Policy(提言・報告書) 労働政策、労使関係、人事賃金 労使自治を軸とした労働法制に関する提言
一般社団法人 日本経済団体連合会
1.はじめに
現在、労働者の価値観や働き方の多様化、人口減少による労働市場の人材獲得競争の激化、DXの進展等による事業内容の変化等、企業と労働者は大きな転換点におかれている。
こうした中、日本が高い産業競争力を維持し続けるためには、労働者の多様なニーズをくみ取り、労使双方にとってよりよい働き方を探ることが不可欠である。
しかし、現行の労働基準法は、工場労働のような、一ヵ所に集まり始・終業時刻が固定的かつ労働時間と成果が比例する労働者を前提とした、画一的な規制であり、職場実態をよく知る労使が多様な働き方を実現していくことが難しくなっている。また、近年、労働法全般が詳細・複雑化しており、当事者である労使双方が正しく理解したり、活用したりすることの妨げになっていると言わざるを得ない。さらに、労働組合の組織率が低下していることもあり、自社にとっての望ましい職場環境のあり方を個別企業の労使が話し合い決定するという、日本企業の強みともいえる労使自治を発揮できる場面が縮小している。
このため、労使自治を軸とした、今後求められる労働法制の方向性等を経団連として以下のとおり示す。
2.現状と課題
(1)社会変化
グローバル化、DXの進展、ポストコロナの到来等により、ビジネスをめぐる環境は大きく変化している。さらに、人材不足が深刻化#1 し、労働市場における人材獲得競争は産業に関わらず激化している(図1参照)。
さらに、若年・中堅層の労働者を中心に、会社任せではなく主体的なキャリア形成の実現を求める声が高まっている#2 とともに、テレワークをはじめとした柔軟な働き方の定着・普及も相まって、労働者のキャリアや働き方に対する価値観はますます多様化している。特に若年社員では、働く時間や場所を自由に選びたいという意識が強い(図2参照)。
図1:人手不足の動向(製造業・非製造業別)※(注記)各年9月調査の数値を引用
出典:厚生労働省「新しい時代の働き方に関する研究会」
第1回資料3(日本銀行「全国企業短期経済観測調査」(2022年12月)を基に、
厚生労働省労働基準局労働条件政策課において作成)
(2)労働法制
柔軟な働き方を求める労働者が増えるなか、労働法制においては、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度をはじめとする、柔軟かつ自律的な働き方の選択肢が徐々に広がってはきた。しかし、複数の制度がそれぞれ複雑な手続きを必要としており(図3参照)、制度導入に躊躇する企業もある。また、働き方のニーズが多様化しているにもかかわらず、裁量労働制の対象業務の範囲なども含め、画一的な規制がその実現を妨げている状況にある。
図3:労働基準法に定める労働時間の特例
出典:厚生労働省「現行の労働時間制度の概要」、2022年・2023年就労条件総合調査、
高度プロフェッショナル制度に関する報告の状況(2023年3月末時点)をもとに事務局にて作成
(制度適用対象労働者割合のうち、高度プロフェッショナル制度のみ2022年調査による)
(3)労使コミュニケーション
労使コミュニケーションは、労働者と企業との間の情報量や交渉力等を埋めるだけでなく、近年、労働者のエンゲージメント向上のための施策の導入目的や趣旨の理解・浸透を図るうえでも、その重要性はますます高まっている。例えば、JILPT(独立行政法人労働政策研究・研修機構)の調査によると、AI等の新技術を導入するにあたり、導入前後の労使協議の効果があったとする企業は約90%に上る。具体的には、「現場の意見が反映された、効果的な実施につながった」、「従業員の理解を得て、導入・運用が計画通り進んだ」という効果があるという回答が多い(図4参照)。
また、人口減少等により労働市場における人材獲得競争が激しさを増す中、労使協議などを通じて、労働者のニーズを把握し、それらに応えられるようにすることが、特にスタートアップ企業にとっては存続に関わる課題となっている。
このため、労働組合の有無に関わらず、自社の実態に合った労使コミュニケーションを深める様々な仕組みの構築や工夫が求められている#3 。
3.労働法制の見直し
(1)今後求められる労働法制の姿
