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緊急提言
福島第一原子力発電所事故対応に向けて
日本原子力技術協会最高顧問 石川迪夫
2011年3月11日、マグニチュード9の地震が起きた。設計を遙か
に超える地震であった。だが発電所はそれに耐えた。運転中の3基は自
動停止し、外部電源の喪失に伴う非常用電源の起動によって、冷温停止
への冷却に入った。
全ては設計通りであった。
3度の大揺れのなかプラントを見守っていた
運転員は、ほっとしたに相違ない。
約一時間後、津波が来襲した。地下にある電源設備が水没して、安全冷却のため働いてい
た設備はすべて使用不能状態となった。
この一種の全交流電源喪失状態は、
以降13日間に
もわたって続いた。
それは電力会社が設計上主張してきた、
最大8時間の停電を大幅に越え
るものであった。
だが停電後も、
電気を使わない安全設備は働き続けた。
1号機の隔離時復水器は半日間炉
心を冷却した。2,3号機の蒸気タービン駆動注水装置は、
それぞれ約3日と1.
5日の間、
炉心に水を注入し続けた。
これらの作動時間は設計以上で、
災害の発生を大幅に遅らせてく
れた。しかるに外部電源は回復せず、遂に事故に至った。
崩壊熱による冷却水の蒸発で炉心の冠水が失われた結果,
高温になった燃料被覆管と水蒸
気の間で化学反応が起き、大量の水素ガスの発生と、反応熱による炉心溶融が起きた。この
水素ガスが、後ほど述べる1,3号機の爆発に繋がる。
溶融炉心についての想定度合いは人により異なる。
僕は、
炉心が圧力容器内に残っていれ
ば、
直径4m高さ2m程の卵形でクラストに覆われ、
その中に摂氏二千数百度程の溶融炉心
が煮えたぎっていると見ているが、どうであろうか。皮殻となるクラストの厚みは、いま2
0〜30cmほどであろう。
想像の度合いや合否は別として、
溶融炉心からは放射性物質の
吐出が続くことが大問題だ。ただ,圧力、水位など、炉心状況を推測できるパラメーターが
安定しているのは心強く、溶融炉心はいま小康状態にあると見て良い。
敷衍すれば、
炉心から放熱される蒸気温度は高々百十数度であるから,
大気中に放散され
る気体放射性物質は希ガス、沃素などに限られているし、また、既に出尽くしていると思わ
れる。
観測地点での放射線レベルも、
沃素131の半減期に従って漸減している様に見える。
苦しい避難生活に耐えている人々の、帰宅を考えて然るべき時がきている。
逆に、
発電所内に蓄積した水の放射性濃度は日を追って高まっている。
これが一大事であ
り、大問題である。溶融炉心から吐き出される放射性物質は周辺の水や水蒸気で冷やされ、
水中に移行して放射能濃度を高め続けている。その濃度は高く、人の接近を阻み、今後の復
旧作業の妨げとなる。勿論、海水への無責任な放出は出来ない。
現行の水の掛け流しによる冷却方法は発生熱の除去だけであり、
溶融炉心を冷却凝固させ
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る上では何らの効果もない。
百年河清を待つ崩壊熱との鬩ぎ合いで、
徒に高濃度の液体放射
性物質を増やしている。
解決策のないままの時間の浪費である。
一日の遅滞は百日の困難を
招く。確とした対処方針のないまま、遅疑逡巡するのは犯罪に等しい。それが国民の選択で
あるならば話は別だが、
我々は強制冷却により溶融炉心を凝固させ、
放射能の放出を停止さ
せる作業を、一刻も早く目指すべきである。これが今なすべき喫緊の任務だ。だがこの旬日
それに向けての確たる動きは、悲しいかな、見えない。
それどころか、
低いとはいえ液体放射性廃液を、
前触れもなく海に放出するという愚行を
犯している。漁民が怒り、韓国から抗議が出たのは当然で、政府も東電も危機に臨んで狼狽
し、平常心を失っているかに見える。いや、ひょっとすると、事の本質、重要性に、まだ気
