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2016年07月31日
しかく 熊本訪問

熊本連続地震から三か月半が経過した。
以前にも記した通り、本町は熊本県美里町から長期職員派遣を受けており、
連続地震後は本町から住宅等の住家被害判定支援を目的とした職員派遣を行った。
GWを挟み一週間交代で4チームを派遣したところであった。
実は、美里町では地震被害は重度被災地域よりは比較的軽度であるものの、
6月の集中豪雨で農地の多くが被災し、
激甚災害指定を受けたことのある美里町の過去の水害をも上回る被害が
発生している。
このように、熊本県内では地震と豪雨という災害が立て続けに起きた。
今回、地震後としては初めて美里町を訪問しお見舞い申し上げてきた。
また、益城町他被災地域の状況を車中からではあるが視察してきたところである。

美里町では豪雨被害が大きく、その中でも農地の被害が多数と伺っていた。
前記のとおり、罹災判定のチームは交代で送らせてもらったのだが、
この農業被害の事務が膨大であり、とても自前の職員だけでは無理なので
半年程度の職員派遣が可能かどうかの打診をいただいていたところである。
本来、美里町からは職員を派遣いただいており、
その借りをお返ししなければならないところであるが、
女川町は販売農家数ゼロという、地方部では極めて珍しい自治体であり、
従って、今回の要請に応えるべき農業土木の経験がある職員がいない。
一般土木職でも対応可とのことではあるが、
そもそも本町自体が各自治体等から技術職員の派遣を受けている状況であり、
人員的に非常に厳しい状況にある。 (注記)美里町からの派遣職員は防災系業務
ということで、前向きな返答が出来ない状況での訪問だったが、
上田美里町長には、確約もできないし期待されても難しいところではあるが、
いくつかの自治体には派遣の検討を依頼しているところであり、
当方でできる声掛けの努力はしていく旨を申し上げた。

現地の写真をいくつか示すが、傷跡は三か月過ぎた今も生々しい。

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益城町で最も被害が集中した惣領地区の写真であるが、
この県道の南側は写真以上に被害が大きい。
また、この重度被災エリアの中に居住されている住宅もある。
つまり日常生活空間が非日常的被災空間に入り込んでいるのである。
いや、在るべき日常が僅かを残し非日常に侵食されつくした、と言うべきか。
東日本大震災の沿岸部被災地との一番の相違点はこれだろう。
この被災集中地区にも無事だったところはある、と
救われる思いがする反面、そのことが何とも痛々しく、
また気の毒で仕方がなかった。

一方で、これも5年前との違いだが、基本的に被災現地の土地利用が
可能であれば仮設店舗等をすぐ立ち上げることができる、
また非被災の居住地域・住居自体はそこにそのまま存在するため
既存生活空間と一体に整備できる、という点。
寄ってみた仮設商店街は復興屋台村。
テントで全体を覆って、3坪程のお店が飲食店を中心に
床屋・お茶屋さんなど10軒ほどが入居し、
そのテントの中がフードコート風になっており、飲食はもちろん
地域の皆さんでのミーティング等も可能な感じに作ってあった。
東日本大震災時には全津波浸水地区を通じて初めて立ち上げられたであろう、
行政支援を待たずに自力で立ち上げられた本町のコンテナ村商店街が
震災後4か月弱経ってのオープンだったことを考えても、
やはり早い展開が可能だったのだろう。
テントには地元の方々や外部ボランティア等のメッセージで
びっしりと埋まっていた。

[画像:%E5%B1%8B%E5%8F%B0%E6%9D%91.jpg]

その一つ一つに込められた思いを考えるとき、
そのどれもが心に突き刺さってくる。
そして「おんなじだったな〜」と自分たちの5年前を思い出してみる。


応援職員派遣などの行政支援や、炊き出しや住家修繕に代表されるような
個人団体を問わない民間主体のサポートなど、
今やるべきことや今を支えるサポートというものは、
私たちもお世話になったように熊本の被災地においても力強く進められている。
その中に、私達が出来る今とはまた別の役割が今後あるのかもしれない。
「あの時どうしたか」ではなく「あれからどうしたか」という部分。
経験した当事者だからこそ言えること、わかること、
やってきたこと、やれなかったこと。
いいものも悪いものも。
私達自身も阪神淡路をはじめとする過去の震災を経験した方々から
様々なことを学ばせてもらったし、
そこからまちづくりに反映させてもらったものもある。
もちろん、環境や時代背景、或いは前提となる条件など、
その時々や地域により事情も異なるし、
そもそも押しつけがましいものではあってならない。
それでも、何かにつながるものはあるだろう。
現地の皆さんのご苦労は相当なものだと思うが、
地域の再建まで一定以上の時間を要することは避けられない。
テレビのニュースなどで現地の様子を見て
「3か月以上経ってもまだがれきが云々」
という印象を持つ方もいるのかもしれないが、
ライフラインの復旧や避難所運営・仮設住宅建築など、
被災者や地域住民の生活の基礎を仮のものであっても建て直す、
これらが優先であり、将来へ向けた作業はむしろこれからなのだ。
だからこそ私達に出来ることを長い時間軸で考えていく必要がある。
そのことを改めて思いながら現地を後にした。。


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