労働者のニーズと企業の実態にあった柔軟な働き方を実現していくためには、労働者のニーズ等に適切に対応でき、かつ、生産性の改善・向上に資する労働法制に見直す必要がある。労働法は抽象的な規定を中心に、解釈がかならずしも明確ではなく、企業の人事担当者として判断に迷うという声は多い。法的安定性の確保、すなわち法解釈の予見可能性の向上を図る観点からも、労使で十分に議論して得た結果を最大限尊重することが適当である。また、現行の労働時間法制では、固定された所定労働時間で労働時間と成果が比例する労働者を前提として、原則と特例という形で定められているが、多様な働き方が進むなかで、それぞれの職種やニーズに応じた働き方がより柔軟に選択できるよう、働き方に中立的な仕組みを模索していくべきである。
このように労使自治を軸とした労働法制を尊重していくうえで、今後の法制度に求める基本的な視点は3つある。
1 労働者の健康確保は最優先
労働者の安全衛生、健康確保等は時代の変遷によっても、その重要性・必要性は変わらない。こうした保護法益は堅持しなければならない。
2 労使自治を重視/法制度はシンプルに
労働者の重要な権利である労働三権#4 を最大限尊重し、労使が適切かつ丁寧な労使コミュニケーションが確保されていることを条件に、労使自治の内容を重視すべき。そのうえで、1に必要な健康確保措置を法定しつつ、細部は当事者である労使に委ねるべき。
3 時代にあった制度見直しを
働き方のニーズの多様化や企業を取り巻く環境変化などを踏まえ、時代にあった制度見直しの検討を不断に行うべき。
特に、労使での議論を尊重し、労働基準法制による画一的規制の弊害を最低限にしていくにあたっては、長時間労働等で労働者が健康を害することがないよう健康確保を更に徹底し、健全な労使自治を構築することが不可欠である。時間外労働の上限規制や年休の年5日の付与義務などは、過重労働をなくすための最低限のルールであり、すでに各企業では、例えば、労働組合との間で健康経営や働き方を話し合う、一定の時間を超えた場合に健康調査票の提出を求める、産業医による助言指導等を行うなど法定基準を超える独自の健康確保措置に取り組んでいる(図5参照)。労使自治を進めていくにあたっては、こうした取り組みをさらに広げながら、労働者の健康確保を徹底しなければならない。
また、労働三権は憲法で保障されている労働者の重要な権利であり、侵害するようなことはあってはならない。
なお、働き方改革関連法については、法律附則において施行5年後の再検討が予定されているところ、各施策の効果と事業活動の影響の両面から多角的な検討を行うことが重要である。政府には、検討に先立ち必要なデータの収集と分析を求めたい。
(2)具体的に見直しを求める事項
上述した、「労使自治を重視/法制度はシンプルに」の基本的な視点に基づき、政府には3点の制度見直しを求めたい#5 。
1 【過半数労働組合がある企業対象】労働時間規制のデロゲーション#6 の範囲拡大
過半数労働組合がある企業の多くは、複数の組合執行部メンバーが組合員とコミュニケーションをとりながら、使用者側と定期的に情報共有・協議・交渉している。このような環境がすでに整備されている場合には、各企業の実態にあった働き方が進むよう、十分な協議を経た労使の合意、十分な健康確保措置等を条件に労働時間規制のデロゲーションの範囲を拡大すべきである。例えば、現行の裁量労働制(専門業務型・企画業務型)は、対象業務を限定的・厳格に定めており、現行制度は、複数の業務を同時に遂行する労働者の実態にあった働き方を実現することが難しいことから、実際にその職種内容や働き方を熟知している個別企業労使が議論し、判断・選択する仕組みにする方が合理的と言える。その際、企画業務型の労使委員会を、過半数労働組合の役員と企業担当者との組織が代替できるようにすることも考えられよう。そのほか、高度プロフェッショナル制度の対象業務についても、各企業の現状に応じて労使が話し合って決められる選択肢を広げることも考えられる。
2 【過半数労働組合がない企業対象】労使協創協議制(選択制)の創設
多様な意識をもつすべての労働者の意見やニーズを踏まえつつ、適宜、就労環境を整え、必要な労働条件の見直しを図っていくうえで、労働者と情報を共有し協議することは、各種制度やルールの理解・納得感を高めるなどの効果が期待できる。
労働者の意見集約や協議・団体交渉という観点からは、憲法で認められた団体交渉や労働協約締結#7 などの権限をもつ企業内労働組合が果たす役割は従来にまして大きくなっている。一方で、現在ある労働組合には有期雇用等労働者が参加していないところも少なからずあり#8 、社員の意見を聞いて各種施策を実施していくうえで課題となりうる。
