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2012年10月21日
しかく 感謝と感動を抱えて帰ってきました

震災後、22歳の若者たちが我が町に義援金を届けてくれた。
この若者たちは板橋区出身。
我が町では平成10年から9年間、NGOウーマンズフォーラム魚の協力のもと、
魚食普及と地域交流の一環として板橋区内の小学校とサンマを通じて
「浜の母さんと語ろう会」「1000匹のサンマ焼き大会」
を実施してきた。
また、お互いの子供たちが訪問し合い体験学習を行った。
その当時小学生だったのが彼らである。
その彼らが大震災後の間もなく自発的に募金活動を行い、女川に思いを届けてくれた。
そんなサンマを通じた歴史と縁が女川と板橋区の間にはあり、
震災後も様々な形で関係の方々をはじめとする多くの方から支援や励ましを頂いてきた。
これが今回の原点といえば原点である。

我が町で排出される廃棄物の年間通常排出量の100年分以上になった震災廃棄物(ガレキ)。
このうちの可燃性廃棄物の焼却について、東京都下各地で受け入れていただいた。
被災地に横たわる震災廃棄物処理という大きな壁。
我が町ではお陰様で目に見える形で処理が進んでいるのがわかるほどとなっている。
これだけではない。
女川以外についても、発災直後にも関わらず、12日未明には都のハイパーレスキューが
気仙沼に到着し消火活動を実施した。
石巻でも12日の夜にはすでに東京都消防局のチームが宿営地を設営していた。
発災後しばらくは停電と燃料不足により火葬場が動かず、
また動くところがあっても全く追いつかないほどのご遺体数で
各地で仮埋葬せざるを得ない状況であったが、
都下各地にてご協力いただき、多くの犠牲になられた方を荼毘に付していただいた。

とりわけご支援いただいたのが我が町である。
そんな私たちの感謝の意を込めてサンマ6万尾相当を東京にお持ちした。

女川秋刀魚収獲祭in日比谷公園

ボランティア登録で1200名超え!
来場者数は非公式ながら20万人とも30万人とも!
サンマと感謝の思いを携えて伺ったにもかかわらず、
新たな感謝と感動を抱えながら帰路につきました!
各ボランティアをはじめ、受け入れと運営にご尽力いただいた鈴木実行委員長他、
関係する全ての皆さんのお力添えの賜物です。
皆様、大変ありがとうございました!
私達にとって、様々な意味で記憶に残る一日であり、貴重な体験をした一日となりました。
今後ともよろしくお願いします。

がんばっぺ!

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2012年10月16日
しかく 10月前半

先月29日に復興まちづくり事業着工式、
今月11日にはまちづくりWGによる中間報告、
更に14日にはカタール国からの支援による多機能型冷凍冷蔵庫の操業開始式典、
明日(17日)は湾口防波堤復旧工事の着工式。
ここ二週間ほどは復興へ向けた各種の節目があった。

復興まちづくり事業着工式は、皆の祈りが通じたか、
式典最中は曇天とやや強めの風ではあったが雨に祟られることもなく、
将来世代代表(中学生)を交えての鍬入れの際は、まるで測ったように陽が差しこんだ。
挨拶の中で、私からは
「東日本大震災は千年に一度の大災害とよく言われるが、
であるならわが町における復興は"千年に一度のまちづくり"にほかならない」
「官・民、個人・組織を問わず、女川の復興を想う皆がチームであり、
その"チーム女川"の力があれば必ず復興は実現できる」
というようなことを述べさせていただいた。
もちろん、いよいよスタートである、という意味で重要な節目ではあるのだが、
挨拶を申し述べるなかで強く意識したのは、関係者全体の意識の共有である。
国・県をはじめ多くの方々にご案内し出席をいただいた。そこにおいて
この復興の果てに何を築くのか、この復興の意義は何なのか、
そして、立場を超え、協力するあらゆる主体が復興を成す上でのパートナーである、
という意識を皆で共有させていただきたかったのである。
お陰様でそのような場にさせていただけたものと思っている。

一方で、基盤整備が進めば復興が完了するものではなく、
その上に私たちの生活の営みや賑わいがあってはじめて復興と言えるわけだが、
まちづくりWGの中間報告会はその部分で非常に意義深い機会であった。
言葉だけじゃなく、マジで感動しました!
何に感動したのか、といえば、各チーム(現在、分野別に6チームを編成)に分かれて
これまで議論を重ねてきてもらったわけだが、それぞれの報告内容を聞いていると
脳内で今後の町の姿がビジュアライズされてくるからである。
もちろん、WGに絵姿を委ねるばかりでなく、私自身の中にも明確なイメージはある。
そのイメージと各チームが示す内容がシンクロしてきて
より具体的な将来像が想起されてくる。
WGのメンバー自身やまち協の委員の方、傍聴した町職員にも
同じように感じた人がいると思う。
当然ながら全てがそのまま形になるものばかりではないだろうし、
行政も含めての議論のステージを踏んでいかなくてはならない。
また、具体的なプラン、ということも大切ではあるが、それが導かれる根っこにある
なぜこう考えるのか、という部分が、より重要なファクターでもある。
今回、一旦それぞれの考え方を共有する場でもあったので、
今後は行政も交え収斂と具体化に入っていく予定。

冷凍冷蔵庫の操業開始は全国ニュース等でも大きな話題として取り上げられた。
カタールフレンド基金より日本円で20億円に上る資金提供を頂き整備された、
本町津波被災エリアにおける震災後初の大型建造物である。
施設の名称は「マスカー」。
カタールの伝統的漁業に用いられる漁具の名前から付けられた。
当日はカタール国行政監督庁長官や同外務担当大臣、駐日大使など、
カタール国より国賓クラスのお客様をお招きしての式典であった。
恐らく世界でも初であろう、津波を受けることを前提に作られた、
つまり津波災害対応型冷凍冷蔵庫である。
一階部分はピロティ化等を施し、L1クラスの津波は受け流す。
仮にL2クラスに見舞われても電気設備や避難スペースがある三階は守られ、
更に高いところまでの避難設備も有している。
また、多機能型冷凍冷蔵庫としても整備された。
震災により本町水産業界の冷蔵能力の八割が喪失させられた。
水産業を営む上で冷蔵冷凍業務は欠かせないものであり、
ストック能力の大幅な縮小で取り扱える原料の量(水揚げ物含む)も限られていたが、
マスカーの稼働により現況が大幅に改善されることになる。
このような当面のことももちろんだが、設備の先進性も含め将来にわたって
本町経済の中核的な施設として稼働することが期待されている。
色んな意味で水産業復興におけるフラッグシップ的な施設である。
カタール国民や関係者の方々、日本財団をはじめ協力をいただいた方々に
改めて感謝の意を申し上げます。
みんなでガンガン稼働させて女川の復興のエンジンにしていきます!

この他にも町中心部における復興事業の重要事項について
大くくりの地区ごとでの住民説明会の開催など、
色んなことが動き始めた10月前半であった。


以上、前回以降の動きを一気にまとめた。
次回はたまらないうちにw

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