『全障連』No.84
last update:20220704
■しかく文字起こし
表紙
KSK No.84
全障連
全国障害者解放運動連絡会議
写真省略「1月31日、赤堀さん無罪を勝ち取る〈静岡県労政会館にて〉(記事p.1〜12)」
一九八九年二月二八日発行(毎月三回、五・一五・二五の日発行)KSK増刊通巻一六三号 一九八四年八月二〇日第三種郵便物認可
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1.31ついに赤堀さんを無罪・奪還したぞ!!
写真省略(校正者注:ピースサインで写真に写る赤堀さん)
おめでとう赤堀さん
=特集=
◎にじゅうまる赤堀差別裁判糾弾闘争の総括と、今後の課題 全国代表幹事 楠 敏雄 1
◎にじゅうまる資料=「島田事件再審の争点(新聞記事より)」 4
◎にじゅうまるおかえりなさい、赤堀さん〜ドキュメント一・三一
第一部=仲間たちの声でつづる、判決公判闘争 5
第二部=「赤とんぼ」の歌の中、感動の登場 9
◎にじゅうまる赤堀さんの喜びのコメント 12 (校正者注:「=特集=〜コメント 12」四角囲み)
赤堀差別裁判糾弾闘争の総括と、今後の課題
全国代表幹事 楠 敏雄
〈一〉
先日、一月三十一日、私たちはついに無実の「死刑囚」赤堀政夫さんを、生きて私たちの手に取り戻した。しかし同時に、私たちは、この闘いの勝利が、何よりも赤堀さん自身の血のにじむような、不屈の闘いによって勝ち取られたものであることを、しっかりと踏まえ、赤堀さんに対し
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て心から敬意を表し、祝福を送りたいと思う。また今回の再審闘争を勝利させる上で、お兄さんの一雄さんはもとより、故鈴木信雄弁護士を始め島対協の森源氏らの果たした役割も、極めて大きいと言えよう。
とは言え、私たち全障連も結成以来、十数年に渡って微力ながら、全力を結集して、障害者差別に貫かれた裁判を糾弾し、無実の赤堀さんを生きて取り戻す闘いを展開してきた。一九七六年の全障連結成大会において、私たちはこの課題を国家権力による障害者差別・抹殺攻撃の重要な表われであると位置付け、したがってこの差別裁判を糾弾する闘いを通して、警察権力・司法権力の差別的・強権的な本質を徹底して暴露・糾弾することなしには、闘いの勝利はあり得ないことを、確認した。更にこの攻撃が保安処分体制の先取りとしてかけられてきている以上、保安処分粉砕闘争との結合をも重要視して闘ってきた。更に私たちはこの闘いの中で、障害者間の分断を跳ね返し、「病」者・障害者の固い団結を作り上げること、及び広範な労働者人民の中に存在する障害者差別意識の変革を目指すことについても、合わせて確認した。
今回の闘いの勝利は、確実に権力側に大きな打撃を与えた。検察側も裁判所も今、自らのメンツを取り戻すことに躍起になっている。強引な捜査とずさんな審理によって、数々の冤罪を生み出し、差別によって多くの人々の自由と人権を踏みにじってきた彼らを、私たちは断じて許すことはできない。また、三十五年に及ぶ赤堀さんの闘いは、多くの「病」者・障害者に、差別に立ち向かう勇気と希望を与えてくれた。また赤堀さんを先頭に私たちは、狭山差別裁判糾弾闘争との連帯を通じて、いかなる差別をも許さぬ闘いの内実を創り出すとともに、三里塚闘争を始めとする様々な戦闘的な労働者・人民の中に、しっかりと障害者差別との闘いの必要性を提起してきた。そうした意味においても、赤堀闘争の勝利は文字通り歴史的な勝利であると言っても決して過言ではない。
〈二〉
しかしながら、今回の静岡地裁の無罪判決の内容は、一九八三年の東京高裁における差し戻し決定や、一昨年の再審開始決定にも増して、悪質かつ差別的であった。既に周知のように、今回の判決理由においては、裁判所は検察側の主張をほぼ全面的に認めており、特に自白の任意性・信憑性については、警察による拷問・誘導の事実に目をつぶり、また赤堀さんのアリバイの主張についても、これを一方的に退けている。そして「自白」の誤りを全て、「被告人が精神薄弱者である為」とする許し難い差別を行なっているのである。結局、今回の判決は、これまで唯一の物証とされてきた石が、「凶器とは断定し難い」として、無罪を導き出しているのであるが、そうだとすれば、裁判所自らがこれまで誤判を犯してきたことになる。にもかかわらず、静岡地裁は三十五年に渡って赤堀さんに死の恐怖を与えてきたことに対し、一言の謝罪も行なっていないのである。何という差別性、何という傲慢さであろうか。私た
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ちは、このような裁判所の差別性を徹底して糾弾しなければならないが、それと同時にこうした差別的判決内容を許してしまった責任の一端は、やはり私たちの闘いの不充分性にあることをも、真剣に総括しておかなければならないであろう。
この他にも、私たちがとらえ返さねばならぬ点は色々ある。私たちは、赤堀さんを始めとする「精神障害者」の仲間を支えられる三者共闘の内実を、どれだけ作り切れて来ただろうか。私たちの運動がともするとスケジュールに追われる余り、家の片隅や施設・精神病院などで、差別と抑圧に苦闘する仲間への関わりを充分仕切れなかったのではなかろうか。また、私たちはこの闘いを通してどれだけ多くの労働者を我々の隊列に結集させられたであろうか。更に、政府―支配層のねらう保安処分新設や、監獄法改悪などの攻撃と充分闘い切れてきただろうか。私たちは、こうした諸点を正しく総括し、今後の闘いに反映させていかなければならないであろう。
〈三〉
赤堀さんは、三十五年ぶりに、牢獄の高い塀の中から解放され、シャバへ戻ることができた。現在の赤堀さんの喜びは、おそらく筆舌に尽くし難いものがあるだろう。だがこれから彼が生きていくことになる社会も、やはり差別と偏見に満ちた社会なのであり、それだけに彼の行く手には様々な困難が待ち受けていると思われる。したがって私たちに残された最大の課題は何よりもシャバに戻った赤堀さんをいかに支え切るか、ということである。私たちは、赤堀さん自身の思いとペースを最優先しつつ、できる限り彼の生活を支援し、彼と共に差別と闘うことを目指していかなければならない。
私たちにとっての第二の課題は、第二・第三の赤堀さんを絶対に作り出さぬ為にも、これまで以上に、それぞれの地域における三者共闘の体制を強め、地域はもとより、施設や精神病院で不当な差別に苦しめられている、「病」者・障害者の仲間を取り戻し、支え切り、共に闘いを担っていけるよう取り組みを強めることである。
第三の課題は、政府―権力の障害者隔離・抹殺攻撃である保安処分(治療処分)導入の策動を始め、現行の精神保健法や優生保護法、母子保健法、更には拘禁二法改悪の策動などと徹底して闘い、それらを粉砕をすることである。
そして第四に、赤堀差別裁判と同質の差別・冤罪事件として、この間私たちが取り組んできた野田事件=青山正さんを取り戻す闘いへの取り組みを、より一層強化することである。この闘いは赤堀闘争以上に多くの困難を内包している。それだけに私たちも、積極的かつ粘り強い闘いが求められている。
私たちは、あらためて赤堀さんと共に、今回の再審闘争における勝利を噛み締めつつ警察・裁判所に対する糾弾の闘いを持続させる一方で、上記に掲げた残された課題に、全力で取り組むべく、体制を固めなければならない。それこそが赤堀闘争における完全な勝利を意味するのである。
全障連の仲間たち、最後まで共に闘い抜こう!
