『全障連』No.86
last update:20220704
■しかく文字起こし
表紙
KSK No.86
全障連
全国障害者解放運動連絡会議
写真省略「夏の大会へ向け、実行委員会が結成される。戸田全国事務局次長の講演に聞き入る仲間たち。5月13日(土)広島県立生涯学習センターにて。(関連記事=p.1〜4)」
一九八九年六月十六日発行(毎月三回五・一五・二五の日発行)KSK増刊通巻一七九号 一九八四年八月二〇日 第三種郵便物認可
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自力・自闘の闘いを押し進め、全障連第十四回広島大会を成功させよう!全国の皆さん!支援カンパをお願いします!全国事務局長 矢内健二
カンパ振込先=大阪5189198全障連全国事務局
全国の仲間の皆さん!時代はまさに激動しています。
「戦後政治の総決算」を唄った中曽根政治を継承した竹下自民党政権は、人民の八割以上が反対してきた、公約違反の「消費税」を国会で強硬採決しました。そして「消費税」導入と前後して発覚したリクルート疑獄は、竹下自民党政権をして震撼させる大疑獄事件に発展してきたのです。そもそもリクルート疑獄の本質は、中曽根前政権の「行政改革」=「民営化」路線が、政界と独占資本の利権あさりに利用された単なる汚職事件ではなく、保守政治の構造的な腐敗現象なのです。
こうした保守政治の危機を乗り切るために、竹下自民党政権は、一月七日、天皇ヒロヒトが死亡するや、神道行事の国家行事化を強行し、また九三億の巨費を投じた二月二四日の「大喪の礼」にも見られるように、天皇制を軸とした民衆統合を更に強めていったのです。しかし、周知のように竹下自らがリクルート疑獄に泥まみれになり、遂に辞任を表明せざるをえないところまで、追いつめられてきたのであります。
また現在、自民党は「竹下後」をにらんだ政権のたらい回しに終始していますが、たとえどのような政権が誕生しようとも、軍事国家への道を歩む限り、刑法・拘禁二法・精神保健法の更なる改悪や、スパイ防止法新設等、治安・弾圧の強化がもくろまれるに違いなく、私たちは一時たりとも闘いの手を緩めることはできないのです。
しかしまたこうした保守政治の危機にもかかわらず、社会変革の展望は、きわめて厳しいのが現実です。支配階級による、労働運動や大衆運動の切り崩し、取り込みは深刻な状況です。そして障害者運動においても、体制内化が進み、今や社会変革を目指す運動団体は、少数派であるのが現状です。
こうした中で、私たち全障連は、七六年の結成以来、障害者の自立と解放を掲げて登場し、一貫して自力・自闘の精神で闘ってきました。七九年養護学校義務化阻止闘争、金井闘争を始めとする大衆的実力就学闘争、そして一月三一日に無罪・奪還を勝ち取った赤堀差別裁判糾弾闘争こ
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そ、全障連運動の原点であります。
私たち全障達は、今こそ運動の原点を確認し、運動の点検、組織の活性化をはかっていかなければなりません。その意味では、現在進められている組織の再編・規約改訂問題も「組織いじり」に終らせないためにも、多くの障害者の声を集約した運動を作っていかねばなりません。また、全障連は、秋(一〇月頃)に中央省庁交渉を端占超しています。もちろん、全障連が中央省庁との交渉を行なう以上、要求羅列ではなく、重点課題を徹底しなければなりません。そのためにも要求要綱の洗い直しも含めた討論を行なっていきたいと考えています。また先日、厚生大臣の諮問機関である三審議の会合同企画分科会・意見書が出されましたが、これはまさに「戦後障害者福祉の再編」を完成させるために出されたものであり、私たちは、その内容の分析・批判も今大会で行なっていきたいと思います。私たち全障連は、厳しい情勢を切り開いていくためには、今まで以上に自力・自闘の運動を進めていかなければならないと考えています。そのためには、今全障連第十四回広島大会を何としても成功させていかなければなりません。そして、大会での熱い討論をする中で、秋の対行政闘争を組織していきましょう。更には、広島の地で開く意味からも、反戦・反核・平和を障害者の立場から強く打ち出し、被爆者との連帯も追求していきたいと考えています。
全国の仲間の皆さん!全障連第十四回全国交流大会を成功させるために、圧倒的結集とカンパの協力を訴えます。
大会実行委員会、百名の参加で結成される
実行委員長に吉川氏
去る、五月一三日、広島県立生涯学習センターにおいて、大会実行委員会結成集会が成功の内に持たれた。冒頭、準備会を代表し、吉川肇造氏よりあいさつが行なわれ、吉川氏の実行委員長継続も同時に確認された。
続いて、この間、準備を共に担って頂いている各団体より力強い連帯のアピールが行なわれた。部落解放同盟広島県連合会・中村副委員長、自治労広島県本部・本庄執行委員、広島県教職員組合・山今書記次長、広島県同和教育研究協議会・淵上事務局長、共育・共生をすすめる広島県連絡会議・藤山事務局の方々である。なお、広島県労働組合会議・藤崎議長、広島県高等学校教職員組合・岸槌委員長の方よりは、メッセージが寄せられた。
記念講演「障害者解放運動の歴史と今後の課題」は、戸田二郎全国事務局次長が行ない、自らの体験も交え、障害者差別とは何かを熱っぽく語った。その後、質疑応答、協力要請がなされ、団結がんばろう三唱で幕を閉じた。これから二か月、現地はフル回転の忙しさだ。全国の皆さん、広島の仲間の頑張りに応えて、大会参加、支援カンパをどうぞよろしくお願いします。
挿絵省略
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全障連第14回全国交流大会
第1次開催要綱(一部変更、6月1日現在)
1.日程と内容
7月28日(金)(校正者注:「7月28日(金)」下線)12時=受付開始 PM1時=全体会開始/挨拶・基調提起記念講演=李実根氏(朝鮮人被爆者協議会会長) 5時=終了
7月29日(土) (校正者注:「7月29日(土)」下線)AM9時半=受付開始10時=分科会開始/交通、生活、教育、労働施設、医療、赤堀闘争、生きる場・作業所ネットワーク、理論講座 文化と創造のコーナー、生活座談会コーナー PM5時=終了6時二夜の交流の集い/視覚障害者、聴覚障害者、「精神障害者」女性障害者・施設労働者と障害者・教育・保育輻祉労働者・親学生、子育て8時半=終了
