●くろまる幕末の貨幣価値
幕末は、政情不安ともあいまって、貨幣価値が激しく変動した時代であった。
以下のデータは、本学大学院前期1年(2001年現在)の山田紘一郎氏が演習で
発表したものを、同氏の好意により転載するものである。
1)基礎データ
池田弥三郎編『江戸と上方』(至文堂、1965)による
(単位:円)
1両は4分、1分は4朱、1朱は625文で計算
1両は銀60匁、銀1匁は、165文
2)基礎データの問題点
江戸時代の貨幣価値を算出する方法は、いろいろと考えうるが、最も一
般的な方法は、米価による換算である。つまり、例えば米一升の価格を
比較して、換算するわけである。
基礎データも、その方法によって算出したものである。
ところが、基礎データは、1965年における米価をもとにした貨幣価値であ
るので、現在の貨幣価値とは、実感としてややずれたものとなる。
そこで、『日本長期統計総覧』および『日本統計年鑑』によって、米の価
格の変動を調べると、1965年から1999年で、米の価格は約3.72倍
になっていることがわかる。
それによって、1)の基礎データを改変すると以下のようになる
3)改変データ
山田紘一郎氏の改変データによる
(単位:円)
4)つけたり
もと、このデータは、岡本起泉作『沢村田之助曙草紙』(明治13年1880)
を大学院の演習で講読していた際、安政6年(1856)に、田之助に懸想
をした上野の観正院が、田之助の好きな万年青を300両で買って送って
気を引こうとしたくだりで、300両とは、現在の貨幣感覚ではどれほどにな
るのだろうか、という疑問に山田氏が調べてきてくれたものである。安政
5年のデータでは、1両が23436円であるから、300両は7030800円
ということになる。役者一人のために、700万円をぽんと出すのであるか
ら、実話だとすれば、すごい話である。
なお、山田氏のさらなる調査によると、『朝日新聞100年の記事に見る
奇談珍談巷談』(1979・5)では、明治15年ごろ、万年青の売買が大流行し
たという記事を紹介しているということである。『沢村田之助曙草紙』のエ
ピソードが実話なのかどうか充分な裏付けがないのであるが(ご存知のか
たがいらしたなら、ぜひ掲示板等に書き込んで、教えて頂きたい)、比較
的近い時期に流行していたことは間違いないようである。あるいは、その
ような当代の流行が、巧みに取入れられているのかもしれない。
また、さらに、本学大学院の朝岡浩史氏(前期1年)の調査によれば、槌田
満文『明治大正の新語・流行語』(角川書店、1983.6)に、「万年青」の項目
があり、明治期には万年青の大流行が、5年、13年、31年、40年の4次
にわたって起き、それと相応ずるかのように、鴎外の「雁」(明治44年〜大
正4年、時代の設定は明治13年)、『金色夜叉』(明治30年)、漱石の『門』
(明治43年)等に、小道具として用いられている、ということが指摘されてい
る、という。同書によれば、明治13年の投機的な万年青流行が最もはなは
だしかったという。明治13年は、まさに『曙草紙』の出版年である。
また、本学大学院の太田翼氏(前期1年)からの教示による、『風俗画報』の
第1号(1889.2)の20〜21頁にある「万年青」に関する記述によれば、寛永
年中は菊花、元禄には椿、寛政には橘、文化文政には朝顔・蘭などが流行
し、天保のころから、万年青が流行したという。
(2001年10月12日記、2001年10月15日補訂、2001年10月19日再補訂、2002年1月15日増補)