和蘭告密
―1844年オランダ国王の忠告―
その様な時に日本の鎖国を心配したオランダ国王が幕府に国書を送り、開国忠告したのが
和蘭告密である。 国書の内容は、
1.200年来の友好を思うと黙っていられなく筆を取った。
2.近年イギリスが清国に軍を出し、清国が敗れ五港を開港させられた
3.日本も清国と同様の災難が予想されるので、回避に努めるべき。
4.既に打払い令を撤廃した事は評価できるが、未だ不安は残る。
5.蒸気船の時代であり、祖法に囚われず外国人受容れ禁止を弛めるべき
6.必要ならアドバイザーを送る。 尚粗品進呈する。
などである
これに対し翌年、幕閣内意見不一致により水野忠邦が辞任した後に、老中首座となった阿部正弘は
丁重な礼を述べるが、祖法は変えられない旨を漢文で返書している。 また返書の形式として国交のない
オランダ国王に将軍が返事をするのは国交に当るので祖法に反する。 依って老中連名でオランダ政府
重役に返事をするので、国王に宜しく伝えて欲しい旨述べている。
この十年後(1854年3月)に日本は米国のペリー提督との日米和親条約を初めて結ぶ事になる。
この間数多くの異国船が日本を訪れているが、政策は一貫して薪水供与令(食料も含む)の侭で押し
通している。 良く十年持ったとも言えるが、逆に市場としては魅力が薄く寧ろ補給基地としての重要性
から、アメリカが最初の条約締結国になったとも考えられる。
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1. 和蘭告密 翻刻及び現代語訳、註
2. 幕府よりオランダ商館長への説明書及び返書原文(翻刻及び現代語訳)
史料出典:北大北方資料館力石雑記 尚写本は国王書簡の和訳と、幕府評定所メンバーに配布した
商館長への説明書及び返書漢文写しからなる