8時半=終了
7月30日(日) (校正者注:「7月30日(日)」下線)AM9時半=受付開始 10時=分科会開始(前日に同じ) 12時=終了 PM1時=全体会開始/分科会報告、質疑応答、決議採択、挨拶4時=終了
2.会場 全体会=広島市立心身障害者福祉センター(広島市東区光町2-1-5)
分科会=広島市立心身障害者福祉センター(広島市東区光町2-1-5) 広島県立生涯学習センター(旧・社会教育センター、広島市東区光町2-1-14
夜の交流の集い=広島市立心身障害者福祉セン外(広島市東区光町2-1-5)他
*両センターは隣接しており、JR広島駅新幹線口(北口)より徒歩10分です。
3.宿泊所=民間旅館等、宿泊費=3200円(予定、1泊につき、食事なし)(校正者注:「宿泊費〜食事なし)」下線)
*もっと安価な所も探しましたが、なかなか見つからず、このままだと宿舎の確保ができない恐れが出てきたため、民間旅館をいくつか押えました(四人部屋他)。寺等も利用させて頂く考えですが、平均して、この値段になる予定です。申し訳ありませんが・御了承下さい。最終的には全国事務局ニュースNO3(6月下旬)を参照下さい。
4.参加費=3800円(宿泊費・食費は除く、当日頂きます)(校正者注:「4.参加費〜頂きます)」下線)
*「障害者解放・入門パンフレットー共に生きる仲間(全国出版部発行・頒価400円のもの)」を資料配布するため、300円高くなりましたが、御了承下さい。
5.参加予定者の皆さんへのお願い
?@宿泊希望者は、必ず、宿泊予約書を大会実行委まで郵送下さい。今年は、予約しないと、まず泊まれません。(校正者注:「今年は〜泊まれません」下線)赤字を出さぬためにも、旅館にキャンセルをしないで済むように人数をきちんと把握しておきたいと思いますので、御協力御願いします。また予約者には「予約済はがき」を送りますので、大会に必ず持参して下さい。(校正者注:「また〜下さい。」下線)
?A会場は駐車場がほとんどありません。できるだけ電車で来てください。車の場合、台数を教えて下さい。
?B暑い季節ですので、医者にかかることも無いとは言えません。保険証等を持参して
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下さるよう、お願い致します。
×ばつ50〜150行=1000〜3000字程度でお願いします。
また分科会レポートの点訳は提出者が行なって頂くことになっています。当日までに最低5部用意して下さい。
レポート送り先、合計2部送って頂くことになっています〉
1部は、印刷所へ(分科会名を書いて下さい)(校正者注:「1部は〜下さい)」下線)
〒501-61岐阜県羽島郡笠松町円城寺838-1戸田印刷 FAX 05838-7-1093
1部は、各分科会担当者へ(分科会名を書いて下さい)(校正者注:「1部は〜下さい)」下線)
交通=〒114東京都豊島区巣鴨3-34-3フラワーコーポ303全障連関東ブロック猪野
生活=〒114東京都豊島区巣鴨3-34-3フラワーコーポ303全障連関東ブロック八柳
教育=〒939富山市今泉312富雌きる場センター内 全障連北陸ブロック平井
労働=〒537大阪市東成区中本1-3-6-215 全障連関西ブロック内 職よこせ要求者組合
施設=〒811-01福岡県粕屋郡新宮町上府1592-450 李
医療=〒114東京都豊島区巣鴨3-34-3フラワーコーボ303全障連関東ブロック 矢内
赤堀=〒537大阪市東成区中本1-3-6-215全障連関西ブロック 本田
生きる場・作業所=〒537大阪市東成区中本1-3-6-215全障連関西ブロック 西岡
下表の郵送先=〒732広島市東区戸坂中町3-19川根住宅6-2 吉川肇造方 全連大会実行委(校正者注:「〒732〜実行委」下線)
切り取り線省略
全障連第14回全国交流大会・参加申し込み兼宿泊予約書
(裏面も必ず書いて、6月27日まで(校正者注:「6月27日まで」下線、大文字)に郵送して下さい)
表省略(校正者注:以下、項目のみ表記)
名前 性別 職業 住所〒 障害者( ) 健常者 電話(市外局番も) 所属団体 団体の代表者名 団体の住所〒 団体の電話(市外局番も)
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「野田事件」六・二一弁論公判決定
東京高裁へ、全国のうねりを
青山正さんを救援する関西市民の会 小林敏昭
この国では司法、行政、立法のいわゆる三権の中で、司法だけが(形式的にも)国民の参加を拒んでいる。最高裁がやっと法廷でのメモを認めたという段階だから、一般の人が判決に関与する陪審制度の導入などは夢のまた夢と言っていい。その流れの中で「車いす傍聴制限」(福岡で、は制限どころか拒否であった)という明らかな人権侵害も抵抗なく受け入れられてしまう。
現在の裁判制度の土俵の上で障害者差別の実態を暴くということがどれだけ困難なものであるか、島田再審判決も如実に物語っている。しかしそういうことばかり言ってはおれない。青山正という一人の生身の障害者が獄中から小さな、しかし懸命な叫びを放ち、それに呼応する人々の闘いが広がりつつある。
切り取り線省略
参加される人数と、大会実の用意する宿舎への予約数を書いて下さい。
参加28日(金)...障害者( )名、健常者( )名、合計( )
29日(土)...障害者( )名、健常者( )名、合計( )
30日(日)...障害者( )名、健常者( )名、合計( )
宿泊27日(木)...障害者(男 名・女 名)、健常者(男 名・女 名) 合計(男 名・女 名) この日は幹事会・司会者会議です(校正者注:「この日は〜会議です」下線)
28日(金)...障害者(男 名・女 名)、健常者(男 名・女 名) 合計(男 名・女 名)
29日(土)...障害者(男 名・女 名)、健常者(男 名・女 名) 合計(男 名・女 名)
保育の希望はありますか?ない、ある(28日= 名、29日= 名、30日= 名)
その他、特に準備の必要なものがあれば書いて下さい.
