『全障連』No.54
last update:20220704
■しかく文字起こし
表紙
KSK No.54
全障連
全国障害者解放運動連絡会議
写真省略(校正者注:眼鏡をかけた男性と子どもが向き合って話している様子)
一九八五年一一月一日発行(毎月二回一、一五の日発行)
KSK通巻二五号
一九八四年八月二〇日第三種郵便物認可
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赤堀差別裁判糾弾闘争
赤堀さんを生きて奪い返すのは今だ
力を11・10静岡・全国闘争に
写真省略(校正者注:車いすの人たちなどデモをしている様子)
【赤堀差別裁判糾弾闘争 全障連一〇年の闘いの総力をここに】
静岡地裁は、差し戻し審理のおおづめをむかえ、来年の一月一七日に最終意見陳述―結審を、そして来春にも再審か棄却かを決定するとしており、赤堀差別裁判糾弾闘闘争は最も重要な時期になっています。
私たち全障連は、結成以来いっかんしてこの闘いを全国統一闘争の中心にすえ、赤堀中央闘争委員会の設立とその任務を担い、全力をあげて闘ってきました。
「赤堀さんを殺して私たちの明日はない!」、その叫びと、赤堀さんと固く心を結んだ一〇年の闘いは、一九八三年に東京高裁に差し戻し決定を出させました。そしていま、静岡地裁に再審の門を開かせるか、権力―支配者の障害者抹殺を許してしまうかの頂上にきたのです。
いっさいの力を一一・一〇静岡地裁糾弾の闘いに結集させ、赤堀さんを生きて奪い返そう。
【赤堀さんの闘いは障害者解放運動の原点だ】
赤堀さんの闘いは真に私たちの自立と解放の闘いそのものです。
すでに知られているように、赤堀さんは「精薄」とレッテルをはられて、教育を奪われ、地域から排除されていました。そして放浪生活を余儀なくされ、アリバイがないことを理由に「幼女殺害事件」の犯人にデッチ上げられたのです。
静岡地裁での死刑判決は、検察側の「かかる行為は、おそらく通常の人間に
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はよくなし得ない悪虐非道・鬼畜にも等しい(中略)、被告人は先に認定した通り知能程度が低く軽度の精神薄弱者でありその経歴をみると、殆ど普通の社会生活に適応できない」「社会防衛のため、また社会秩序維持のため、かかる犯行は社会共同生活の不適応者として排除・抹殺しなければならない」と言いきったのを受けて下されたのです。
まさに権力による障害者の排除・隔離・抹殺の頂点です。
私たちの地域での自立と解放運動は、常に暴力的排除と露骨な差別意識にさらされ、身に迫る危機と対決しています。それは赤堀さんが受けた差別の歴史と同じものです。
私たちは赤堀さんの無実の叫び、そして獄中での闘いに強く結びつき、ともに闘い抜きましょう。
【宮城刑務所の獄中弾圧を許すな。赤掘さんを奪い返さずしてともに生きれない】
今年の全障連大会には赤掘さんが書いたメッセージが届きませんでした。
宮城刑務所は、ことし三月には新規面会禁止を、そして六月には新規文通禁止の弾圧攻撃をかけてきました。権力―支配者は再審を阻止せんと、私たちと赤掘さんの団結をなんとしても破ろうとしているのです。
いま、赤堀さんとともに生きることは、宮城刑務所の弾圧をはね返すとともに、再審開始→無罪判決をかちとり、生きて奪い返すことでしかできないのです。
【一一・一〇静岡に結集し、再審を勝ちとろう】
静岡地裁での差し戻し審では、赤掘さんの無実を証明する様々な証拠が出されています。
?@"凶器の石"は自白前に作られた。?A"その石"は凶器ではない。?B"その石"に血痕もない。?C足跡は長グツではない。?D長グツは赤掘さんにははけない。?G犯行日と自白は違う。?F犯行順序も違う、と。
これに対して検察側は、なんと三〇年目の逆転証言や、新たな犯行手順までもちだし、いつわりの証拠を積んでいます。
今年五月二七目の狭山差別裁判糾弾闘争での特別抗告棄却を見ればわかるように、権力―支配者は差別裁判には強権的・暴力的な弾圧を打ち出しています。
また、保安処分新設や母子保健法改悪、さらに障害者対策全体が「地域管理体制」からいっそう「治安対策としての管理・抹殺」攻撃へと転換されいる今日、私たちはいっときのゆだんもできません。
赤堀中央闘争委員会は今を"決戦局面"とし、一一・一〇全国総決起集会と、一・一七(最終意見陳述―結審)からの連続ハンスト・署名・情宣闘争を呼びかけています。
全障連の仲間たち、差別と闘う友人たち、ともに最後まで闘いぬこう。
挿絵省略
p3
全障連施設小委員会・岡山会議の報告
施設小委員会・水口
写真省略(校正者注:車いすの人が発言している様子)
全障連第一〇回大会以降、最初の施設小委員会が、九月二八日〜二九日と、岡山市内で行なわれ、中・四国を中心に全国から一〇人の障害者が集まり熱い討論を行なった。
会議でほまず、全障連大会での施設分科会の報告と総括が行なわれた。報告はそれぞれ第一・第二分散会の司会者が行ない、総括は一人一人が行なった。その中で、今全障連大会は、分科会の時間が短く、充分な討論ができなかったという声が多数を占め、「人間丸ごと5万人まつり」への批判もあった。さらに、総括全体会での分科会報告に手ぬきがあったなどの総括も行なわれた。
又、施設小委員会側の総括として、司会者間の打ち合わせ不足で、分科会議論のまとまりがなかった、施設労働者交流会開催の提案もその位置付けがもう一つ不明確なため、討論が進まなかったなど、こうしたいくつかの総括をふまえ、取り組みの強化を確認した。
この後、議題の討論に入り、
?@施設労働者との交流会設定に向けた討論
?A今後の施設小委員会の具体的取り組みについて
?B施設小委員会ニュース発行について
?C施設小委員会の会計について
の各討論を行なった。
?@については、分科会に参加した労働者に対し交流会へのイメージや希望、何を期待するか等、アンケートを行ない、充実した交流会開催に向けて準備を進めることになった。
写真省略(校正者注:移動する車いすの人たちの様子)
全障連第一〇回記念大会
にんげん丸ごと5万人まつりの報告
事務局・河野秀忠
太陽がカンカンの太陽の広場の一角の人波がゆれた
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(校正者注:以下、前頁「全障連施設小委員会・岡山会議の報告」の「充実した交流会開催に向けて準備を進めることになった。」から続く文章)
?Aについては、施設小委員会においても、これまで数多くの差別的施設が告発されてきた。しかし、それら施設に対する抗議行動は、即、施設内障害者に圧力がかけられ逆効果を招く恐れがあると考え、又施設小委員会の力量不足もあり、何もできなかった。しかしいつまでたっても抗議文一つ出せないでいるのは問題
※(注記)(校正者注:
※(注記)は、穴開けパンチで穴が開いていて判読不能)し、黙っていても今の厳しい情勢では事態は良くならないとの共通認識にたって
1、施設職員研修会へのビラ情宣
2、差別的施設に対する抗議
3、各地の施設自治会ヘオルグビラを送る
などを決めた。
同時に、施設小委員会ニュースも発行して
※(注記)(校正者注:
※(注記)は穴あけパンチで穴が空いていて判読不能)施設の差別的実態を明らかにしていくことも決めた。
