文楽入門 ある古書店主と大学生の会話 特別編(卒業後7年)〜新薄雪物語〜
作=久堀裕朗(大阪公立大学大学院文学研究科教授)
※(注記)令和8年初春文楽公演にて『新薄雪物語』を28年ぶりに上演するにあたり、平成27年4月〜31年1月まで、当劇場文楽公演解説書に連載された同タイトル(全16回)の特別編を公開します。楽しく作品理解が深まること間違いなしです! ご観劇の前に、ぜひお読みください。
第1回 清水の舞台
瑠璃(るり)【文楽系ユーチューバー・以下はユーチューブ配信動画での会話】
ようこそ、「文楽るり色チャンネル」の瑠璃です。今回も文楽に関するホットな話題を取り上げて、視聴者の皆さんを人形浄瑠璃の世界にご案内します。今日のゲストは、なんと!初登場、文楽マニアの古書店主竹田さんです。
竹田【古書店主人】 そんな紹介で伝わるの?
瑠璃 この界隈では、竹田さん結構知名度が高いみたいですよ。
竹田 この界隈? それにしても、瑠璃ちゃんがこんな活動してたなんて驚いたなあ。いつの間に……
瑠璃 そんな出だしから世間話のようなノリで話さないでください。タイパ重視で、早速本題に入りますよ。今回は28年ぶりの上演で話題沸騰の『新薄雪物語』の魅力に迫りたいと思います。何でも、小説をもとにした作品だとか。
竹田 せっかちだねえ。そうなんだ。今の言葉でいうと小説ということになるけど、江戸時代の初期に出た『薄雪物語』というベストセラーがあってね、園部(そのべ)の衛門(えもん)という若者が、清水寺で見かけた16、7の娘薄雪に恋をして、ラブレターを出し続け、猛アタックする話だ。薄雪は、実は人妻だったので拒絶するんだけど、衛門はあきらめず手紙を送り続けて、ついに思いを遂げる。しかしその後、薄雪は病で命を落とし、衛門は出家する、というのが全体のストーリー。小説といっても、大部分はお互いの手紙の文章そのものだよ。
瑠璃 10代の人妻? ちょっと危うい話ですね。
竹田 当時なら危ういというわけでもないよ。これがヒットして、後に書き換えられたのが同じく小説の『新薄雪物語』。浄瑠璃の直接の典拠はこっちだ。さすがに人妻はまずいと思ったのか、薄雪は夫を亡くした後家ということになってる。ここに実際の江戸時代の版本を持ってきたよ。
瑠璃 出ました! 竹田コレクション。
竹田 この挿絵を見てもらおうか。
[画像:小説『新薄雪物語(向井八三郎版〈再版本〉)』(架蔵)より]
小説『新薄雪物語(向井八三郎版〈再版本〉)』(筆者蔵)より
いちばん左が薄雪で、右に見える音羽の滝に水を汲みに来ているのが下女のまがき、そのまがきに恋の仲立ちを頼んでいるのが園部の右衛門だ。浄瑠璃では「左衛門」に変わるのでややこしいけど、小説では『薄雪物語』で「衛門」、『新薄雪物語』で「右衛門」と言う。
瑠璃 音羽の滝、行ったことあります!
竹田 今は俗に、この三筋の水を飲むと、それぞれ長寿、恋愛、学業のご利益があるとか言われているようだね。
瑠璃 わたし、全部しっかり飲んできました。
竹田 欲張りだなあ。もちろん江戸時代もここは有名なところでね、この挿絵では見えないけど、左に清水の舞台があって、誰もが知ってる定番の名所だった。今回の文楽でも、この清水寺の場面から始まる。浄瑠璃では、薄雪姫は未婚で、若い男女の初々しい恋物語になっているから安心してね。今回の上演では、出会いの場面はカットされるけど、浄瑠璃では二人の恋が、小説とは別の展開で、後の悲劇へとつながっていく。
瑠璃 人妻の話の方が面白かったかも……
竹田 先を続けるよ(苦笑)。清水寺の段では、桜が満開で舞台がとても華やかだ。芝居のものではないけど、参考に浮世絵も1枚探してきたから見てもらおうか。
[画像:浮世絵「清水の舞台から飛び降りる娘」(シカゴ美術館蔵)]
浮世絵「清水の舞台から飛び降りる娘」(シカゴ美術館蔵)
瑠璃 うわっ、清水の舞台から飛び降りてる。
竹田 そう。これは鳥居清経(きよつね)の浮世絵だけど、清水の舞台から飛び降りる娘の絵としては、鈴木春信(はるのぶ)のものが有名だね。その絵にも桜が描かれている。もともと古浄瑠璃や歌舞伎の『一心二河白道(いっしんにがびゃくどう)』など、桜姫・清玄(せいげん)の物語に清水寺の場面があって、たとえば『花系図都鑑(はなけいずみやこかがみ)』(1762年)という浄瑠璃作品には、桜姫が傘を持って清水の舞台から飛び降りるシーンがある。浮世絵はそうした芝居から着想を得たんだろう。
瑠璃 思い切って何かをすることを「清水の舞台から飛び降りる」って言いますね。
竹田 そう、江戸時代からある言い回しなんだ。浄瑠璃の『新薄雪物語』に舞台から飛び降りるシーンはないけど、清水寺の段では、舞台上で斬り合う場面や、最後には、花盛りの清水の舞台を背景に、園部左衛門の家来の奴妻平(やっこつまへい)が大勢の敵を相手に大立廻りを繰り広げる場面がある。妻平が薄雪姫の腰元の籬(まがき)と恋仲なので、籬に横恋慕する渋川藤馬(しぶかわとうま)は、家来の水奴に襲いかからせるんだけど、その部分の演出は独特だ。嫁取りの際に婿に水をかけるという当時の風習にかこつけて、水奴たちは「女房呼んだら川へぼっこめ」と言いながら、水桶を持って襲いかかるんだ。その後も、桜の枝や花傘を持った水奴たちを相手に妻平が奮闘する様式的な立廻りになっている。ここは本作の一つの見どころだろう。
瑠璃 桜満開の清水の舞台って、映える場面ですね。楽しみです。
※(注記)この会話はフィクションです。
第2回へ続きます(近日公開予定)。お楽しみに!
令和8年初春文楽公演についてはこちらをご覧ください。