1989年08月19日 仙丈ケ岳・甲斐駒ケ岳・・・・北沢峠から
2003年10月09日 仙丈ケ岳・・・北沢峠から
2011年10月03日 黒戸尾根から甲斐駒ケ岳
2013年08月2日〜3・・・・北沢峠から
仙丈ケ岳(3033m)甲斐駒ケ岳(2966m) 登頂日2013年8月2日〜3 B女史同行
夏山シーズンが到来したにもかかわらず、イタリア旅行の時差ボケが尾をひいて山へ出かける気力も湧かなかった。そこに目下登山にのめりこんでいるB子さんから同行の話があり、登山へのきっかけができた。目指すは北沢峠からの仙丈、甲斐駒の2座。北沢峠の山小屋一泊の日程。
≪1日目・仙丈ケ岳≫
午前4時半、塩尻駅前でB子さんに合流。
南アルプス林道入口の仙流荘前から始発バスで北沢峠へ。
この日の宿"駒仙小屋"へ不要な荷物を預ける。リニューアルした小屋は気持ちよく泊まれそうだ。
北沢峠バス停付近から、藪沢ルート入口にある大平山荘へは、森林の中に山道が通じている。
大平山荘裏手から藪沢ルートへの登りにとりつく。ほかに登山者の姿は見えない。24年前、このルートを妻と登ったのは8月18日だった。この年は沢の残雪が異例に多く、普通なら右岸から左岸への渡渉ポイントで残雪を渡るはずだが、このときはずっと下部から沢の残雪歩きだった。今日は例年通り森林帯を抜け、藪沢の右岸の歩道を登って行く。渡渉地点は小さなスノーブリツジができていて、V状の沢の奥には真っ青な空が広がっている。森林限界を抜けてかからの展望が楽しみだ。
渡渉のあとは左岸をたどったのちに、馬の背ヒュッテへの登りとなる。いよいよ高山植物のお目見えだ。マルバダケブキ、シナノキンバイなど、夏の花が歓迎体制を整えてくれていた。B子さんは花の撮影に余念がない。
馬ノ背ヒュッテ前で休憩。
仙丈小屋へ泊まった登山者が下ってくる。今朝の展望は見事だったと興奮気味に教えてくれる。山頂到着まで好天が待っていてくれるか・・・・?。
歳相応に脚力の低下を実感しながらも、ややスローなペースを一定に保ちながら一歩一歩足を運んでいく。森林限界を越えると、さらに新しい花々が次々現れる。多少花の名前を知っているので、新しい花が目に留まるたび、都度立ち止まって指呼していく。B子さんはそれを丹念にカメラで拾っている。やはり仙丈は花の山だ。明日の甲斐駒は花は期待できない。できるだけ今目にとまる花を、B子さんにも見ておいてほしい。キバナシャクナゲ、イワギキョウ、イワツメクサ、タカネツメクサ、チングルマ、コイワカガミ・・・
次第にガスが去来するようになる。やはり9時を過ぎると好展望の可能性は低くなるのは致し方ない。山頂直下の仙丈小屋手前、雪渓からの引水がまるで氷のような冷たさ。冷たすぎてたくさんは飲めない。小屋の前で最後の休憩をとってから山頂へ向かう。左右花、花、花・・天空のお花畑を行くような気分だ。
大平山荘から4時間10分、仙丈ケ岳山頂へ達した。残念ながらガスの去来する頂からは展望はない。肌寒い。風を避けて山頂直下の斜面に座して休憩。
下山は小仙丈尾根ルート。他の登山者に追いついたり追いつかれたりしながら高度を下げていく。晴れていれば正面に甲斐駒と向き合いながらの下降となるところだ。森林帯へ入ってからも長い下りがつづく。2合目と言う表示付近だっただろうか"駒仙小屋近道"の道標を見てそっちへ分岐する。
スーパー林道へ降りると駒仙小屋まではすぐだった。規模は小さいが新しくて気持ちいい。
小屋前のテーブルでお湯を沸かし、コーヒーや焼酎の水割りを楽しみながら、隣席の女性たちとも楽しい語らいが弾んでいたそのとき、予告なしの急な夕立に大慌てする一幕もあった。
明日の好天を念じつつ、7時過ぎには寝につく。
B子さんは山小屋での星も楽しみの一つ、9時過ぎに雲が切れてきたのを幸いに、星を観賞してからの就寝だったとのこと。
【仙丈ケ岳で目にし高山植物】