車の場合(種類= )(27日= 台、28日= 台、29日= 台、30日= 台)
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(校正者注:以下、前頁「「野田事件」六・二一弁論公判決定」の「それに呼応する人々の闘いが広がりつつある。」から続く文章)
早期結審に走る内藤裁判長
二月六日に指定された「最終弁論」を、六月当日「弁護団辞任」というぎりぎりの選択で阻止し、弁護団の再編と新証拠の提出、救援活動の強化を進めていることは、本誌八五号で紹介した。その間、控訴棄却=一審判決追認をもくろむ内藤丈夫裁判長の、次のような水面下の動きも明らかになっている。
二月一七日青山さんに国選弁護人の打診
二月二〇日青山さんより国選選任の回答
三月九日国選弁護人決定
四月一七日国選弁護人より弁論要旨提出、四月二四日に弁論公判が決定したとの情報が入る
控訴審最終段階での弁護団辞任という「非常事態」だから高裁側には戸惑いがあるし、そういう困難な時期に引き受けようという国選もすぐには出ないだろうという私たちの予想は甘かった。歴戦のツワモノ内藤裁判長の動きは実に素早く、国選もそれに歩調を合わせた。四・二四に公判が設定されていたことを私たちが知ったのは、そのわずか一週間前だったのである。
新弁護人決定 新たな段階へ
三月の段階で、私たちは一人の有力な弁護士にぶつかっていた。重複障害を持つ娘さんの親で、千葉県流山市在住の長谷川泰造氏である。それまでにも数人の弁護士の名前が上がっていたが、いずれも柱となる弁護人が他にいれば引き受けるという返答だった。長谷川氏との出会いはまさに「ぶつかった」と言うにふさわしいのだが、その経緯は省略して新弁護人決定までの動きを紹介する。
三月下旬〜四月初旬
関西、関東の両救援会が長谷川氏と会い、弁護人就任の承諾を得る
四月一五日長谷川氏、青山さんと面会
私選の承諾を得る
四月一七日二度目の面会
四・二四公判を知り、急きょ私選の選任届けを提出する
国選解任
公判は六月一二日に延期
高裁側の動きと対比すれば、かなりきわどい状況であったと言える。事前の十分な準備があったからこそ、再び四・二四公判を阻止することができた。国選は弁論要旨を提出したその日に解任されるという気の毒なことになったが、真実を求めるためには仕方ない。さて私たちにとっては、六・二一弁論公判を一つの軸にして事実調べの再開を実現させることが当面の目標ということになった。
浜田鑑定を軸に事実審理再開を
四月二二日、私たちは現地で長谷川弁護人、花園大学の浜田寿美男氏をまじえて、関東救援会との合同会議を持った。紙面が限られているの
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で、主な点だけ列記する。
○しろまる長谷川氏を中心に何人かの弁護士(中には長谷川事務所の全盲の飯盛弁護士も含まれる)で分担して強固な弁論を作成する。
○しろまる浜田氏の「自白調書」の鑑定作業は順調に進んでいる。検察側から証拠として提出された「取調べ時の録音テープ」は無罪を立証するものとして重要であり、再度精確なテープ起こしを行い、調書とあわせて浜田氏の鑑定に託す。
○しろまる西山詮医師に自らの精神鑑定の見直しを依頼し、何らかの形で公判に提出する。特に動機とされる「児性愛」を崩すこと、記憶の問題で一審判決を論破することなどが重要と思われる。
その他の物証や鑑定についても新たな疑問が出てきており、それらについても作業を進めるが、ネックはやはり浜田鑑定だ。それを突破口に事実調べを再開させていくことが、当面最も重要な課題になるだろう。
青山さんは東京拘置所で、支援者に「面会にきてください」という手紙を書く毎日を送っている。その日課に費やされる時間は、以前よりはるかに増えた。
これまで距離を置きたがっていた青山さんの家族とは、弁護士や救援メンバーが訪ねて行ってざっくばらんな話ができつつある。全障連をはじめ、青い芝の会、日本児童青年精神学会などでも、具体的な取り組みが始まりつつある。野田現地で全国集会を開くことも決り、それに向けて地元での関係づくりが進んでいる。
うねりは、しかしまだまだ小さい。障害者差別裁判をうち砕くために、全国の仲間の想いを、六月二一日(水)午後一時半、東京高裁に集中しよう!
図省略(校正者注:青山さんが書いた手紙が掲載されている。車の絵と「めんかにきてください。青山正」と書かれている)
福井達雨氏(重い知恵おくれの子供の施設 「止揚学園」リーダー)講演集会
〜六・二一「最終弁論」公判を前に〜
日時=六月九日(金)午後六時〜
場所=東淀川勤労者センター(農地誤「新大阪」、阪急京都線「そう禅寺」下車) ?пZ六(三二)
○しろまる○しろまる〇一
参加=千円(野田事件・新パンフレット代含む)
主催=青山正さんを救援する関西市民の会 ?пZ六(三二三)五五二二(りぼん社気付け) (校正者注:「福井〜気付け)」四角囲み)
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「お話童話宝玉選」問題で小学館を追求
〜3/2、4/27、大阪府同和地区総合福祉センターにて(この間の経過はNo84参照)
後ろに掲載する資料「『童話宝玉選シリーズ』の問題点と反省」を、まず一読頂きたい。
そのあまりの「りっぱさ」に驚かれる人も少なくないだろう。事実、私たちもそうであった。と同時に何かすっきりしないものを感じた。
小学館との二度に渡る話し合いは、そうした複雑な心境のもと、始まったのである。
傍観者的な文書回答
小学館側から児童雑誌・児童図書編集部の畠山洗一郎本部長他十名、全障連側から楠敏雄全国代表幹事他十四名の出席のもと、三月二日の第一回話し合いは始まった。冒頭、この話し合いを、確認・糾弾の場として位置付けることを、両者確認した。
続いて、小学館より「徹底的に討論した結果」である、先の文書が読み上げられた。差別性の分析、社としての方針、一応正しいことが言われている。よく勉強もしているらしく、我々の仲間の著作からの引用まである。しかし、あまりにも第三者的なのである。
「この本を担当したのは過去の編集者」「そして私たちは今後こうしていきたい」.........これでは過去と未来をつなぐ、肝心の「いま」が抜けてしまっている。いくら文章上うまいことを言っても、話し合いに出てきている人々の意識が問われないのでは、全く意味がない。
参加しているメンバーは皆同じことを感じたに違いなく「りっぱな」文書というヨロイを、あの手この手で徐々に脱がしにがかったのである。
何故くりかえされるのか
小学館と言えば、有名な『ピノキオ』問題、更には
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ビックコミックに連載された『夜光虫』の差別事件がある。ここで詳述はできないが、いずれの時も、「今後は人権尊重の方針を遵守し......」といった類の反省文が出ている。それなのに何故、今回のような本が放置されているのか、まず質した。
小学館は「チェック体制の不備」を挙げ、「人権研修を更に重ねていきたい」と方針も出す。しかし、やはり彼らの姿勢は「問題点を指摘されたから何とかしよう」あるいは「指摘されないようにしよう」のレベルでしかないのである。一歩踏み込んで「障害者の問題を大胆に取り上げてみよう」「差別をなくす内容の本を作ってみよう」という意識には、達していないと言わざるを得ない。
いや、そもそも彼らの持っている障害者観が一体どんなものなのかを問うことなしには、「チェック」や「研修」を何万回重ねても、無意味というものだろう。
二つしかない障害者像
そこで『ヘレンケラー』が討論の材料となった。ある視覚障害者の仲間はこう言った。
