国際交流・支援活動
【プロフィール】
行徳 浩二(ぎょうとく こうじ)
静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身。
1965年1月28日生まれ。
東海大学卒業後、ヴェルダー・ブレーメン(旧西ドイツ)、トヨタ自動車工業でプレー。日本ユース代表、日本代表にも選出される。
その後、清水エスパルスでジュニアユース監督、ユース監督、サテライト監督、トップチームコーチ、トップチーム監督を歴任。
日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会、高円宮杯全日本ユース(U-15)選手権大会、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会、J ユースカップでチームを優勝に導く。
天皇杯全日本サッカー選手権大会では3 位となった。2008 年4 月にブータン代表監督に就任し、2009 年はU-15、U-19 ブータン代表監督も兼任する。
〜派遣国・地域の紹介 : ブータン王国〜
ブータン王国。人口約66 万人。面積は約46, 500 平方キロメートル(九州の約1.1 倍)。中国とインドに挟まれており、国土の標高は、南部の100 m から北部の7,561m と差が大きい。首都はティンプー。民族はチベット系(約80%)、ネパール系(約20%)等。公用語はゾンカ語、英語(一部、外務省ホームページより)。FIFA 加盟は2000年で、FI FA ランキングは189 位(2009年4 月現在)。
1.Druk Yul (竜の国) Kingdom of Bhutan
GNH(Gross National Happiness)国民総幸福量。ブータンを紹介するときに必ず使う言葉です。「あなたは幸せですか?」という問いに9 割以上の人が「はい」と答える国。
GDP(国内総生産)やGNP(国民総生産)よりも人、国の幸福を国家の究極の目標とする国。それがブータンです。
2002 年のFIFA ワールドカップ決勝戦の日(2002 年6月30日)に当時のFIFA ランキング最下位のモントセラトとその一つ上のブータンが、ブータンの首都ティンプーのチャンリミタン競技場で「もう一つの決勝戦」と題し、国際A マッチが行われました。これをドキュメンタリーとして映画化した「THE OTHER FINAL」が世界中で話題となりました。
2.初めの1歩
私はそのようなブータン王国へJFA のアジア貢献事業( JFADream Asia Project)の一環で、2008年4月下旬にブータン代表監督として派遣されました。就任当初は5月のAFC チャレンジカップ(AFC アジアカップ出場国以外の代表チームによる大会)、6月に行われるSAFF(南アジアサッカー連盟)チャンピオンシップの2 つの大会を控え、6月のSAFF チャンピオンシップで勝点2を取ることが目標だとブータンサッカー協会から告げられました。
AFC チャレンジカップまで約2 週間しか準備期間がなかったため、はじめの大会は選手、チームの見極めを目的としました。結果はタジキスタンに1-3、ブルネイに1-1、フィリピン0-3、1 分け
2 敗で予選敗退。その後、ブータンに戻りSAFFチャンピオンシップの準備として、前回の試合の課題の修正を行いました。主に攻撃でのポジションのとり方、攻撃の仕方、フィニッシュまでの持って行き方。ボールをポゼッションできないチームなので極力シンプルにプレーさせました。
結果はバングラデシュに1-1、スリランカに0-2、アフガニスタンに3-1 で目標の勝点2 どころか、まさかの予選突破。準決勝でインドに延長の末1-2 で敗れましたが、ブータン史上初の快挙に驚
いた関係者は多く、ブータンでライブ放送されたインド戦はたくさんのブータン国民が代表チームを応援してくれたそうです。
そんな健闘をたたえられ、SAFF チャンピオンシップに参加した選手、スタッフが昨年の夏に国王に謁見(えっけん)する機会を与えられました。今までスポーツのチームが王宮に招かれたことなど一度もないらしく、非常に名誉なことでした。