アオノツガザクラ クルマユリ コバイケイソウ(つぼみ) ウサギギク ハクサンフウロ
グンナイフウロ ミヤマキンポウゲ ウラシマツツジ(紅葉前) ハクサンイチゲ
トウヤクリンドウ モミジカラマツ ゴゼンタチバナ ミマアキノキリンソウ
シナノオトギリ シラネヒゴダイ イワギキョウ コバノコゴメグサ ヨツバシオガマ
ミヤマシオガマ? コケモモ ゴゼンタチバナ ミヤマダイコンソウ イワベンケイ
タカネツメクサ イワツメクサ
目覚めて外へ出てみると星空。ヤッタッーの気分。
足元の明るくなるのを待って小屋を出る。以前妻と歩いたときより勾配が強い気がするのは、脚が弱ってきた証だろう。今になって思うと、仙丈ケ岳を往復したあと、仙水小屋までこの道をたどったとき、妻が良く歩ききったものと感心、当時はそれが当たり前だと思っていた。
静まっている仙水小屋を素通りして、岩石累畳とした斜面に達するころには夜も明けきっていた。
仙水峠でおにぎりの朝食、眼前に逆光の摩利支天が迫力をもって迫っている。雲海上には鳳凰三山が浮かんでいる。
峠から駒津峰への急登が始まる。薄暗い黒木の中を黙々と足を運ぶ。脚力の補助に、手の届く木の幹や灌木の枝に手を伸ばし体重を引き上げていく。汗がしたたる。下界の暑さの中だったら、到底歩く気にもなれない急登、上を見上げてもなかなかピークらしい感じにはならない。
展望の開けたところで立ち休みがてら夜明けの山々を見回す。昨日の仙丈ケ岳が朝日を浴びて輝いている。その堂々たる巨体は南アルプスの女王の名にふさわしい。森林限界を越えてからの展望に一層の期待がかかる。
仙水峠から1時間25分、樹木の背丈が低くなってくると駒津峰。山頂が賑やかだったのでその手前で休憩。展望が一気に開けて、伊那谷を挟んだ中央アルプスが正面にある。北から御嶽山、それにつづく木曽駒、空木へと天を画する中央アルプスの連嶺。そして駒津峰山頂に立つと白い花崗岩と白砂に覆われた甲斐駒・摩利支天が眼前に迫る。北岳、間ノ岳、塩見岳、荒川三山、さらに鳳凰三山などの名峰が目を惹きつける。
ここから先は岩場のルート、鎖などはない。慎重に足場を見極めて鞍部まで下る。しばらくは気の抜けない狭い岩の道を進み、樹林帯を抜けると白砂と花崗岩の急登となる。右に摩利支天、そして北岳の眺めを道ずれに汗を流す。
摩利支天の分岐で小休止をとり、山頂への最後の登りに備える。B子さんは今日も快調な足取りに変わりない。七丈小屋からの登山者が早くも甲斐駒山頂を越えて下ってくる。
「富士山が見える」と言う声に目を走らせると、摩利支天の右肩に北岳、その背後に世界遺産となったばかりの富士山が藍色のシルエットで浮かんでいる。日本第1位と2位の高峰がぴったり重なった眺めを得られたのはラッキーだった。
駒津峰から1時間25分、無事甲斐駒山頂へ登り着く。10数人の登山者が満足げに憩い、展望を楽しんでいる。
私たちも記念写真を撮ってから、岩に座して展望を楽しむ。北アルプスはやや霞んでいるものの、北の白馬岳から穂高、笠ケ岳まで指呼することができる。途中何回も立ち止まっては眺めてきた雲海上の鳳凰三山や北岳、仙丈、中ア・・・。雲海のために奥秩父や上越地方などの山々が見えなかったのが惜しまれる。
ここ頂に立つと深田久弥の「日本百名山の」の一節が思い出され。
日本アルプスで一番代表的なピラミッドは、と問われたら、私は真っ先にこの駒ケ岳をあげよう。・・・・まさしく毅然という形容に値する威と品をそなえた山容である。日本アルプスで一番綺麗な頂上は、と訊かれても、やはり私は甲斐駒を上げよう。・・・花崗岩の白砂を敷き詰めた頂上の美しさを推したいのである。(抜粋)
深田久弥がいかにこの甲斐駒に魅力を感じていたかが伝わってくる。
下山は摩利支天への立ちよりも考えたが、帰りの予定時間などを考慮して今回は外した。