「『ヘレンケラー』っていったら、『めくら』で『つんぼ』で『おし』の三重苦を克服した、りっぱな障害者の見本として書かれているし、実際すごい人だろうと思う。でも、健常者にだって、努力する人もいればそうでない人もいるように、全ての障害者が彼女のようにならなくてはいけないと思われたら困る。文学の中に出てくる障害者は、『ヘレンケラー』のように『頑張る障害者像』か、今回の『童話宝玉選』のように『笑いの対象』『ダメな見本』のどちらかになってしまっている。何故もっと生身の障害者を、色々なタイプの障害者を描かないのか。別に主人公である必要もない。ちょっとした脇役やマンガの一コマに障害者がスッと出てきたっていいじゃないか」
自身、ろう学校の教師をしている聴覚障害者も、「学校でも『ヘレンケラー』のようになれとよく言われているが、そうなれない多くの障害者は切り捨てられてしまう。そのことを考えると、健常者が、勝手に『障害者の見本』を作りあげている、今の文学のあり方はおかしいのではないか」と訴えた。
また関連して、「彼女自身、周囲の無理解・差別に対し、憤る、そういった社会意識を持っている。なのに取り上げられるのは、むしろ『障害を克服して成功』というパターンばかりだ」という意見も出た。
ようやくはがれたヨロイ
ここまでで開始後、約一時間。彼らは、克明にメモを取り、うなずくが、正直、まだヨロイははがせてなかった。確認・糾弾の一番大事な「意識変革」と、それへ至る「苦悩の過程」、そういったリアリティーが感じられないのである。我々も少し焦ってきた。何とか、彼らの意識を、本音を引きずり出したい。そこで、先の「笑いの対象としての障害者」像の文脈で、ある障害者が問うた。「皆さんの中で、自分の姿・形をまねされて笑われた人はいますか。僕ら小さい頃からまねされたり、今でも体振って歩いていると、よく小さい子が珍しそうについてくるんですよ」
つまり、「盲(めくら)ちょうちん」や「三人かたわ」に流れる障害者観は、決して「お話」の世界のことでなく、障害者が日常的に受けている嘲笑の凝縮されたものとしてあり、小学館の人たち
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個人個人も、それに加担する側なのだ、ということを指摘したのだが、無言。
続いて別の障害者が、「小学館は障害者を雇っているんですか?現場に障害者がいないから、こんなことが起きるんでしょ」と追及。すると「雇用している」との答。「では、その障害者と実際に人間的に付き合っているか」「周囲の差別意識について、話し合っているか」と更に突っ込むと、
「我々は差別意識などもっていない」と平然と答えたのである。ここにきて、ようやく「静かな膠着状態」は打破られた。
無意識の差別こそ問題
「差別してやろう、排除してやろう」としてする差別行為は、それは確かに少ないかも知れない。しかし、障害者が日々苦しんでいるのは、むしろ無意識の内に行なわれる差別であり、健常者が自分では気付かぬままに持っている差別意識にこそ、根付いているのである。また、そのことを認識していなかったら、本当はあのような文章も書けないはずなのであるが。
ともかく、皮肉なことに、小学館側は「差別意識などない」と言ったことによって、それまで「りっぱな」文書に守られていた、本音・意識を我々の前に露呈することになった。
やっと、過去(編集・出版された事実)と未来(今後の社の方針)の問でスポンと抜けていた、彼ら自身の現在(意識変革に至るプロセス)に話が及ぶことになったのであるが、時間切れで、次回への課題を整理し、不本意ながら一回目を終えた。
マスコミのワンパターン
続く話し合いは四月二十七日に行なわれた。「前回の報告を社内でもきちんと行ない、出版物の点検委員会も始動している」旨、小学館側から説明があったが、その中で「皆さんが障害を克服され、頑張っている話云々」という発言があり、冒頭から紛糾した。前回、誰も「障害を克服した話」などしておらず、むしろそうした強制が障害者を生きにくくさせているのだと訴えたのに、何を聞いていたのだろう。いや、これが今のマスコミ・出版界の姿なのである。「社会的差別と闘う」ことも、彼ら流に翻訳すると「障害を克服する」になってしまう。「過去の編集者の認識不足」など言えたものか!
社会的不利の解消こそ
そこで国障年の行動計画にある三つの障害の概念、すなわち「器質損傷(インペアメント)」、その結果引き起こされる「機能不全(ディスアビリティ)」、それらを理由とした「社会的不利(ハンディキャップ)」について具体的に説明し、障害者差別の解消は、三つ目の「社会的不利」をなくすことによってなされるのであり、障害者個人が「器質損傷」や「機能不全」を「克服」することによって達成されるのではないことを話した。
すると、「はじめて社会的差別の意味が分かりました」「あの文章は今思えば、少し出来すぎだった」「まだまだ障害者の実態について、分かっていないことが分かった」等の一応、正直な答も出てくるようになった。
自己を語り始めた人々
続いて参加者全員に、これまでの人生の中での障害者との関わりについて聞いていっ
(ページ番号なし)
全障連第14回全国交流大会
挿絵省略
■しかく7月28日(金)全大会、記念講演
29日(土)分科会、
30日(日)分科会、全大会
■しかく広島市立心身障害者福祉センター(広島市東区)
県立生涯学習センター(旧県立社会教育センター)
※(注記)両センターは隣接しており、JR広島駅新幹線口より10分
●くろまるくわしい要項とポスターは6月にできます。
主催/全国障害者解放運動連絡会議
(全国事務局)大阪市東成区中本1-3-6 ベルビュー森ノ宮207号
?06・972・1428
FAX 06・975・1378
全障連第14回全国交流大会実行委員会(準)
広島市東区戸坂中町3-19 川根住宅6-2 吉川方
?082・256・2665 082・229・4138
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た。その中の一人は、「自分は、今回初めてだが、第一回目の話し合いの報告を聞いて『とにかく接するしかない』と思った。そこで、ずっと『わずらしいな』と避けるようなところがあった親戚の障害児に、集まりの時に思い切って色々話してみたら、けっこう対話ができた。やはり接するところからしか始まらないと確信した」と、自分の思いを語った。他にも、「駅の階段を急いでいる時に、前を昇っている障害者にいらついた」自己体験を思い出しつつ、差別意識がフト出てくる自分を反省するなど、素朴だが、生身の人間としての発言がようやくなされるようになった。本来、意識変革は「迷い」や「悩み」を伴いながら進められていくものであり、きれいにまとめられた文書にぶらさがっていてできるものではない。このことが、小学館側にも少しずつ通じてきたのである。
今後の課題を整理・確認
その後、具体的な課題について討論がなされたが、結果のみを記しておく。
?@まず今回の小学館の措置(回収・廃棄)は全障連が求めたものではないが、これらに対し「表現の自由」や「歴史的事実」を理由に反論があった場合、主体的に応えられるのか、という問題である。前者については、「差別を助長する表現の自由等、そもそも無い」、後者については「歴史的に障害者があざ笑われた事実を描くにしても、主題・視点こそ問われるべきであり、また児童対象の場合は特にそのことが重要だ。今回の場合は、そうしたことが全く欠落していた」との見解が出された。
?A更に、業界内に誤解を招かぬためにも、そうした小学館の姿勢を明らかにすること、また公立図書館に入っている分(小学館の調査では三割の公立図書館に現存、学校図書館はゼロと推定される)については、小学館の見解と協力要請(貸出停止・廃棄等)を図書館あてに出すことが、確認された。
?Bそして小学館内部の課題としては、(ア)障害者自身の被差別体験を聞き学習する場を継続してもっこと、(イ)障害者差別をなくしていく出版物の発行はもとより、一般児童図書の中でも「さりげなく」障害者が登場する場面を追求すること、(ウ)社内の障害者の声をきちんと聞き、共に働く職場づくりを目指し、更には障害者雇用促進に向け編集部としても働きかけること、等を共通認識とした。
建前を崩し、個人の意識を変革することから!