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島田事件再審の争点
表省略(校正者注:表に記載されている内容を縦に記載)
犯行順序
再審判決:胸の傷は生活反応がなく、生前か死後が判断できないものの、左肺に出血があり、生前と認められ、両者間に関連があることから、胸の傷は生前が相当。
弁護側主張:胸と下腹部の傷には生活反応がなく、死後にできたことは明らかで、自白の犯行順序と矛盾。石山鑑定は動物実験を人に応用する飛躍があり、勝又鑑定も信用できない。
検察側主張:被害者は高度の血圧低下状態となったため「胸の傷には生活反応が出なかった」との勝又、石山鑑定で暴行後胸を強打した後に絞殺したとする自白は信用性がある。
再審開始決定:胸と下腹部の傷の時期は生前(扼頸=やくけい=以前)に生じたものとは断定し難く、扼殺後のものではないかとの疑念が生じ、自白の犯行順序には合理的疑いがある。
確定判決:暴行後、抵抗する被害者の胸を右手で持った石で数回強打後に両手で首を絞めつけ窒息死させたとする自白は、「胸の傷が生前」とする古畑鑑定と一致。
胸の傷の凶器
再審判決:押収した石が胸の傷の凶器として適合する可能性があったとしても、この石ではろっ骨が折れる疑いもあり、石が凶器であるかは明確に判断できない。
弁護側主張:石が凶器でないことは太田、上田鑑定を根拠に再審開始決定などで明らか。石で胸を殴打した場合、肋(ろっ)骨に損傷がなければならないが存在しない。
検察側主張:被害者の胸の傷の形状などから、押収した石が凶器として最も適合することが、勝又・石山両鑑定により証明された。
再審開始決定:太田、上田鑑定により、胸の傷は石ではできない疑いが濃い。「石で胸を強打した」との自白は信用性、真実性に疑念があり、石を凶器とする裏付けを欠く。
確定判決:現場付近のこぶし大の変形三角形の石で胸を数回強打した、との供述は古畑鑑定と一致。捜査官は供述を強要しておらず真実と認められる。
アリバイ
再審判決:三月十日(犯行日)に横浜の神社に泊まったとの被告の主張は明確でなく、犯行日前の供述も小山証言と相反することから、信用できない。
弁護側主張:自白調書と、検察側の主張する三月七日に赤堀さんに会ったという松浦証言は矛盾。松浦証言、小山証言ともに信用できず、三月十日は横浜の神社に泊まり、アリバイ成立。
検察側主張:再審公判で弁護側からの立証なく、再審開始決定でアリバイ不成立としている通り。松浦証言についても静岡県茶業試験場の気象表などから信用性がある。
再審開始決定:三月十日(犯行日)夜、横浜の補社に泊まったとの主張は、日時が特定できず、松浦証言の信用性に疑いが生じたが、小山証言が存在し、アリバイは認定できず。
確定判決:犯行日直前の三月七日(松浦証言)、九日(小山証言)に被告が島田市にいたとする二人の証言は信用でき、被告人のアリバイに関する供述は不自然なものがある。
↑
毎日新聞(一月三一日・夕刊)
↓
判決理由骨子(校正者注:「判決理由骨子」白抜き大文字)
一、被告人の自白が虚偽ではないかとの疑いをぬぐい切れず、被告人の自白は信用性に乏しい。
一、被告人の供述するアリバイは信用できない。
一、自白は信用性に乏しく、自白以外に犯行と被告人を直接結び付けるに足る証拠がなく、公訴事実について、その証明がない。
検察、控訴断念! 赤堀さん無罪確定
赤堀さん無罪確定
死刑囚の再審「島田事件」で静岡地裁が一月三十一日、赤堀政夫さん(五九)に言い渡した無罪判決で、静岡地検は十日、「控訴しても、無罪判決を覆すだけの新たな証拠がない」などとして控訴を断念、同日午後にも正式発表する。赤堀さんの無罪が確定することになる。
朝日新聞(2月10日・夕刊)
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おかえりなさい、赤堀さん
ドキュメント一・三一
第一部=仲間たちの声でつづる、判決公判闘争(取材・全国出版部)
午前八時前に、静岡地裁へ出向く。もう、かなりの人が来ている。傍聴券を求める列は、いつもの二、三倍か。ざっと五百人。はるか遠くに地裁の建物が見える。もう赤堀さんは中へ入ったのだろうか。
抽選。はずれた仲間が続々と門の所に集まり、まさに立錐の余地もない。傍聴団が見えなくなった。
十時二十分、どうやら始まったらしい。みんな中の様子を必死でうかがう。そうしている間にも、権力の嫌がらせが続き、抗議のシュピレヒコール。その時か、「やった!」「
○しろまるが出たぞ!」、ざわめきが段々歓喜の叫びに変わる。「赤堀さん、おめでとう!」「赤堀さん、おかえりなさい!」
「無罪」の垂れ幕が、我々の前を走りゆく。「無罪なんだ」「勝ったんだ」、口々に起こる喜びの声。みんな思いを表わすのももどかしいほどだ。しかし、「灰色無罪」らしいとの情報も。再び怒りが込み上げ、複雑な面持ちで、まずは駿府公園へと移動。速報を聞いたのち、今の感慨をみんなに求める。
やった、やった。今日の赤堀さんの無罪の判決は、中身読むと灰色というか、警察とかが暴力とかやってないって言ってたけど、それはやっぱりおかしい。半分は判決に差別が入ってる。そこをもうちょっと考える必要があると思う。でも、良かったと、大きい声を上げたいと思う。(関東ブロック・猪野さん)
僕が、初めて全障連に関わって、赤堀闘争に行って、もう十二年間ですけれども。その頃、機動隊と僕ら側との中に挟まれて、死ぬか生きるかという経験をしたことがあるんです。その時は、僕は、権力の、裁判所の対応に非常に腹が立った。
赤堀さんの無実は、僕はずっと勉強会とか集会をやりな
写真省略(校正者注:裁判所前の写真)
がら、確認してきましたけれど、今度の無罪は当然と思います。兵庫青い芝の会・福永さん)
赤堀さん、おめでとう。(文字版を使って、兵庫青い芝の会・沢田さん)
やっぱり三十五年っていう
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長さは、どない考えてもエグイの一言に尽きるし、もう赤堀さんも五十九で、今も言うとったんだけれども、普通ならもう定年退職して、嘱託になって、その嘱託ももう終われようかという歳になって、シャバへ出てきて、これからがもう大変なことだし、その落し前はどないしてくれるんやろ思う。(関西ブロック・福森さん)
赤堀さんが無罪判決をとって本当にうれしいです。警察側の控訴を許すことなく、障害者の冤罪事件を許さない解放運動を目指してみんなと一緒に頑張りたいと思います。(滋賀県支部準備会・杉本さん)
喜びというより、当然という感じがするからね。もちろん喜びはあるんだけれども、割と冷静に考えていますが。
後は赤堀さんが出てきて、直接話ができればいいと、今はそう思ってるけど。後は判決の内容はゆっくり、時間かけて考えるしか無いんじゃない。今日は。(中四国ブロック・中川さん)
やったね。 (関東ブロック・須田さん)
初めての経験で、テレビでは何回か、こういう場面見たことあるんですけれど、実際自分が接して、ものすごく感動しました。一口に三十五年言うても、実際まだ僕、二十八歳なんで、あと七年か経つと三十五になるんですけれども、それだけの長い間、閉じ込められるというのは、もう人の人生のほとんどで、一体どうやって責任取ってくれるんかということが、ものすごく気になります。(関西ブロック・姜さん)
やったね!