山頂を目指す登山者が続々と登ってくる。足場の悪い急な岩場では渋滞発生、10人、10数人、あるいは20名を超すグル―プもある。グループはたいてい脚力の弱い高齢者だったりして、こうしたところではスムーズな動きがとれない。勢い待ち時間が長くなってしまう。待つ方はけっこうストレスになる。
駒津峰、双児山の二つのピークを越えて北沢峠へ。
昨夜の駒仙小屋へ預けた荷物を引き取りに行き、予定より早い午後1時発のバスで仙流荘へ。温泉で汗を流してから、B子さんを無事塩尻駅前まで送ることができた。
単独行者の私でも、たまには道ずれのある山行も格別の味わいがあるものである。
×ばつ会』のような形式も決まりごとも何もない、勝手に気の合う仲間同士が、面倒見のいいC女史の声掛けで都合のつく人だけが集まり、山へ登るというものだ。昨年は剣岳好展望台の大倉山残雪登山、その前年は猿ガ山残雪登山という具合で、あえて決まりと言えば一泊することくらいで、登山+宴会を楽しむのが建前になっている。
≪1日目≫
今回は日本三大急登と言われる黒戸尾根からの甲斐駒。かつて甲斐駒信仰の信徒・修験者たちが苦労して登ったルートだ。と言ってもその当時に比べたらコースの整備は格段に進み、ルートも部分的に付け替えられたりして格段に良くなっているという。されど南アルプススーパー林道の開通により、多くの登山者は北沢峠からのお気軽登山となっているのが現状。私も22年前、北沢峠からの登りだった。
8時前、竹宇(ちくう)駒ケ岳神社に7名(女性5、男性2)がそろったところで出発。勾配はきついが格段険しい箇所もなくたんたんと高度を稼いでいく。雲量はやや多いが雨の心配はない。途中10分ほどの休憩を入れて横手駒ケ岳神社からのコースと合流。ここまで3時間。
正確な年齢はわからないが、メンバーの平均年齢は70歳を少し超えているだろうか。この長く厳しいコースにはかなりの高年齢と言えるだろうが、まずまずのペースだ。
ひと息入れたあとは、しばらく楽な登りでほっとするが、次第に急登に変わり、痩せた花崗岩の稜"刃渡り"通過となる。昔は難所であったかもしれないが、がっちりと鎖が取り付けられていて難なく通過。世話役のC女史ゆかりの駒ケ岳信仰縁者が、この登山道に石碑を寄納してあるのでそれを見つけてほしいという。
登山道脇に字も判読できない古いものや、比較的近年の造作と見えるものなど、石像や石碑が綴点と座っている。みんなで足を止め、刻字を確認しながら登っていく。探す刻字は「白山不動明王」。
私の見逃したくない関心の一つは黒戸山三等三角点、登山道から少し東側にそれるが、何かしら踏跡くらいは目につくだろう、目を凝らしながら進むがそれと思わせるものは見つからない。このあたりかもしれないというところで、東側の斜面へ入り込み、踏跡らしき感じの形跡を追ってみたが、その高みでは発見にいたらず。あらためて地図を克明に調べるとすでにその地点は通過しているらしいことがわかった。
それから少し下ったコルが以前五丈小屋のあった場所。ここで昼食休憩。
これからいよいよ黒戸尾根ルートの核心部へと入って行く。尾根の背はいよいよ狭まり、片側は谷に向けてほぼ垂直に切れ落ちている。鎖、鉄梯子、ロープ・・・あるいは、足場を刻みこんだ巨岩や狭い岩の間をすり抜けるなどして急勾配をクリアしていく。ときおり下山してくる登山者にすれちがう。
梯子も鎖も最近新しくしたものが多い。険しいが安全確保の備えはほぼ完ぺきだ。まず事故を起こす惧はなさそうだ。そしてC女史の探していた石碑も発見、年代を感じさせる風格がただよっていた。
険しい岩場を登り切り、目の前に兀然と今夜の泊"七丈小屋"あらわれた。予定していた午後3時直前だった。高低差1600メートル、所要7時間であった。小屋の対面には大武川の谷を隔てて、鳳凰三山が向かい合っている。
泊まりは我々7名だけのようだ。早速飲み物、ツマミ類を広げての宴会が始まる。途中で出会った幕営単独の男性にも声をかけ、一緒の酒盛りで一段と盛り上がる。
