「春秋まるい」(三条市)が来年3月いっぱいで閉店 「味覚天国たまや」に一本化して経営の健全化を図る (2025年12月3日)


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新潟県三条市の中心地で約50年にわたり営業を続けてきた割烹を中心とした総合飲食店「春秋まるい」(旭町1)が、来年3月いっぱいで閉店する。運営する(有)春秋まるい(野水吉朗代表取締役社長)は、燕三条駅前の営業する居酒屋「味覚天国たまや」に経営資源を集中して事業の健全化を図る。

来年3月いっぱいで閉店する「春秋まるい」で野水社長

1983年の改装のころがピークで年商2.2億円も

春秋まるいのルーツは野水社長(53)の祖父が130年前の1895年(明治28)に創業したレース製品「バテンレース」の製造輸出販売業「まるい」。1976年(昭和51)に現会長の父、博己さん(76)が自宅の一部を改装して「割烹まるい」を創業。カウンターと小上がりだけの小さな店でスタートした。

その後、宴会需要の高まりを背景に、座敷や大広間を増設。83年(昭和58)に鉄骨3階建てに改装したころがピークで、「年商2億2000万円に達した年もあった。昼も夜も常軌を逸する忙しさだった」(野水さん)というほど繁盛した。

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SNSに掲載した春秋まるいの閉店の告知

95年に今の鉄骨造4階建の今の店舗に移転リニューアルオープンして今の店舗名に。家族で気兼ねなく過ごせる完全個室を特徴に、法事や結婚披露宴、PTAや職場の宴会まで幅広く受け入れてきた。食堂でもあり、居酒屋でもあり、割烹でもあり。総合飲食店の名にふさわしい営業形態で長年、地域の人たちに親しまれてきた。

大型店舗の負担は重く春秋まるいの赤字を味覚天国たまやの黒字で補てん

一方で、宴会文化や街の姿は大きく変わった。少子化と非婚化で結婚披露宴は減少。コロナ禍では法事も、寺で読経のあとは折り詰めを配って解散という形が定着。コロナ禍が明けても、かつてのスタイルには戻らなかった。通勤圏の広がりで平日の夜にまちなかで飲む人も大きく減った。

さらに、タクシーや代行業の人手不足で遅い時間ほど帰りづらい状況が続き、繁華街の本寺小路の人出も低迷。消費税増税やリーマンショック、水害、地震、そしてコロナ禍が次々と追い打ちをかけた。

春秋まるいの4階建ての店舗

大型店舗ゆえの固定費も重くのしかかった。「税金、電気代、修繕費。箱を維持するコストに対し、夜の宴会売り上げが追いつかない」。味覚天国たまやの黒字で春秋まるいの赤字を補てんしている状態が続いていた。

「会社を倒産させたら向こう10年は立ち直れない。黒字の店舗を巻き込んでつぶすのは、経営者としていちばんやりたくなかった」。野水さんは、春秋まるいを閉店して味覚天国たまやへの一本化を決断した。不採算店舗を整理し、黒字店舗の成長に集中することで、会社としての健全化を図る。

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春秋まるいの閉店を迷ってきたのは、従業員の雇用の問題も大きかったが、調理場で働くベテラン社員は味覚天国たまやへ移籍し、味覚天国たまやの戦力強化につなげる。ホールのレギュラースタッフ2人も「仲間の料理店に声をかけ、受け入れ先を探したい」とし、週末のみ勤務のアルバイトも「それぞれの事情を聞きながら対応したい」。

野水社長

違う形で春秋まるいの復活を目指す

春秋まるいの閉店までまだ4カ月近くあるが、「突然、店を閉めて"もう一度行きたかったのに"と言われるのがいちばん申し訳ない。残りの4カ月、手を抜くことなく、名残を惜しんで来てくださるお客さまを精いっぱいお迎えしたい」。12月は忘年会などですでに予約がいっぱいだが、1、2月には飲み放題時間の延長など、在庫を生かした企画も検討している。

今後については、建物と土地を売却したうえで、「大きな箱ではなく、小さな惣菜店や弁当店、小規模な飲食店として、何らかの形でまた皆さんとお会いできれば」と展望を語る。

味覚天国たまや

「子どもは国の宝。完全個室の強みを生かし、長居されても声がけせずに楽しんでもらっている。それを50年間、続けさせてもらったことに本当に感謝です」と野水さんは振り返る。

「これからしばらくは、たまやに一本化していきますが、違う形でまるい復活というか、惣菜、弁当、あるいは小さい飲食店のような、何かしらの形でまた皆さんとお会いできる日を楽しみにしている」と次のステージを目指している。

春秋まるい
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