企業に対する確認・糾弾は、その建前の壁を崩さぬ限り、極めて空しいものに終わってしまう。「差別はいけない、人権尊重を図りたい」との決まり文句に対しては、「では障害者差別とは何だと思っているのか」との根源的問いで迫るしかない。そして企業の代表として出てくる一人ひとりの、個人としての意識を粘り強く引き出し、そこに潜む差別者としての自己を、認識させ、変えていく。この作業を抜きにしたところでは、どんなに「りっぱな」社としての方針も、所詮は「隠れ蓑」の役割にしか過ぎないのである。
今回の闘いは、あまりにも整理された文書回答を前に、前半こちら側のパワーに不足があったことは否めない。しかし、逆に、そうした企業に対する糾弾を通して学んだものもまた大きい。そして今後小学館をどう変えていけるのか、我々のアプローチも問われているのである。
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資料=『童話宝玉選シリーズ』の問題点と反省(小学館の出したもの・全文)(校正者注:「資料〜(小学館の出したもの・全文)」太字)
この度「重大な障害者差別の内容がある」と貴連絡会より御指摘頂いたのは、『童話宝玉選?V お話童話宝玉選』でありましたが、本書は『?T世界童話宝玉選』『?U日本童話宝玉選』の三冊の童話宝玉選シリーズとして発行されたものであります。今回の御指摘を契機に編集部ではシリーズ三冊の総点検をいたしました。
その結果、以下の問題が明確になりました。
?@三冊とも、初版発行当時(一九六〇年代の初め)の編集者に差別、とりわけ障害者差別に対する理解と認識が全くなく、過去の社会認識をひきずったまま、題材の選定や解説に当たっていた。
?Aしたがって、障害者に対する差別的呼称が、日常語のごとく何等の配慮なしに使用されている。
?Bさらに昔話、古典などからの題材の選定に当たって、江戸時代原点刊行当時の社会を反映した、差別性の明瞭な作品をためらいもなく採用している。
?C巻末の解説『おかあさま方へ』で、収録した物語が幼児期の情操教育に欠かせないものとしながら、差別語や差別表現が幼児にどのような差別的感情を生むかについて、何の配慮もない。(以上の具体的な内容については後述いたします)
更に、問題となるのは、一九七五年の改訂版発行、一九八
○しろまる年の新装版発行時には、小社でも人権、差別については社内教育もつみ、十分周知徹底させていたにもかかわらず、一九六〇年代初めに編集された内容を何等チェックもせず、単に装丁の変更だけを行ない、安易に引続いて発行してしまったということであります。現在では信じられないことといわざるをえませんが、結果としては編集部の差別に関する認識の甘さが露呈したものであり、体制上の欠陥があったと認めざるをえません。
以上の総合的な反省に立って、内容の具体的な分析と問題点を申し述べます。
今回の問題は差別用語の使用といった言葉の上だけの問題ではありません。歴史的に形成されてきた差別概念の結果として作られた作品を、現在に生き返らせ、しかも子どもの童話として提供し続けていたという点で、小社の編集方針にもとる、きわめて重大な問題であると反省しております。
以下御指摘を受けた二篇の童話の差別性について、徹底的に討論した結果をまとめてみました。
一、『盲のちょうちん』『三人かたわ』に共通する問題について
二篇とも原点は江戸時代に作られている。言うまでもなく近世封建社会は身分制度を前提とした厳しい階級社会であり、その構造的必然から、差別が差別として認識されることなく日常化していた時代である。士・農・工・商・穢多・非人の身分差別はもとより、障害者も邪魔者、業のふかい前世を持った者として、厳しく不当な差別の環境におかれていた。こうした時代背景から生まれた作品に必然的にとりこまれたであろう差別の構造を、現在の社会のわれわれがどのように受け止め、対処すべきなのかという基本的姿勢について十分な討議を行った。これらの作品がしばしば上演・口演
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されてきた、などの事実をどうとらえるのか。封建時代の意識の残影が現代にどのような形で残り、いかなる影響を与えているのか。これらの事実を見据えて、今なお残る差別の実態に思いをいたし、われわれが本シリーズで行なった差別の温存・助長の事実の重さを、襟を正して認識した。
問題の作品は、当時の社会の差別観そのまま写して、弱者を笑い者にして楽しむ強者のおごりから生れたものである。すなわち、障害者を戯画化して、犠牲になってもらった上でおかしさを楽しむ象徴的作品と言っても言い過ぎではないだろう。
楠敏雄氏の著書(「障害者」解放とは何か)に『過去のいまわしい事実を、とりわけ健常者の人たちがはっきりと自分に問いかえしておかなければ、ふたたびそれが繰返されないという保障は全くない』とある。
今回の問題の原点がこの言葉に込められているといえる。
『過去のいまわしい事実』をあえて収録し、二〇年以上にわたって販売しつづけてきた事実を重く受けとめなければならない。
二、それぞれの作品について
「盲のちょうちん」
江戸後期に、心学者の柴田鳩翁が庶民教育のために、平易な逸話を題材として道徳や人生哲学を講話した「鳩翁童話」に原点をとっている。『思いこみによって本心を見失わないように』の譬(たと)え話として使われている。
精神講話の材料にまでこのように著しく差別的なストーリーが使われたということを見ても、当時の差別の構造がどんなものであったかを伺い知ることができる。
本書には、その譬えのストーリーだけを童話としてのせている。合計一五編収録されている鳩翁童話からの引用もすべて譬えの部分だけを抜き出している。たあいもない話が多く、当時の編集者が後書でうたったような教育性が認められる話はほとんどない。またその中でも『犬の目玉』は『盲のちょうちん』とおなじく極めて差別性の濃いものである。
この物語は、盲人を主人公として、目がみえないという障害そのものを枕にして、オチの面白さ、意外性をひきだしている。文の冒頭では「めくらの人」の表記を、途中から単に「めくら」という普通名詞に置換えている。すなわち、特定の個人でなく盲人全体を「めくら」としてくくって笑いの種にしている。
会話のなかで、盲人が自ら「めくら」という呼び方を何回もしている。しかも、盲人に「めくらより(校正者注:「より」下線)なお悪い」とあえて言わせて、更に強い差別感を生み出している。本文三十六行のうち「めくら」の語が十二、タイトルと前書きをいれると、合計十五回も「めくら」の語がでてくる。朗読してみると慄然とする。
前書きで「盲へびにおじず」の諺を引き、解説している。屋上屋を重ねるもので、編集者の障害者観がどんなものであったかを、如実に示している。
『ちょうちんの火は、宿屋を出た門口で、とうに消えてしまっていたのです』、宿の主人がつけなかったのか、自然に消えたのか明らかにしていない。考えすぎかもしれないが、前者とすれば極めて悪質ないたずらであるとともに、さらにどきつい笑いを期待しているようにも思える。そう思わせる要素が残っているのも、いっそう後味が悪い。
「三人かたわ」
この物語は狂言からとっている。歌舞伎にもとりいれられている。いずれの場合も三人の身体障害者が、ほとんど変わ
