八十路のつぶやき

2005年11月1日
菅 原 努
30. 結石発作


9月になってからは今までの火曜日でなく水曜日を自由日にして御池のオフィスは休みということに変更しました。9月28日(水)は天気もよいし、家の近くにだけ籠もりがちな家内を引っ張り出すチャンスと考えて丁度京都市美術館で開催中のルーブル展を見に行く事にしたのです。朝早く行ったせいか、会場には人影もまばらでゆっくりと見て歩き11時頃には会場を出ました。そこで家内と別れゆっくりと東大路まで歩き、バスに乗って京大の生協で本を買い、百万遍のパストゥールビル4階のヘルスサイエンスセンターにお別れに行きました。私達が始めたこのセンターも譲った杏林製薬の都合で9月末で閉鎖することになっていたのです。こうしているうちに何となくお腹がしくしくしてきました。少し便秘勝ちだったので、トイレにいき通じがついてよかったと思ったのです。ところが午後のなってそのシクシクの度がだんだんと強くなるようなので、早めに切り上げて帰宅して横になりました。どうも痛みは腰のようだと思い、腰に痛み止めのシップを張ってみました。食事も摂らず寝ていると8時頃についに右わき腹にキリキリとした痛みがきて、あそうだこれは10年位前にアルマータへ行ったときに起こしたのと同じ腎石の発作だと気がついたのです。

家内に隣の辻にある泌尿器科医のところへ行ってもらいましたが既に診察時間は終わっていて返事はありません。幸い薬局でブスコパンという痛み止めが買えたのでそれを飲んで朝まで辛抱することにしました。1錠飲んでも痛みは同じ、もう1錠で少しは楽になったか痛みをかかえながらうとうとと眠りようやく朝になりました。早速家内に泌尿器科へ行ってもらったら木曜日は休診でした。少し離れた内科医も休診、また出てきた痛みをかかえてもう一日辛抱するより仕方がありませんでした。自分で尿酸による腎臓結石と診断してそれが出て行くのを待つより仕方がない、出てしまえば痛みはなくなるはず、と我慢をしたのです。丁度前日の火曜日の夕食にかれいの子を沢山食べたのを思い出しました。普段から尿酸が高いのに薬で押さえているからと安心していたが、やっぱり食べ過ぎては駄目かと気がついたのですが、とき既に遅しでした。3日目の金曜日の朝には痛みもなくなったので、昼からオフィスに出かけました。そこから電話をして次の週の予約を断ろうと思っていたのが、逆に是非出て欲しいから車を迎えにやると電話で言われて断れずに引き受けてしまいました。やれやれと思いながら早く帰宅して休んでいると4度目の痛みの発作が起こり、夜9時ころにようやくおさまり軽い食事を摂ることができたのです。

やっと土曜日には痛みもなく一日休養が取れましたが、翌日曜日には10時に迎えの車が来て大阪へ連れていかれました。その講演会では泌尿器科医も一緒だったので、そんなときにはボランタレン座薬を使いなさいと教えてもらいました。ところが後で薬局で聞くとこれらは医師の処方がないと出せないということです。ところがそのお医者さんが休みでは急の役には立ちません。薬局で買える薬は同じものでも医者の処方の4分の1以下にしてあるそうです、どうりで良く効くはずの薬が効かないのです。なまじっか自分が医学を学んで自己診断が出来るばかりに、救急でとびこむのもはばかられ、ただただ我慢の3日になったのです。

私は血液の尿酸値高いので、若いときから痛風の発作を起こしたり、腎臓結石で痛んだりさんざん経験していますからある程度は諦めてはいますが、この後一番心配したのは年のせいでうまく早く回復できるかということでした。次の週はとても無理でしたが、2、3週間たつとどうやら元の元気に戻ったようで、まだ何とか回復力はあったと一安心した次第です。でもこれからはもっと注意してこのような発作が起きないように食べ物には気をつけようと思っています。もう一つ今の医療システムではある程度自己防衛が必要だということです。でも私のように医学知識のあるものにはそれが出来ても一般の人はどうすればよいのでしょうか。昔私が子供のころにはかかりつけの家庭医がいてすぐに往診をしてくれたことが思いだされます。疝痛の発作に耐えながら、個人主義が招いたこの我慢我慢の世の中をどうしたらよいのか、答えの出ない幾夜かを過ごしたのです。

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