○しろまるが出たときもそうだし、集会やってて市民の人とかがかけつけてくれたりとか、ほんま涙出てきました。特に、今の集会で言ってた梅谷のお母ちゃんの話で、十年前に勝った次の年に奈良赤堀実行委を作って、でまた十年して勝ったと。その勝った時のうれしさというのを言ってたけど、僕もそのうれしさを味わえてうれしいです。
この後、まだまだ赤堀さんがシャバへ出てきて、新たな闘いが続くし、青山さんも同じように取り返して、また泣きたいと思います。最後に、赤堀さん、おめでとう!(絶叫) (関西ブロック・町田さん)
しばしの休憩後、再度地裁前に。もうすぐ赤堀さんが出てくる。どの車だろう。十二時三十五分、バンが出てきた。「赤堀さ〜ん」「おめでとう!」、車の回りは人、人、人......。
残念ながら、赤堀さんは見えなかった。「後で、ちゃんと会えるんだから」、誰となくつぶやく仲間の声。さあもう一回、集会だ。早く判決の中身を知りたい。傍聴団にさっそくインタビュー。
まず、最初に主文ということで、無罪が言い渡されたんですが、その瞬間ですね、傍聴人が全員拍手を送ったということで、すぐ制止されたんですが、それと身柄の釈放に
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ついて閉廷後すぐにやるということで、また拍手と「よしっ」という声が沸き起りました。尾崎裁判長がすごい早口でね、しかも小さい声でしゃべるんですわ、で日本語っていうのは一番言葉尻が肝心でしょ、言葉尻でYESかNOか分かるんだけれど、肝心の言葉尻が全く聞こえないというような、一気のしゃべり方でね。だから内容はほとんど分からなかった状態です。ただ成傷用器の石に関して、かなり長いことしゃべったんだけれど、結論から言うと成傷用器とも言えるし、そうでないとも言える、という非常にいいかげんな判決です。あと、自白の信用性・任意性、アリバイの問題も含めて、灰色判決だったと言うことです。だから、まあ判決文見てみないと、どういう判決文だったのか、はっきり分からないんです。かなりそこらへん、今後の作業として残されてるんじゃないかと思います。
赤堀さんの様子は、終始、前を向いて、ほとんど首を動かさない状態で、一時間四〇分くらい、不動の姿勢で聞いてました。で、最後に「以上で閉廷します」って裁判長が言ったときに、赤堀さんは立ち上がって、「裁判長さん、どうもありがとうございました」と言って、深々と頭を下げて、それから弁護団に頭を下げて、かなり感極まった状況で出て行かれました。(傍聴に入った「そよ風のように街に出よう」編集部・小林さん)
まず一番に判決はいいんやけど、内容の意味が全然聞き取れにくかった。裁判官の声が小さくて、何のための公開やっていうことを、思いました。やっぱりこういう公開の時ははっきりと大きい声で、内容も言うて欲しいし、みんなに分かるように説明もして欲しいし、ちょっと裁判の中身については疑問が残って、今回いい経験になりました。(傍聴に入った滋賀県支部準備会・村上さん)
今日は富山から、三人しか来れんかったけど、でも赤堀さんが、無罪判決ですごく良かったと思います。で、だけど、三十五年間も無実の罪で牢屋へ閉じ込められていて、その三十五年の悔しさは、決して消え去ることはないと思います。
赤堀さんが三十五年間も、無罪だと言い続けて頑張ったことが何よりもすごいけど、私達も赤堀さんを信じて頑張ってきて、無罪を勝ち取れて
写真省略(校正者注:裁判所前の集まった人々の様子)
うれしい。これからも障害者とか健全者もそうだけど、やっぱり正しいことは正しいと大きな声で言っていかなければならないと思います。(北陸ブロック・河上さん)
本当に、赤堀さん、御苦労さんでした。というよりも、これからまだまだあと二週間予断が許されません。私たち
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も広島に帰り、また明日の夕方からビラ巻きの行動を連続して行ないます。
我々障害者解放をめざして本当に赤堀さんと共に闘ってきた、この十年間、決して無駄でなかった気がします。私達もまた、新たにシャバに出てきた赤堀さんが、安心して暮していけるような社会を、共に築いていきたいと思います。(中四国ブロック・吉川さん)
やったねっていう感じね、まず。私共ばね、尚司がねシャバの赤堀さんだっていうことで、就学闘争始めて、就学闘争には一応七十九年に勝利をしまして、それから学校卒業してね、共に生きていくっていうところでね、奈良県の中でも多くの若い仲間が尚司の介護を始めて、地域でも障害者の介護に関わっていきながら、一方で赤堀実行委員会を作って行ったんです。
それは闘いと日常活動っていうのか、実践を伴っているいうことでね、赤堀さんの問題も入って行きやすかったと思うんですよね。理論学習だけじゃなくて、それと奈良には吉田おさみさんがおられたっていうのが、私達にとってものすごい力強いものだったと思います。あの人を軸にしながら、進めてきたんだけれども、遺志を引き継いで、今後も頑張っていきたいなと、そういう風に思っています。
うれしいね。勝つっていうことは久々の感激ですね。(関西ブロック・梅谷さん)
赤堀さん、おめでとうございます。体に気を付けてこれからも頑張って下さい。
(九州ブロック準備会・庄山さん)
集会を終わって、一時半、デモに出発。さすがに壮観な隊列だ。そしてみんな喜びに輝いている。目的地は、静岡県労政会館。三時から、屋内集会が予定されている。そこに赤堀さんが来るのだ。始まる前に少しだけ声を聞いてみた。
三十数年間、僕と同じ人生牢獄につながれてて、今日解放された赤堀さんの顔を見て思わず、涙が出てしまいまいました。今後、体をちょっと養生して、また、赤堀さんと共に闘っていきたいと思います。赤堀さん、早く元気になって欲しいと思います。(中四国ブロック・水口さん)
奪い返せて、本当に良かった。差別社会に対して怒りを持っている。(東北ブロック・北村さん)
写真省略(校正者注:デモの写真)
いよいよ、集会が始まった。赤堀さんはまだだろうか。ピーンと張り詰めた空気が、会場を走る。次々と続く、勝利のアピール、権力への弾劾、そして............。
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おかえりなさい、赤堀さん
ドキュメント一・三一
第二部=「赤とんぼ」の歌の中、感動の登場
〈再現・奪還集会〉
(赤堀中闘委主催・静岡県労政会館にて)
〈司会者〉すみません、途中ですけれども赤堀さんが来
写真省略(校正者注:集会の様子)
ましたので。(拍手)
え一と、みんなで「夕焼け小焼けの赤とんぼ」の歌を歌いたいと思います。
理由は、後で説明しますので、歌って下さい。
〈全体〉夕焼け 小焼けの 赤とんぼ おわれて 見たのは いつの日か
〈大野さん・ナレーション〉
赤堀さん、覚えていますか、十五年前、あなたと私が知りあった頃のことを。赤堀さんは死刑の恐怖に怯えながら、再審への熱い期待を胸の中に膨らめていました。
辛く、暗い、獄舎の中で、絶望と期待の交差する中で、死刑の執行を訴えられていました。日々、死への傾斜に向かっていきました。その時、私は申し上げました。獄舎が鍵と鉄格子で、あなたを縛ろうと、心の中までは縛れません。
さぁ、心だけは自由にと、そして、辛く、苦しい日々であっても、獄舎の灯が消える午後九時ころ、就寝時に寝床の中で、小さな声で歌を唄って下さいと提案致しました。私も、遠く遥かな名古屋の地で、同じ時刻、同じ歌を唄うことを約束しましたね。それは「赤とんぼ」でした。今日これから、自由社会の、自由な中で、「赤とんぼ」を私達と一緒に唄って下さい。
覚えていますか、赤堀さん。赤とんぼの歌を。さぁ、どうぞ、赤堀さんをご紹介致します。
写真省略(校正者注:集会の様子)
(赤堀さん登場。鳴り止まぬ拍手の渦。両手を、大きく挙げ、笑顔でみんなに応える赤
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堀さん。赤堀さんに鶴の首飾りと、花束が贈呈される)
〈大野さん〉 赤堀さんの鶴は五十九折られています。五十九の年令に合わせて、鶴は折られています。どうもありがとう。みんなに顔を見せてあげて。赤堀さん、おめでとう! 障害者のみなさん、おめでとう!
〈赤堀さん〉 本当に長いあいだ、ご支援、協力、署名、カンパ、面会等、情宣の活動をやって、私を支援してくれて、本当にありがとうございます。(一段と大きな拍手)
私は、大野萠子さん始め、
○しろまる○しろまるさん、
○しろまる○しろまるさんを始め、
○しろまる○しろまるさん、
○しろまる○しろまるさん、その他の大勢の支援者のみなさん方にも、私は心から厚く御礼を申し上げます。どうもありがとうございます。本当にどう
写真省略(校正者注:挨拶をする赤堀さん)
もありがとうございます。
〈大野さん〉 赤堀さん、市民社会に一言申し上げたいことがあるとおっしゃっていましたが、それは何ですか。
〈赤堀さん〉 ちょっと、今の段階ではね。ちょっと何て言って良いか分かりません。
みなさんに、一言じゃあ言います。
脅迫・誘導・拷問を、絶対に、警察官の人達はやらないようにお願いします。
障害者の人達の差別扱いは絶対にやめて欲しいと思います。
死刑執行の法律は廃止してください。
みなさん、どうもありがとうございました。ご声援をどうもありがとうございました。
(「そうだ!」の声と歓声が会場中割れんばかりに響く)
〈大野さん〉 政夫さん、政夫さん、今日から社会人です。お財布がいるようですから、どうぞお持ち下さい。
〈赤堀さん〉どうもありがとうございます。
〈大野さん〉 それから最後の政夫さんへの手紙になりましたけれども、これで宛先が無くなりました。今夜読んで下さい。私からの手紙です。
(拍手)
写真省略(校正者注:赤堀さんにプレゼントを渡している様子)
〈司会者〉 それではみなさんが、あっと驚くプレゼントを赤堀さんが用意してくれました。これは静岡名産、みかんです。赤堀さんは、最初に......
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〈赤堀さん〉大野さんにあげます。(拍手)
〈司会者〉 係の方、出てきて、開封してみんなに配ってください。
(前のほうにいる人達に、次々とみかんを配る赤堀さん)
〈大野さん〉十六年の支援のなかで、今日初めて政夫さんに触れたことは、一生忘れられないと思います。
(支援者の顔をみつけ、歩み寄る赤堀さん)
〈司会者〉じゃあ、再度全体で、拍手を赤堀さんに送りたいと思います。
〈全体〉 赤堀さん、おめでとう!赤堀さん、おかえんなさい!赤堀さん、おめでとう!赤堀さん、おかえんなさい!
(鳴り止まぬ拍手の中、手を振って応える赤堀さん。続いてお兄さんの一雄さん登場)
〈お兄さん〉どうも皆様、ありがとうございました。あきらめておりました弟との再開が、弁護士先生始め、みなさんがたの、多くのご支援を頂きまして、今日、再開できることは感謝しております。今後、弟は、非常にいろんな難問を抱えておりますが、微力ですが、弟の力になってやりたいと思っています。(拍手)。
今日の無罪判決の決定を、多少でも冤罪事件をやってる裁判に、多少でも効果があることを願っております。本日は、本当にみなさんがたの、暖かい心に包まれて、新しい出発ができましたことを、重ねて御礼申し上げ、ご挨拶に代えさせて頂きます。どうもありがとうございました。
〈司会者〉本当に、お兄さんは、赤堀さんが、本当に誰も支援がいない時に、一人で弟さんの赤堀さんの無実を信じて、三十五年間、本当に赤堀さんと、苦闘して、闘い抜いてきた方だと思います。全体、拍手でもう一度、応えたいと思います。(拍手)。
〈赤堀さん〉みなさん、どうもありがとうございました。ありがとうございました。
〈司会者〉それでは続きまして、主任弁護人の大蔵先生が見えてますので、一言ご挨拶をお願いいたします。(拍手)
写真省略(校正者注:会場の様子)
〈大蔵弁護士〉弁護団を代表致しまして、ご挨拶に伺いました。みなさんの前に、赤堀君の元気な姿を、お見せすることができて、大変うれしく思っています。三十五年、非常に長い期間でございました。この間の、赤堀君の苦しみというのは、私共の想像を絶するものがあったと思います。
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まぁとにかく、赤堀君が二十五才の時に、私が弁護人になりまして、彼と歳はあまり違っておりません。私は、三つ、四つ、年上でございますけれども、赤堀君の今日の姿を見ると、彼自身が、三十五年、どんなに苦しい思いをしたかということが、髪の毛の色、その他、歯の状態から見て、すぐわかるわけでございます。まぁそのとき以来、赤堀君と一緒に、無罪ということで、頑張って来ました。やっと、三十五年ぶりに、みなさんの前に、仕事をすることができました。
これから、実は、私共、赤堀君の今日の判決について、検察庁に参りまして、控訴は絶対にしてはならない、直ちに決定しなければならない、いう申し入れをしに参るところでございます。ぜひこの要求を実現できるように、みなさんの拍手で私を送って下さい。
(再々度の、会場を揺るがす拍手の中、赤堀さん、お兄さん、大蔵弁護士が退席。その後、全障連・全国「精神病」者集団・赤堀中央闘争委員会を始めとするアッピール、及び決議採択が行なわれ、感動の一・三一は幕を閉じた。)
1.31 ビデオ貸出します(校正者注:「1.31 ビデオ貸出します」下線)
1.31闘争の様子をビデオ収録・編集しましたので、借りたい方は全国出版部まで御連絡を。
なお残念なことに、機械の調子により、屋内集会は映像が入っていませんので、予めお断りしておきます。すみません。〈貸出料=2.000円+送料〉 (校正者注:「1.31〜送料〉」四角囲み)
サイバン長カラ赤堀政夫ハムザイトユウハンケツヲキキマシタ。赤堀政夫ハムヂツウデアリマス35ネンハナガイナガイクルシイマイニチデアリマシタ ヤツトウ私ガムヂツウハラスコトウガデキマシタ。スズキ先生ヤ大クラ先生ハヂメオオクノベンゴワシサンノオカゲデス ナガイアイダ私ヲシエンウシテハゲマシテクレタ、オオゼイノミナサンニココロウカラオレイヲモウシ上ゲマス アリガトウゴザイマシタ ホントウニアリガトウゴザイマシタ。
ムヂツノウ 赤堀政夫。 (校正者注:「サイバン〜政夫。」四角囲み)
〈赤堀さんの喜びのコメント〉
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全国組織強化合宿開かれる(1/14〜15)
規約改訂・組織再編へ向け、大きく前進
反原発運動との接点・矛盾に関し学習
全国事務局長 矢内健二
去る、一月十四日〜十五日に、全障連第十一回幹事活動家・全国組織強化合宿を、大阪府同和地区総合福祉センターにて行なった。参加者は、幹事十一名、ブロックからの活動家十六名、介護者・事務局九名の、全体で三十五名であった。今回の合宿は、?@情勢分析、?A組織綱領及び規約改訂案について、?B学習会「反原発運動と障害者解放運動の接点・矛盾」、三つのテーマで論議を行なった。
Xデイ攻撃を軸に情勢分析
十四日は、事務局長から情勢分析が提起された。国際情勢では、まずアメリカの世界最大の赤字国への転落に見られる経済の破綻によって、世界経済は破局へと陥り兼ねない状態にあること、そしてアメリカはそれを乗り切るためにソ連への急速な接近と、日本に対する対米協力を強く求めてきており、こうした中で国際情勢は、ソ連のアフガニスタンからの撤退、イラン・イラク戦争の停戦等急速なデタント(緊張緩和)政策が展開されているが、南朝鮮・フィリッピン・ニカラグァの人民が断固として反米・民族解放の闘いを強めてきていることが述べられた。
国内問題では、リクルート疑獄と天皇の死により一層拍車のかかった「Xデイ攻撃」を中心に提起がなされた。とりわけ、支配者階級が、一月七日の天皇の死を契機にして、民衆の中にある「天皇制崇拝」の思想と、優生思想を巧妙に利用してきている点、そして彼らはまた「天皇元首
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化」「天皇制護持」を通して新たな差別と分断攻撃を展開しようとしてきている点が説明された。またそもそも天皇制は差別の元凶であるが、私達障害者も、過去から現在に至るまで、天皇制の下で不当に差別され迫害を受けてきた歴史についても簡単に触れられた。
すなわち、古代天皇制においては障害者は「神のたたり」と見なされて排除され、また律令時代には、とりわけ障害者の死体は「獣同然の汚れたもの」とされ、天皇を「汚れから守るため」と称して、都から遠く離れた場所で焼き捨てられたのである。また明治維新以降も「富国強兵」の名の下に、障害者はそれまでと同様に隔離と排除の対象とされるが、特に第二次大戦下にあっては、「(天皇を頂点とする)大和民族の純潔と優秀さを守れ」を歌い文句に、障害者に断種が強制され、露骨な障害者抹殺が強行されわけである。以上の様な理由からも、私達が障害者の自立と解放を目指す上で、天皇制の問題を避けて通ることはできないと提起された。
討論の中では、「民衆の中にある『天皇制崇拝』の思想」の部分は、「『天皇制崇拝』の思想への民衆意識のねじこみ」とした方が適切ではないか、との意見が出され、また天皇制思想強化と合わせて、反差別・反権力の闘いへの弾圧が厳しくなっていることが報告された。
規約改訂・綱領策定に論議白熱
翌十五日の午前中は、組織綱領及び規約改訂に関する討論に入った。なお全障連の単一組織化(組織再編)と、組織綱領策定・規約改訂の意義については、既に前回の幹事活動家合宿、更には第十二・十三回全国交流大会においても確認されてきているところであり、今合宿においては、組織綱領・規約改訂の具体的な論議がなされた。
まず、楠代表幹事から、綱領に盛り込むべき内容として、?@歴史、?A障害者差別の根拠、?B八十年代の障害者を取り巻く情勢、?C戦後障害者運動の流れと全障連結成の意義、?D全障連運動の経過、?E障害者差別撤廃のための基本戦略、?F我々の当面する課題の七項目が提起され、それぞれ簡単に説明された。また規約改訂案中、特に検討を要する事項としては、?@全障連の正式名称、?A障害者の定義、?B障害者及び健全者の会員資格と、健全者の位置付け、?C支部の構成人数、及び障害者と健全者の比率、?D代議員制の導入と大会の持ち方、?E中央執行委員及び委員長の選出方法、?F会費納入の方法、等が挙げられた。
楠代表幹事の提起の後に、中・四国ブロックのO氏より補足提起のレジュメが出され、以後、全体で突っ込んだ討論が展開された。特に大きな論点となったのは、規約改訂案の第三条と四条についてである。
まず三条、すなわち、「障害者の定義」についてだが、改訂案の「全障運の規定する障害者とは、先天的か否かにかかわらず、身体的器官の欠損、身体的・精神的能力の不全の結果、通常の個人的ないしは社会的生活を送ることが自分自身では完全にまたは部
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分的に困難であり、しかもそのことによって種々の社会的不利や権利の制限もしくは剥奪を受け、不当な差別と偏見にさらされる人を意味する」をめぐって、論議が深められた。「身体的・精神的機能に障害を持つことをもって、種々の迫害と社会的不利益を受ける人」と規定する考えや、「身体的・精神的条件によって」あるいは「身体的・精神的能力の不全・差異の結果」としたらどうかとの意見等、実際に加入申請時にどうするのかといった現実的課題も合せ、多くの発言がなされた。
また、四条は全障連の目的であるが、改訂案では「ア.差別を生み出す社会体制及び価値観の根本的変革をめざし、イ.優生思想の一層をめざし、ウ.あらゆる形態の差別や偏見を取り除き、エ.障害者の基本的人権の確立をめざし、オ.不当な差別に対する障害者自身の糾弾権及び自己決定権の確立をめざして、闘う」となっている。この内エ、オに対して、「権利確立でなく、差別と闘うことこそ重要だ」とする意見と、「確かに資本主義社会を前提とした人権概念を確立しても障害者差別はなくならないが、基本的人権にはもっと普遍的要素がある」という意見が出された。
関連して「障害者の自己決定権」についても、これは単に障害者が自分の意志で生活するというだけでなく、障害者政策の決定過程に障害者自らが関わっていくことも意味するのではないか、との意見もあった。いずれにせよ権利確立の闘いが、それに留まるのでなく社会変革につながっていくことこそ重要であるという点では、一致した。
その他にもいくつか論点があり、今回出された意見は、規約改訂委員会で検討し、幹事会・全国合宿で更に論議を深め、全国交流大会へ発表していくことが確認された。
優生思想を克服した反原発運動を
続いて午後からは、「反原発運動と障害者解放運動の接点・矛盾」についての学習会を行なった。
初めに、中・四国ブロックの大本氏・合田氏より、愛媛における反原発運動に関わっての経験から、運動の中にある優生思想の問題について触れられた。「障害児が生れるから原発に反対」という論調に対して、異義を唱えると、「とにかく原発を止めること
挿絵省略
が先決」「子供が大事と言って何故いけないのか」との反論が返ってくること、また、広瀬隆氏や綿貫礼子氏は全国をかけめぐり、母性の強調や「障害児が生れることの恐怖」をあおっていること等が報告された。さらに、そうした運動の中でも、障害者解放運動に連帯し、接点を共に探っていこうとする動きがあることも、具体的な資料をもとに説明された。しかし、反原発運動の多くは、障害者に対する差別意識を克服せぬままに展開されており、また運動の中心である「主婦」や十代の若い層に、こういった意識
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がすんなり受け入れられていってしまっていることも指摘された。
続いて、奥村氏より、滋賀県で行なわれた広瀬隆氏の講演会において、同様の問題があったこと、全障連滋賀県支部(準)としても他の団体と共同で氏に申し入れを行なう予定であることが話された。また、この間の二つの運動をめぐる矛盾について、図式的に整理がなされた。そこでは「人為的な肉体損傷・生命破壊、環境汚染」への警告・抗議を、「社会に一定数存在する障害者」を標本的に取り上げ、その否定をもって行なうという概念の混乱があること、さらにその背景には「病気や障害の全く無い状態を理想とする『健康幻想』」とも言うべき考え方があり、この考え方に染まってしまうと、自分が病気や障害を持った時に、それらと「付き合う生き方」をするのは難しく、またそれらを持った人々をどう支えていくかという視点は得にくいことなども説明された。
その後の討論では、反原発運動を支えている人々の「素朴な疑問・不安」の中にある「障害者になったら困るなぁ」という考え方については(煽動家に対しては別であるが)、一言で「差別だ!」と言い切るのではなく、むしろ障害者自らの生きざまをぶつけ付き合いを通して、地道に説得していくことが大切ではないか、との意見が出た。また、原発事故など社会危機にあっては、障害者こそが生命を奪われる危険性が多いとの視点も提起された。更には究極的には、原発産業を支えている大量生産・大量消費、効率優先の社会を批判していくことと、障害者を排除していく能力主義的価値観を克服していくことは、決して矛盾しないし、むしろ同じ方向性を持っているのではないかとの感想もあった。であればこそ「原発をなくそう」という運動が、「障害者をなくそう」ではなく、「障害者差別をなくそう」という質を持つように転換していくべく、我々のアプローチも問われているのだ、と集約された。時間的に短く、充分な討論にはならなかったが、参加者の共通の土台に、この問題が乗った意義は大きいと思う。
最後に、司会から、三十一日には、ぜがひでも赤堀さんの完全無罪判決・奪還を勝ち取るべく、障害者解放運動の飛躍をかけ、全障連の全組織をあげて、静岡地裁に結集しようとの提起があり、これを圧倒的拍手で確認し、二日間の合宿を成功裏に終了した。
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福岡地裁・車イス傍聴拒否事件〈速報〉
差別事件の隠蔽工作を許さないぞ!
九州ブロック(準)栗山文治
十二月十九日に行なわれた「荒木裁判」に傍聴支援の参加をしようとした、我々全障連九州ブロックの仲間であるM君に、福岡地裁刑事三部の裁判長荒木は、車イスでの傍聴を認めず、それに抗議した仲間たちへも、退廷・監置という前代未聞の訴訟指揮を行なった。
荒木裁判とは、青カン(野宿)生活を余儀なくされていた荒木氏を、再三襲撃していた中学生たちに、「これ以上やられれば殺される」と身の危険を感じた荒木氏が、この襲撃を止めさせようと、正当防衛に及んだ行為を、警察・検察が「殺人未遂事件」としてデッチ上げた事件である。
M君はこの荒木氏の事件に対し、自ら受けた親・施設・社会からの差別体験から、荒木氏への共感を覚え、この日の傍聴に参加しようとしたのだが、裁判長荒木は入廷したM君にその意志も確かめず、廷吏に命じ、車イスから傍聴席へ一方的に座らせ、これに抗議した健全者を退廷させ、裁判を始めた。一時間ほどして、裁判長荒木はM君本人でなく、廷吏に「きつそうです
写真省略「荒木裁判長が車イス障害者を排除した福岡地裁 〜2月1日の公判闘争で、抗議行動を展開する仲間たち」
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か」とたずね、M君が苦痛を訴えるや否や、車イスを持ってこさせ、そのままM君を法廷外へ連れ出そうとしたのである。また、これに抗議した者たちに、監置処分を出したのである。
四日後の二十三日、我々全障連九州ブロック準備会は、これに対し抗議行動を起こし裁判長・荒木に面会を求め、抗議文を手渡そうと福岡地裁へ出向いたが、裁判長側は職員を動員し、「裁判長には会わせない」というばかりか、我々の前に職員を整列させ、我々が裁判長に会うまで戻らないと見るや、所長命令で退去命令を出し、機動隊を待機させる事態になった。それから約一時間ほど、結集した障害者の怒りの抗議にも一言もなく、裁判長荒木は警察権力に護られながら、裏口からこそこそと逃げ出し、我々は抗議文を読み上げ、満身の怒りをこらえながら情宣活動に移ったのである。
年が明けて一月十日、抗議文に対する我々への回答もせぬまま、福岡地裁所長蓑田名でマスコミに次のような談話を発表した。
?@当法廷は特殊な状態―荒れる法廷―が続いていたので、裁判所職員の敏速な行動確保のため、また障害者本人の安全確保のため、法廷から出てもらった。
?A今後は法廷に車イス用の席を二台分作る。(校正者注:「?@当法廷〜分作る。」四角囲み)
そもそも、荒れる法廷を作ったのは、裁判長荒木自身であり、その証拠には、隣の法廷に警察権力を常駐させ、廊下のイスを取りはずすという指示を、最初から裁判長荒木は出していたのだ。
そしてこの間の経過でもわかるように、M君への精神的・肉体的攻撃―差別を引き起こし、それに抗議した者を次々と退廷させていくことが「混乱」であり、これを「荒れる法廷」などとは言わさない。そしてこの暴挙は、荒木氏と連帯して支援傍聴に参加しようとしたM君と、荒木氏及び日雇労働者への差別と闘ってきた福岡日雇労働組合そして越冬闘争実行委員会の労働者との分断を計るものであり、断じて許すことはできない。
二台分の車イスの専用席などは実質的な車イス傍聴制限であり、社会問題化したこの前代未聞の差別事件への隠蔽工作である。我々はこれからも福日労越冬実と連帯しながら、荒木裁判を支援し、裁判長荒木、福岡地裁を徹底糾弾していく決意である。
全国機関誌の前号(八三)の特集「相次ぐ差別事象に各地で取り組み」でも、速報としてお知らせした、この差別事件ですが、その後の経過を含め、九州の仲間に執筆してもらいました。
なお、二月十七日に、判決公判があり、裁判所側は、上記のように車イス二台までの制限を行なってき、また再度「話し合いには応じない」旨を明らかにしたため、抗議がなされたとのことです。
謝罪も全く行なっておらず今後の方針については討議中です。なお荒木さん自身は、「懲役三年・執行猶予五年」の判決とのことです。
全国機関誌では、まれにみるこの悪質な差別事件について、更に続報を掲載していく予定です。
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子供に差別意識を植えつけてしまう童話って、何?
お話童話宝玉選問題で小学館に質問
「子供に朗読して聞かせましょう」とあるだけに、なおさら見逃せない。この出版物は質問状にある通り、単に「差別表現がある」というだけでなく、子供にどんな障害者観を植えつけるかという点で問われねばなるまい。
親が子に、「めくら」の失敗談をこっけいげに語り(めくらのちょうちん)、「おし」の発音としてやたら「あお、あお、あお(表記通り)」なる言葉を発する(三人かたわ)時、そこに生まれる障害者像がいかなるものか、想像に固くない。
しかし回答文を見るに、小学館は問題の表層しかとらえておらず、若干対処主義に走っている嫌いすら窺えよう。
言葉の問題にあまり過重な任務を与え過ぎると、障害者差別の本質が見えにくくなる恐れもある。三月二日の話し合いでは、やはり障害者自身の生い立ち・被差別体験を語る中で、問題の所在を明らかにしていきたい。(童話の詳しい内容等については次号にて掲載予定)
〈資料A〉質問並びに話し合い要請書
私たち全障連は、障害者に対するあらゆる差別を取り除き、障害者の自立と解放を障害者自らの手で実現させるべく、取り組みを進めて参りました。
ところで私たちは、貴社が発行し、佐藤春夫氏の監修による『童話宝玉選シリーズ?V・お話童話宝玉選』(一九八二年発行新装版)の中に、重大な障害者差別の表現及び内容が含まれていることに気付きました。この書物には、随所に「めくら」「いざり」「おし」「気違い」などの障害者差別の表現が見られますが、中でも「盲(めくら)のちょうちん」及び「三人かたわ」は、その表現のみならず、内容それ自体が障害者を愚弄したものとなっていると言わざるを得ません。
監修者の佐藤氏は本書の冒頭で、このお話を読んだ子供たちが「美と善意を失わない、心豊かな人間になる」と言い、この書が子供たちに与える教育的効果を強調しています。一体、先に上げた二つのお話にいかなる教養や教育的効果が存するというのでしょうか。
また、この書の発行される六年前の一九七六年に、貴社は『ピノキオ』における差別表現に関して、名古屋の「まず『ピノキオ』を洗う会」に対し「謹告」を出し、その中で人権尊重の方針を強調しておられます。にもかかわらず、なぜこのような書物が子供たち向けのものとしてこれまで温存され、販売されてきたのか、私たちにはどうしても納得できません。
これまで長い間、不当な差別に苦しめられてきた私たち障害者は、こうした貴社の姿勢に不信と憤りを覚えるものです。以下の諸点につき質問致しますので、速やかに文書にてご回答頂きますともに、私たちとの話し合いの場をお持ち頂きますよう、強く要請する次第です。
記
一、この書物に関する貴社の発刊意図、及び発行の経緯をお聞かせ下さい。
二、私たちの指摘にたいする貴社、及び監修者の見解をお聞かせ下さい。
三、人権問題に対する貴社の取り組み、及び出版物に関する社内のチェック体制についてお聞かせ下さい。
以上、よろしくお願い致します。
一九八八年十二月三〇日
株式会社 小学館 社長 殿
全障連 全国代表幹事 楠 敏雄 (校正者注:「〈資料A〉〜楠 敏雄」四角囲み)
p20
〈資料B〉回答文
謹啓 時下ますますお清栄のこととお慶び申し上げます。
一九八八年十二月三十日付けの貴書翰拝受いたしました。年末年始休暇のためご返事が遅れましたことをお詫び申し上げます。
さて、此度、小社発行の『童語宝玉選?V お話童話宝玉選』の中に重大な障害者差別の表現・内容が含まれているとのご教示をいただき、また小社の姿勢についても厳しいご叱正をいただきました。
小社は、当然のことながら、いかなる差別もあってはならず、また、それを助長するような内容・表現は厳に慎むべきであるあるということを明確な方針としてまいりました。しかるに、今回、社内のチェック体制の不備から障害者差別につながる表現・内容を看過し、今日まで発行を継続してきたことは弁解の余地のない重大な過失であり、お詫びのしようもございません。衷心からの反省をこめましてご質問にお答えします。
一、発行意図及び発行の経緯
本書の初版が発行されたのは昭和三十九年(一九六四)であり、その後、昭和五十年(一九七五)に改訂版が、そして昭和五十七年には装丁のみをかえた新装版が発行されました。内容は、日本を含む世界各地の民話・伝説・神話・仏教説話等の中から約二百編を選び、童話に書き改めたものであります。子供たちに世界各地の話を紹介するためとはいえ、当時の編集者に障害者差別に対する理念が欠如していたためこのような話が採録されてしまいました。昭和五十年改訂版発行の時点で、点検、削除すべきでした。それがなされなかったのは、ひたすら編集体制上の不備による重大な過ちであり弁解の余地はございません。
二、貴連合会からのご指摘について
いかに過失とはいえ、障害者差別につながる表現・内容を温存したままで発行を続けたことに対し重大な責任を感じております。本書につきましては、貴連合会からのご指摘の前に、昨年の十一月、或る個人の方から同様のご指摘を受け、直ちに絶版とし、全国の書店に回収の手配をいたしました。
三、人権問題に対する取り組み、及び社内のチェック体制について
小社では昭和五十四年(一九七九)に編集総務部が設置され、当部を中心に編集倫理の向上、人権意識の向上に努力しているほか、昭和五十八年(一九八三)には「人権研究会」を組織し、差別の問題についての認識を深め、日常の業務に反映するように努めております。しかしこのような努力をしながらも、過去の出版物に対してのチェックに十分な目がいきとどかず、今回の事態を招来する結果となったことを、率直に反省し、現在発売中の過去の出版物についても総点検を行なうべく体制を整備することにいたしました。
以上で回答とさせていただきます。
末筆となりましたが、お忙しい最中、有益なご教示をいただきましたことを感謝いたしますとともに、今後のご指導をお願い申し上げます。
敬具
一九八九年一月十三日
小学館 編集総務部長 佐々木龍義
全国障害者解放運動連絡会議
全国代表幹事 楠 敏雄殿 (校正者注:〈資料B〉〜敏雄殿」四角囲み)
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押し寄せる差別の嵐!!激しく厳しい闘いで生み出した理論と行動の柱を再度確認しよう!!!