今回の岡山会議では、市内にある「桃園学園」育成園入所者のみんなと交流も行ない、会議を終えた。
次回施設小委員会は、二月二二日〜二三日、山口市にて行ないます。ぜひ、みなさんも参加してください。
東海障害者第2回交流集会に一八〇人参加
東海ブロック・戸田
九月一五日・一六日の両日、名古屋市内にて、第二回目の「東海障害者交流集会」が一八〇名の結集のもとに開かれました。
この集会は、東海地方で障害者の自立と解放にむけて日々活動している団体・個人が交流を通し横のつながりを深めていくことを目的として昨年、長野県・上田市で開かれ、今年が二回目です。
集会では、宮崎隆太郎氏の講演が「障害児教育と人権」のテーマで行なわれ、統合教育の中で見えてきたものについて、具体的事例をもって話されました。
夜の交流会は、「指紋押捺」の映画と、押捺を拒否して現在名古屋地方裁判所
(校正者注:以下、前頁「全障連第一〇回記念大会 にんげん丸ごと5万人まつりの報告」の「太陽がカンカンの太陽の広場の一角の人波がゆれた」から続く文章)
「ガンバレ、ガンバレ」の声援のカタマリが段々と近ずいで来る。メインステージの横のゴール地点に、その声と人の輪がワラワラと押し寄せる。五万人まつりの目玉、車イスマラソンの最終走者が完走したのだ。
彼は、全身滝のような汗に輝きながら、車イスで地面をけり、後向きの姿せいで、ゆっくり、ゆっくりゴールを目指す。コースの警備をしていた協力労組員がこれも汗まみれになりながら彼を取りかこみ声援を送り同行している。三キロのコースを二時間近い時を使ってゴール!期せずして人々の間から「バンザイ」のコールが起こる。
それは障害者である彼の障害を克服する努力に対する歓声ではむろんない。
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(校正者注:以下、前頁「東海障害者第2回交流集会に一八〇人参加」の「夜の交流会は、「指紋押捺」の映画と、押捺を拒否して現在名古屋地方裁判所」から続く文章)
写真省略(校正者注:第2回東海障害者交流集会の様子)
で裁判闘争を闘っているハンさんからのアピール。そして、愛知県岩倉市で普通学級への転級を闘う池田円(まどか)君の市交渉をテーマにした「岩倉の教育を考えるつどい」の人達による即興劇が行なわれ、交流を深めました。
翌一六日は、「共同作業所ってなに―労働を問う」をテーマとしてシンポジウムが開催されました。
愛知・静岡・長野で共同作業所を実践する人達と共同連をシンポジストとして行ないましたが、時間的な制約もあり、それぞれの現状報告が中心になり、討論が深められなかったことは残念な思いが残ります。
二日間を通して、一八〇名の人達が集まり、昨年の参加者を上回り、この交流集会が定着しつつあり、今後、静岡―岐阜と引き継がれていく中で、さらに内容豊かなものにするとともに、年1回の集会だけでなく、様々な取り組みを共同で担っていくことも反省会の中では確認されており、具体的な方向を検討しています。
草の根ろうあ者こんだん会・大阪府交渉を実現
草の根ろうあ者こんだん会ニュースより
草の根ろうあ者こんだん会を結成し、運動の大きな柱にしてきた大阪府交渉をついに実現した。途中で大阪府側がいろいろと制限をしてきたが、ろうあ者が受けている差別の実態をつきつけて人数制限のない団体交渉をかちとった。
そして交渉の中では、大阪ろう協がやっている差別の実態を暴露し、そのろう協といっしょに動いている大阪府の姿勢、施策
※(注記)(校正者注:
※(注記)は穴あきパンチで穴があいており判読不能)批判
(校正者注:以下、p3〜「全障連第一〇回記念大会 にんげん丸ごと5万人まつりの報告」の前頁「それは障害者である彼の障害を克服する努力に対する歓声ではむろんない。」から続く文章)
この車イスマラソンは、障害者の仲間が何から何まで準備し、全障連に集う健全者や労働組合の人たちの協力による企画であったればこそ、その最終走者のゴールがみんな歓声を獲得したのである。彼も、まわりのみんなも汗に輝いていた。確かに輝いていた。言葉はいらない。彼も、みんなもヒーローになった。したたり、流れる汗こそが、第十回全障連記念交流大会を盛り上げようとする五万人まつりのポテンシャルなのだ
参加実数一万五千人、圧倒的な千人をこえる障害者の進出。全障連十年の歴史が、太陽の神アポロンのように人々の間を駆れ抜けた人々のコールはひとつ「君は七月の風になれ。太陽の広場で風をみつけたか」。
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その夜、打ち上げ会の席上、ある労組員は「このまつりに参加して初めて言葉でなく、自身の身体で、障害を持った人たちと出会った気がする」と口にした。
やった!みんながヒーローになった五万人まつり
サア、今度は、みんなの生活の場、地域、職場でまつりをやろうじゃないか!障害者自身がその存在と行動で地域や職場の核となり、その困難を剣としてヒーローとなる時代の入口に至ったのだ。
そして、それは、まぎれもなく全障連運動の十年と見知らぬ友人達との出会いがエネルギーの素であった五万人まつりは、その華として七月の太陽の下、香り咲いたのだ。
(校正者注:以下、前頁「草の根ろうあ者こんだん会・大阪府交渉を実現」の「大阪府の姿勢、施策
※(注記)批判」から続く文章)
し追
※(注記)(校正者注:
※(注記)は、穴あけパンチで穴が空いていて判読不能)た。最後には、私たち草の根ろうあ者こんだん会との団体交渉を続けることを約束させた。
この日の交渉は
※(注記)(校正者注:
※(注記)は、穴あけパンチで穴が空いていて判読不能)確かに、ろうあ者運動の中に新しい動きを作ったと言える。
大阪府交渉レポート
7月22日、大阪府交渉を午後2時〜4時に府庁で行いました。これは昨年11月に草の根ろうあ者こんだん会を結成して以来、初めての行政闘争です。この第1回交渉にはろうあ者約20人と手話通訳者6人が結集しました。やや少なめでしたが熱気ムンムンでした。
出席者
〈大阪府側〉=障害更生課・労働部援護課・府民情報課
自己紹介の後、まず「草の根」から活動の趣旨説明をしました。
それは、
?@大阪ろう協への批判をもっている(校正者注:「大阪ろう協への批判をもっている」傍線)。例えば、会館に行きづらい、特定政党に指導されていて反対する者は相談や手話通訳者派遣で差別される、エリート、中心でろうあ者大衆が疎外される、と実態を明らかにしました。
?Aこれは大阪府が大阪ろう協に事業委託と交渉を一本化しているためで、大阪府も新たな差別を生んでいる責任がある(校正者注:「大阪府も〜責任がある」傍線)。
?Bだから、ろう協とは分離したろうあ者大衆の自主(校正者注:「ろう協とは〜大衆の自主」傍線)的な運動をつくり、大阪府の誤った姿勢と施策を変えるために運動を始めたと説明し、日常活動も述べました。
そして、要求項目一つずつについて詳しく説明し、大阪府を追及していきました。けれど一項目と二項目はやりとりが一緒になったので、そのようにレポートします。
(1)相談活動の場所提供
(2)手話通訳者の育成派遣活動への助成について(校正者注:「(1)相談〜ついて」四角囲み)
〈大阪府〉初め、自主的な
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活動は認めるが、いろいろな事業をまとめるため現在は大阪ろう協に委託していて、予算的にも方針を変える考えはないと答えました。
〈草の根〉それに対し、大阪ろう協が特定政党支持者以外の者や、ろう協に批判的な者に手話通訳者の派遣を拒否する実例や証拠文書をつきつけました。又、相談活動にも一部の者の利益を優先する実態や、実際に会館に行っても役に立たない事実を示しました。更に裁判・職安・職場でも様々な問題が出ていると追及しました。
そして、これは大阪府が大阪ろう協へ窓口を一本化していることに原因があるので、府が責任をもって事業をするか、ろう協一本を見直せと強く迫りました。
〈大阪府〉すると、事実の問題には逃げられなくなり、?@問題の事例は調査し、また話し合いたいし、もっと聞きたい。?A要求の気持ちは充分わかるので、今後も会と話を続ける、と回答しました。
(3)仕事の問題=イ・職安の職員の態度 ロ・職安の手話通訳問題 ハ・府のろうあ者雇用を中心に (校正者注:(3)仕事〜中心に」四角囲み)
〈大阪府〉とにかくいろんな制度を説明してくれました。しかし私達にはけっしていいものと聞けません。職安の職員の差別的な対応についても一般的な研修をと...。手話通訳者について前項と同じ。府の職員採用はエリート主義です。
〈草の根〉職安問題では、職探しの時に「最後に行くのが職安」という事実、条件・環境・対応の悪さを示し、ろうあ者の差別実態の認識が、あまりにひどいと追及しました。
また府の職員採用については「職場にあう障害者を選んでいてはいつまでもろうあ者大衆はとり残され、仕事を選ぶ権利がない」と主張しました。
〈大阪府〉職安問題では私達との話しを続け、事例の中から考えていく。手話通訳者については、ろうあ者が自分の選んだ者を連れていっても資格を問わず認めるように通知するが、報酬は無理と、回答しました。
障害者解放理論研究集会の報告
ノーマライゼイション研究会・代表・山下栄一
写真省略(校正者注:N研理論研究集会の様子)
全障連結成第十回記念大会に連帯して、わたしたちノーマライゼーション研究会(N研)は、大会二日目にあたる七月二十七日(土)「障害者」解放理論研究集会を開きました。
午前の部は、児童文学作家山本真理子さんによる、「女性作家が辿った、原爆
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まとめ=継続の交渉を約束させたぞ! (校正者注:「まとめ〜させたぞ!」四角囲み)
この交渉をやって私達が作った成果は、
?@大阪ろう協批判を公然とやり、私達草の根の自主的運動を堂々と主張して一応了解させたことは、今後の交渉への橋渡しとなる。
?A大阪ろう協への窓ぐち一本を大阪府がやっていることは、新しい差別を生んでいると実例をもって追及し、大阪府の責任を迫ったことは大きい。これからもどんどんやれるし、運動の力になる。
?B初めて行政闘争に参加した仲間が多く、自信となったので会の活性化となった。
?C人数制限をとっぱらってやれたことは大きい。今後は一つ一つの事例を持ち、全障連関西ブロックと連携してやっていく見通しができた。
?D日常活動をきっちりやれば、必ず展望が開けるという自信が生まれた。
みんながんばろう!
日米障害者協議会の場で
八代英太糾弾抗議行動を闘う
関東ブロック・岡田
八代英太が「福祉党」を脱退し、自民党(中曽根派)に入党して以降、DPIの中で出されている日本代表およびアジア・太平洋ブロック代表の辞任勧告決議に対して、八代は日本DPIの代表は降りたが、アジア・太平洋ブロック代表は頑としておりない。
その動きは、八代が自民党に入党してがら強まる政府―厚生省の障害者運動の体制内統合路線と重なっている。そして、今まで全障連と共闘関係を作ってきた障害者団体の一部までもとりこんできている。
そして体制内統合路線の第一段としてもくろまれたのが「日米障害者協議会」で、八月二二日〜二四日に開催された。この会では二二日アメリカの障害者
(校正者注:以下、前項「障害者解放理論研究集会の報告」の「「女性作家が辿った、原爆」から続く文章)
被爆者の小史」と題しての講演。午後の部は、「臨調行革のなかでみる、障害者差別の現実」というテーマでのシンポジウムでした。これらの詳しい内容については、N研の機関誌「共生の理論」にゆずり、ここでは手短に、全般的な感想を述べておきたいとおもいます。
まず午前の講演では、山本さん自身の広島における被爆の体験にはじまって、戦争体験をいわば"塩漬け"にして後の世代に伝えたいとの思いから「戦争民話」をつづってきたことが語られました。その中で、とくに一人の被爆女性の半世が辿られていったわけですが山本さんの講演を開いて、あらためて感じたのは、被爆者の多くは、同時にまた
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(校正者注:以下、前頁「八代英太糾弾抗議行動を闘う」の「この会では二二日アメリカの障害者」から続く文章)
団が持ってきたレーガンのメッセージが読みあげられ、日本側は皇室まで呼ぶといった、まさにロン―ヤスの差別主義―軍事大国化路線に沿ったものと言わざるをえない。
これに対し、八月二四日に、全障連関東ブロックから二〇人、視労協から一〇人の仲間が、八代英太に対する抗議行動を朝一〇時から会場内外で情宣を中心に行なった。
我々に注目したのはアメリカの障害者で、全障連関東ブロック代表二人・視労協代表二人とアメリカの代表との間で一二時から一時間ぐらい、八代英太の日本DPIでの問題を話した。その結果、午後の会議ではアメリカの障害者から八代問題に関する質問が出されるなど大きな反響があり、八代の立場をゆさぶったことは間違いない。
その意味で、八・二四八代英太糾弾行動は成功だったと言える。
関東ブロック合宿をして 新人の参加がふえる
関東ブロック・矢内
九月七日・八日、全障連関東ブロックとしては、昨年の静岡県伊豆修善寺合宿に続いて、第二回目の合宿を長野県下諏訪で行ないました。
参加者は、当初の予定より少なくなりましたが、それで〇(校正者注:〇部分、パンチで穴開けされ文字不明)障害者一七名、介護者一一名、総勢二八名が参加しました。
合宿の中味に入る前に、まず失敗談からしていきたいと思います。
今回の合宿も、昨年と同じようにチャリティー協会を通して、「障害者憩いの家」という看板を掲げてい
(校正者注:以下、p8〜「障害者解放理論研究集会の報告」の前頁「あらためて感じたのは、被爆者の多くは、同時にまた」から続く文章)
「障害者」でもあったということです。そこから、これまでほとんど取り組まれずにきた、被爆者による反戦平和の運動と、「障害者」解放運動の連帯という課題がみえてきます。N研のこのたびの企画は、そうした新たな方向をきりひらく第一歩としても、意義があったのではないかと感じました。
午後のシンポジウムでは予定された発題者の一人、二日市安さんが急な事情で欠席されたため、代わって N研事務局長の楠敏雄さんから、総括的な発題をしてもらいました。ついで生瀬克巳さんほか総勢九名の方により「障害者」、医療、教育、労働、マスコミ等の立場から発題を受け討論に
p10
挿絵省略
る旅館に泊まりました。ところが旅館の案内所に書かれている「車で七分」という部分を、徒歩七〜八分と読み違えた幹事(私のこと)の勘違いのため、駅から旅館までの移動についてキッチリ打ち合わせができていませんでした。
駅
※(注記)(校正者注:
※(注記)は穴あけパンチが空いていて判読不能)くと、旅館まで歩いて三〇分もかかるということがわかり、おまけに雨もふってきたので、歩いていくわけにもいきません。そこで旅館に電話してマイクロバスを出してくれるようのお願いしたのですが、旅館にはそれがないため、乗用車二台で迎えに来てくれました。しかし、二台の乗用車では九人の車イスの障害者を乗せるわけにはいかず、残りはタクシーに分散して行くことになりました。今度はタクシーの運転手が乗車拒否をやるしまつです。そうこうしているうちに、迎えに来た口うるさい旅館のおかみさんから、幹事の私は「幹事なのに肝心な時に動かない」とカンカンに怒られる「おち」までつきました。(ヤレヤレでした。)
ところで、合宿の
※(注記)(校正者注:
※(注記)は穴あけパンチが空いていて判読不能)味ですが、今回は新しい参加者も多いので、自己紹介の中で自己史を語ってもらいました。ひととおり終った後、部屋に戻って、新しい参加者と酒をくみかわしながら、夜遅くまで熱心に話しを行ないました。
九月八日は、朝食が終った後、仙台のコンピューター導入問題、母子保健法改悪問題等々をみなで話し合いました。
今回の合宿は、新しい参加者に対して、全障連運動に関わりを持ってもらう場として設定してきました。その意味では、それぞれの交流を深めることができたし、二日間とても楽しい合宿であったと思います。来年はもっと多くの仲間が参加できる企画を作っていきたいと思います。
(校正者注:以下、p8〜「障害者解放理論研究集会の報告」の前頁「ついで生瀬克巳さんほか総勢九名の方により「障害者」、医療、教育、労働、マスコミ等の立場から発題を受け討論に」から続く文章)
入ったのですが、フロアからの指摘もあったように、発題者の数が多過ぎたこともあって、討論に十分時間をかけることはできませんでした。
しかし、さまざまな立場からの話をまとめて聞くことにより、現在わたしたちのおかれた問題状況については、その全体像を、かなり鮮明にできたのではないかと思います。
猛暑の中、わたしたちの予想を上まわる参加者で会場はぎっしり埋まり、しかも終わりまでほとんど席を立つ人もなし、皆さんが熱心に参加されたのは大変印象的でした。N研に期待されている役割の重たさを、あらためて痛感した次第です。
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DPIアジア・太平洋会議に参加して
世界の障害者風聞記 =最終回=
八柳卓史
会議の最終日は全体会だ。
ブロック大会は四年ごとにするなどの規約改正案をアジア太平洋ブロックとして提案することが決められた。続いて、アデレード・ステートメントと決議の採択が行なわれたが、宮尾事務局長が決議案の中に移動の権利を含めることを提案し、参加者の同意を得た。
極東ブロックとして提案した核兵器の廃絶等の決議は、アジア・太平洋地域での核実験と核兵器の輸送を中止する訴えとして取り上げられた。
全体会の議事はそのくらいで、あとはDPI旗の授与などのセレモニーが行なわれ、五日間にわたる長い会議を終了した。
翌日は、自由時間。私たちは南オーストラリア州の名物であるワインの瓶づめ工場に見学に行った。一五オーストラリアドル(三一五〇円くらい)で、ワインの飲み放題とステーキの食事が出るとにことで、会議、会議の連日で僻易していたので、一も二もなく参加した。工場そのものは、思っていたとおりたいしたことはなかったが、真っぴるまから飲むワインのうまいこと。下戸なのも忘れ、一・五?ぐらい飲んでしまった。
それから工場まで行くバスに乗ってびっくりしたのは、丘陵地帯のゆるやかに曲がっている道路の制限速度がなんと一二〇キロということだ。しかも一車線である。何でもかんでも法律で取り締まる日本と違って、自己決定を重んじるオーストラリアの気
※(注記)(校正者注:
※(注記)は穴あけパンチが空いていて判読不能)こんなところでも感じた。
オーストラリア滞在の最終日である一一月一〇日(昨年)は、もう一つの名物、コアラとカンガルーを見物しにクレイランド野生動物園に行った。あいにくと小雨が降っていたが、これを見ないでは日本に帰れないという悲壮な決意でバスに乗り込んだ。雨のおかげで、広い公園には私達日本人グループの他は誰一人していない。
カンガルーが放し飼いにされ、コアラのいる木も八〇センチぐらいの石垣で囲ってあるだけだ。臆面もなく乗りこえ、コアラにタッチ。しかし私は、なぜかカンガルーに方がおもしろく、ピョンピョンとスキップしながら逃げるやつを追いかけ、一番栄養不良なカンガルーをつかまえた時
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は、これで思い残すことはないと思った程である。
午前中のあわただしい公園見物を終え、午後いよいよオーストラリアの地を離れ、飛行機の都合でシンガポールへ一泊し、一一月一一日無事日本に帰ってきた。
生まれて初めての、短い海外旅行であったが、風土と気風の違いを痛感した旅でもあった。一般的に目本人に比べ、諸外国の人々は明るく、積極的に見えたのは、言葉の不自由さだけの理由ではないだろう。彼等は実に堂々としていたし、自分に自信を持っているようだった。
しかし、障害者運動の視点から言えば、例えば「失われた能力に着目するよりは、残存能力を着目しろ」というようなレベルで論じられていたり、脳性マヒなどの最重度とされる人々の発言が全くといっていいほどなかったりしていることを見るならば、日本の障害者解放運動は、世界の運動よりも一歩先を行っているなども感じた。
けれども、とにかくどこの国でも、障害者自身の運動はここ数年の間で起こったばかりであるが、草の根運動と自称するように、自分達の仲間を想い、自らの生活を丸ごと見ていこうとする運動として展開するならば、国境の壁・言葉の壁を乗りこえて、手をつなぎうあうことは可能であろう。
日本に帰ってきて、一ヶ月もたたない内に、団長であった八代英太の自民党入党が発表された。これは、DPIの理念である「われら自身の声」から
※(注記)(校正者注:穴あけパンチで穴が開いていて判読不能)く逸脱する裏切り行為である。 私たちはこのことを決して許すことはできない。
報告を終えるにあたって、とりわけ日本のDPI運動については、単に国際交流の場として、障害者運動のサロンとして考えていくのではなく、日本全国の津々浦々の差別の真っただなかで伸吟している仲間をつなぎ合せていく大きな力としていくことを目標として作られるのでないかぎり、障害者解放運動にとっても無意味な存在であると言わざるをえない。DPIの様々な文章に唄われている草の根運動の原点はそこにあると思う。
挿絵省略
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東海ブロック事務所
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中四国ブロック連絡先
岡山市谷万成2の2の45 中川方 0862(55)0099
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ショート時評シリーズ
「障害の発生予防の現実」
障害者抹殺の論理と現実 最終回
石川憲彦氏(編集・文章責任は編集部です)
写真省略(校正者注:石川さんがマイクを握って話している様子)
その非常識なお父さんやお母さよりもっと非常識なのが子供たちなんです。
彼は幼稚園に行き、そこを卒業する時に、教育委員会は「本来は最重度で養護学校ですら受けられない訪問教育だけれども、両親が強く普通学級を要求するから養護学校に入れてもいい」と言ってきた。けれども全く両親は普通学級だけを選んだ。その理由はごく簡単で、「この子はこの地域で生きていく。この子が大人になった時に、やっぱり車イスのまま首がすわらないだろうし、自分で動けないだろうし、今の世の中で仕事ができるとも思わない。だけどこの地域で生きていくだろう。この子が一歩外に出た時に『オーイ、タクちゃん』と声をかけてくれる人がいる地域に生きていくのと、そうでないのとは全然違う。みんなといっしょに生きていくとしたらそこの学校に行くのがあたりまえだ」と。
この辺は田舎なんで、彼の就学でもめている時に、たまたま2年前から知っている朝日新聞の記者がいて記事を載せてくれた。その記事が出た瞬間、ここは大阪や東京と違うんで、村役場に交渉に行ったら「新聞読んだよ、頑張ってね」と声援が起こって、それで普通学級に入ることになった。
そして今2年生だ。子供たちは、非常識なことはいっぱいあるが、手の動き、「トーン、トーン」という動きだが、お正月になるとタコのひもをつける。すると確かにタコをあげているわけで、それがものすごくうれしかった。
それから子供たちの言いだすのが、算数の時間は彼が参加できてないので、「先生、何でタクちゃんだけ算数できないの」と。それに、いい先生なんですが、「だけど算数は..」と答えると、子供たちは「いやできるよ」と。先生が頭を抱えこむと、「タクちゃんにボールをあげればいいんだよ。タコをあげるくらいに手を動かすんだから絶対数、数えられる」と言う。それでボールを横に持っていって、試しに足し算くらいと「2たす3は?タクちゃん、木村くん」とやると、子供らが「タクちゃん、答は5だよね、知っているよね。い〜ち、に〜、...」。すると彼がポンと手を動かして、みんなの声に合わせて5まで数え
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る。
それから、手の動きにカーテンとかその辺にあるものをつかませる。「おまえだって手をそう動かせるんだから、車イス動かせるよ」と、手を車に持っていっていっしょに動かす。ただ自分で持てないから友だちが持たせていく。
そうであっても、彼は最重度の中の最重度であるわけだし、そうよばれる障害者になっていくだろう。でもその時に、一番最初と同じで、今この子が生きようとしている、特に胎動を始めた時にお母さんが「わっ」とVサインを送った、このことに「発生の予防」ということで否定していくのは、どこかで人間が生きている限り命の当事者はその当人だと信用しないことだろう。それは人間を信用していないことだろうと思う。
現在のその考え方で、60組の羊水診断の結果59組まで妊娠をしない状況に追いこまれている。そういう流れの中で残念ながら、紀元2000年に4分の3にまで「ちえ遅れ」の子を抹殺していくことが「人道的」な医学・治療・「予防」の考え方として宣伝されているのが事実だろうと思う。
そうすると、今体制が言葉に表わしてくる「予防ということに対しては、私たちはどうしてもNO!と言っていかざるをえない。確かに、戦争や事故をなくす文脈で、鉛のはいった建物をなくすとか、ある子供にとっての毒物をなくすという筋も一部に含まれてはいる。ここでもアメとムチはいっしょに与えられているわけで、そこで私たちはアメの部分を自分たちの言葉に作り変えて普遍化していく作業が必要なんではないか。つまり、「発生の予防」などにNO!と言っていく中で、戦争や事故や毒に対してもはっきりNO!と言う。その2つのせめぎあいの中で「障害の発生予防」が言われてきていると思う。
そこで、正直言って、気持が2つに分かれている。「臨床心理学研究」という雑誌に、私が「早期発見・早期予防」の特集で文章を載せた時に、全てを拒否していく筋で問題を立てる前に、今言ったことを吟味していく必要があると提起した。それに対して、渡部淳さんは「そういうふうに問題を隠蔽していくことが一番犯罪的である」と批判をされ、「例え自分が肺炎になったとしても早期発見・治療を受けようとは思わない」と宣言される。それはすごくカッコいいし、正しいように思われるけれど、私にはよく解らないところがある。それは、人間の体が急速に変わっていく問題で、これはすごく不確かだと思う。私はガンだと言われたら、多分西洋医学にかかるまいと決断はもっている。それはアメとムチの論理の中のアメの部分だけをとってムチを避けるのがたやすくないし、西洋医学の治療方法に身をまかせられないという2つの側面から、今は乗らない。ところが実際にガンにかかって痛みが体に回り出した時、「痛い、助けて..」と、一番名医と言われている人に
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泣きつかないとは言えない。つまり、人間は体が急速に変化していく状況や、急速に環境が変化していく状況にまで結論できない弱さがあるし、私はそこまで賭けて言いきれない。
そうすると、今私たちの周りでおこっていることを、私の立場から「障害の発生予防」に関して言うと、本当に特殊な問題としてではなくて普遍的な問題として語る、それができるのか。普遍的な文脈で語れるものは、むしろ私たちの側から積極的に立てていかなければならないし、それは「障害の発生予防」という言いかた自体をすでに特殊化していくものだから「障害の発生予防」を拒否していく。また逆に、その中にあるいくつかのァメの部分をアメとするのではなくて、私たち全体、障害者・健全者を含むあらゆる人間の普遍化できるものとしての要求にしていく必要があるだろう。
二番目には、あらゆる「治療・予防」と言う時、人間の体の主体はだれかを明確にしなければいけない。
三番目には、普遍化の問題と表裏だが、ある個人を治療すると立ててはいけないと思う。普遍化の文脈とは、その個人と社会が成り立っている関係が治っていくといった全体の文脈の中でどういう意味を持っているかが問われなくてはいけない。その時に、前に言った1H5Wという、生活の文脈と社会の文脈を入れていくべきだと思う。
さらに、ある人間に急激におとづれる変化を含めて、
※(注記)(校正者注:穴あけパンチで穴が開いていて判読不能)はやはり不安なこと、嫌なこと、苦しいことをそれぞれ持っており、それに対する行政サービスの普遍化を要求していかなければならないだろう。最初に行った、筋ジストロフィー症の人が命の故に外に出れないと言う時に、一般の救急医療の充実として言っていけると思う。
***
次の話の前に、タクちゃんのことを補足しておかねばならないと思うことがある。
私は彼が笑った時にビックリしたし、うれしかったし、私がそれまで立ててきたものがいっぺんに崩れたし、この話をした時にみんなが喜んでくれると思っている。
ところが、今年、
※(注記)(校正者注:穴あけパンチで穴が開いていて判読不能)984年)の教研集会に行った時にとっても怖いレポートを見た。それは「笑顔を発達課題にする教育」というレポートが東京の江戸川養護学校から出ていたのだ。内容は、入ってきた一年生の子供に笑顔がなく常におびえているので、養護学校教師がいろんなことをするけれども笑ってくれないので、最後には自分の体を教材にし武器として一年間とりくんで、この子が笑ってくれるようになったというものだった。
すると、私はタクちゃんが笑ってくれたことを素直に喜んではいけないのかと頭をかかえこんでしまう。ここで言いたいことは、東京のレポートの〈笑顔〉というのと、私の言う〈笑顔〉との違いを強調したい。それは、タクちゃんという
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子供が笑ったからそこに笑顔があるとか、あるいは笑顔がでたから生きていてよかったというために語ったのでななくて、彼が生きていることと私たちが、あるいは親や私が、生きていることと出会った、その一つの出合い方が笑顔だった。私が解る形の笑顔だったということで語ったと思う。それを結果として私たちが良かったと言いあうことと、笑顔が発達の課題=目的とされていることとはまったく違う。
笑顔が目的にされると、自分の感情まで人のために左右されて、教育によって動かされる。そこまで教育がいったら私は怖くてしかたがない。私が笑うのは人のために笑わされるのではなくて、結果としてうれしかったり、楽しかったりして笑うんだ。それを発表課題として目的にされたらたまったものではない。しかも、笑顔を発達課題にする時、そこに前提としてあるのは、この子は笑ってないとすることだ。私にはその子の笑顔が解らないのではないかと考えないで、笑顔のない人間がいることを前提にしている。私たちも同じ言い方をしてしまう、「反応のない人間がいる」と。私がその人の反応を自分の思いの中でまだ了解できないのと、反応がないのとは全然違う。ましてや、笑顔を発達課題にした子とは、私が診ている子なので、これはあてつけに出したんだろうと思う。私はその子の笑顔をもう昔に見たことがある。だからお母さんが来た時に、お母さんは養護学校派で私とちょっち意見が合わないけれども、その子の笑顔は小さい時から知っている。これは、その教師が笑顔を見つけられなかった、それだけのことだ。でも、笑顔を発達課題にしてしまう。
それは、歩く、しゃべる、についても同じことが言えるだろう。「しゃべれた方がいい、歩けた方がいい」という言いかたが、常に目的として語られる。でもそのことと、例えば金井康治君が養護学校では「歩け、歩け」と言われても歩かなかったのに、就学闘争をやって地域の学校に行ったら階段をよじ登って教室を突破して自分でなんとか歩こうとした。この時に彼が歩こうとした結果とか、彼が生きる文脈を含んで自分の中で歩き、それが良かったということとは違うん
見かじり聞きかじり書きかじり 送られてきた通信からとりあげてみました。
*「すたこらさん」=おおさか・行動する応援センター=おたより・西海ゆう子さん「全障連大会の記念講演に感動した私。講演というと必ず『ネクタイの男』と相場は決まっているが、『女性』、それも内容のある話し。全障連のセンスの良さに、私は感心しました。」(こんな感想がこの『KSK全障連』に来ないかな。とはいえ、他の機関紙に載っていても嬉しいですね。)
*「考える会通信」=厚見中放火事件を考える会=山
p17
(校正者注:以下、p13〜「ショート時評シリーズ 「障害の発生予防の現実」の前頁「この時に彼が歩こうとした結果とか、彼が生きる文脈を含んで自分の中で歩き、それが良かったということとは違うん」から続く文章)
だ。彼は歩けない方がいいとか、歩ける歩けないは関係ないと切り捨てるのではなく、私たちが目的として語ることと、結果として語ることの差異は大事にしたいと思う。
最後の話は、重度と言われていて、心臓の病気があるために生まれてからずっと自宅と病院だけで暮らしてきて、自宅でもかなり酸素を使わないと生きていけない状態におかれている子についてです。
その子が6才になって就学通知が来る頃に、家の中で一大騒動が起こる。今まで学校なんて考えてなかったし、この子の寿命は8才ぐらいと言われていて、家に中だけで両親や家族といっしょに住んでそれなりに幸福だった。就学通知なんてまいこんでくるとびっくりする。学校とか外の世界は考えてもいなかった。
その時に初めてこの子も一人の人間として世の中に生まれた子供だと親は思い知らされる。でも、学校にやろうかどうしようか迷う。ちょっとでも動くとしんどくなって、青くなって酸素を使わないと危険な状態で、学校へ出したら結果は目に見えている。でもこの子が社会の中で一人の人間として生まれてきたのなら、家の中だけで私らもこの子も幸せだというのでいいのか、本当にこの子は生きていることになるのかと。そういう想いで、ついに普通学級へと決断して教育委員会へ行くが、教育委員会は訪問教育と言ってきて、それでケンカをして、普通学級に入っていく。
ところが両親の不安が適中して、一学期の間、チョット授業に出ると苦しくなって家へ帰って一週間ぐらい寝て、また出ると一週間ぐらい寝ている。そんな生活をくりかえした。二学期になると、今までの半分の時間も出ないのに苦しくなって、今度は二週間も三週間も寝こむようになって、その二学期に息をひきとっていった。
この子が息をひきとるまぎわに、心臓の病気の子供の末期ですから、私なんかは気楽にしゃべっちゃうが、病気の人がしゃべるのはとっても苦しく、ましてこの場合はマラソンするよりも苦しい。その中で、小さな声でいっしょうけんめい訴えている言葉が、「ぼく、もうおしまい」と。お父さん、お母さんが「いや、おしまいじゃあ
※(注記)(校正者注:穴あけパンチで穴が開いていて判読不能)。今
(校正者注:以下、前頁「見かじり聞きかじり書きかじり 送られてきた通信からとりあげてみました。」の「*「考える会通信」=厚見中放火事件を考える会=山」から続く文章)
内さんとわたしたち「考える会」・「五月末から所在不明であった山内さんが『窃盗』によって現行犯逮捕されるという形で、その居所が解るというなんと表現したらいいのか解らない現実の中で、一度は解散を決めた『考える会』も山内さんが出所するまで会を継続し、山内さんと話し合いを持つ中で方針を決めていこうとしています。(中略)山内さんが所持金の乏しい中で岐阜に帰ろうとしていたのか、どこか別の所へ行こうとしていたのかわかりません。ただ、お金がなくなって学校に入ったことだけが私達の知り得ることなのです。山内さんは、現在兵庫県加古川刑務所にいますが、本来山内さんはそこに入っている必要はないのです。無実の『放火
p18
犯』にデッチあげられなければ、所持金もなく岐阜を離れる必要もなかったし、ましてや学校へ入る必要もなかったのです。八年間に渡る裁判闘争に負けたと言う事実が刑務所の山内さんの生活なのです。」(ここでも権力・裁判所の差別攻撃が一人の障害者の人生と生活の丸ごとを奪っている。赤堀さんと全く同じなのだ!)
*「波」=日本てんかん協会=告知―他人へ病気のことを伝える―。(てんかんについての偏見がきついなかで、堂々と生きていくために「告知」する。最終的には本人が方法を決めるべきだとしているが、予断と偏見との正面からの闘いは、自覚と、一つの告発でもあるだろう。)
(校正者注:以下、p13〜「ショート時評シリーズ 「障害の発生予防の現実」の前頁「お父さん、お母さんが「いや、おしまいじゃあ
※(注記)」。今から続く文章)
までだって苦しいのにのりきったんだ」と言うのをさえぎるように、「もう、ぼくおしまい」。親もそれ以上励ますのをあきらめてじっと見ていると、さらに何か言っている「みんなに伝えて。さよなら......」。
この子の命は確かに学校に行ったが故に一年半縮まった。親としても、これはやっぱし間違いではないか、この子を苦しめているんではないかと悩み、それでもなんとか学校へ通わそうと、子供との間で裂かれながらも普通学級を申請した。後2年間、家族だけで楽しく過ごした方が長く生きれたし、もっと楽しみがあったかも知れない。しかし、最後に彼が「みんなにさよならを伝えて」と言う、その〈みんな〉は学校に行くことによって、同時代に生きている自分の仲間と出会った〈みんな〉だろう。
彼のことを想う時に、私たちが生きることの中で、アメとムチの内、アメの部分だけを選んでいく方法を、私自身問われると思う。彼の持っていた人生の矛盾を、彼の治療、彼の命の保持という文脈とは全く違った、私たちの社会の中に同じに生きている人間が、同じように考えあう問題へと、彼や、彼の両親は変えていった。
その時には、命の長さの問題を捨ててでも、私たちが生きていく、生きていくことがその人間の主体にあるように生きる、生きることが普遍化される、個人の問題としてではなくてみんなの問題として生や死が語られる、そんな生きかたが迫られた。こうした生きざまを前に、「治療」や「予防」の問題があると考えるのです。
挿絵省略
次面シリーズのごあんない
このシリーズは、全障連解放講座八四での石川氏の講演を出版部の責任で編集したものです。六回にわたり「障害の発生予防の現実」を掲載し、今回でこのテーマを終了します。
次回からは、同じく全障連解放講座八四から、鈴木紀雄氏の講演による「ともに生きる自然界」〜反公害運動の立場から〜をシリーズで掲載します。社会ダーニズム批判の学習にご期待ください。
p19
近況=一九八六年度予算概算要求に見られる障害者政策
障害者政策が「地域管理体制」から「治安対策としての管理・抹殺攻撃」に転換されるぞ
はじめに
一九八六年度予算概算要求が、各省庁から大蔵省に提出されています。
全体的には「福祉切り捨て」と軍事予算の突出・海外侵略の強化がよりいっそう明らかになっていますが、その中で、障害者政策に関する特徴的な項目を引き出し、分析したいと思います。
国の補助率引下げを継続した厚生省要求
まず、厚生省は、今年度一年限りとして強行した国庫補助金一律カットを来年度も継続しようとしています。この高率国庫補助金の一律カットについては、私達は全障連第一〇回大会の場で強く反対の決議をあげたものです。
この攻撃は、生活保護や福祉手当を始めとした諸施策について、国の責任を放棄し自治体への負担を大きくするものです。そのため各自治体は、障害者や家族に対し、生活保護や福祉手当・諸施策を受けさせないよう制限を強めたり、窓口で嫌がらせをしたり、またすでに受給している者にも日常生活の監視をしてうち切っていくようにしています。
このことは富山市差別行政糾弾闘争でも明るみにされ、さらに今日各地で自立生活を行うにあたって様々な弾圧が加えられてきていることでも実感されるものです。
さらに、この一律カットを通し、政府―厚生省は障害者政策を抜本的に再編しようとしており、「福祉」そのものの性格を変えようとしています。また各地自治体は、すでに独自の施策を実現する姿勢を失い、それどころか政府―厚生省の意図を反映して「福祉切り捨て」の先兵になろうとしています。
p20
母子保健法改悪=優生保護法改悪の実態化=障害者抹殺の攻撃が露骨に進められるぞ
その大きな政策転換の一角に母子保健法改悪攻撃があります。政府―厚生省は、法改悪の目的を「保健所機能の合理化と障害の早期発見・治療システムの確立」と言っています。
保健所の機能は、前は伝染病や母子の栄養管理・予防から、最近は老人・成人病対策、そして「障害の早期発見・予防」に重点が移されています。ここでは、「ほとんどの成人病は遺伝的体質と関係がある」、また「先天異常の三分の一は明確な遺伝病による」といった見解の下にされているのです。
そこで、保健・医療政策の国庫財政の負担を削るために、健康保健法改悪が先になされましたが、それでも追いつかず、露骨に障害者抹殺へと手をうってきたのです。すなわち「先天異常の発見と予防」こそ最優先だと考えています。そして、遺伝病スクリーニングや胎児チェックが新たな医療機器・技術によって進められています。
ところが遺伝病や染色体異常などは治療法がないものがほとんどなので、「早期発見」は抹殺へと結びつきます。
さらに「早期発見」は新たなプライバシー侵害事件を次々引き出し、多くの人の人生を危機におとしいれ、また深刻な差別を生みだしています。(これについては後の機会に詳しく書きたいと思います。)
つまり、優生保護法改悪(「優秀な人間を選び・育成し、劣等な人間を抹殺する」)の意図は、科学的にも社会的にも批判されつくしているので、この母子保健法改悪で装いを変えて実態化しようともくろんでいるのです。
こうした「障害の早期発見・予防」に関する予算が、在宅サービスに関するそれとほぼ同額であるのを見ると、私達はこの攻撃を深刻にとらえる必要があります。
中間施設構想に見られる安あがり管理・抹殺攻撃
次に特徴的なことでは、「精神障害者」・心身障害者政策で、「中間施設構想」が前面に出されています。
この攻撃は、施設・病院への収容政策への反対運動の成果と考えるのではなく、あくまでも財政的事情と考えねばなりません。
施設運営費について政府―厚生省ほ「生活費は福祉(年金・手当・)で、介護費は医療(健保)」の方針を出しています。すると、介護(人的管理と言った方がいいでしょう)にかかる医療経費の負担が大き
p21
く、それをうかすために安あがりの中間施設が考えられているのです。建物も民間委託にすれぼ、正に国の責任放棄、新たなそして深刻な人権問題(管理と抹殺)が起きてくることは容易に想像できます。