私は大会の報告と、ブータンサッカーがこれから発展するためには良いグラウンドが必要で、計画的なトレーニングの継続、多くの対外試合が必要だと話をしました。そしてユースの育成、コーチの育成は不可欠だと。国王は身を乗り出して大変うれしそうに、そして興味深そうに大きくうなずいていました。
FIFA に加盟して10年足らずですが、選手がサッカー技術、戦術の向上に関心を示し、国民のサッカー熱が上がり、国王までもがサッカーに理解を示してくれる。このときブータンのサッカーが「やっと初めの一歩を踏み出した」。そんな気がしました。
3.サッカーを取り巻く環境
現在、国内リーグは1 部、2 部に各8 チーム、3 部リーグ(16歳以下)も11チームがエントリーしています。今年の1 部はクラブチームや警察、軍、U-17 代表チームなどで、リーグ戦の最後には1 部リーグ下位2 チームと2 部リーグ上位2 チームの入れ替え戦も行われます。
サッカー協会が主催している大会は国内リーグの他に、クラブトーナメント、社会人トーナメント、学校対抗戦、U-14 女子、35歳以上のリーグ等、多くの大会があります。これらの全チームの練習、試合は首都ティンプーにあるサッカー協会が保有している唯一のグラウンドで行われます。代表チームのトレーニングにもこのグラウンドを使用します。
そんな酷使されるグラウンドは土で、石がゴロゴロしていて、練習中や試合中に犬や牛が横切るなんてこともあります。比較的暖かな6月〜8月は完全な雨季のため、毎日泥のグラウンドで、12月〜3月の乾期の午後は風が強く、砂漠の砂嵐のような中でサッカーをしています。
このようなグラウンドの不足、コンディションはブータンの選手の技術の習得に大きく影響してしまいます。
また、グラウンドの横には宿泊施設があり、セレクションで選ばれたU-15、U-19 の選手22名ずつがここから学校に通いながらトレーニングに励んでいます。ユース選手育成のためとはいえ、この施設はシャワーがなく、選手はグラウンドの前を流れる川で水浴びし、汚れた衣類は川で洗濯をしています。食事も栄養管理されているようには到底思えません。日本のクラブのユース選手の環境とは雲泥の差です。
代表チームの選手は、毎年2月に行われるセレクションによって選出されます。警察官、軍人、サッカー協会スタッフ、先生、銀行員、学生、無職など職種はさまざまです。ブータンでは仕事や学業が優先されるため、公式戦前の限られた期間しか集まることができません。トレーニングを行いたくても、仕事や学校の都合で全員集まらない日の方が多いくらいです。さらに、地理的、経済的な問題から公式戦以外の対外試合を行うこともほとんどありません。そのような状況のため、代表のトレーニングでは基本的な技術、戦術の習得を目的とした指導をしています。
4.就任から1年
今年の4月14日から18日までモルディブで開催されたAFCチャレンジカップの予選に参加しました。相手はフィリピン、トルクメニスタン、モルディブの3 チームで、結果は3 敗。厳しいグループだったとは言え、9 カ月ぶりのインターナショナルマッチは惨敗でした。
サッカーを取り巻く環境は昨年、国王に謁見したときと今も全く変わっていません。サッカーをするためのグラウンド、代表チームのトレーニングの継続、対外試合の経験、ユース選手の育成、コーチの育成、食事の改善等、課題は山積みのように思いますが、9 割以上が幸せだと答えるのんびりとした国民性の国で選手のモチベーションを高め、サッカーを取り巻く環境を整えていくことは容易なことではありません。国の発展と同様にサッカーの発展も独自の歩み方をするのかもしれません。
監督就任当初の目的は代表チームの強化でしたが、まずは環境を整えるための助言をする必要があり、強化だけに集中して仕事をすることはできません。しかし、ブータンサッカーが世界に少しでも近づけるように、そのために何が必要なのかを彼らが理解し、彼ら自身で行動を起こすことがGross National Happiness への道だと確信して、ブータンサッカーの発展に寄与していきたいと考えています。