研究のことや大学院生のこと 연구일과 대학원생에 대하여
御挨拶に代えて인사를 대신하며
立岩 真也 다테이와 신야(立命館大学리츠메이칸대학) 2010年05月27日
於(장소):韓国・研究空間〈スユ+ノモ〉(南山[ナムサン])한국・연구공간〈수유+너머〉(남산)
みなさんはじめまして。日本の京都にある立命館大学からまいりました。私たちは大学の大学院・立命館大学大学院先端総合学術研究科の大学院生、またその修了者です。また立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学創成拠点――障老病異と共に暮らす世界の創造」のメンバーでもあります。「生存学創成拠点」については
パンフレットを翻訳したものがありますので、ご覧ください。私は教員の立岩と申します。明日28日と31日に韓国で講演をします。
28日の講演のための資料をこの冊子に収録してあり、そこにすこし自己紹介もあります。
私たちがよく知っている金友子さん編訳の『歩きながら問う――研究空間「スユ+ノモ」の実践』(2008)等で、私たちはスユ+ノモのことをすこし知りました。とても興味深い場所だと思いました。比べると私たちは、普通の大学院にいます。ただ、そこにいる人たちと、そこでその人たちがやっている中身には、なかなかおもしろいところがあると思っています。韓国などからの留学生もいます。韓国語のHPを充実させていこうと考えていますので、どうぞご覧ください。また韓国語のメールマガジンを出していますので、購読者になっていただければうれしいです。
この冊子には、私が『京都新聞』に書いたコラムの中から3つ、翻訳していただいたものを載せました。私たちの拠点のこと、大学院生のこと、学問のあり方のことについて書いたものです。ご参考まで。私たちの国の大学院生もなかなかたいへんです。
今日、この場における交流が実り多いものとなることを願っています。よろしくお願いいたします。以上です。
여러분 안녕하십니까 일본 교토에있는 리츠메이칸대학에서 왔습니다. 저희들은 대학의 대학원.리츠메이칸 대학대학원 첨단종합학술연구과의 대학원생과 졸업생입니다. 또 리츠메이칸대학 글로벌 COE프로그램 「생존학 창성거점――장노병이와 함깨 사는 세상의 창조」의 멤버입니다. 「생존학 창성거점」에 대해서는
팜플렛을 번역한것이 있으므로 봐주시기 바랍니다. 저는 교수인 다테이와라고 합니다.내일 28일과 31일에 한국에서 강연을 합니다.
28일의 강연을 위한 자료을 이 책자에 수록되어있고 그곳에 짧은 제소개도 있습니다.
우리들이 잘 알고있는 김우자씨의 편집의 『걸으면서 묻다.――연구공간「수유+너머」의 실천』(2008)등에서 우리들은 수유+너머를 조금 알게 되었습니다. 무척 흥미로운 장소라고 생각합니다.비교해보자면 우리들은 보통의 대학원에 있습니다. 단지 그곳에 있는 사람들과 거기에서 그 사람들이 하고있는 내용은 꽤 재미있는 부분이 있다고 생각합니다. 한국등에서 온 유학생도 있습니다. 한국어의 홈페이지를 충실하게 만들어갈 생각이므로 부디 봐주시기바랍니다. 또 한국어메일 매거진을 발행중입니다. 구독자가 되주신다면 기쁠것입니다.
이 책자에는 제가『교토신문』에 쓴칼럼중에서 3개,번역한것을 실었습니다. 우리들의 거점,대학원생에 관해, 학문의 방향에 개해 쓴것입니다. 참고해주시기 바랍니다. 일본의 대학원생도 꽤 힘듭니다. 오늘 이장소를 빌어서 교류가 많은 결실을 맺기를 기원합니다. 잘부탁드립니다. 이상입니다.
■しかく研究費の使い途
2007年10月03日 『京都新聞』2007年10月3日 夕刊:2(現代のことば )
関係者しか知らないことなのではあるが、ここのところ、お国の「研究」に出すお金の出し方が変わってきている。薄く広くであった(かどうか疑わしいのだが)やり方から、少なめの「拠点」を決めて、そこには大きめのお金を出すから、出すもの(成果)を出しなさいというのである。すると、大学、とくにそれなりの大学だと思っているか思われたい大学は、それに応募しよう、させよう、となる。ただでさえこっちは忙しいのに迷惑な話なのだが、結局、応募の書類を書くことになる。
それがCOE、訳せば「卓越した拠点」。五年ほど前から始まった。「二一世紀COE」と呼ばれていたその第一期が終わり、第二期(「グローバルCOE」)が今年度始まり、継続が認められるもの認められないものがあり、新規参入も少しあるといった具合だ。来年度も、一年遅れで始まった「社会科学」等の第一期が終わり、第二期が始まる。
私の勤める大学は、さきに記したような思惑で、ずいぶん積極的で、先端総合学術研究科という恥ずかしいような名前の私たちの大学院もその「指名競争」に参加することになった。結果、たいして大きめのお金でもないのだが、それはさておき、「生存学創成拠点」が、「学際・複合・新領域」という領域?で認められた。もう一つは、発展的継続というのか、「人文」の領域で「日本文化デジタル・ヒーマニティーズ拠点」が採択された。私は、前者の方の仕事をすることになった。
「学問」は何をしたらよいのか、どんな仕組みがよいのか。いっときなされた議論は、昨今あまり流行らない。そんな大上段の議論もあってよいと思いつつ、ただとりあえず、この仕組みがあってしまっているその上で、他の人たちが税金を使うのよりはよい使い方をしたいとは思うし、それは可能だとも思っている。
「生存学」という名称はとにかく看板がいるというのでひねくり出したものだが、その副題は「障老病異と共に暮らす世界の創造」という。その「障老病異」について、知ったり考えたりしてよいことより、この世にあるものは少ない、それはよくないと私たちは思ってきた。
もちろん、医学や看護学その他は病人を扱ってきたし、社会福祉学その他は障害者や高齢者を扱ってきた。けれどもそれでは足りないと思う。どのように足りないのか。これもまた話せば長い話になる。ただ一つ、体がいろいろでありながら、またいろいろになりながら、人は死ぬまで生きてきたし、生きている。その中で、この世への不平不満もあるだろうし、われながらなんだかわからないことも多々あり、しかしそれを言ってみようということもある。
それを自分で考えて言ってみるのも一つだ。ただ、既に考えてきた人たちがいる。中には文字になったものもある。それは多く「学問的」なものではない。しかしそこらの学問よりも大切なことを言っていることがある。だが集めたり整理するのは面倒だから、そのままになってしまうこともある。人々は忙しい。それに対して、学問は、なんだかのんきなことを地味地味やっている。それを許してもらっている。その立場を生かして、人々がやってきたり考えてきたことを集め知らせるという仕事がまず一つあると思う。そんなつもりもあって、最近、『母よ!殺すな』というぶっそうな題の本の復刊(横塚晃一著、生活書院)を少し手伝わせていただいた。一九七五年に出て、多くはないが少なくもない人たちに大きな影響を与えたが、長く読めなくなっていた本である。
■しかく大学院を巡る貧困について
2007年11月27日 『京都新聞』2007年11月27日夕刊:2(現代のことば)
就職がよくなったという話もあるが、そんなことはない人も当然たくさんいる。大学院にいる人、出た人もそうだ。私も大学が月給をくれる職に就いたのは三十三歳になってだったが、もっと長く常勤の仕事がない人たちもたくさんいる。そしてここ数十年、その状態はさらに進行している。教育研究機関の数は増えないが、大学院と大学院生が増えた。とすればあぶれる人が増えるのも当然だ。この業界のなかにいる人はこのことをみな知っている。だから私は、このことだけは大学院を受験しようという人に言う。言わないと詐欺だから、言う。
それでも入ってくる人はいる。自ら状況は知った上で選んだことなのだろうから、研究成果をあげるための手伝いはするが、それ以上の責任はありませんというのが基本ではある。ただそれだけのことでもない。ここには仕事とお金の配分の問題が関わっているからだ。今この仕事をして金を得ている人がいる。他方にそうでない人がいる。金は得ているが少ない人がいる。
非常勤講師はそんな仕事で、一つの科目担当だけなら月に二万円台。他に定まった収入がある人にとっては、頼まれて仕方なく引き受ける代わりの報酬だが、この仕事だけでやっていくなら、週に十個してもその十倍にしかならない。そして、そもそもそんな掛け持ちは物理的に不可能である。実情はこんな具合だ。
