天田城介さんと『週刊読書人』で対談させてもらった。『週刊読書人』3285号(2019年4月12日号)です。オンラインストアで280円(税込) で購入できます。どうぞどうぞ。
http://www.dokushojin.co.jp/?pid=142167007
『不如意の身体――病障害とある社会』と『病者障害者の戦後――生政治史点描』の関係の対談です。
全体としてかなり長いものを掲載していただきました。それの一部(まずは私の発言部分)をごくごくゆっくり分載していきます。
http://www.arsvi.com/ts/20190010.htm
にまとめていきますが、まずは、『週刊読書人』購入よろしくです。
「天田 今回、立岩さんは赤と青の本を刊行されましたが、これは二冊で一揃いですね。これはまごうかたなき社会学の本であり、それ以外のジャンルではないというのが僕の率直な印象です。
[...]
立岩 生命や身体について、ここ何十年か、妙に深淵に語られようとしてきたように思いませんか。それにもそれなりの意味はあったんでしょう。ただ、もっと当たり前のところから考えてみたっていいじゃないかと。死ぬこと、痛いことに、論理なんか通用しない。でもその当り前のことを確認してみる、そこからだって話はできる、そういう気持ちがありました。
社会についても、生政治とか生権力といった語り方があるけれど、実際の世の中はもっと平凡にできてきたのではないかと思うんです。あるいは生政治・生権力といったもの自体がまずはまったく凡庸なものであると。例えばその場を構成した人びとが、自分の利得のために縄張り争いをしたり、保身に走ったりする中で、陳腐な制度が出来上がってしまった、とかね。
つまり簡単な言葉や単純な事柄を、素朴に組み合わせるだけでも、まだ語られていないことがたくさんあるということです。そしてそこから掘り下げて、話すべきこともまだまだあるけれど、とりあえず僕はここまで提示するから、続きは別の人がやってねと。
そういうスタンスからでも、同じように障害者に携わっている人びとや団体の間に、隙間や断絶があって、Aの場にいる人はBが見えないし、Bの場にいる人はAが見えていないということが分かる。AとBが断絶したまま併存するところに、この社会は成り立ってしまっている。そしてこの断絶は、因縁あるいは理由があって、起こってきたことなのだと。その理由を書くために、紙幅を割いたとも言えますね。
僕がよく言うのは、ないより合った方がよいものはまずはあった方がいい。僕のこんな本でもないより合った方がいい。悲しいかな、社会学の現状は、基礎的なものごとについて、書き物が揃っていないのです。」
生存学研究センターのフェイスブックにあるこの文章と同じものは
http://www.arsvi.com/ts/20182588.htm
にもある。