Balibar, Etienne
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エティエンヌ・バリバール/エチエンヌ・バリバール
last update:20100715
1942年フランス生まれ。アルジェ大学、パリ第一大学を経て現在、パリ第十大学教授。政治哲学、道徳哲学を講じている。著書に「資本論を読む」「史的唯物論研究」など。(bk1のHPより)
■しかく著作/文献
◆だいやまーくBaribar, Etienne ; Wallerstein, Immanuel 1990
Race, nation, classe: Les identites ambigues, Editions La Decouverte
=19970306 若森 章孝・岡田 光正・須田 文明・奥西 達也 訳
『人種・国民・階級──揺らぐアイデンティティ〔新装版〕』 大村書店 448ページ ISBN4-7563-1019-2 C3030
※(注記)
◆だいやまーくBaribar, Etienne 1991
Ecrites pour Althusser, Editions La Decouverte
=19941025 福井 和美編訳
『ルイ・アルチュセール──終わりなき切断のために』,藤原書店,432p. ISBN:4-938661-99-3 4,660円
※(注記) [amazon]/
[bk1] ※(注記)
◆だいやまーく1998
Droit de cite: culture et politique en democratie Editions de l'Aube
=200010 松葉 祥一訳
『市民権の哲学――民主主義における文化と政治』 青土社 261p ISBN:4-7917-5846-3
◆だいやまーく『マルクスの哲学』
[bk1]
*以下、上掲HPより
杉山 吉弘訳
法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス 503) 四六判 / 188,23p ISBN:4-588-00503-0 1995.12 2,400円
内容説明 「マルクス主義」、イデオロギー、物神性、歴史性等々といった概念に関して哲学的議論を展開。「マルクスの諸哲学」を再考するバリバールのマルクス哲学入門。*出版社品切れ(200210)
◆だいやまーくエティエンヌ・バリバール〔Balibar,Etienne〕2003
L’Europe,L'Amerique,La guerra: Reflexions sur la mediation europeenne,Edition la Decouverte=20061215 大中 一彌 訳,
『ヨーロッパ、アメリカ、戦争』,平凡社,320p ISBN-10:4582702600 2800円
[amazon]/
[kinokuniya] ※(注記)
◆だいやまーくBalibar, Etienne 1997
La crainte des masses Ed Galilee=199910 水嶋一憲・安川憲治訳,「政治の三概念――解放,変革,市民性」,『思想』904(1999-10):073-094(冒頭部分の訳)
■しかく関連文献
◆だいやまーく松岡 利道 19990125 「近代世界のジレンマ: ウォーラーステインとバリバールの対話」,若森・松岡 編 [1999: 031-060]*
*若森 章孝・松岡 利道 編 19990125
『歴史としての資本主義――グローバリゼーションと近代認識の再考』,青木書店,237p. ISBN:4-250-99003-6 2800
※(注記)
■しかく2002年10月16日 〈21世紀・知の潮流を創る、パート2〉・・・第1回講演会
「
市民性の政治に向けて──暴力とグローバリゼーション」
1630〜1830 立命館大学末川記念会館ホール
コメンテータ:
西川長夫(立命館大学国際関係学部教授)[当時。現立命館大学大学院先端総合学術研究科教授]/松葉祥一(神戸市看護大学教授)
司会:
渡辺公三(立命館大学文学部教授)[当時。現立命館大学大学院先端総合学術研究科教授]
※(注記) 講演はフランス語でおこなわれ、その日本語訳が配布されます。また、講師とコメンテータの対話や質疑応答は、通訳を介して日本語でやりとりされます。
主催:立命館大学
先端総合学術研究科(2003年4月開設予定;文部科学省設置認可申請中)[当時]/国際言語文化研究所
お問い合わせ:075−465−8375
*立命館大学衣笠キャンパスアクセスガイド
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/access-map/kic-access.htm
*キャンパスマップ
http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/access-map/k-map.jpg
*京都市バス時刻表
http://www.city.kyoto.jp/kotsu/busdia/bustime.htm
*一部(の文脈を省いた)引用
「グローバリゼーションの新たな段階とともに、「内戦」あるいは「対外戦争」、共同体内での「民族的−宗教的」な暴力、しかしまた究極的貧困状況、飢饉、いわゆる「天災」といった、絶滅的暴力のさまさまな方式のどんどん巧妙になっていく術策が、世界中に広まっていったことを忘れないでおこう。その術策は、「生の地帯」と「死の地帯」のあいだに偏った分割を産み出すことで、[...]「絶滅主義(exterminisme)」と呼ばれるに値する。絶滅的暴力を「抑制し」、「標的とする」ために国家あるいは同盟の境界を利用することは、つねにきわめて「有効」であることがここでは明らかであるが、とりわけ中央アフリカか中東、バルカン半島での最近の出来事が示したように、驚くほど脆いこともまた明らかである。
したがって、少なくともその現在のようすでは、「干渉権」についての論争は、より巨大な問題を覆い隠していることが考えられる。その問題とは、真に連続した不幸の連鎖といったものを、形作る、自然的かつ文化的な絶滅的過程への
一般化した非介入である。そこでは、チェチェン、コソボ、パレスチナ、イラク、チベットは、ルワンダ、アフガニスタン、アルジェリア、コロンビア、ブラジルと肩を並べ、また、アフリカのエイズ問題、洪水によって荒廃したインドの地方とも肩を並べている。すなわち、また実際には考察されていない絶滅的な生−政治あるいは生−経済の現実である......。」
→Balibar, Etienne 20021201 「暴力とグローバリゼーション──市民性の政治のために」,松葉祥一・亀井大輔訳『現代思想』30-15(2002-12):16-27(2002年10月16日・立命館大学での講演)
◆だいやまーく言及
◇立岩真也 2004年01月14日
『自由の平等――簡単で別な姿の世界』,岩波書店,349+41p.,3100
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[kinokuniya]/
[kinokuniya]
「☆14 国家という単位が不十分、という以上に抑圧的であることについては[2000a:(下)][2001b:(2)]で述べた。分配が国家の単位を越えてなされるべきとだいう主張(Beitz[1979]、Pogge[1989][1994]、等)に対しRawls[1999b]が否定的であることを伊藤[2002:233]が紹介しているが、もろちん本書から支持されるのは前者である。関連する議論の紹介としてBrown[1998=2002]。分配の範域を広げることの可能性に人と人の関係の近さ・遠さがどう関わるかという主題がある。第3章3節1で考える。外部者の立ち入りを遮断し他の地域のために税金を払うことを拒絶する米国のゲーティド・コミュニティ、地域の「疑似政府」、共同体主義によるその肯定について酒井[2001:259ff.]、Bickford[2000=2001]。たんに「地方分権」を肯定することはそれを是認することでありうる。そのことに鈍感であるべきでないと[2001c]で述べた。それはまた「干渉(権)」について考えようということでもある――例えばバリバールが「絶滅的な生−政治あるいは生−経済の現実」としての「全面的な非介入」にふれている(Balibar[2002:22])。そんなことを考えていって主張しようとするのはHardt & Negri[2000=2003]の最後に記される、道具立てのわりには平凡なと評される(Zizek[2001=2003])方向とそう違わないかもしれない。ただそれをさらに平凡に、順序通りに考えて言おうと思う。」(p.293 序章・註14)
◇立岩 真也 2008 『...』,筑摩書房
文献表