、
もしかしたらそれ以上に
"BiSであったあなたたち一人ひとり"
が女川の俺らにとって大切な存在でした。
そのことを解散発表以降の悲しみの中からわかりました。
お互い、戦う場所も意味も違ったかもしれないけど、
とんでもないことがあったり逃げ出したいことがあったりかもだけど、
約束された確かな未来なんかないし、
道の進み方がこれでいいかわかんないけどそれでも踏ん張って、
その先に確かな未来があるんだ、
絶対世界を変えるんだ、創るんだって踏ん張って、
そんな中でこの地で交わることが出来て、
同じ時を過ごすことが出来て。
あなたたちがBiSに所属していなければ、
素敵なあなたたちに出会えることはありませんでした。
こちらの一方的な想いではあるけど、
だからこそ大切なあなたたちでした。
本当にありがとう。

いつか、どんな形でもいいから、また女川に訪れてください。
その時は飛び切りの、変わらない胸いっぱいの「女川愛」で、
女川研究員一同でお迎えさせていただきます!
これから皆さんの歩む道が素敵なものであるように祈ります。
また会おうぜ!
改めて本当にありがとう、お疲れさん!


最後に。
前述の、夢で見たシルエットがなぜ"8人ほど"だったか。
物音で目を覚ました、というこの物音が、
アヤプリさんのいびきというwww
(しようがねーじゃねーか、夢なんだからw)
夢の設定というか状況が、なんだか解散ライブを泊りで観に行って、
泊ったところが旅館みたいな和室で、
なぜか隣の部屋がアヤプリさんで、いびきが聞こえてきて
「(夢の中では夜中のはずなのに)ああ、朝までだったから
疲れ切ったんだな、お疲れさん」
とか思ってたら歌声が聞こえてきた、という流れなのでした。
なので、急いで駆け出したのは感謝の思いを伝えるのと共に
「アヤちゃんこっちにいるよ!」と伝えるためでもあったのです。
だから9-1=8人ほど、なのでした。
全ては見た夢のままを書きました。
悪気はありません、お許しください...。

ということで、ほんとにお疲れさん!

投稿時間 : 23:50 個別ページ表示 | トラックバック (0)

2019年05月07日
しかく 令和元年の例大祭

令和の時代を迎え、最初のGW(及び最初のエントリーっす)。
特措法により10連休となりましたが、
皆さんはどう過ごされたでしょうか&いかがでしたでしょうか?
私の場合、平成最後がアラバキのポルカで
令和最初がBiS解散ツアー@仙台という、
楽しさと悲しさと感謝で感情が乱高下する日を
改元を挟んで過ごしたところです。

さて、この期間、町内の各神社にて例大祭が行われるが、
5月3日は白山神社や熊野神社他のお祭り。
で、テレビや新聞でも多く取り上げられたが
白山神社では9年ぶりに子供神輿が復活し巡行した。
サッポロホールディングスさんのご支援で修復された子供神輿なのだが、
その神輿には「昭和53年奉納」と記されている。
お神輿として40周年を迎えた令和元年に新たな姿になったこととなる。
例大祭に先立ってGW前に行われた贈呈式にも参加したが、
全くの新品と思えるほどの仕上がりにびっくり!
思い起こしてみると、昔の女川二小の青ジャージを着て
神輿を担いだ自分自身の幼き頃の記憶がよみがえってきましたw
残念ながら震災で失われてしまい引き継げなくなったものが沢山ある中で、
このようにオリジナルが再生されて
未来へと繋いでいけるものがあるということに大きな意義を感じる次第。
将来の先々まで、担ぎ継がれて欲しいですね!

で、GW中は序盤の雨模様で出足の悪さはあったものの、
比較的好天が続いたこともあり、実数ベースの速報値で、
約88,000人の人出という、今年も大変大勢の方々が女川を訪れ、
休暇を楽しんでいただいたようでうれしい限り。
また、ブース出店やストリートライブなど、
お迎えする側も様々な楽しい仕掛けをして盛り上げていただいた。
来町された皆さん&関係の皆さん、大変ありがとうございました!
以下の写真は、賑わう街中での神輿巡行の様子です。

[画像:%E7%A5%9E%E8%BC%BF.jpg]

[画像:%E7%A5%9E%E8%BC%BF%E6%8F%89%E3%81%BF.jpg]

うち(白山神社)の場合、ポイントポイントでご祈祷をする際に、
お神輿を"揉む"=わさわさと荒々しく神輿を押し合い揺するのだが、
(2枚目の写真がその"揉んでいる"様子です)
普通は1回揉んだらご祈祷に移るところ、
ギャラリーが多いと必然テンションが上がり、何度も揉むことに。
駅前では3回揉んでました。
神社に帰ってからは全てを出し尽くすかの如く何度も揉むのだが、
記憶している中では最大の、なんと11回!
担いでる方はボロボロですw
私も最後の神社では混じって揉みましたが(文字通りフェスですから!)、
揉む=モッシュは6回でギブアップ...。
担ぎ通した皆さん&実業団の皆さん、お疲れ様でした!

最後に。
神輿巡行では町内各所を回るが、運動公園住宅も巡行先の一つ。
H25末に完成した本町最初の災害公営住宅(200戸)にして、
H26住生活月間の国土交通大臣賞や同年のグッドデザイン賞など、
各方面から評価をいただいた公営住宅であるが、
住棟間の距離を広く取り、そこに家庭菜園などが出来るような場所を
用意している。
入居開始から5年が経ち、この場所の入居者皆さんの利用も活発になり、
今では花だけでなくネギやら何やら色々育ててもらっています。
今回お邪魔した際はチューリップがきれいに咲いていました。

[画像:%E8%8A%B1%E5%A3%871.jpg]

[画像:%E8%8A%B1%E5%A3%872.jpg]

二枚目の写真、ものすごくいい感じで撮れました!
Xperiaの性能の賜物ですなw
このような日常の潤い、本当に大切ですね!

それではまた近々。

投稿時間 : 22:24 個別ページ表示 | トラックバック (0)

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /