活用表 動詞についての留意点 助動詞の種類と機能 助詞の種類と機能 仮名遣
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過去・完了 推量 打消 自発・可能・受身・尊敬
使役・尊敬 その他(指定・比況・希求)
咲かむ 恋ひむ 燃えむ 来(こ)む 為(せ)む
悲しからむ(悲しく―あら―む)
見るべからむ(見る―べく―あら―む)
見ざらむ(見―ず―あら―む)
寂しけむかも 消なば惜しけむ 夜道は良けむ
あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を独りかも寝む(拾遺集、柿本人麿)
月影にわが身を変ふる物ならばつれなき人もあはれとや見む(古今集、壬生忠岑)
磐代の浜松が枝を引き結びまさきくあらばまた還り見む(万葉集、有間皇子)
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ(詞花集、崇徳院)
天飛ぶ鳥も使ひぞ鶴が音の聞こえむ時は我が名問はさね(古事記、木梨軽皇子)
ともしびの明石大門に入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず(万葉集、柿本人麻呂)
現代口語では、仮定の話、未来の話でも、例えば「帰る日は分からない」などと言い、「帰るだろう日は...」とは言わない。ところが古文では「帰らむ日は知れず」というように、動詞に「む」を付けてそれがあくまで仮定あるいは未来の事であると明示する。時枝誠記は文語文のこうした文法的厳格さを、「現代口語に比して著しい特徴」であると指摘している(『日本文法 文語篇』)。
こもりくの泊瀬の山の山の際 にいさよふ雲は妹にかもあらむ(万葉集、柿本人麻呂)
はしけやし間近き里を雲居にや恋ひつつ居 らむ月も経なくに(万葉集、湯原王)
いかなればおなじ時雨にもみぢする柞の森のうすくこからむ(後拾遺集、藤原頼宗)
三首目の「こからむ」は「こくあらむ」の約である。
語源は不明。平安時代中期以降、「ん」と発音されるようになり、それに従って「ん」と書かれることも多くなる。鎌倉時代には「う」の形が生じ、現代口語で「だろう」などと言うときの「う」に続いている。
助動詞が続く場合、必ず「む」は最後に来る。「む」のあとに他の助動詞が付くことはない。
住みわびぬ今は限りと山里につま木こるべき宿もとめてむ(後撰集、在原業平)
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(万葉集、大津皇子)
この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも我はなりなむ(万葉集、大伴旅人)
希望をあらわす助詞「なむ」(~してほしい、の意)と紛らわしいが、助詞「なむ」は未然形接続、複合助動詞「なむ」は連用形接続である。
あらなむ 「あってほしい」の意。「なむ」は希望の助詞。
ありなむ 「きっとあるだろう」の意。「なむ」は複合助動詞。
白妙に葺き替へたらむあづまやの軒の垂氷を行き見てしかな(相模集、相模)
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも(万葉集、天武天皇)
思ひ河絶えず流るる水の泡のうたかた人に逢はで消えめや(後撰集、伊勢)
今日そゑに暮れざらめやはと思へどもたへぬは人の心なりけり(後撰集、藤原敦忠)
大君の勅をかしこみちちわくに心はわくとも人に言はめやも(金槐和歌集、源実朝)
狭井河よ雲たち渡り畝傍山木の葉さやぎぬ風吹かむとす(古事記、伊須気余理比売)
我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後(万葉集、天武天皇)
行かむず 見むず
うらうらと死なむずるなと思ひとけば心のやがてさぞとこたふる(山家集、西行)
咲くらむ 恋ふらむ 燃ゆらむ 来(く)らむ 為(す)らむ
あるらむ なるらむ たるらむ けるらむ
あらたへの藤江の浦に鱸 釣る海人とか見らむ旅行く吾を(万葉集、柿本人麻呂)
春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすぞ鳴く(古今集、素性法師)
悲しかるらむ(悲しく―ある―らむ)
見るべかるらむ(見る―べく―ある―らむ)
見ざるらむ(見―ず―ある―らむ)
たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野(万葉集、中皇命)