幾つか考えられることはある。例えば別の仕事に就くこと。それはおおいにありだと思う。好ましいことだと思う。ただ、ここでは他の可能性を除外する。すると残るのは二つだ。一つ、仕事がたくさんの人から少ない人に渡す。一つ、賃金の格差を小さくする。
まず、月給をもらっている私たちは、仕事が多すぎると毎日思っている。多くの場合それは事実だ。他方に仕事をしようという人、実際にできる人がいる。ならば第一に、仕事量のでこぼこを調整すればよい。第二に、受け取りも調整すればよい。
第一点だけなら反対する人はいない。だが第二点は、場合によったら常勤職の給料を安くしろということだ。そこで常勤職の私たちは入試だの学内行政だの他にいろいろ仕事があると言う。これも、それ自体は事実である。だがそれを勘案した上でもどうか。それは何百万円分に相当するか。すると次に、仕事(例えば授業)の質が違う、などと言う。しかしこれも、労働条件の決定に関与できる側が自らに都合のよいことを言っているのだから、まるごとは信用できない。
常勤労働者側には現状を維持したい利害がある。さらに今の状況を作ってきた、すくなくともそれを容認してきた文部科学省は、常勤教員の授業の割合が高い大学がよい大学だといったまぬけなことを言う。それを受けて大学は非常勤を減らす方向に向かっているようだ。困ったことであり、まったく愚かなことだ。
働きすぎることはない。好きな研究も(好きだとして)できない。その分給料減っても、授業その他の仕事を皆で割った方が様々によい。少ししずつ確実なところから実行していけば、仕事の質も管理できる。
■しかく学者は後衛に付く
2008年01月31日 『京都新聞』2008年01月30日夕刊석간:2(現代のことば)
なにか新しいことを考えついて、新しいものを作っていくのはわるいことではない。私自身も「先端」なんとかいう名前の大学院に勤めてはいる。ただ、同時に、現実の後に付いて、拾って歩くことが大切だと思う。
そんなことはわかっていると言う人もいるだろう。歴史学にしてもなににしてもそんなことをしているではないか。ただ私が思うのは、そんなに昔のことでなく、わりあい近い過去あるいは現在の記述・記録だ。例えば一つ具体的には、福祉や医療に関わる様々な活動の記録をしていくことであり、その制度や仕組みに関わるこまごましたことをまとめて知らせることだ。
まず後者。これは制度の方に問題があるのだが、こまごまと複雑で、ころころ変わる。そして公務員なら制度のことを知っているかというとそんなことはない。忙しい、また異動が多いということもあって、勉強できない。すると、実際には使えるし、他の地域では使われている制度も、ある地域、例えば京都市では使えないことになってしまい、結果、人々に迷惑がかかる。こないだ、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の甲谷さんの介護保障についての京都市役所との協議に同席させてもらった時にも、そのことを感じた。例えば、介護に関わる加算など、もっと使える制度である生活保護がきちんと使われていないのだ。
となると、制度を使う側が知識をもっていなければならないことになってしまう。めんどうなことだし、個人には難しいことでもあるが、民間の組織がその部分に対応してきた。結果、多くのことについて、いま最もよくものごとを知っているのは役人でも学者でもなく、民間でたいがいは儲からない活動をしている人たちということになる。その人たちが持っている知識やノウハウの方が、なにか気のきいたことを言おうとして実際にはたいしたことを言えていない研究者の論文に書いてあることより、よほど価値のあることが多い。
ただ、その人たちは忙しい。前に進む、あるいは後退を食い止める、その日々の仕事で手いっぱいのことが多い。これまでの経緯を振り返ったり、全体をまとめたり、そんなことをしている暇がない。だから、一つにはその人たちがもっと余裕をもてるようになるとよいのだが、その他に、研究者や研究者になろうとする人たちが後にくっついて、調べるものを調べ、まとめるものをまとめる仕事をするというやり方がある。また、その人たちといっしょに仕事をするというやり方がある。
例えばアフリカのことなどめったなことでは新聞に載らない。しかしとても重要だ。その最近の動向を押さえておく必要があるが、私たちにはそんな力がない。そこで「アフリカ日本協議会」という東京に事務局のあるNGOに情報収集とホームページへの掲載を依頼してやってもらっている。そうして現在の学者の非力を補ってもらいながら、しかし学者も仕事をする。後衛に回ってきちんとした仕事をする。そんなことも大切だと思う。