付いていないのではないか、とさえ思えるのである。
同じ事は日本原子力学会についても言える。
3月11日以降の一ケ月、
日本ただ一つの原
子力技術者集団でありながら、
この非常時に何らの救援活動も始めていないではないか。原子力学会の名が泣く。
事の本質、
重要性に気付いていないとすれば、
それは勉強不足であり、
使命感の欠如である。
国民に対し一言のメッセージも発しない原子力安全委員会、
事後説明に終始し見通しを示
さない原子力安全・保安院、当事者でありながら存在感が薄い東京電力首脳。これらが事故
終息への展望が開けない現実と混ざり合って、国民にイライラと原子力不信を募らせてい
る。情報の得にくい諸外国は更なりだ。日本国としての明確な決意表明がないから、その日
暮らしと映るのだ。
この事態を打開する道は、
対策目標の明示による政府の決意表明しかな
い。
日本の原子力関係者が成すべき事は、
今述べた事態打開への警鐘を打ち鳴らし、
その下で
の手伝いにある。目標に至る道標の整備、必要技術の模索、実働を含めた協力姿勢など、専
門集団としての、縁の下の力の活動はいくらでもある。諸賢一人一人の、速やかな実行を期
待する。
放射線の高くなった現場作業は、戦場である。放射線との戦いには、信頼できる総司令官
と理非を弁じうる参謀による指揮と、
それを支える政府の全面的な支援協力が必要だ。
戦場
を発電所構内とその近辺海域に限定して、
その内部では非常時のルールを設定使用すること
が必要だ。
これは超法規措置で政府の専管決定事項であるが、
我々専門家のみがその手伝い
が出来る事である。
一言心得を示せば、
戦さ場での主力は発電所を熟知する現場技術者である。
放射線下の作
業に経験の乏しい人は一般的に恐れ緊張するので、足手纏になる。机上作業が得意な者は、
余分な口出しはせず、黙々と後方での支援活動に励み、苦しくとも与論喚起に徹すべきだ。
これは日露戦争からの教訓である。
いま即刻始めねばならない現場作業は、
戦場の整備整頓である。
放射線との戦いにはハイ
テクの遠隔操作機械と遮蔽の使用が欠かせない。
溶融炉心を冷却する仮装置の設置場所も必
要である。そのための作業現場は、放射線量の軽減などの環境整備が必要だ。不要設備の撤
去や瓦礫の処理をするための重機材の搬入、汚染水の除去、床の除染など、それが戦いなの
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だ。更にその以前の作業として、敷地全体の整備、運送道路の確保など、機器搬入組み立て
のための整地などが急がれる。
11日読売朝刊は、
この作業がやっと始まったことを伝えた。
喜ばしい。
戦場が整備され、並行して溶融炉心の冷却が達成されれば、展望は立つ。次は凝固した炉
心の在処と状態の探索だ。
ここからは国際協力の下での実施が望ましい。
日本への協力表明
は、
協力によって原子力災害への教訓を自らも体得するという期待が含まれている。
外務省
はこの辺りの采配を間違えてはならない。
炉心状況さえつかめれば、
溶融炉心の撤去解体への道筋はつく。
後は決心と実行のみであ
る。その方法は千差万別、色々とあろう。これ以上の論評は、いま無用である。
事故の発生に立戻って、
我々原子力関係者の配慮に何が欠けていたのか、
その反省は必須
である。即座の反応としては、技術的には冒頭述べた事故の経緯から明らかなように、設計
条件以上の津波の来襲と電源喪失時間の遅滞である。
地震だけならば、
低温停止に至る設備
は正常に動いていた。
津波による被災にもかかわらず、
緊急安全冷却設備の一部は設計通り
作動して炉心を冷却していた。
安全設備は、
力尽きるまで設計通りにその役目を果たしてい
たのだ。安全設計に責任は課せられない。
責任の所在は、
今後探求されるであろう事故対応上の是非を除いて、
災害原因である津波
と電源喪失時間にある。
