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2009年06月22日
しかく 火曜日に出番があります

現在6月議会が開会中である。
例年の県議会の場合、6月議会では補正予算は組まれない。
税収見込みの大枠が夏場以降になると言うのが理由の一つだが、
(なお、市町村では6月でも普通に組まれます)
今回は国の経済対策に伴って約235億という大規模な補正が組まれる。
その財源の多くは国からの臨時交付金と助成金等、
それと県債で賄われる。

(注記)補正予算の起債分は翌年度以降国が交付税で面倒を見る、
という一応の口約束、もといルールがあります。

今回、県の自主財源(一般財源)からの手出しはHOW MUCH?

答え 約1200万円(!!)

割合にして1200万/235億=0.05%分である。
知事は「県自主財源での補正は9月以降考える」とのこと。
今回はそれだけイレギュラー、ということ(と理解しましょう)。

そんな6月議会だが、私も例によって一般質問を行います。
今回は初日のトップバッターです。
内容は以下の通り(予定)。

1.教育行政について
(注記)主に道徳教育を取り上げます
2.県補正予算と経済対策について
3.エネルギー政策について

中身については後日記載しますが、お暇があったら県議会HPを覗いてみて下さい!
以下、私の出番予定時刻です。

一般質問(須田分)
6月23日(火)午前10時より (注記)約1時間
県議会HP:http://www.pref.miyagi.jp/kengikai/


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2009年06月16日
しかく しばらくです、はい・・・

前回の日記がそのまま空白の日々の「節目」になっておりました。
反省、反省・・・。
昨年の本欄記述を振り返ると、丁度今頃が長期の空白になってまして、
「周期性か?」
と自分に言い訳しているところです。
ともあれ、今後はもうちょっとマメにやっていく所存です、はい・・・。
決して見限らないで下さい・・・。 m(_ _)m
この間、自身の周辺では

・誕生日が来て37歳に!
・HPアクセス数が10000件突破!
(お付き合いいただきありがとう!)

などの出来事がありました(個人的すぎてスンマセン)。

明日(今日)から6月議会も始まります。
今年度は安藤新会派会長たっての意向を受けて、
何年か振りで会派事務局長を拝命しており、
議会での議論とともに会派運営についても努力しております。
次週以降に議会の話題なども記載していきたいと思います。
なお、近日中にHPのリニューアルを行う旨、ウェブマスより話がありました。
私自身楽しみに待っていたいと思います。

閑話休題。
WHOが新型インフルエンザの警戒レベルをフェーズ6に引き上げた。
所謂「パンデミック」の宣言である。
現在のところ弱毒性と位置付けられることもあり、
パニックは起きていない。
国をはじめ行政機関も冷静な対応を呼びかけている。

発生当初を思い浮かべると、未知のウィルスということで
国内でのマスクの売り切れが一時的な現象として発生したが、
弱毒性ウィルスということが確認・宣言されると大分落ち着いた状況にはなった。

その段階で出てきた論調が
「政府や行政機関の動きは過剰だったのではないか?」
「むしろ過剰さを演出していたのではないか?」
という一部マスコミ(当然私の大好きなあの報道番組でも)のバッシングである。

検疫体制の確立や医療機関の連携のあり方など、
更に議論が進められるべきものはある。
ただし、そうだとしてもあの時点での専門家の行政対応評価は、
そのほとんどが「妥当である」とのものだったと記憶している。
問題点や反省点を指摘することと単なるバッシングは全く意味が違う。
それも「弱毒性だ」ということが概ね認められてからのバッシングである。

似たようなケースがあった。
5月の北朝鮮のテポドン発射である。
これは事前に北朝鮮により我が国上空を通過することが予告され、
防衛大臣の号令下、日本海沿岸へのPAC3配備などが行われた。
結果、我が国にはルート下の秋田県や岩手県を初め、
落下物や弾頭飛来という望まれない事象は発生しなかった。
このときも我が国に何の被害も無かった、ということがわかった途端
「過剰の反応だったのではないか」
と言い出したメディアがあり、中には
「選挙へ向けた政府与党のパフォーマンスだ」
平然と言うTVコメンテーターもいた。

ちょっと待ってもらいたい。
事が終わってからなら誰でも言える。
今回の否定的な意見を表明する方々、あまつさえ選挙向けパフォーマンスだ、
と発言されていた方々に言いたいのは、
あの時点ならどちらのケースも未知のものに対応するということでは
最善(に近い)・及第点の対応ではなかったか。
ミサイルの場合、もし万が一国内に落下物が飛来したり、
それこそ懸念されたミサイルが落着したりしていたら、
それが通常弾頭であろうが核弾頭であろうが
今回バッシングしていた面々はどのように発言したのだろうか。
そのような有事になったとしても、それでも
「対話を重視して」
と言い出しそうな新聞社(TV局もね)がありそうなのが
今の我が国のマスコミか。

以前にも記したが、公共の電波を使って発言することの重みと責任を
感じ取れない報道を目に、耳にすることが多い。
輿論(よろん)と世論(せろん)という言葉がある。
今では「世論」と書いて「よろん」「せろん」のどちらにも読ませるし、
両者の意味合いに差を感じないようになっているが、
元々はそれぞれの意味を持っていた。すなわち

輿論(よろん)=public opinion =(公な)多数意見
世論(せろん)=popular sentiments=(大衆的な)心情・心証

である。全体の意見という意味では共通するが、
その土台について京大の佐藤卓巳准教授は

輿論=論理・理性
世論=感情・情緒

と定義したうえで、この両者のバランスが大事であると述べている。

その通りで、どちらも大切なものだし、どちらかが欠けたり偏ったりしては
本当のところの合意形成は成し得ないだろう。
にもかかわらず、とにかく悪者探しをし、「世論」だけを煽るような姿が
あまりにもあまりにも目に付く。
政治の場のポピュリズム的傾向がよく言われるが、
そのような風土が作り出されてしまったことには
"権力の監視者"たるマスコミ自身にもその一因があることを自覚すべきである。
例えば、西松事件で小沢代表(当時)の進退が注目されたが、
その際の当時の鳩山幹事長(現代表)をはじめとする幹部の発言に多かったのは
「(小沢代表の進退は)世論の動向を見極めて」
というコメントである。大いに違和感を感じた。
世論におもねる前に自らが判断すべきことであったはずだ。
極論すれば世論に委ねるということは自らの責任を他者に放り出しているのと同義である。

「世論」は無視できない、というより大変大切な要素である。しかしマスコミの先導につられて
これのみに重きを置いて選択を重ねれば大きな過ちを犯しかねない。
それぞれがその危うさを再確認すべきである。
逆に言うならば、政治の場合、時によっては世論を敵に回しても主張していくべきを主張するのが
政治に課せられた役割であるはず。
それによって社会の将来の種になることもあるはずだから。


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