袖ひちてむすびし水の氷れるを春立つけふの風やとくらむ(古今集、紀貫之)
久方の月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ(古今集、壬生忠岑)
木伝へば己が羽風にちる花をたれにおほせてここら鳴くらむ(古今集、素性法師)
世を捨てて山に入る人山にてもなほうき時はいづち行くらむ(古今集、凡河内躬恒)
疑問の意を表わす語を伴わなくても、「どうして...なのだろう」と疑問に思う心をあらわすことがある。
春の色のいたりいたらぬ里はあらじ咲ける咲かざる花の見ゆらむ(古今集、読人不知)
久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ(古今集、紀友則)
いにしへに恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が思へるごと(万葉集、額田王)
語源は不明。動詞「あり」と助動詞「む」の結合した「あらむ」から来た語かとも言う。平安時代中期以後、「らん」と発音されるようになり、それに従って「らん」と表記されることも多くなる。鎌倉時代には「らう」の形が生じた。
助動詞が続く場合、必ず「らむ」は最後に来る。「らむ」のあとに他の助動詞が付くことはない。
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(古今集、小野小町)
暮ると明くと目かれぬ物を梅の花いつの人まにうつろひぬらむ(古今集、紀貫之)
さす竹の大宮人は今もかも人なぶりのみ好みたるらむ(万葉集、中臣宅守)
思ひいでて恋しき時は初雁の鳴きてわたると人知るらめや(古今集、大伴黒主)
咲きけむ 恋ひけむ 燃えけむ 来(き)けむ 為(し)けむ
悲しかりけむ(悲しく―あり―けむ)
見るべかりけむ(見る―べく―あり―けむ)
見ざりけむ(見―ず―あり―けむ)
「らむ」が現在の事態を推量するのに対し、「けむ」は過去の事態を推量する場合に用いられる。
ますらをの靫(ゆき)取り負ひて出でて行けば別れを惜しみ嘆きけむ妻(万葉集、大伴家持)
寝覚めする身を吹きとほす風の音を昔は袖のよそに聞きけん(和泉式部集、和泉式部)
神風の伊勢の国にもあらましを何しか来けむ君もあらなくに(万葉集、大伯皇女)
琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをより調べそめけむ(拾遺集、斎宮女御)
吾を待つと君が濡れけむ足引の山のしづくにならましものを(万葉集、石川郎女)
勝鹿の真間の入江に打ち靡く玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ(万葉集、山部赤人)
過去回想の助動詞「き」の古い未然形と推定される「け」と推量の助動詞「む」が結び付いたものかという。平安時代中期以降「けん」と発音されるようになり、「けん」と書かれることも多い。
我がためとたなばたつめのその宿に織る白栲は織りてけむかも(万葉集、作者不詳)
百済野の萩の古枝に春待つと居りし鶯鳴きにけむかも(万葉集、山部赤人)
しなてる 片岡山に 飯に餓(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人あはれ 親無しに 汝なりけめや...(日本書紀、聖徳太子)
※(注記)連体形「らしき」は上代、係り結びの際に用いられた(「いにしへも しかにあれこそ うつせみも 嬬を 争ふらしき」)。体言に接続する用法は見られない。
咲くらし 恋ふらし 燃ゆらし 来(く)らし 為(す)らし
現代口語の推量の助動詞「らしい」は、「あの花は梅らしい」などと体言に付けて使われるが、文語の「らし」は体言には付かない。
あるらし/あらし なるらし/ならし けるらし/けらし
悲しかるらし(悲しく―ある―らし)
見るべかるらし(見る―べく―ある―らし)
見ざるらし(見―ず―ある―らし)
春過ぎて夏来るらし白たへの衣乾したり天の香具山(万葉集、持統天皇)前者は香具山に「白たへの衣」が乾してあるという事実に導かれて「春が過ぎて夏が来たに違いない」との推定を下している。後者の「空も人が恋しいらしい」という推量は主観的な空想に近いものではあるが、やはり長雨が降り続ける空という動かし難い現実に即しての推量なのである。
つれづれとながめのみする此の頃は空も人こそ恋しかるらし(風雅集、藤原定頼)
