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山本順三の想い
私の目指す未来や、国会議員としての取り組み、
愛媛県での活動をご覧ください。
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山本順三のプロフィール
学生時代
●くろまる愛光中学時代の先生と同級生(本人は2列目右から3人目)
プロフィール 学生時代学生時代
私立愛光中学校、県立今治西高等学校を経て、
昭和53年 早稲田大学政治経済学部卒業
愛光中学校では3年間の寮生活を送る。親元を離れての集団生活は人間形成に大いに役立ったと感じます。
今治西高校では「よく学び、よく遊んだ」まさに青春を謳歌した時間です。
早稲田大学では、吉村ゼミに入り仲間ともに国際政治を学ぶかたわら、剣道同好会に入り二段を取得するなど、文武両道を実践していました。
会社員時代
川崎製鉄(株)に入社(現在のJFE)。
愛知県の工場勤務を経て、3年後に東京本社の外国資金室に異動となる。
しかし、そのわずか1ヶ月後に父が病に倒れ、愛媛にもどることとなりました。
製鉄会社の勤務経験は、議員になってから政策を立案する際に大いに役立っており、現在は鉄鋼・重化学工業の脱炭素化における強化策を目指す議員連盟の会長として、いかにしてカーボンニュートラルの実現と、鉄をはじめとする製造業の未来を守れるのかという議論の先頭に立たさせていただいております。
●くろまる川崎製鉄(株)に勤務し、休日は同僚とテニスを楽しむ。
プロフィール 入社会社員時代
愛媛県議会議員
愛媛県議会議員
昭和58年 愛媛県議会議員初当選(以来6期連続当選)
亡父もかつて県議会議員(議長経験者)であったため、光栄なことに齢28才の私に白羽の矢が立ちました。父の後ろ姿を間近で見ていたので政治に無関心ではありませんでしたし、大学では政治学科に籍を置き、国際政治を中心に学んできましたが、いざ自分が出馬するということは考えてもおりませんでした。その後、応援をしてくれる皆さまのおかげで無事に初当選を果たすことが叶い、幸いなことに6期連続で県政の場で仕事をさせていただきました。
県議会議員のスタート時は、自民党県連の青年部長を皮切りに、2期目の青年局長時には青年部キャラバン隊を組織し、県内での党勢拡大に奔走しました。その後当選を重ねる中で、県連の政調会長や常任委員長を4回も務めるなどキャリアを重ね、平成11年には県議会副議長を拝命いたしました。そして平成15年には県連の実務の最高ポストである幹事長に就任し、県の政策・予算や国への要望など多岐にわたって関わり、県政の発展に腐心いたしました。
そうした中で、翌平成16年に行われる参議院選挙では現職の野間赳先生(今治)がご勇退されることになり、またもや48才の私に国政への道を歩めよという流れになり、ついに国会議員を目指すことを決意いたしました。
国会議員(1〜2期目)
国政での初仕事は参議院自民党の国会対策委員というものでありました。一般的には知られておりませんが、国会の仕事のイロハを学ぶ委員会となります。それぞれ担当する常任委員会を割り振られ、その委員会での法案審査状況や衆議院での委員会開催状況など逐一調べ、報告する役割があります。その情報を元にして国会運営がなされていくため極めて重要な任務でありました。年月を重ね、各委員会の理事になり本格的に委員会運営を任せられるようになっていきます。そうした経験を積み重ね各省庁の大臣政務官や委員長などを歴任していくことになります。
私の場合は、平成18年に総務委員会と議院運営委員会の理事へ就任するとともに、国会対策委員会副委員長を拝命いたしました。
その後、平成19年の第1次安倍内閣において国土交通大臣政務官へ任命されました。
2期目は参議院自民党国会対策委員会の筆頭副委員長となり、翌平成23年には決算委員長を拝命し、平成25年に自民党幹事長代理、平成26年には総務会長代理と参議院ODA特別委員長となり、平成27年の第3次安倍内閣改造内閣で国土交通副大臣・内閣府副大臣・復興副大臣を拝命いたしました。
⚫️9月1日、国交省での防災訓練の様子
プロフィール 原発視察⚫️福島第一原子力発電所を訪問し、職員の皆さんを激励
プロフィール 原案視察2国会議員(1〜2期目)
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