社会はデコボコだ:天田城介対談3
「身体の現代」計画補足・592
立岩 真也 2019
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天田城介さんとの『週刊読書人』での対談の紹介の3。『週刊読書人』3285号(2019年4月12日号)に掲載されたもの。オンラインストアで280円(税込) で購入できます。
http://www.dokushojin.co.jp/?pid=142167007
『不如意の身体――病障害とある社会』と『病者障害者の戦後――生政治史点描』の関係の対談です。全文を週刊読書人のサイトで読むことができます。
■しかく目次(月日は『週刊読書人』オンライン版掲載月日)
◇第1回 社会を構成するものの断絶、境界、区切られ方2019年4月12日
◆だいやまーく第2回 当たり前に知っているべきことを、知っているべきだ2019年4月13日
第3回 書いたから苦しみ、痛みが減るわけではない。2019年4月14日
第4回 でも社会の中での優先順位がどうかは書ける2019年4月15日
第5回 私たちは現実をほとんどきちんと理解していない2019年4月16日
第6回 国立療養所の歴史を検証する「見取り図」2019年4月17日
◇第7回 アーカイヴィングは、大学の社会的使命2019年4月18日
で、◇については(一部)紹介してきた。
◆だいやまーく第2回 当たり前に知っているべきことを、知っているべきだ2019年4月13日
https://dokushojin.com/article.html?i=5306&p=3
かなりいろいろな、話せばいずれも長くなる話をしています。ここでは「一つ言えるのは、社会というもののかたちは一様ではなく、デコボコだということです」(立岩)という話。
「立岩 例えば難病という分野の医療者として何十年も従事している人が、障害者の社会運動組織や、政策を作ろうとする動きについて知らない。その結果として、国立療養所以外の別の場所でも暮らせるはずの人たちが、外の世界と遮断されてしまい、そこに留まる選択しかできない。あるいはわずかにそこを出た人が、個人的な苦闘や困難に見舞われることになる。それは端的に、病・障害者の暮らしにとってマイナスです。長い間の断絶のために、知られるべきことが知られず、損をする人がいるのは嫌だな、よくないな、これからでも変えた方がいいなと。青の本で、筋ジスの人たちについて書いたのは、そういう素朴な気持ちからです。だから、かたちとして社会を描こうというよりは、実践の気持ちが大きかった気がします。
二〇〇四年に『ALS』という本を書いたときに、〔医師たち〕看護師たちが医療に関すること以外、何も知らないことに気づいたんです。何で知らないんだろう、と思うわけですよ。
それは先ほど天田さんが言った、何で社会がそうなっているのか、ということに関わってくるのですが、まずはごく単純に形成された断絶について言えるかもしれない。自分たちは医療者であり、目の前にいる人たちは病人である、その関係だけで成立する世界があった。一方、医療とは別の側面で、運動を通じて、彼らの生活を支援し形成してきた人たちがいた。その目に見える縄張り争いは、九〇年代から二〇〇〇年代にかけて起こるわけですが、それはまことに下世話な話で、医療ケアを誰が担うかという、業界内での縄の引っ張り合いになっていきます。つまり業界が自分たちの立場を守ろうとしたり、領分を拡張しようとする中で、断絶が形而下的に形成されていったのだろうと。そういうことをしていたらこの社会はだめだよね。」
『ALS』という本のことは
http://www.arsvi.com/ts/2004b2.htm
に、「医療的ケア」については
http://www.arsvi.com/d/a02m.htm
をまずはご覧ください。この主題についてのまとまった研究もありません。研究しようという人、歓迎です。
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182592.htm
にもある。