海外移住の歴史経緯と動向


海外移住情報


海外移住の歴史経緯と動向



国策移住


しろまる日本人の移住は「国策移住」が起源
日本人が初めて海外移住したのは明治元年。坂本龍馬が尽力したことで知られる「大政奉還」によって
江戸時代が終焉した直後に、120人がハワイの契約移民として農業移住。これが日本人初の海外移住
とにりましたが、海に囲まれた日本、大海の向こうに広がる未知の世界に向けて浪漫と不安が交錯する
姿は容易に想像できます。
このことが実績となって、やがて日本は一大移住時代を迎えることになります。明治41年6月18日(移住
の日に制定)。日本政府の移住政策に応じた大規模移民の第一陣781人がプラジルのサントスに到着。
文明開化の幕開けを迎えようとしていたものの農民は苦しく、また海外の農業大国は労働者を必要とし
ていました。つまり両国の思惑と利害が一致したわけです。
以降、昭和の大戦終了時までに移住した人は北米20万人、ハワイ20万人、中南米20万人、樺太28万人、
中国27万人に及んでいます。当時は海外へ行くことなど普通の人にとっては不可能だったことから、海
外雄飛に挑むには「国策移住」に応募するしかなかったのです。低賃金の過酷な労働者として、また荒
地の農園開拓者として、かなりの苦労があったことは知られた事実ですが、そうした苦難の道を乗り越
えてきた日系一世たちのパイオニア精神はいつの時代も光輝き続けています。

しろまるドミニカ移住訴訟
一方で、1950年代、日本政府の国策移住に応募してドミニカ共和国に約1300人が移住したものの、約
5年後には8割が帰国。悲劇の原因は政府が農耕地にまったく適していないのを隠したまま「地上の楽
園」と称して募集を強行したことにあります。2000年には、25億円の損害賠償を求め東京地裁に提訴さ
れたものの、既に時効が成立していたため棄却。その後、政府が和解案を提示。控訴を取り下げること
を条件に、国の謝罪と200万円の見舞金によって終焉となりました。

しろまる国策移住関連資料
外務省の国策移住報告(1960年)



現代の移住ブーム


しろまるバブル期に起こった第一次移住ブーム
現代における海外移住の第一次ブームは1990年頃のバブル期。日本円の強さと好景気を背景に「海外
で豪華な生活を」というもので、オーストラリアのゴールドコーストやスペインのコスタデルソルなどが注
目され、高級リゾート地には「豪華な生活」を謳歌する日本人が押し寄せました。
この時期、政府と通産省はスペインなどに「日本人のためのリタイアメント村」を作ろうと、「シルバーコ
ロンビア計画」を推進。しかしこの中身はバブル経済の主役を演じていたゼネコンのためにあったよう
な計画で、バブルの崩壊とともにあえなく消滅しました。つまり、海外に大型施設を作り、日本の建設
会社が受注するといったもので、相手国側もけっしてその計画を快く思っていませんでした。
「日本企業は老人輸出で儲けようとしている」といった批判も噴出していたものの、次々と高級不動産
を買い占めていくジャパンマネーの威力は何よりも強く、そうした声を打ち消していきました。
その後、同計画頓挫の事後処理のために、現在、中高年のロングステイ事業を行っている「ロングステ
イ財団」が設立されるに至っています。

しろまる大リストラ時代による第二次ブーム
2001年ごろから始まった第二次ブーム。バブル経済の主役となった銀行の「不良債権」などが原因とな
って不況時代に突入。ここには不景気に伴う社会環境・社会構造の変化、矛盾や問題の露呈などによる
「社会不信、自己防衛・生活防衛」といったものが大きく関わり、バブル時代から一転、「物価の安い国で
節約生活を」といったものに変貌していきます。
というのも、世の中に蔓延した「リストラの嵐」によって、仕事を失い、次の仕事もままならない人が急
増。そのため、「年金が受給できる年令になるまで、物価の安い国でなんとか生き延びよう」という考え
から、「月10万円以下で暮らせる国への移住」というのも大きなテーマとなっていきました。
また、ごく普通の人にとって「海外移住」という言葉は知っていても「詳しくは分からない」といった状況
が背景にあることで、よりいっそうの拍車がかかり急激なブームとなっていきました。

しろまる第二次ブームの沈静化
第二次移住ブームの開始から5年ほどを経た2007年前後、移住ブームは沈静化し落ち着きを取り戻し
ていきました。誰もが海外移住という選択肢をなんとなく認識できるまでになったこと。つまりある程度の
浸透化が図られたことで沈静化することとなったのです。



東日本大震災以降の動向


しろまる東日本大震災による移住ブームの高まり
2010年に入ると経済の低迷や閉塞環境は続くものの、少し改善の兆しがあらわれていました。そんな
時に起こったのが東日本大震災。2011年以降、放射能からの退避、日本政府の対応ぶりや政策への
不信、経済の不透明さ、などが理由となって、第三次移住ブームと呼んでもいいような環境にもなって
います。若者からシニアまで、年代を問わず「海外移住」という選択肢があることを、誰もが認識できる
ようになっことで、海外移住は「新たなステージ」へと移りかけているのかもしれません。

しろまる大震災以降の特徴
だいやまーく震災以降、放射能に最も過敏だったのは子供の健康や将来を第一に考える家族層。とくに乳児や小
さな子供への放射能影響を恐れるお母さんたちが、海外生活を目指す傾向が強かったのが大きな特徴。
だいやまーく富裕層の中には海外へ資産を移す人、移そうとする人が目立つ環境となりました。その後、円高基調
が続いたり、南海トラフや首都直下などの新たな地震予測が巷を賑わしたこともあり、富裕層の資産フ
ライト熱の高まりが継続しました。
だいやまーくもしもの時にすぐに移れるようにと、海外にコンドミニアムを購入をする人、したい人が増加。日系社会
が急進するマレーシアや日系社会が定着化するタイが、リタイアメント系査証の取りやすさもあって注目
されました。反対に日本国内の不動産を購入して、その家賃収入をいざというときのための海外生活費
用に充てようとする人も増加しました。
だいやまーく円高や日本経済の先行き不安から、若者層の国境なき就職活動も加速し、意識の上ではボーダレス
化が浸透してきています。

しろまる2013年以降は・・・
海外移住の選択肢が浸透化したことで、年代を問わずに安定したニーズが維持されそうですが、阿部
新政権による円安転換や経済政策などによっては、動向に影響を及ぼすこともあるでしょう。


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