語源は不明。平安時代以後はもっぱら歌語として用いられ、散文語・口語としてはほとんど用いられなかったようであるが、江戸時代に復活し、現代口語の助動詞「らしい」に続いている。因みに「男らしい」「女らしい」などの形容詞を作る「らしい」は室町時代頃に広く使われ始めたと言われる。これは接尾語であり、助動詞「らし」から派生したとは言え別の語である。「男らし」「女らし」といったような言い方は文語には無い。
桜花咲きにけらしもあしひきの山のかひより見ゆる白雲(古今集、紀貫之)
郭公鳴きつつ出づるあしひきの大和撫子咲きにけらしも(新古今集、大中臣能宣)
千鳥鳴く佐保の川霧たちぬらし山の木の葉も色変はりゆく(拾遺集、壬生忠岑)
住む人もあるかなきかの宿ならし葦間の月のもるにまかせて(新古今集、源経信)
しぐるるはみぞれなるらし此の夕べ松の葉白くなりにけるかな(桂園一枝、香川景樹)
ますらをの鞆の音すなり物部のおほまへつきみ楯立つらしも(万葉集、元明天皇)
塩津山打ち越え行けば我が乗れる馬ぞつまづく家恋ふらしも(万葉集、笠金村)
咲くめり 恋ふめり 燃ゆめり 来(く)めり 為(す)めり
はべめり/はべんめり(はべり―めり)
ためり/たんめり(たり―めり)
なめり/なんめり(なり―めり)
悲しかめり/悲しかんめり(悲しく―あり―めり)
見るべかめり/見るべかんめり(見る―べく―あり―めり)
見ざめり/見ざんめり(見―ず―あり―めり)
もともと視覚による推量判断で、「~のように見える」「~ようだ」の意(1)。推量の助動詞と言っても、「らむ」「らし」などのように想像的あるいは推理的な推量とは本来異なる性質のものである。のち一般的な推量(「~らしい」)(2)の用法に拡大し、断定を避けて婉曲に言いなす用い方もされたが、これは主に散文的な用法である。
(1)乎久佐乎と乎具佐受家乎と潮舟の並べて見れば乎具佐勝ちめり(万葉集、作者不明)
(2)契りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋もいぬめり(千載集、藤原基俊)
語源は「見―あり」と推定されている。万葉集では東歌に一例見られるのみで、平安時代の和歌にも用例はさほど多くない。散文で活躍した助動詞である。
指定の助動詞「なり」の終止形と結び付いた「なめり」、完了の助動詞「たり」の終止形と結び付いた「ためり」が散文において婉曲的な表現として用いられたが、和歌での用例は未見である。
鳴くなり 聞こゆなり 為(す)なり
あなり/あんなり(あり―なり)
見ざなり/見ざんなり(見―ず―あり―なり)
侍るなり
指定・断定の助動詞「なり」と紛らわしいが、伝聞・推定の「なり」が終止形に接続するのに対し、指定の「なり」は体言か体言相当の連体形に接続する。連体形と終止形が同じ四段動詞や上一段動詞ではいずれとも判別し難い場合が少なくない。
時雨過ぐなり 伝聞推定。「(聞くところによれば)時雨が過ぎているようだ」意。
時雨過ぐるなり 指定。「時雨が過ぎるのである」意。
視覚に基づいた判断をあらわす「めり」に対し、視覚以外の感覚に基づいた判断をあらわすのが「なり」である。はじめは聴覚に関する事柄に限られたが、のち、触覚・嗅覚・第六感など、視覚以外の感覚に関する事柄へと用途を広げたものと思われる。
吉野なる夏実の川の川淀に鴨ぞ鳴くなる山影にして(万葉集、湯原王)
人はこず風に木の葉は散りはてて夜な夜な虫は声よわるなり(新古今集、曾禰好忠)
難波潟朝みつ潮にたつ千鳥浦づたひする声聞こゆなり(後拾遺集、相模)
我が庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり(古今集、喜撰法師)
桜花ちりかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに(古今集、在原業平)
(1)み吉野の山の白雪つもるらし古里さむくなりまさるなり(古今集、坂上是則)
(2)うたたねの朝けの袖に変はるなりならす扇の秋の初風(新古今集、式子内親王)
(3)雲さそふ天つ春風かをるなり高間の山の花ざかりかも(三体和歌、鴨長明)
(4)待つ人のふもとの道はたえぬらむ軒端の杉に雪おもるなり(新古今集、藤原定家)
(5)逢ふとみてことぞともなく明けぬなりはかなの夢の忘れ形見や(新古今集、藤原家隆)
夏の夜をあかしの月も松原もかげにたゆたふほどは見ゆなり(柏玉集、後柏原院)
語源は不明。おそらく「音(ね)」「鳴る」などと同源の語が動詞「あり」と結び付いてできたものか。中世以降次第に使われなくなって、江戸時代には既に意味が解らなくなっており、詠嘆をあわらすと見る説などが唱えられた。
※(注記)未然形「ませ」は奈良時代の歌に「ませば」の形で多く用いられているが、平安時代には殆ど使われなくなり、已然形「ましか」が未然形に転用された。