今、老人政策でのこの実験が行われており、その経緯を見てより効率的に導入されるでしょう。
私達はこの「中間施設構想」に関し、収容施設の差別実態を暴露する運動とともに、今後の最も重要な闘いになると考えています。
身体障害者全国実態調査と対決する私達の運動を
また、来年度は身体障害者全国実態調査の年にあたります。八一年度の時は、私達全障連だけが明確に反対運動をしましたが、ほとんどの障害者団体は厚生省にとりこまれて強行実施を許してしまいました。今年度についても国障年日本推進協が「政府との協議路線」を全面に打ち出しているので、きわめて困難な闘いとなりそうです。
また同時に、労働省も身体障害者就労実態調査を実施するとしており、これら実調への取り組みが急がれます。
政府―厚生省・労働省等は、今回の実調を通し、二一世紀にむけた政策転換機軸を作ってくるでしょう。中央の社会福祉審議会も、社会福祉体系の抜本的見直しを行うと審議を開始しています。
私達は、この第一〇回大会で「障害者差別実態白書づくり」のとりくみを決定し、その準備も着々と進んでいます。政府の実調と、それを通した攻撃に対決するため、私達の攻勢的な闘いの基盤をこの「差別白書づくり」でかちとりたいと考えます。
障害者をとりまく情勢の大きな転換が、八一年国際障害者年の時を一つの契機とすれば、今からこの二〜三年が勝負どころだと考えられます。
福祉が天皇制にとりこまれてきている。反差別・反戦の立場をよりいっそう強めよう
さて、目を移して老人政策を見ると、なんと、新規事業に「天皇陛下在位六〇年記念事業=長寿科学総合研究機構調査検討費」という項目があります。実に福祉の分野に天皇制が堂々と入り込、天皇制あるいはXデーにむけた福祉体系の再編=差別と管理・
※(注記)(校正者注:穴あけパンチで穴が開いていて判読不能)の機構が固められようとしているのです。
八〇年代後半は、まさに障害者解放運動の勝負どころでしょう。これまで述べ
p22
たように、「地域管理体制」は「治安対策としての管理・抹殺攻撃」へと転換されようとしています。
「早期発見・治療」による障害者の抹殺、生きつづける障害者には新たな能力主義による選別(「役にたつ者は利用し、役にたたない者は『放置』)と、安あがり管理、そして生活基盤を丸ごと奪う「福祉切り捨て」、はては天皇制=国家主義の差別体系の打ち込み。
それに加えて、障害者団体の多くは政府にとりこまれて、圧力団体としての位置も自ら放りだして「協議路線」に走る国障年日本推進協の影に隠れつつあります。それこそ八代英太の画策したものです。
差別と闘い、自らの団結と力で、自身の生き様を決定していく私達の解放運動こそが、障害者全体の展望を見出し、社会運動を築けることはここでも証明されています。
私達は今後もこの「近況」で一つ一つの項目についてさらに分析を深めていく考えです。みなさんのご意見を寄せていただきますようお願いし、ともに学習を進められるよう訴えます。
もくじ
赤堀差別裁判糾弾闘争 赤堀さんを生きて奪い返すのは今た。力を11・10静岡・全国闘争に...1
各地の取り組み
?@全障連施設小委員会・岡山会議の報告...3
?A東海障害者第2回交流集会に180人参加...4
?B草の根ろうあ者懇談会・大阪府交渉を実現...5
?C日米障害者協議会の場で八代英太糾弾・抗議行動を闘う...8
?D関東ブロック合宿をして...9
全障連第10回記念大会
にんげん丸ごと5万人まつりの報告...3
障害者解放理論研究集会の報告...7
*DPIアジア・太平洋会議に参加して〜世界の障害者風聞記〜〈最終回〉八柳卓史...11
*障害の発生予防の現実 〜障害者抹殺の論理と現実〜〈最終回〉 石川憲彦...13
*近況=1986年度予算概算要求に見られる障害者政策=障害者政策か「地域管理体制」から「治安対策としての管理・抹殺攻撃」に転換されるぞ...19
見かじり、聞きかじり、書きかじり...16
編集後記
挿絵省略
夏からいっきょに冬みたいな近頃、かぜひきがはやっているけど、みなさんだいじょうぶかな。きのう阪神が日本一になって、関西はもうたいへん。私も夜中2時までTV見てた。それで今日阪神デパート言って4年ぶりにカバン買った。
近況などシビア―なこと書いて、人生相談ナンカして、それでフィーバーにのって買い物。なんかシクーッとしてない。いや、24ページに増えたこの出版にあくせくなんだぜ。
胸騒ぎがする。今年の冬、何かがおこりそう。みなさん、目を開いて、世の中を見すえよう。(z)
p23
出版物・映画の案内
挿絵省略
全障連結成大会報告集(76年) \二、五〇〇
第二回大会報告集(77年) \二、〇〇〇
第四回大会報告集(79年) \二、〇〇〇
第六回大会報告集(81年) 売り切れ
第七回大会報告集(82年) \一、〇〇〇
第八回大会報告集(83年) \一、五〇〇
79年1・26―31養護学校義務化阻止! 文部省糾弾連続闘争報告集 \二五〇
障害者解放教育保育研究会シリーズ?@
養護学校義務化阻止闘争総括集 \六〇〇
養護学校義務化阻止学習パンフ?B \六〇〇
自立生活シリーズ?A「地域福祉」政策糾弾学習パンフ\二〇〇
労働権シリーズ?@「みんなで力を合わそう」
職よこせ要求者組合結成集会 \四〇〇
点字学習 \二〇〇
富山市差別行政糾弾闘争報告集?@ 売り切れ
?A第二回確認会報告集 \四〇〇
?B第三回確認会報告集 \四〇〇
?C第一回、第二回糾弾会報告 \五〇〇
映画「養護学校はあかんねん!―文部省糾弾連続闘争の記録、(全国事務局取り扱い)
KSK全障連(全国機関誌)月刊 \一五〇
年間定期講読(送料込) \一、九五〇
全障連関西ブロックニュース月刊 \一〇〇
年間定期講読(送料込) \一、二五〇
全障連関東ブロックニュース(季刊)
全障連北陸ブロックニュース月刊 \二〇〇
「障害者解放運動の現在」現代書館発行 全障連編\一、五〇〇
連絡先/大阪市東成区中本1丁目3の6 ベルビュー森の宮215号 全障連全国出版部 郵便振込番号「大阪6の57
※(注記)42」(校正者注:
※(注記)は穴あきパンチで穴が空いているため判読不明)
全障連
全国障害者解放運動連絡会議
No.54
全国機関誌 発行日/85・11・01
連絡先/大阪市東成区中本1丁目3-6ベルビュー森の宮215号
TEL 06-974-0791
月1回発行 頒価 250円
年間定期購読 2500円《郵送料込》
郵便振込 大阪6-57342 全障連全国出版部
作成:
山口 和紀