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らない密度で舞台で活躍する。それぞれの障害をまねての舞台は、その所作が動きのある面白さでつらぬかれており、しばしば上演されたという。にせものであるだけに、障害を模した演技が観客をいかに笑わせたか十分に想像できる。にせものであったとしても、「めくら」「いざり」「おし」が主人公であり、さらに健常者がそのまねをすることで、強いインパクトと効果を引き出している。まねて笑い者にする、もっとも激しい差別の構造であるといえる。
障害者を戯画化して、犠牲になってもらった上で楽しんでいる戯曲である。
巻末の分類では、軽率、慈善、失敗、邪心、追随、油断の六項目が上げられているが、それらをこの物語とどう関連づけて子供に教えるのか、軽率の一つを取り上げてみただけでも、うわべでの分類であり、かえって誤った先入観を与える効果しかない。これはシリーズの三冊の全体にいえることである。
それぞれの障害者を「これこれ、めくら(校正者注:「めくら」下線)」のように人格のない普通名詞で呼びかけている。個人の存在としてでなく、障害そのものを人格化して「めくら」という蔑称で呼ぶのは、二重の差別といえる。『差別語は人間を類型化してひとしなみにあるタイプに固定してしまう暴力的な表現である』という言葉そのものの類型化である。
障害のまねをやめたとき、そのつらさから解放された喜びがきわだって描写され、それが唄と踊りにつながっていく。そして最後はにせの混同が続く。読まされ、聞かされる障害者の立場にたてば、いかに残酷な表現であるか言葉もない。
タイトルに「かたわ」とつけておきながら、なぜ本文では「からだの不自由な人」としたのか、障害者に対する配慮とは思えない。
「おしの一声」......辞書によれば、『おしも一生に一度ものを言うの意で、めったにない機会のこと』とある......まちがって『それは、ありが......』と口をききかける、『これは驚いた。おしが口をきいたぞ......おしのひと声といって、......めでたい、めでたい......」。ここにも障害者をその障害の故に特別視する差別の原点が示されている。
朗読するという前提で見ると、「あお、あお、あお」というおしのまねは、いかにもやりきれない響きを持っている。まねて笑うことの残酷さ、まして子どもの心にこの残酷な笑いを印象づけるとすれば、その影響はきわめて大きい。幼児の心に障害者に対する深い差別の感情をはぐくみ育てる材料でしかない。
読むにしろ、聞くにしろ、この二編の物語は、すべての障害者にとって、自分のことを嘲弄されていると感じ、激しい痛みを感ずるにちがいない作品である。
読んで聞かされた幼児はこのストーリーからどんなイメージを作るのだろう。すくなくとも殆どの子が、「めくら」「いざり」「おし」という言葉を初めて耳にするのではないだろうか。「目が見えない人」「口が聞けない人」などと説明しても目が見えないということ、口が聞けないということを実感としては把握できないであろう。
しかし、一方で幼児の心にそれらの差別語が強く印象づけられるであろうし、内容からは、障害者は笑いの対象としてしか残らず、結果として障害者差別の大きな芽をうえつけることになるであろう。幼児期における「差別する」体験の第一歩である。差別を現実にもちこんだだけでなく、将来にまでその体験が強い印象をともなって残るであろうことを想定したとき、私たちの責任の大きさを今更ながら感じざるをえない。
以上が二編の物語に対する討論の分析と反省である。
童話宝玉選シリーズ三冊の中で差別的な内容をもつ作品は下記のとおりであ
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る。上記の反省を踏まえて、内容については簡単に記述する。
『?V お話童話宝玉選』
?@「お経を聞いた象」(一九ページ)
お寺のそばでおとなしくなった象が、屠殺場の近くに移ったら凶暴になった。部落差別につながる表現である。
?A「きんという獣」(二八ページ)
解説で『群盲象を評す』の諺をひき『目明きでさえ(校正者注:「さえ」下線)このありさまです』という。
?B「犬の目玉」(二二四ページ)
「目玉がちがえば、見る世界もまるで違ってくる」として、犬の目玉を入れたらまわりの様子が犬の感覚で見える。
?A?Bは視覚障害者に対する重大な侮辱である。
?C「ども又」(四四四ページ)
「どもり」の画家の話。「ども(校正者注:「ども」下線)又」という呼称、おまえのようなどもりは.........」「どもりに生まれたのがいけないのです」など、吃音者に対する侮辱的な表現、内容がある。
?D「釈迦」(五〇四ページ)
手足が動かなくなったこじきが、「手足は働く人だけに必要なのだ」と釈迦にたしなめられる。仏教の業思想を暗示するもので、歴史上の障害者差
別を現実にもちこんでいる。
『?U日本童話宝玉選』
?E「おけ屋さんと大風」(一二八ページ)
視覚障害者に対する侮辱であるとともに、その職業に対する軽蔑の意味がこめられている。
?F「こめくらどっさりこ」(一四一ページ)
米蔵と小盲の語呂あわせであるが、視覚障害者だけでなく、身体障害者への差別の構図がある。
以上、内容が差別につながる物語として、小社が摘出したものである。
また、障害者を差別する呼称がシリーズ全編にわたって無神経に使用されている。これらの言葉が、読む親、聞く子どもたちに日常語として受け取られることとなれば、差別の温存と助長に大きな役割を果たしていることも見逃すことはできない。更に、本シリーズの特色として巻頭言および巻末の解説の『おかあさま方へ』で述べられていることと、本シリーズの差別的な内容との関連についても述べねばならない。ここでは、「正しいことば遣いも、子どものときの読書と、親しんだ物語に重大な関係があります」とした上で、収録した物語が、「正しい話しことばによる物語」で「教養の基本になるものばかりである」から、「人間形成のうえにも大きな役割を果たすにちがいありません」としている。問題の物語や差別表現が、読み聞かされた幼児の初めての差別表現として、将来の人間形成に重大な影響を残すであろうこと、いわば差別の再生産であることにまったく気がついていない。
今の私たちに求められているのは、いままで述べてきたような分析と反省にもとづいて、何をなすべきかということではないでしょうか。本シリーズに対する措置は後述いたしますが、なによりもまず私たちの人権、差別に対する認識を徹底して高め、差別を許さない鋭い感性を身につけ、差別に正対できる自己改革を果たすことが必要だと考えています。
『われわれは、仕方なく「おわび」文を受取るのだ。だが、われわれが本当に彼らに求めているのは、ある言葉、ある文章、ある事態を前にして、それが明らかに差別であると本能的に認識できる感性なのである。自己改革なのである』と「婦人画報社ヴァンサンカン差別事件糾弾闘争報告集」の中で視労協の堀利和氏がいわれたように、差別に対する正しい認識とするどい感性を身につけるべく全社をあげて努力することが、何よりもま
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ず必要なことであると考え、既にその作業を始めています。被差別者と同様な立場で考え感ずることはわれわれには極めて困難なことであるかもしれません。しかし、それを乗越えて差別の痛みを感性で読みとることができるよう、これからも不断の努力を重ねていく所存であります。
一九八九年二月二二日
小学館 編集総務部 第七編集部
全国障害者解放運動連絡会議全国事務局
全国代表幹事楠敏雄殿
〈今回の問題に対する現在までの措置〉