咲かまし 恋ひまし 燃えまし 来(こ)まし 為(せ)まし
悲しからまし(悲しく―あら―まし)
思はざらまし(思は―ず―あら―まし)
反実仮想の助動詞と呼ばれる。話し手の仮想の中で、現実にはあり得ないようなことを望んだり、事実と反対のことを想像したりする場合に用いられる。多くの場合、「~ましかば(ませば)」あるいは「~せば」などの条件節を伴う。
思ふにし死にするものにあらませば千たびぞ我は死に還らまし(万葉集、笠女郎)
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(古今集、在原業平)
(1)我が背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しからまし(万葉集、光明皇后)
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(古今集、小野小町)
(2)見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむ後ぞ咲かまし(古今集、伊勢)
世の中にあらましかばと思ふ人亡きが多くもなりにけるかな (拾遺集、藤原為頼)
月影に身をやかへましあはれてふ人の心にいりてみるべく(万代集、源計子)
いづる日の影もおぼろの朝けかな霧にしをれて山路わけまし(柿園詠草、加納諸平)
語源は不明。
早来ても見てましものを山背の多賀の槻むら散りにけるかも(万葉集、高市黒人)
やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな(後拾遺集、赤染衛門)
助詞「を」「ものを」が付くことが多い。上記参照。
咲くべし 恋ふべし 燃ゆべし 来(く)べし 為(す)べし
あるべし なるべし たるべし 生けるべし
見るべし/見べし
悲しかるべし(悲しく―ある―べし)
見ざるべし(見―ず―ある―べし)
「こうなるのが当然、必然である」という話し手の判断をあらわす。
(1)験なき物を思はずは一坏の濁れる酒を飲むべくあるらし(万葉集、大伴旅人)
(2)さやかにも見るべき月をわれはただ涙にくもる折ぞおほかる(拾遺集、中務)
(3)剣太刀いよよ研ぐべし古ゆさやけく負ひて来にしその名ぞ(万葉集、大伴家持)
士やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして(万葉集、山上憶良)
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山(山家集、西行)
わが背子が来べき宵なりささがねの蜘蛛の行ひ今宵しるしも(古事記、衣通姫)
朝霧のおほに相見し人故に命死ぬべく恋ひ渡るかも(万葉集、笠女郎)
ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今は我が名の惜しけくもなし(万葉集、作者不明)
心細くおもふな吾妹(わぎも)汝(な)がいはば神にも背き世をも捨つべし(伊藤左千夫)
花の色は雪にまじりて見えずとも香をだににほへ人の知るべく(古今集、小野篁)
見わたせば比良の高根に雪消えて若菜つむべく野はなりにけり(続後撰集、平兼盛)
語源は「うべ(諾)」との関連が指摘されている。現代の口語にも生き残っている助動詞である。
あはれにもみさをにもゆる蛍かな声たてつべきこの世と思へば(千載集、源俊頼)
いつまでか野辺に心のあくがれむ花し散らずは千世も経ぬべし(古今集、素性法師)
見るべくあらず/見るべからず
見るべくありぬ/見るべかりぬ
見るべくありけり/見るべかりけり
見るべくあるらし/見るべかるらし
佐保山のははその紅葉ちりぬべみ夜さへ見よと照らす月影(古今集、読人不知)
思ふべからず 見るべかりけり 言ふべかるらし
あるべからず
悲しかるべからず(悲しく―ある―べから―ず)
見ざるべからず(見―ず―ある―べから―ず)
恋しとは誰が名づけけんことならん死ぬとぞ唯に言ふべかりける(古今集、清原深養父)
いささかは肌はひゆとも単衣きて秋海棠はみるべかるらし(長塚節)
万葉集には「べくあり」のような原形も見えるが、平安時代以降はもっぱら「べかり」「べかる」と言うようになった。
思ふべらなり なりぬべらなり
あるべらなり 生けるべらなり
秋の夜の月の光しあかければくらぶの山も越えぬべらなり(古今集、在原元方)
天地の清きなかより生れ来てもとのすみかに帰るべらなり(北条氏照)
平安時代、特に古今集の頃に流行した。その後は擬古調の歌で稀に用いられた程度である。
公開日:平成19年3月8日
最終更新日:平成21年2月15日