関西ブロック大会、百名の結集で、大成功
関西ブロック(新)事務局長・町田茂雄
一月二十九日、大阪府同和地区総合福祉センターで、八八年度の関西ブロック大会を開きました。参加者数は百名を越え、数年ぶりに三桁を数えました。
午前中の全体会では、連帯共闘の挨拶・基調提起・質疑採択と行ない、情勢並びに運動と組織の八十八年度総括と八十九年度方針・会計報告が満場の拍手をもって確認されました。
続く、記念講演では、「養護学校義務化から十年、どうなる日本の教育!?」と題して、関西大学教員の岡村達夫氏より、生涯教育の問題点、解放の課題と教育課題の矛盾、法律と権利・義務の関係を闘いとることの基本的見直しなど、多様な角度から、提起を受けました。
午後のシンポジウム「今、障害者の生活は?!―『国連・障害者の十年』後期五か年の課題と展望―(大谷強氏・大阪府立大学助教授、岩間茂氏・自治労兵庫県本部社会福祉部長・自治労中央本部福祉事務所部会幹事、杉本衛・全障連関西ブロック幹事、司会・楠敏雄)」では、介護・作業所運営・自治体雇用の方向性、「専門家」としての手話通訳士、「地域で生きる」という具体的中味、ブロックの独自課題等、様々な視点から活発な討論が展開されました。そして、まとめに代えて、「各課題に当たって、柔軟に対応しながら、反差別の原則はきっちり守り抜き、独自の文化・生き様を仲間と
写真省略(校正者注:関西ブロック大会の様子)
して団結を固めながら、創り上げていくんや(杉本氏)」「ひとつひとつやれる所から道を切り開き、地域で生きる方針を突き出していこう(楠氏)」と提起がなされ、終了しました。
なお、関西ブロックの新役員体制は、以下の通りです。
代表=西岡務
幹事=楠敏雄(全国代表幹事兼任・大阪)・西岡務(全国副代表幹事兼任・大阪)・石橋宏昭(兵庫)・杉本衛(滋賀)
事務局長=町田茂雄
事務局次長=馬詰富保
組織部長=筒井純子
共闘部長=石橋宏昭
教宣部長=山本泰清
総務部長=町田茂雄
(専従=本田実子) (校正者注:「代表〜実子)」四角囲み)
p22
インフォメーション
名称・日時・場所・主催・参加費・連絡先等を書いてお知らせ下さい
二月二十四日(金)
「大喪の礼」に抗議する東京集会/正午〜/総評会館二階ホール/主催=同実行委員会(呼び掛け団体=部落解放同盟東京都連合会、部落解放東京共闘会議)
天皇国家葬に反対するデモ/午前十時〜/芝公園二十三号地(地下鉄「御成門」「芝公園」下車)、
同集会/午後一時〜/豊島公会堂(池袋東口)、
主催=天皇制の賛美・強化に反対する共同声明運動、
?〇三―三六二―六三二〇
平和と人権を誓う二・二四大阪の集い/午後一〜三時/なにわ解放会館/主催=憲法擁護国民連合大阪地本
御堂筋パレード/午後三時四五分〜/大阪府庁前集合/主催=同実行委員会(反天皇制のうねりを!関西連帯会議他)
二月二七日(月)
富山県高岡市営プール差別事件第二回確認会/一時半〜/高岡市役所/連絡=全障連北陸ブロック、?〇七六四―九一―三三八五
三月二日(木)
「お話童話宝玉選」問題についての小学館との話し合い/午後六時〜/大阪府同和地区総合福祉センター(環状線「芦原橋」)/連絡=全障連全国事務局、?〇六―九七二―一四二八
三月四日(土)
新屋英子さん一人芝居「章ちゃんの青空」/午後六時半〜/富山市公会堂別館五階ホール/大人(前売九〇〇円、当日千円)、子供(前売四五〇円、当日五〇〇円)/主催=富山生きる場センター、
?〇七六四―九一―三三八五
三月十一日(土)〜十二日(日)
四国障害者交流会実行委員会/十一日午後六時〜/高松市・善福寺/連絡=水口、
?〇八九九―三三―三七八六
三月十九日(日)
国障年大阪連続セミナー「障害者の施設〜施設改革と地域自立」/午後一〜五時/大阪府同和地区総合福祉センター/参加費=千円/主催=国障年大阪連絡会議、?〇六―九七四―〇七九一
三月二十日(月)〜二十一日(火)
全障連九州ブロック(準)拡大会議/連絡=李、?〇九二―九六三―二六八四
三月二十五日(土)
DPI日本会議第五回総会・分科会/午後六時〜/戸山サンライズ/主催=DPI日本会議、?〇三―二五一―〇三一一(総評内・障害連気付但し月・水・木午後のみ)
三月二十六日(日)
DPI日本会議第五回総会・記念講演=ジム・ドナルド氏(国連人権問題小委員会)/午前十時〜/戸山サンライズ/参加費=三千円/主催・?は、前日に同じ
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編集後記(校正者注:「編集後記」下線)
1月は、全国機関誌臨時号(赤堀闘争への呼びかけとXデイ緊急アピール)作成で始まり、赤堀さん奪還で終わった。忙しいが、ピリリと緊張感のある日々だった。
1月7日、まず何かしなきゃとNHK・民放に抗議電話をかけまくった。そして、もうすぐ「大喪の礼」だ。色んな戦術があるだろうけど、関西ブロックの仲間は抗議行動の一つ、御堂筋パレード(歌舞音曲打ち嗚らし)に旗立てて行くとのこと。登校してくる子供と過ごす案を練っている教師もいる。反差別・反天皇制の意志表示をこの曰、いかに具体化できるか、私たちも問われている。
今号は、赤堀さん無罪の特集を組んだので、新企画(文化シリーズ・制度質問コーナー等)は次号回し。御了承を。
しかし31日は本当にうれしかった。私も含め若い世代も感動したが、全障連結成当初、いやそれ以前から赤堀闘争を担ってきたメンバーにとっては、言い尽くせぬ感慨だったのではないかと思う。そして赤堀さんの、気の遠くなるような長い闘いに改めて学んでいきたい。(Q)
挿絵省略
もくじ
=特集= 1.31ついに赤堀さんを無罪・奪還したぞ!!
おめでとう赤堀さん
◎にじゅうまる赤堀差別裁判糾弾闘争の総括と、今後の課題 全国代表幹事 楠 敏雄 1
◎にじゅうまる資料=「島田事件再審の争点(新聞記事より)」 4
◎にじゅうまるおかえりなさい、赤堀さん〜ドキュメント1.31
第1部=仲間たちの声でつづる、判決公判闘争 5
第2部= 「赤とんぼ」の歌の中、感動の登場 9
◎にじゅうまる赤堀さんの喜びのコメント 12
全国組織強化合宿開かれる(1/14〜15)
〜規約改訂・組織再編へ向け、大きく前進 反原発運動との接点・矛盾に関し、学習 全国事務局長 矢内 健二 13
全国事務所維持・協力会員に、あなたもなって下さい! 16
福岡地裁・車イス障害者傍聴拒否事件〈続報〉 〜差別事件の隠蔽工作を許さないぞ! 九州ブロック(準)栗山 文治 17
子供に差別意識を植え付けてしまう童話って、何? 〜「お話童話宝玉選」問題で小学館に質問 19
関西ブロック大会、100名の結集で、大成功 関西ブロック(新)事務局長 町田 茂雄 21
インフォメーション 22
編集後記 23 (校正者注:「もくじ〜 23」四角囲み)
全障連
全国障害者解放運動連絡会議
No.84
全国機関誌 発行日/89.2.28
連絡先/大阪市東成区中本1-3-6 ベルビュー森の宮207号(校正者注:「207号」下線)
?06−972−1428
FAX 975-1378
月1回発行 頒価 200円
年間定期購読 2500円(郵送料込)
郵便振込 大阪6−57342 全障連全国出版部
発行=関西障害者定期刊行物協会・大阪市東成区中本一丁目三の六(ベルビュー森ノ宮二一五号)
作成:
山口 和紀