?@本シリーズ三冊は既に一九八八年末に絶版とし、在庫一八五〇冊は断裁、書店には販売の中止と回収を要請済みである。
?A編集各部において、人権、差別に関する討論、討議を編集総務部を主体に順次実施中である。問題の書籍編集部では、今回の問題の分析も含め、既に五回の集中的討議を行った。
?B三月二日の「話合い」には児童書籍雑誌の編集長またはそれに準ずる者を参加させ、差別の実態を体験させる予定である。
〈資料〉
本シリーズの発行年月日と発行部数
?T世界童話宝玉選
一九六二年七月二五日初版 一万部
一九七五年一月二〇日改訂版 八千部
一九八O年一二月一〇日新装版 四千部
?U日本童話宝玉選
一九六一年一二月二五日初版 一万二千部
一九七五年一月二〇日改訂版 八千部
一九八
○しろまる年一二月一〇日新装版第一刷 四千部
一九八二年二月二〇日新装版第二刷 一千部
?Vお話童話宝玉選
一九六四年六月一〇日初版 八千部
一九七五年一月二〇日改訂版 六千部
一九八
○しろまる年十二月一〇新装版第一刷 四千部
一九八二年二月二〇日新装版第二刷 一千部
インフォメーション(校正者注:「インフォメーション」四角囲み)
六月十(土)〜十一日(日)九州ブロック(準)合宿/連絡=?пZ九二―九六三―二六八四(李)
六月十(土)〜十一日(日)幹事活動家全国組織強化合宿/福山市解放会館/幹事及び各ブロック推薦者若干名
六月十七(土)〜十八(日)四国障害者交流集会/徳島/連絡=
○しろまる八八六―五四―四三六九(大野)
六月十八日(日)国障年大阪連続セミナー・「重度障害者の労働」/一時〜/大阪部落解放センター/パネラー=斎藤博久氏(大学職員)、久保耕造氏(ゼンコロ事務局長)/参加費=千円/主催=国障年大阪、?пZ六―九七四―〇七九一
六月二十四日(土)地域で共に生きる連続講演集会「就学前ー『早期発見・早期治療』批判と共同保育理論」/一〜五時/兵庫県神戸中央区役所会議室/講師=堀智晴氏(大阪市立大学講師)/主催=えんぴつの家、?пZ七八―二三一―五二八一
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高岡市営プール差別事件 第3回確認会報告
北陸ブロック 村上千津子(サンの会)
昨年八月一二日、富山県高岡市営プール入場者五〇万人目記念行事の祭に行った、障害者差別事件の第三回確認会が、三月二五日(土)午後一時三〇分より、高岡市役所内の会議室で行われました。
市長部局の出席要求を何度も行いましたが、所轄が違うということで得られず、市教育委員会の次長二名、課長一名、プール所長の計四名の出席でした。こちら側は、私達全障連北陸ブロックに加盟のサンの会と、部落解放同盟富山県連合会(準)他合わせて二三名でした。
まず前回からの続きで、質問三(前号参照)の、他のプールの職員等、関係者は日頃A君をどのように受けとめていたかについてから始めました。これに対して、当日出席者五名の内、三人はA君を知っていた。プールサイドを走り回っていたので、一・二回注意したが特別な見方はしていない。しかし、せっかくの記念行事なのでいいものにしたい、喜んでもらえるものにしたいというのが五人の心情の中にあったことが判明。
更に、五〇万人目というのにふさわしい健全児という意識がみんなの心の中にあったという事が、プール所長から明らかになりました。何故、A君がふさわしくないと思ったか、また「障害」を持つということに対してどう思うかを追及したところ、日頃の行動(プールサイドを走り回ったり、分からない手まねをして、意味の分からないことを言ったり、笑い顔を浮かべていた)からの判断と、健全児でないから。また、「障害」を持つ人には気の毒だと思うと発言しました。
また、こちら側から、「日頃のA君に対しての見方なり、対応の仕方などで意識が形成されるものじゃないか」と問うと、「A君がプールサイドを走り回った時(一・二回)、注意したところ、『分かりました』と言った」と言い、「だったらA君は理解できるんじゃないのか、それなのに何故今回のような事件になったのか」と更に追及をしたが、A君を日頃知っている職員が確認会に出席していないため、これ以上話をしても確認がとれないということで、次回もちこすことになりました。
次に、質問四の事件の発覚した経緯と、市当局が事態を把握した経緯について問うていきました。
まず、行事が終わってから新聞記者が所長のところに来て、「五〇万人目の認定がおかしいんじゃないか、どうし
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てあんな事をしたのか」と問うた際、所長は「五〇万人目という行事に理解できないんじゃないかと判断した。申し訳ございませんでした」と発言しましたが、この会話の中で、「ああ、しまった」と初めて気づいたこと、また、教育長がこの事件を知ったのも、新聞記者の取材が先で、所長からの報告はその後ということが明らかになりました。
またその報告は、「五〇万人目の行事のことで、間違った行事をとった。A君が障害者だったのではずした。大変なことをした」という内容で、一〜二分だったとのことです。次に、質問五の事件発覚後、市がとった措置と内容を追及していきました。
一三日(事件の次の日)に、A君宅へ三名が行き、家族の人とA君に大変なことをして申し訳ないことをしたと謝っただけでした。そして、当日と同じ記念品を渡しました。A君の名前・住所については、たぶん高岡養護学校の生徒だろうということで、養護学校に電話をして聞いたということでした。
また、処分の件に関して、職員が差別事件をしたら処分するのかとの質問に対しては、地方公務員法二九条の法律に基づいたものだと答えました。しかし、もし新聞記者の告発がなく、公けにならなくても同じ処分をとったかと更に追及すると、最初は「分からない」と言っていましたが、事件が公けになったから処分したことを明らかにしました。
この後、こちらから、今まで三回の確認会で、回答文になかったこともいくつか(多く)明らかになったし、一度、お互いに文書整理して、その後、質問の八・九をしていきたいということ。また、プール職員のA君に対する意識形成も、明らかにしてほしいという二点を二週間をメドに出してほしいと提起しました。行政側は、「文書」ということにもしぶっていましたが、確認をとり終りました。今回の確認会でも分かるように、明らかにA君が障害者だから排除した、差別したにもかかわらず、職員は全く出席せず、肝心なところを明らかにしようとしません。また、回答文でも、確認会の席でも「障害者差別を行った」ということを言ってないのです。今後、さらに差別行政の姿勢を追及し、問い正していきたいと考えています。
全障連全国事務所維持・協力会員(校正者注:「協力会員」大文字)に、あなたもなって下さい!(校正者注:「全障連〜下さい!」網掛け、下線)
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4. 郵便振替「大阪5-89198全障連全国事務局」にて送金下さい。その際口数と何月〜何月分かを明記下さる様お願いします。(専用用紙あり)(校正者注:「全障連〜用紙あり)」四角囲み)
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制度Q&Aコーナー 〜第2回
生活・交通・教育・労働・医療と、制度に関する質問を受け付けています。
電話番号を明記の上、全国出版部「Q&Aコーナー」までどうぞ!