こうした点を踏まえると、労働組合法の理解を高めるための周知啓発や教育を通じ、労働組合の組織化が図られることなどが期待される。また、各社には、社員アンケートや制度変更内容等の説明会、相談体制の整備、上司との個別面談などさまざまなレベル、複数のチャンネルによるコミュニケーションを一層充実させることが求められる。加えて、法制面では、過半数組合がない企業の労使における意見集約や協議を促す一助として、新しい集団的労使交渉の場を選択的に設けることができるよう、「労使協創協議制」の創設を検討することが望まれる。
具体的内容は今後さらなる検討が必要であるが、過半数労働組合がない企業に限り、有期雇用等労働者も含め雇用している全ての労働者の中から民主的な手続きにより複数人の代表を選出、行政機関による認証を取得、必要十分な情報提供と定期的な協議を実施、活動に必要な範囲での便宜供与を行うなどを条件に、例えば、同一労働同一賃金法制対応のため有期雇用等労働者の労働条件を改善するなど、労働者代表者と会社代表者との間で個々の労働者を規律する契約を締結する権限を付与することが考えられる#9 。また、より厳格な条件の下、就業規則の合理性推定や労働時間制度のデロゲーションを認めることも検討対象になりうる。
有期雇用等労働者も含め雇用している全ての労働者の意見を丁寧に集約し労使で十分な協議を行うためには、そうした環境が整っている労使であることが重要である。労使自治の実効性を担保する観点から、同制度の導入は個別労使の判断に基づく選択制とすべきである。
また、労使協創協議制の要件を満たさないものの、実質的に労使協議の機能を果たしている社員や社員親睦会等を相手とした労使コミュニケーション#10 についても、その意義や重要性を共有すべきである。例えば、有期雇用等労働者に対する均衡待遇の合理性判断において、労働組合に限らず、実質的に労使協議を行っている組織との協議・合意も考慮要素に含まれるよう、短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者に対する不合理な待遇の禁止等に関する指針(同一労働・同一賃金ガイドライン)に盛り込むことも考えられる。
3 【全企業対象】就業規則作成時における意見聴取等の単位の見直し
現在、労働基準法は事業場単位の規制を行っているが、例えば労働契約法や育児・介護休業法などは企業単位の規制であるなど、労働関連法制において事業場単位の規制は絶対ではない。また、近年はテレワークが普及し事業場で働かない人も増え、常時事業場に労働者がいない場合も出てきているなか、事業場単位での規制を見直すタイミングに来ている。そこで、就業規則の作成や労使協定の締結、労使委員会の決議#11 は、企業単位での手続きを可能とすべきである。すでにオンラインツールなど様々なコミュニケーション方法が普及しており、こうしたツールを活用することで異なる事業場の意見も集約することは可能である。
また、最適な働き方は、労働者が従事する職種内容によって変わり得る。明確に区分することが難しいケースもあり得るが、企画職や研究職など働く時間や仕事の進め方等を、ある程度自らが選択して働くことができる職種には、フレックスタイム制度や裁量労働制を適用することが馴染みやすい一方で、工場のラインで働く生産職に代表されるような現業職種では、通常労働時間制度や変形労働時間制度を適用することが適する場合が多い。このため、今後は、職種内容が異なる社員間の納得感に重きをおきながら、各企業の労使が話し合い、それぞれの職種、個人にあった働き方を選択できるようにすることが大切である。
例えば、それぞれの職種特性と労働者の希望とに基づいた議論をより効果的にできるよう、議論するテーマに応じて特定の職種の労働者から過半数代表者や労使委員会の労働者側委員を選出し、その者に対し、就業規則の作成・変更時の意見聴取や職種ごとの労使協定の締結、労使委員会の決議等をできるようにすることも考えられる#12 。
4.今後の労働者と企業に向けて
上述した労使自治を尊重する労働法制への見直しはもちろん重要だが、法制度だけではなく、実際に法制度の下で働く人の意識についても、改めて考えることが必要である。
