場所は記憶する――私たちはいまどこに居て、どこへ往くのか
〈第二章 水辺の異変〉1
泉鏡花『高野聖』
前田速夫
魔界のエロス
前回取り上げた峠は、山の登りと下りとを分ける典型的な境界のトポスでした。一方、今回取り上げる水辺は、同じく陸地との境界に位置していますが、その接しているところは、川や泉や湖や海など、水面であることで共通しています。これには、どのような特徴があるでしょうか。
はじめは泉鏡花の『高野聖』(岩波文庫)。これは、語り手の旅人が越前敦賀の旅籠屋で同宿の僧侶から、若いとき飛騨から信州を超える峠で経験した不思議な物語を聞くという形式で書かれています。
旅の僧が峠の旧道に踏み迷い、身の毛のよだつ思いをしながら、しだいしだいに魑魅魍魎のすみかに吸い寄せられていく導入部は、何度読んでも初めて読むときのような新鮮な恐怖がこみあげてきます。
《路がいかにも悪い、
宛然人が通いそうでない上に、恐しいの
は、蛇で。両方の
叢に尾と頭とを突込んで、のたりと橋を渡し
ているではあるまいか。
私は真先に
出会した時は笠を被って竹杖を突いたまま、はッと
息を引いて膝を折って坐ったて。
いやもう
生得大嫌、
嫌というより
恐怖いのでな。
その時は先ず人助けにずるずると尾を引いて、向うで鎌首を上げ
たと思うと草をさらさらと渡った。》
二度も三度も、大蛇に出遭っただけではありません。
《先ずこれで七分は森の中を越したろうと思う処で五、六尺
天窓 の上らしかった樹の枝から、ぼたりと笠の上へ落ち留まったものが
ある。
鉛の
錘かとおもう心持、何か木の実ででもあるか知らんと、
二、三度振って見たが
附着いていてそのままには取れないから、何
心なく手をやって摑むと、滑らかに冷りと来た。
見ると
海鼠を裂いたような目も口もない者じゃが、動物には違い
ない。不気味で投出そうとするとずるずると辷って指の
尖へ吸いつ
いてぶらりと下った、その放たれた指の尖から真赤な美しい血が
垂々と出たから
吃驚して目の下へ指をつけてじっと見ると、今折
曲げた
肱の処へつるりと垂懸っているのは
同形をした、幅が五
分、丈が三寸ばかりの山海鼠。
呆気に取られて見る見る内に、下の方から縮みながら、ぶくぶく
と太って行くのは生血をしたたかに吸込む
所為で、濁った黒い滑ら
かな肌に茶褐色の縞をもった、
疣胡瓜のような血を取る動物、此
奴は
蛭じゃよ。》
やがて、山中の孤家の美女に導かれて谷間へ行き、水浴びをする場面が現れます。宿、登山道、山中の孤家、谷間と、ポイントになる場所を移してきて、ここで現れた水辺のシーンは、以下のごとくです。
《自分達が立った側は、
却て
此方の山の裾が水に迫って、丁度
切穴の形になって、其処へこの石を
嵌めたような
誂。川上も下
流も見えぬが、向うのあの岩山、
九十九折のような形、流は五尺、
三尺、一間ばかりずつ上流の方が段々遠く、飛々に岩をかがったよ
うに隠見して、いずれも月光を浴びた、銀の
鎧の姿、
目のあたり
近いのはゆるぎ糸を
捌くが如く真白に翻って。
(結構な流れでございますな。)
(はい、この水は
源が滝でございます、この山を旅するお方
は皆な大風のような音を
何処かで聞きます。
貴僧は
此方へ
被入っ
しゃる道でお心着きはなさいませんかい。)
さればこそ
山蛭の大藪へ入ろうという少し前からその音を。
(あれは林へ風の当るのではございませんので?)
(
否、誰でもそう申します、あの森から三里ばかり
傍道へ入り
ました処に大滝があるのでございます、それはそれは日本一だそう
ですが、路が嶮しゅうござんすので、十人に一人参ったものはござ
いません。その瀧が荒れたと申しまして、丁度今から十三年前、
可恐しい
洪水がございました、
恁麼高い処まで川の底になりまし
てね、麓の村も山も家も
不残流れてしまいました。この
上の
洞 も、はじめは二十軒ばかりあったのでござんす、この流れもその時
から出来ました、御覧なさいましな、この通り皆名石が流れたので
ございますよ。)
婦人は何時かもう米を
精げ果てて、衣紋の乱れた、乳の端もほの
見ゆる、
膨らかな胸を
反して立った、鼻高く口を結んで目を
恍惚 と上を向いて頂を仰いだが、月はなお半腹のその累々たる
巌を照
らすばかり。
(今でもこうやって見ますと恐いようでございます。)と
屈んで
二の腕の処を洗っていると、
(あれ、
貴僧、
那様行儀の
可いことをして
被在しってはお召が濡
れます、気味が悪うございますよ、すっぱり
裸体になってお洗いな
さいまし、私が流して上げましょう。)》
そして、この日の夜ふけ、果たして旅の僧は寝床で魑魅魍魎どもに襲われ、一心不乱に陀羅尼を唱えたその翌朝、僧は一夜の礼を述べて山を下り、里近い滝のほとりまで来ると、なんだか孤家の女が恋しくなって、引き返そうかと迷い心が湧く。そのとき、きのう山の家で見かけた親爺が現れて、僧の気の迷いをたしなめ、孤家の女が神通力を持つ魔女で、旅の男を弄び、飽きると息を吹きかけて獣にしてしまうのだと告げます。
華麗な神韻縹渺とした文体で、魔界のエロスとタナトスを描いたこの作品に、よけいな説明はぶちこわしですが、孤家の魔性の女は、欲望に駆られて近寄る男を獣や鳥に変えてしまう神通力を持つ一方で、永遠の思慕たる聖なる女神の面影も宿している。私はここに鏡花の母性憧憬を見、彼が信奉していた白山の女神の像をダブラせます。
二人が水浴びする谷間は「切穴の形になった」洞窟めいた地形をして、水が豊富に流れています。これは母胎幻想にお
誂えのトポスです。そして、こういうテーマを描くのに、「世の譬にも
天生峠は蒼空に雨が降るといふ、人の話にも神代から杣が手を入れぬと聞いた」という、「天生」という漢語からくる蒼古のイメージが、この作品には相応しいと考えて、熟慮の末にその舞台を選んだのでしょう。
私はこの実在する天生峠は、じつは越中と飛騨の境にある双六谷を念頭に、その名称だけ借りたのであったろうと考証しました。興味のある方は、拙著『異界歴程』(二〇〇三年、河出書房新社)中の一章「魔法の谷」をごらんになってください。
- 著者略歴
- 前田速夫(まえだ・はやお)
一九四四年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。一九六八年、新潮社入社。一九九五年から二〇〇三年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。一九八七年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』『老年の読書』など。
本連載と同時進行で「三田文学」に『対比列伝 作家の仕事場』を連載中。