質問(校正者注:「質問」四角囲み)
私は、養護学校を出たばかりの軽度の脳性マヒ障害者ですが、就職したくて職安へ行っても、なかなか仕事が見つかりません。
障害者の労働に関してどんな制度があるのか、またその活用の方法や、どうしたら就職できるか教えて下さい。
それから他県では、障害者の就職についてどうやって運動をしているのでしょうか。(広島県・十九才・男性)
回答(校正者注:「回答」四角囲み)
結論から申しますと、あなたの場合、あなたの区域の管轄の職安にあなたのことをよく理解してくれる人と何人かで行き、職安に対して正当な論拠をもってケンカをする気構えで、根気よく何回も足を運ぶことが一番の近道でしょう。
現在、障害者雇用に関する法律では、障害者雇用促進法というのがあります。これは、民間企業などに対して、雇用率に沿って一定数以上の障害者を雇うことを義務づけるものですが、法的な施策が弱いために民間企業の側が「罰金」を支払えぱいいという考えで逃げており、障害者を雇用しないというのが大半です。
また、障害者を雇う事業所に対する各種助成金の制度もありますが、助成金の期間が、一年半〜三年と短く区切られたり、助成金の金額が非常に少なく、しかもその助成金は障害者本人には支払われなく、事業主に支払われるので、あなたの場合においては、軽度障害者ということで使われる助成金としては、「特定求職者雇用開発助成金」であると思われます。あなたを雇うことによって、中小企業の場合、あなたに支払う賃金の1/3が、大企業の場合には1/4が、事業主に支払われることとなります。ただ、職安では、この助成金のことすら知らないところが多く、企業にその助成金のことについての説明をしていくバックアップをすることもしていないのが現状です。また、職安側の対応の仕方においても、重度障害者と軽度障害者とでは、全くと言っていいほど違い、重度障害者(CP者、上肢障害者)は、大半が門前払いというような扱いにされ、「泣き寝入り」させられています。軽度障害者の場合も、より健常者に近い障害の人しか、相談相手と認めないよう
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な傾向がいまだ強いのが現実です。
ところで、私の住む大阪には「障害者職よこせ要求者組合」というのがありますが、その活動の一環として、「障害者の就職と職場の懇談会」というのを毎月一回のペースで行なっています。障害者の就職の問題としては、どこでも同じだと思いますが、職安の対応がひどく「ナメとったらアカソぞ!」という姿勢で現在、職安においての窓口折衝を展開しており、障害者本人とその仲間一〜三名で職安を訪ね、職安の責任を追及しています。例えば、追及点としては以下のようなものがあります。
・訓練校を出た後の保障は確実か。
・職場を紹介するのが職安の義務ではないか。
・障害者の立場に立って相談にのり、就職に向けてのバックアップを積極的に行ない、就職後のアフターケアも行なうことは規定されているはずだ。
・必要とあらば、企業との面接時に職安職員を同伴させる。(大阪では、これを同伴面接と呼んでおり、言語障害者の就職等に効果を上げており、企業に対する助成金の説明もやらせる)
・障害者に合った仕事を独自で開拓(求人開拓と呼ぶ)させる。
これらの例は、職安のマニュアルにも必要と認められているので、これらを武器とし、大阪では、就労を勝ち取っており、就職をアキラメていた障害者がこの一年で四名就職しました。
あなたが、「君に合う仕事はない」と言われても、相談を放棄せず、あきらめず「私に合った仕事を探して欲しい」と言い切り、求人開拓を要求しましょう。そして、(あなたが言語障害をお持ちかどうか分かりませんが、)企業と面接しても相手にされないことを訴えていき、同伴面接を求めていくのが良いと思います。もちろん、企業に対しても言語障害をきっちり分からせていくのが原則ですが、職安職員の立場からも、助成金やあなたに合った仕事の内容について説明させていくことです。もっとも一緒についていくだけで何もしないケースもありますが、その場合は職安の行政責任を追及をしましよう。
絶対に就職できるという確信を持って、何人かと職安の窓口で何回かケンカするつもりでやり合ってみて下さい。大阪では、五〜六回以上やると、職安も態度が変り、就労できるケースも増えています。とにかく、できるだけ粘ることです。
障害者にとって就労は、生活の糧を得るということももちろんですが、奪われてきた人間関係・体験を取り戻し、自己実現をしていくこと、更には、障害者抜きの職場の能力・能率優先主義の人間観・価値観を変革していくという大きな意味もあります。
では、何があっても最後まであきらめずに頑張って下さい。障害者の本釆の仕事は何があっても闘うことですヨ!
何か、相談がありましたら遠慮なく相談して下さい。
*「障害者の就職と職場の懇談会」については?〇六-六〇七ー八二六〇まで
(古田朋也 全障連関西ブロック個人会員、障害者職よこせ要求者組合・執行委員)
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編集後記(校正者注:「編集後記」下線)
本来は4月末に発行しなければならない本号が、大幅に遅れてしまったことをも読者の皆さんにまずお詫び致します。昨年より全固事務局兼全国出版郭を担当させて頂いていますが、夏の全国交流大会準備が忙しくなってくるにつれ、少々力量オーパーになってしまった次第です。申し訳ありません。
一方以前より懸案であった「障害者解放・入門パンフレット(全国出版400円)」は6月中旬に完成します。全国交流大会参加者には自動的にお渡しすることになりますが、欲しい方はどんどん申し込んで下さい。振り替え用紙の裏に「入門パンフレット・〇冊」と記入下さい。障害者の生い立ちに見る被差別の現実(対談)、 緑々な障害者観とノーマライゼーション理念、差別語・差別表現の問題等について、できるだけ分かり易く書かれたものです。また機関誌の方ですが.次号(合併号)は昨年滋賀大会の報告集となります。暑さにめげず頑張ります。 (Q)
挿絵省略
もくじ(校正者注:「もくじ」四角囲み)
〈全国交流大会・よびかけ〉
◎にじゅうまる自力・自闘の闘いを押し進め、全障連第14回全国交流大会を成功させよう!全国の皆さん!支援カンパをお願いします。! 全国事務局長 矢内 健二 1
◎にじゅうまる大会実行委員会 100名の参加で結成される――実行委員長に吉川氏
◎にじゅうまる全障連第14回全国交流大会・第1次開催要綱(一部変更・6月1日現在) 3
「野田事件」6・21弁論公判決定 東京高裁へ、全国のうねりを 青山さんを救援する関西市民の会 小林 敏昭 5
「お話童話宝玉選」問題で小学館を追求 8
資料=『童話宝玉選シリーズ』の問題点と反省 14
インフォメーション 18
高岡市営プール差別事件 第3回確認会報告 北陸ブロック 村上千津子 19
全国事務所維持・協力会員にあなたもなって下さい! 20
制度Q&Aコーナー・第2回「就労・職安闘争について」 回答=古田 朋也 21
編集後記 23 (校正者注:「もくじ〜後記 23」四角囲み)
全障連
全国障害者解放運動連絡会議
No.86
全国機関誌 発行日/89・6・16
連絡先/ 大阪市東成区中本1丁目3ー5 ベルビュー森の宮207号(校正者注:「207号」下線)
?06ー972ー1428
FAX975ー1378
月1回発行 頒価 200円
年間定期購読 2500円(郵送料込)
郵便振込 大阪6−57342 全障連全国出版部
発行=関西障害者定期刊行物協会・大阪市東成区中本一丁目三の六(ベルビュー森の宮ニ一
○しろまる号)(校正者注:穴が開いているため、判断不能)一九八九年六月一六日発行(毎月三回、五・一・五・二五の日発行)KSK増刊通巻一七九号 一九八四年八月ニ
○しろまる日第三郵便物認可
作成:
山口 和紀