労働者自身には、自らが選択した働き方の実現に際して、自主的な健康管理に一層努めることが期待される。政府・健康保険組合等においては、こうした労働者の自己管理を支援・後押しする取組み#13 が求められる。
企業側には、多様な意識をもつすべての労働者の意見やニーズをこれまで以上に丁寧に汲み取り、制度・運営等に反映していく姿勢が求められる。言うまでもなく、個人のニーズに対応した働き方を認めていく前提は健康確保であり、企業の責務として、労働者の健康は必ず守らなければならない。前述した健康確保措置の充実、労使共同の取組みに加え、長時間労働の是正と生産性の向上の両面から、マネジャーには、業務の効率化や人材育成の観点から過度とならない範囲で部下の能力を伸ばすような業務の割り当てなど、高いマネジメント能力が必要である。多忙な日々の業務の中、マネジャーがしっかりとマネジメントができるように、能力向上のための研修や、カウンセリング、管理職同士が日々の悩み・課題を共有できる場の充実などの支援をさらに強化していくことも求められる。
- 東京商工リサーチの調査によると、2023年2月時点で大企業の約80%、中小企業の約70%が人手不足と回答。
- リクルートマネジメントソリューションズ「若手・中堅社員の自律的・主体的なキャリア形成に関する意識調査」(2021年11月)によると、約80%が「『自律的・主体的キャリア形成』をしたい」(とてもそう思う:9.8%、そう思う:29.9%、ややそう思う:42.1%)と回答。
- 例えば、社内で相談がしやすい制度づくりや、過半数労働者の選出の際、改定する就業規則の内容について各候補者が意見を表明する制度等。
- 日本国憲法第28条が保障する1労働者が労働組合を結成する権利(団結権)2労働者が使用者(会社)と団体交渉する権利(団体交渉権)3労働者が要求実現のために団体で行動する権利(団体行動権(争議権))――の3つの権利。
- なお、見直しの対象を、1過半数労働組合がある企業、3過半数労働組合がない企業、3全企業に分けているのは、各社の置かれている状況で、労使交渉の方法や状況等は異なり、課題や求められる見直し内容も違うことによるものである。
- 国家法自体は原則的なシンプルな規制とし、それを企業の現場でそのまま適用するのが適切でない場合は、労働者と使用者の集団的な合意により、各社の実態に応じ、規制の例外を認めること。法定労働時間を超えた時間外労働を許容する36協定の締結が代表例。
- 労働協約は、労働協約中の労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約の部分は無効となり、無効となった部分は労働協約上の基準の定めるところによるという効力をもつ。
- 厚生労働省「令和元年労使コミュニケーション調査」(労働者調査)によると労働組合がある企業のうち、就業形態別にみた労働組合に加入している割合は、正社員が72.5%、パートタイム労働者が35.8%、有期契約労働者が13.9%、嘱託労働者が38.1%。
- 労使協創協議制に基づく組織は、事業場ごとに設置するが、契約の締結単位については、一定要件の下、企業単位での締結を可能にすることが考えられる。また、労働協約よりも労働者にとって有利な定めをした就業規則・個別契約等の労働契約は認めない(有利性原則の否定)とする解釈の変更はない。
- 厚生労働省「令和元年労使コミュニケーション調査」(事業所調査)によると、労働組合がない企業において労使協議機関がある事業所は16.8%。同調査における労使協議機関の定義は「事業所又は企業における生産、経営などに関する諸問題につき労働者ないし労働組合の意思を反映させるため、それらに対して使用者と労働者の代表とが協議する常設的機関をいう。通常、労使協議会、経営協議会等の名称で呼ばれているものがこれにあたる」。
- 企業単位の労使委員会の決議の締結にあたっては、各事業場の労働者側委員と本社の使用者側委員で構成する、企業単位の労使委員会を設置できるようにすることが考えられる。
- 例えば、企画業務型裁量労働制の導入にあたり、企画職や研究職等など自ら働く時間や仕事の進め方等をある程度選択して働くことができる職種の労働者から労使委員会の労働者側委員を選出して企業側が話し合い、決議することが想定される。
- 例えば、政府がより精度の高いウェアラブル端末の開発・開発支援や普及促進を図ることや、健康保険組合等が生活習慣病予防のための取組支援や情報提供を行うことなどが考えられる。