国際交流・支援活動
【プロフィール】
坂口 慶輔(さかぐち・けいすけ)
1985 年8 月12日生まれ。兵庫県伊丹市出身。
地元チームの指導に没頭していた大学生時代に、JR 福知山線の脱線事故(2005年)を実体験。自身は無事だったものの、多くの犠牲者を目の当たりに
したことをきっかけに「人のために何かしたい、大きなチャレンジがしたい」との思いから、JICA( 国際協力機構)の青年海外協力隊に応募。
有岡FC(伊丹市)で4年間の指導歴を持つ。公認C 級コーチライセンス保有。
〜派遣国・地域の紹介 : スリランカ〜
スリランカ民主社会主義共和国は、南アジアのインド亜大陸(インド半島)の南東にポーク海峡を隔てて位置する共和制国家。
インド洋に浮かぶ島国で、気候は熱帯性で高温多湿。首都はスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ。
面積は日本の約6 分の1にあたる6.5 万平方km。人口は約2,022万人(2008年央推計)。人種・民族はシンハラ人72.9%、
タミル人18%、スリランカ・ムーア人8%、ほか。宗教は仏教が70%、ヒンズー教10%、イスラム教8.5%、
ローマン・カトリック教11.3%、ほか。公用語はシンハラ語とタミル語である。
FIFAランキングは159位( 5月26日発表時点)。
私の派遣国は「光り輝く島」スリランカ、任地はスリランカ最南端の県「マータラ」で活動しています。
スリランカとは前述したように「光り輝く島」の意味です。首都は世界で一番長い名前で、
「スリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ」と言うのですが、首都のわりにはあまり開発されていません。
商業的に大きな役目を果たしているのは「コロンボ」です。コロンボには高層ビル、ショッピングモール、
高級ホテル、おいしい日本食レストランなどがあり、日本とさほど変わらない生活ができます。
コロンボからAC バス(クーラー付きのバス)で約4 時間のマータラに来ると高層ビル、
ショッピングモールなどはもちろんありません。大きな建物といえばバススタンドくらいです。
しかし、最南端の町だけあって海が本当に美しいです。休日はサーフィンやシュノーケリング、
海を見ながらの優雅な食事を楽しむことができます。
私が思うスリランカ人の特徴は、誰とでも気軽に話し、南の人は特に陽気だということです。
私にしてくる質問はみな同じで「どこから来たの」「スリランカは好きか」「日本に連れていって」などと必ず聞かれます。
1日3 回から4 回は当たり前です。しかし、それにも慣れて冗談で返したりしています。
これから発展する国であり、世界遺産もたくさんある国なので、機会があればぜひ、日本の皆さんにも来てほしいと思います。
はじめに
さて、私は2009 年6月に青年海外協力隊員としてスリランカの最南端の町マータラに派遣され、6月でちょうど1 年が経過します。
私自身、海外に行った経験が全くなく、JICA(国際協力機構)の駒ケ根訓練所で2カ月間研修を受けました。
しかし、スリランカで言葉は上達するのか、本当に言葉が通じるのか、食事は口に合うのか、文化に対応できるのか、
とても不安でした。しかし、1年経過した今、自分が不安になっていたのが嘘のように、辛かったこと、楽しかったこと、
うれしかったことを、このスリランカという国でたくさん経験しています。
子どもが練習に全く来なかった日もありました。大会に参加して寝るところがなく、バスの中で寝ることも体験しました。
遠征に行った際、酔っ払った人にビニールに入ったカレーを投げられたこともありました。子どもたちと外で歯を磨いていたら、
ホッケーのボールが私の膝に直撃したこともありました。最近では、4月にデング熱で入院もしました。
しかし、こんな辛い経験が吹き飛ぶほど、日本では経験できない数多くのことを、スリランカで経験しています。
日々の指導
私が任地に到着した翌日、100人近くの子どもたちが歓迎セレモニーに集まってくれました。
「明日からこのマータラで頑張ろう」と期待と希望に満ち溢れましたが、その翌日の朝、練習に来た子どもは3人だけと、
大きく期待を裏切られ、つまずいたスタートでした。しかし、スリランカに来て初めての教え子の誕生という気持ちの方が大きく、
人数は全く気になりませんでした。この3人という人数から楽しい練習をして人数を増やしていこうと決めました。
その後、毎朝練習を続け、次第に子どもたちの人数も増えていきました。
子どもが11人以上来たときは「やっとチームがつくれる」と思いましたが、ここでも問題が発生しました。
「何歳だ?」と一人一人に聞いていくと、13 歳、15 歳、17 歳とバラバラの年齢だったのです。
日本のように何でもスムーズにいかない厳しいところに足を踏み入れてしまったと心から思いました。
この状態がしばらく続き、ある日から楽しい遊び的な練習(コーディネーショントレーニングやキッズドリルのようなメニュー)
から、サッカーの基本練習に切り替え、リフティングをさせていると初日は本当に楽しんでやっていました。
毎日継続させると、どんどんうまくなり、回数を増やしていく子もいましたが、ボールを手に持って動かない子、
友達の回数を数えたりする子が出てきました。子どもたちにとって毎日継続して行うことが難しく、
少し簡単にしてワンバウンドリフティングにしたり、右足だけ左足だけ、難しくして5回目のタッチでボールを上に蹴ってそれを
コントロールするなど、少し工夫するだけで楽しんで習得してくれるので、私もすごく楽しくなりますし、
工夫した甲斐があったなと感じます。1 年が経過する今ではリフティングを1分間で100回できる子も出てきています。
今後に向けて
スリランカの子どもは日本の子どもより習得するスピードは非常に遅いかもしれませんが、 私がいる2 年間でしっかり基本を叩き込んで、将来サッカーを続けてくれる子どもを1 人でも多く育成したいと思っています。 最近では私自身のシンハラ語の上達もあり(私の言葉の習得も遅いですが)、1人のサッカー選手としてあいさつをする、時間を守る、 自分たちが使ったものはきれいに片づける、グラウンドに唾を吐かないなど、非常に厳しく指導しています。スリランカ国内で Foot ball がメジャースポーツになることを期待して、あと1 年頑張りたいと思います。