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昭和30年代半ばの高性能魚探の普及によって、その後、イカナゴ新仔の漁獲量が飛躍的に増大しました。また、昭和40年代には船曳網漁業に親イカナゴ漁が許可され、産卵前の親魚が大量に漁獲されました(図2)。
昭和50年代に入ると、こうした過度の漁獲による影響が現れ始め、漁獲量は激減し、特に昭和53〜57年には漁業として成り立たないほどの資源状態に陥ってしまいました。
この5年間にも及ぶ大不漁は、多くの漁業者に壊滅的な打撃を与えました。これを契機として、漁業者自身による資源回復のための取り組みが行われてきました。