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2009年02月18日
しかく 国を愛する

日本のメディアが一斉に名演説として取り上げ、
その内容に賛辞を送ったオバマ大統領の就任演説。
その中でオバマ大統領は"我々(米国民)の成功を左右する価値観"として
「忠誠」と「愛国心」を掲げた。
それを以って"新しい責任の時代"を訴えた。
この場合の忠誠とはアメリカという国家の価値観や哲学へのものだろうし、
愛国心とは読んで字の如しであろう。
かの演説の一番の肝かもしれない。

オバマ大統領の言葉を称える一方で、
こと我が国日本の愛国心となると途端にナーバスになるのも同じく日本のメディア。
安倍内閣の教育基本法改正の際は産経・読売などの一部を除いて
否定的な反応が多かったと記憶している。
戦前の体制の記憶が強く残されているからであろうか。
しかし、考えてみれば軍部の台頭により様々な弾圧や統制が敷かれるようになる以前は
我が国には思想や言論の自由が厳然と存在していた。
例えば天皇機関説はシステム論(立憲君主制)であり、政治の場でも堂々と取り上げられ、
軍部の台頭する以前には主流の学説であったとされる。
当然にその時代にも愛国心や国家(或いは社会)への忠誠心というものは存在していた。
そういった概念そのものが苛烈な時代へと日本を直接導いたのではない。

日の丸が法によって正式に国旗の位置づけを得るのは
意外にも1999年の国旗国歌法の成立によってである。
それまでは政令等によって規定されていた。
日章旗="日の丸"が公式に国旗としての位置づけを得たのは末期の江戸幕府、
それ以前にも様々なところで日本を表す印として日の丸は用いられ、
現存最古の日章旗は平安時代(11世紀)のもので、
その原型は更に過去へ遡るそうである。
つまり、長い我が国の歴史の中で、古代中世の時代より我が国を表す印として
日の丸がその時代その時代の人々に認識され、
またそのように扱われてきたということである。
同時に良い時代、辛い時代、
様々な我が国の歴史と国民の想いを背負ってきたのが日の丸なのである。
にもかかわらず、去る1月の、政権交代を目指すという民主党の党大会で
その壇上に日の丸は掲げられなかったそうである。
国旗も掲げれずして、如何に国の舵取りを出来ようか。
「国を統べよう」というかの政党の本質が大きく問われなければならない。

先週の建国記念の日。
県内でも日の丸を大きく掲げ、
2月11日という日本の"誕生日"をお祝いする行事が各地で行われた。
その一方で天皇制反対や憲法を考える集会など、
いわゆる左派的な集いも見られた。
思想や信教の自由が認められる我が国だから、
色んな考えがあるのは当然のこと。
しかし、軍国主義とやたらに結びつけて
日の丸反対だ、君が代反対だ、と思考停止せずに、
国の歩みに想いを馳せ「国を愛する」をいうことを
この時代だからこそ一人ひとりが問い直すべきである。
個と個のつながりが希薄化し、その個々の繋がりが社会や国家を作るという
当然のことが忘れ去られそうになる現代日本にとってこそ
オバマ大統領が掲げたメッセージは必要なのではないか。
そしてそのことが、現下の厳しい状況の次に来る明日を形にするために
大切なことなのだと思う。

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