観瀾亭の建てられている地は月見崎と呼ばれ、仙台藩祖伊達政宗が御仮屋(休憩所)を設けましたが、正保2年(1605年)の火事で焼失しました。
現存する観瀾亭は、政宗が文禄年間(1592.95年)に豊臣秀吉から伏見城内の建物を拝領し、江戸に移築していたものを、二代藩主忠宗が松島に移築したものと伝えられています。
御仮屋は、藩主・姫君・側室・幕府の巡検使等の宿泊休憩に使用され、その記録も残っています。
復元図は御仮屋がもっとも整備された十八世紀末の図面をもとに作成したもので、江戸時代までに数多くの建物が付随している様子を知ることができます。
当時は御成御門、車御門、中御門、御裏御門、堀地御門、見入御門などの門があったことや御座之間棟、広間棟、台所棟、御郡司部屋、御貸長屋、御村賄所、馬屋なども見られ現在の観瀾亭敷地内に多くの建物が存在していた様子がわかります。
現在の観瀾亭や敷地内の様子と見比べると面白いかもしれません。
復元図は観瀾亭表門の右側にある案内板でも見ることができます。
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