« 2007年04月 | メイン | 2007年06月 »
今任期最初の議会が今週の15日(火)・16日(水) の両日開催された。
我が会派も38名の大所帯となり、
議会庁舎4階にある会派控室の様子も一変、
今までと同じスペースに一気に13人が増えたこともあり、
その風景にもなかなか圧巻なものがある。
議会第一会派として、
責任のある議会運営が益々求められてくるところだ。
圧巻といえば、今回初当選の議員の顔ぶれも多士済々だ。
元町長さんや政令市の元議長さん等々、
政治経験豊かな方々が多い。
面白いのは、どのような経歴を持とうとも、
議場での議席は若い順に一列目(全部で4列)から座る。
極端な話、
安倍総理が宮城県議会議員になったとしても座る席は一列目になる。
また私と同じ昭和47年生まれが2人初当選し、
この年代が最も若手になるが、
誕生日の遅い長谷川敦議員が現役最年少となった。
3期生では全国の都道府県議で私が現役最年少であるが、
宮城県議会内に人生の長さでも
"後輩(失礼!)"の議員が誕生したのはある種の感慨(?)
がある。
かく言う私は議場では3列目。
本県議会内ではこのような方々の"先輩"になるわけである。
実力派の政界の先輩各位や同級生を"後輩"として迎え、
多少の"いずさ"とプレッシャーを感じるが、
いい刺激を受けながら、共に切磋琢磨し、
一つでも多くよりよきものを生み出す県議会となるように
努力をしていきたい。
初議会は議会内人事が主な内容である。
既報だが議長には髙橋長偉議員(本吉)、
副議長には千葉達議員(若林)が選任された。
どちらも大変責任感が強く、同時に民意(議会内民意も含む)
を大切にされる、
指導力豊かな方である。
私は改選前の前年度は会派政調会長を拝命し、
政策提案・
調整に当たりながら会派三役の一人としてその任に当たったが、
今回は議会運営委員会(議運)
副委員長を拝命することとなった。
議会のルールや手順手続き、運営方法など、
その全てはこの議運で決定されることになる重要な場である。
会派運営の立場から議会全体の運営の立場へとより責任は重いものとなったが、
小林正一委員長(名取)をサポートしつつ、
高橋議長をリーダーとする宮城県議会が" 日本一の県議会"
と改選後も引き続き
言われるよう、 職責を全うしていく所存である。
また常任委員会の所属も決定され、
今年度は総務企画委員会に所属することとなった。
全部で6つの常任委員会があるが、
総務企画委員会はその要である。
最大の県政課題である財政再建のみならず、
原子力政策や離島振興等々、
我が郷土の各種課題を所管する委員会である。
改選時に私自身が掲げた政策の多くに直結する場でもあるので、
臆することなく、
積極的に提言・指摘を行い、その実現に邁進していきたい。
何でも最初が肝心である。
改選初年度のこの一年が、県政の行く末に大きな影響を与える。
村井県政を支えながらも言うべきものはしっかりと物申し、
決して互いにもたれあうことなく
執行者と議会の緊張関係を保つ議会でなくてはならない。
「我々の為すべきことは何か」このことを強く意識し、
初志を常に携えながら、これからの4年間に臨む。
投稿時間 : 23:39 個別ページ表示
先日とある会合で太平洋戦争に参加された方と話す機会があった。
戦争体験のある方の話を伺うたびに色んなことを考えさせられる。
便宜上この方をAさんとするが、
Aさんは昭和18年ぐらいに帝国海軍に召集され、
内地勤務を経て最後の任地は九州、その最後の任務は「特攻」
である。
特攻にあたっての若干の訓練を経た後、
何隊かに分けられた内の三隊目に配属された。
特攻というと人間魚雷と称された「回天」がよく知られるが、
既にそのような兵器物資すらなく、
ベニヤ板で囲った船に爆薬を積んでそのまま突っ込む、
というような状況だったらしい。
一隊目、二隊目、と一日ごとに出撃、生きて還る者も無く、
いよいよ今日の午後には自分も出撃、というその日の正午、
Aさんは玉音放送を聞いた。
「お国のため云々以上に愛する家族や大切な人を守るため、
と覚悟し戦争に行った。
自分の回りの人間も同様だった。
もし8月14日に出撃していれば恐らく今ここに自分はいなかっただろう。
ほんの偶然で生き残った自分だが、
常に感謝の気持ちで生きてきた」
私のような若い世代では想像がつかないほどの極限の状況で自分を見つめ、
そして真実隣り合わせの死線から帰ってきたAさんの言葉は、
私にとって政治に携わるもの、という以上に
これからの社会を受け継いで行く世代の一人として非常に重いものがあった。
また沖縄戦の集団自決についての国会議論が参院補選の直前にあったが、
Aさんはそのことに触れ、
「自分は自民党支持だが、自民にしても民主にしても、
当時の人間がどのような思いで戦争に携わったかを無視した話は、
ましてや選挙戦術でやるようなことはいい加減にしてもらいたい」
ともお話しされた。
もっともな話である。
戦争や、それがもたらした個別事象について、
客観性や事実(史実)を踏まえた研究・
検証と議論はなされなければならない。
例えば渡嘉敷島において集団自決が軍命令によって行われた、
とすることは非常に懐疑的であることは
当時の方々の証言などによって明らかになっている。
一方で先の国会論戦は、
各種報道が指摘しているように
明らかに参院補選を意識したものであり、
しかも事実を微妙にずらし、
更には虚構を積むことで
印象操作を図りためにこの問題を利用したと考えざるを得ない。
先の大戦については、個別事象も含めて
政治の場における議論が必要な場合はあるだろう。
しかしそれを「選挙の道具」とすることは
犠牲者や礎となられた方々に対する侮辱と冒涜であり、
あってはならないのである。
投稿時間 : 09:47 個別ページ表示