小屋は清潔で管理人の実直さを現すように、整理整頓はあきれるほどに行き届き、寝具も1センチの乱れもないほどにきちんと畳まれ、トイレのスリッパも観光旅館の玄関同様、美しく並べてある。
小屋の中は石油ストーブが赤々と燃え、載せられた大きな薬缶からは湯気が吹き出して湯の使用は自由。
盛り上がった宴会を終り夕食となる。もちろん高級とは言えないが、割烹料理のように丁寧に盛り付けされてこれにも感心する。それだけで何割かは美味しく感じる。食事中は管理人も交えて、クマだの鹿の食害だのと自然関係の談議がつづき、他の小屋では味わえない雰囲気だった。
就寝前に外へ出て見ると無数の星がきらめき、眼下には遠く町の灯りがまたたいていた。
明日も朝も氷が張るだろうという。ストーブは一晩中燃えていて、毛布1枚で過すことができた。
≪二日目≫
快晴。鳳凰三山左手の空が朱に染まりはじめた。やがてその色彩は明るいオレンジ、そして金色へと変化して太陽がまぶしい光陰を放つ。モノトーンの世界が一瞬にして色彩に華やぎ、生気をとり戻す。鳳凰三山の肩には、藍色のシルエットで富士山が明瞭な姿をのぞかせていた。
7時、七丈小屋を出発。四囲の展望が開けてくる。
8合目、崩れた石鳥居のある展望台。大展望の一つ一つは到底書き尽くせない。白き花崗岩の重畳たる駒ケ岳への岩稜に圧倒されながら視線を四周へ投げる。
朝陽を浴びた八ケ岳連峰、シルエットの鳳凰三山の背後には富士山・・・・。22年前の登頂では叶わなかった山頂の展望がますます楽しみになってくる。白い岩壁に張り付くような木々の紅葉は、常緑のグリーンと織りなし、美しい絵模様を展開している。
何か所もの鎖に頼って山頂へと近づいていく。小屋からの高低差約620メートル、ゆっくりペースで2時間20分、山頂へ登りついた。磯のような白砂が敷き詰め、石造の社と一等三角点。10人ほどの登山者が風を避けながら眺望に見入っている。
雲の一つなくどこまでも深く碧い空、大気の澄明度きわめて良好、まさに360度の大展望。展望の概略を記せば
汗を流して登ってきた黒戸山あたりは遥か足下、駒ケ岳山頂から北へ延びる支稜線の先にある鋸岳、そして仙丈、
鳳凰三山、間ノ岳、塩見岳など南アの雄峰たち。
中ア全山から恵那山、御嶽、乗鞍、そして天を画すが如き北アルプスの連嶺、その北部白馬方面はすでに冠雪して
白く輝いている。美ケ原、霧ケ峰、八ケ岳連峰、浅間山。はるかには谷川連峰、日光連山と思われる山巓の薄い山影
も確認した。
展望を満喫したあとは摩利支天へ。ずり落ちそうな砂礫斜面を下り、少し登り返せば摩利支天、山頂から45分ほどだった。石碑や剣などが祀られた山頂はこれまた宗教色の濃い展望良好のピーク、見上げる駒ケ岳の山体の大きさを改めて実感する。鳳凰三山や北岳など展望もまた絶佳。
下山は駒津峰経由で北沢峠へのコース。人影もほとんどなかった黒戸尾根に比べて登山者が実に多い。
甲斐駒の姿を何度も振り返り、北岳、仙丈や鋸岳などを視野に入れながら、余韻を惜しむように下って行く。15時30分北沢峠発のバスには時間が十分ある。その時間に合わせるように、ゆったりとした足取りを保つ。
まるで植木職人が平らに刈り込んだような腰丈のハイマツの斜面を過ぎ、双子山を越えてシラビソ樹林へ入ると、目を惹きつけて止まなかった展望ともお別れだ。
七丈小屋から8時間、14時55分に北沢峠へと降り立った。
甲府組のメンバーが車をデポしてある芦安までバスを乗り継ぎ、無事この山行を終った。好天に恵まれたまさに快哉の山行であった。
【参考】
●くろまる三3大急登 黒戸尾根(甲斐駒) ブナ立尾根(北ア、烏帽子) 西黒尾根(谷川岳)
●くろまる『日本百名山』を著した深田久弥は、その著の中の甲斐駒ケ岳について次のように述べています。
甲斐駒ケ岳は名峰である。もし日本十名山を選べと言われ
たとしても、私はこの山を落とさないだろう。"