いずれも過去の歴史的事例から演繹された結果を、
絶対的数値と信
用して、設計上採用した不明にある。
考えてみれば、
複雑な地球物理学が教える値とは、
希にしか起きないが故に大きい誤差を
持つ数値であるのだ。
それを信じて、
ミリ単位が常識の原子力設計に取り入れたところに災
害の芽があった。安全設計審査指針の、指針2「自然現象に対する設計上の配慮」の項が、
地震とその他の二項に分かれているところが、その間の平仄を物語っている。津波、洪水、
台風、つむじ風、降雨、積雪、これら地球の活動の全てに対して、第1項の地震と同様の、
工学的精度での知見のメスを加える必要があろう。
電源の復帰こそは、
申請者である電力会社の専門分野、
他の容喙を許さぬ絶対領域である。
そこに落とし穴があった。津波も電源喪失も、絶対値を信じたが故に「起きない」とした判
断に問題があった。今後の安全設計は、これら異変が「起きる」とした前提での対策を用意
せねばならない。今回の事例から言えば、津波に対しては一定時間内での電源復旧であり、
電源喪失に対しては自然災害に抗しうる多様な電源の準備が、
その解答である。
いま福島の
電源復旧が仮設電源にあることも、一つのヒントであろう。
今ひとつの反省事項は水素爆発である。
炉心溶融に直接影響したとは言い切れないが、人心を不安に陥れ、
瓦礫が復旧の妨げている現状から見て、
水素爆発は事態悪化を招いている。
4号機はさておき、1,3号機に爆発が起き、2号機に爆発がなかった点は注目すべきであ
る。この理由を、2号機は原子炉建家にあるブローアウトパネルが(3号機の爆発により)
開放されたため、
水素ガスが建家内に蓄積しなかったと推測する人もいるが、
詳細究明は今
後に待とう。
それより、我々はこれまで放射能の閉じ込めを完全にと考え、優先させてきた。だが水素
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爆発を介して眺めれば、この考え方は正しいとはいえない。炉心溶融の始まる前に、水素ガ
スを含めた格納容器内の気体を放出させた方が、放射線被曝上も、爆発防止上も、よほど安
全と考えられるのである。真剣に検討して欲しい事項である。因みに、TMI事故で避難勧
告が出されたのは、水素爆発による格納容器の破壊をおそれたためであり、皮肉なことに、
その心配が云々される以前に、
水素爆発が格納容器内で発生していたという事実を伝えてお
こう。
以上、今回の原子力災害事録を基に、現状と懸念、並びに反省事項について概要を述べた
が、
この細部の検証は若い諸君達の仕事である。
活発な議論の上に立って合理的な対策を考
案して欲しい。これらはいずれ、国際的な議論となること必至である。
書くにためらいを覚えるが、
事故時対応を廻っての是非論が起きている。
菅首相の現地訪
問の是非を廻っては、
政治的駆け引きが介在している。
このことに我々が関わることは無用
であるが、今後の原子力災害防止上、科学技術的な議論を国際場裏で行う上で、正確なデー
ターの提出は避けられない。この仕事は、失敗も述べなければならない故に、辛い。
辛くとも、大義親を滅すだ。辛くとも、これだけの災害を起こした日本の信用が懸かって
いる。隠蔽改ざんから決別した東京電力だ。世界に向けて恥じない実録を、整理発信して欲
しい。それが東京電力の崇高な責務である。
末筆となったが、
現場で苦闘して居られる東京電力及び協力企業の職員、
また支援いただ
いている自衛隊、警察、消防の人達の奮闘に対し、深甚な謝意と敬意を述べさせて頂く。加
えて忘れてならないのが、
原子力空母まで動員して救援に赴かれた米軍の協力だ。
友邦米国
の実ある支援に対して深い感謝の念を表し、緊急提言の筆を置く。
(2011年4月11日 記)

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