【特別寄稿】「何かが違う......」という気づき
祐川暢生(社会福祉法人侑愛会)
私は侑愛荘という入所施設で仕事をしている。そこは、知的障害者として生きてきて、高齢期に入った方々が入所している施設である。定員は80名、利用者の平均年齢は72歳弱である。15年前に縁があって、現在の社会福祉法人で働きはじめ、高齢知的障害者支援に携わるようになった。それ以前は特別養護老人ホームなど介護保険事業を幅広く営む社会福祉法人に勤務していた。
侑愛荘での初勤務の日のことを今でも思い出す。施設内を歩く私を利用者の皆さんが競うようにそれぞれの居室に招いて、ブリキの玩具、プラスチックのピストル、ハーモニカ、人形などを自慢そうに披露してくれた。老人ホームでも趣味としてNゲージの鉄道玩具を収集している利用者もいらっしゃった。しかし、侑愛荘利用者の玩具との関わり方は、以前に勤務していた老人ホームの利用者とは似て非なるものに感じられた。老人ホームの利用者も侑愛荘の利用者も、高齢期を生きているという点では同じだが、それぞれの利用者が放つ雰囲気には違いがあると直感させる経験だった。知的障害という障害のありようの一端を垣間見たような気がした。
知的障害者福祉領域への転職が決まったとき、懇意にしていた医師に挨拶にうかがった。転職を目前に控えて不安になっている私を励まそうとしてくださったのだろう、その医師は私にこうおっしゃった。「あなたは老人ホームで認知症の方々とそれなりにおつきあいしてきたでしょう。ですから、知的障害のある方とのおつきあいだってうまくできるはずですよ。知的障害も認知症も同じようなものですから」と。しかし、侑愛荘で仕事をはじめてほんの数日のうちに、それは違う、と感じるようになった。とくに侑愛荘の利用者で認知症の診断を受けている方々の印象、その方々と相対したときの肌ざわりといったものが、老人ホームの認知症高齢者に相対したときとは違っていた。でも、それがどうして、どのように違うのか、私はずっとうまく言い当てられないままでいた。現在でもうまく表現することができない。
これまで、老人施設で勤務した経験がある支援者に出逢うたびに、この違いについてどう思うかを尋ねてきた。ほとんどの支援者が、やはり何か違うと思う……と、私のこの感覚について理解を示してくれた。そうした経験を重ねるうちに私は、高齢の知的障害のある人への支援は一般の要介護高齢者のケア・支援と共通点もたくさんあるけれども、やはり異なる専門性が必要なのだと考えるようになった。高齢期になり、心身機能の低下によって多くの場面で介護を必要とするようになったという点は同じでも、知的障害のある人の機能低下と認知症とは同じではないし、知的障害のある人の認知症と健常に生きてきた方々が発症する認知症もやはり違っているからだ。
老人ホームに勤務していた頃、人形を抱いて徘徊している認知症の女性利用者がいた。あきらかにご自分が母親として慈しみながら子育てに奮闘していた時代に気持ちが戻っていることがその姿から見てとれた。侑愛荘にも人形を抱いて徘徊する女性利用者がいる。しかし、彼女は単に玩具としての人形で遊んでいるだけだ。外形的には同じ光景だが、それぞれが醸し出す雰囲気はずいぶん異なっている。知的障害のある人たちの認知症を生きる姿は、いわゆる健常者として生きてきて認知症を発症した人たちのそれとは違っている。ということは、やや異なる支援の工夫がそこには必要なのかもしれない。この15年間、仲間たちとともに高齢の知的障害のある人の支援に取り組みながら、そんな漠とした思いを抱いてきた。
認知症になり、強いこだわりをもつようになった利用者、逆にこだわりが弱くなった利用者、支援・介護に拒否的になった利用者、表情がなくなり、緘黙状態になってしまった利用者、暴力行為が昂じて職員の腕をいつも傷だらけにしてしまう利用者、ダウン症候群で、ほんの1年前まで音楽に合わせて踊っていたのに40歳代半ばでてんかんの初発発作が現れ、それ以降、認知症状と機能低下が〝すさまじい〟と形容できるスピードで進んでいった利用者……。
そうした方々への支援の日々のなかで、私たちが現場で直感的に感じとったり、朧げに認識したりしている暗黙の知のようなもの、必要に迫られて(場合によっては苦し紛れに)意味もわからず、やってきた認知症の利用者への対応に、論理的な言葉、学問の言葉をもたらしてくれる研究者がいてくれたら、とずっと思ってきた。
支援のなかで抱く直感や印象をこまやかな言葉で表現しようと努力することは私たちにもできるが、それを整理し、科学の言葉で普遍化することは難しい。それは、そういう訓練を積んだ研究者の仕事だ。
現在、社会の高齢化のなかで、知的障害のある人の高齢化も進んでいる。多くの支援者たちが、老化によって機能低下した利用者に対する支援に、悩みながら取り組んでいる。より高い能力や自立をめざす成年期の支援とは違って、高齢期支援には、できたことができなくなっていくことを受けとめることや、生活場面での適切な介護の提供が必要になる。それは、〝下り坂〟の支援である。
認知症のもっとも大きなリスク要因は加齢だと言われる。知的障害のある人の高齢化はとりもなおさず、認知症と知的障害がある人の増加をもたらすだろう。どのライフステージへの支援、どの利用者への支援も、一人ひとりの困り感やニーズを捉え、それに応えていくという点では共通だが、高齢期には高齢期の、認知症と知的障害のある人にはその人たちのありように即した支援が求められる。そこにどんな支援ニーズがあり、それに応えて私たちはどのように適切にアプローチしていけばいいのか。まだまだ模索が続くだろうが、さまざまな成功や失敗を互いに共有し、研究者の研究成果をとり入れながら、高齢で知的障害のある人、認知症と知的障害がある人に対する支援のスタンダードといったものを探し当てていきたい。そう強く願っている。
【執筆者略歴】
すけがわ・のぶお。1965年生。社会福祉法人函館カリタスの園で高齢者福祉に従事し、2008年からは社会福祉法人侑愛会の障害者支援施設侑愛荘にて高齢知的障害者支援に取り組む。2020年より社会福祉法人侑愛会総合施設長。