『全障連』No.16
last update:20220627
■しかく文字起こし
表紙
SSK 全障連
全国障害者解放運動連絡会議
No.16
SSK増刊通巻第911号
昭和46年第3種郵便物認可
昭和57年1月31日発行(毎月6回5、0の日発行〉)
挿絵省略
目次
年頭アピール
全障連の組織団結を強めよう 中川一二三(1)
労働権を奪い返す大衆運動の方向 大島 秀夫(2)
赤堀闘争と保安処分新設阻止闘争を結合し、今春の闘いを貫こう! 赤堀小委(3)
盲ろう養護学校義務制粉砕闘争の当面の課題 楠 敏雄(5)
石川重朗君の飯田東小転校を実現しよう(7)
金井康治君の花畑東小転校を実現しよう 八柳卓史(9)
―資料―日教組への公開質問状(11)
各地の運動
富山県―開放講座?Bを企画して 平井誠一(12)
長野県―長野県における障害者解放運動 長野県上田地区障害者解放研究会(14)
全障連第七回大会の日程決まる(5)
全国活動日誌(6)
全国闘争スケジュール(15)
本の紹介(4)
資料案内(4)
各地ブロック連絡先(13)
p1
年頭アピール
全障連の組織団結を強めよう
代表幹事 中川 一二三
年がかわり、多くの人たちは、新しい年の想いをめぐらしておられると思います。
全障連も、年のはじめに、ひとつのくぎりとして、これまでの闘いに一定の総括を加え新たに方向をうちだす中で、闘いに向けた決意を確認していきたいと思います。
昨年は、一ヶ月間に渡る金井闘争において就学闘争のあり方が浮きぼりにされ、とりわけ地域での子どもどうしの関係づくりが重要であることが提起されました。そして、私たち障害者解放運動を闘う者にとって、地域の闘う人々との関係、さらに労働者との関係の重要性も同時に知りました。
また、障害者が地域で自立して生きていく闘いとして、全障連としての統一課題をたて提起していくことが望まれてきています。これをふまえ、昨年の全障連第六回大会において、障害者の労働と生活を確立させるために就労闘争と、生活領域でもっとも重要とされる介護保障にむけた闘いの方針を提起してきました。
昨年一一月におこなわれた、全障連・障害連・視労協の共闘による「全国障害者職よこせ集会」は、その展望をきりひらく第一歩であったと思います。
この八二年は、こうした新しい課題をさらに具体化していくとともに、従来からとりくんでいる就学闘争、とりわけ金井康治君・石川重朗君の転校闘争をなんとしても勝利させていかなければなりません。
このように、多くの課題が担われており、どれをとっても軽視できないものであり、今年の全障連の闘いが問われるところです。これらをとりくむには、そうとうな力が必要とされ、今、私たちの組織的団結が問われています。
一方、情勢は非常に厳しい状況にあります。一昨年の「新宿西口バス放火事件」をきっかけにして、声高に叫ばれている保安処分新設をめぐっては、これまで差別と闘う側とされていた日弁連が、「精神医療の抜本的改善(要綱案)」を出し、法務省との協議路線に屈腹してしまいました。そのような中で、法務省−政府は、この保安処分新設を今春三月にも「治療処分」と名をかえて、国会に上程しようとしています。これを許すならば、私たちの運動はもとより、障害者の命さえも奪われてしまいます。とりわけ「精神障害者」にとっては抹殺に直接つながるものであることを、私たちは強く認識しなければなりません。
このように、八二年は、三月までに、障害者解放運動の未来を決する闘いがあり、私たちはこれにむけ、なんとしても勝利していく決意を固め、そして闘い抜いていくことが求められています。
全障連に結集する仲間、そして共に障害者の自立と解放をめざす多くの友人のみなさんとともに、障害者解放運動の力強い前進をかちとるべく、決意を新たに、年頭アピールとします。
p2
労働権を奪い返す大衆運動の方向
労働小委員会 大島秀夫
職よこせ集会を足がかりに
昨年一一月八〜九日、東京で、私達全障連が、視労協・障害連と共に、"全国障害者職よこせ集会"をとりくんだことは、みなさん御存知のとおりです。
私達全障連は、このとりくみによって初めて、労働権奪還について組織的な闘いを始めたといっても過言ではありません。今まで、個別就労闘争によって、労働権奪還の闘いがいくつかとりくまれてきましたが、障害者大衆の全体における制度・政策闘争の分野では、初めてだったわけです。
現実に職をもたない障害者たち、職場の中で劣悪な労働条件や低賃金で働いている障害者たち、そして、共同作業所で日々苦闘している障害者たちの、日常の要求をどのように組織化していくかが、いま最も問われていることです。
共同作業所での運動
共同作業所の運動に関しては、私達は現在のところ、"差別と闘う全国共同体連合"にオブザーバー参加しながら、共同作業所運動の問題点や要求を、全障連運動としてどう担っていくか模索しています。
やはり、作業所に対する行政保障、ならびに厚生省管轄から労働者管轄にさせて、最低賃金以上の賃金保障を獲得していかなければならないと思います。一方で、御用団体や全障研系などが行っている、共同体運動の誤りを分析し、差別と闘い、自立と解放を展望する私たちの共同体運動の原則を確立する必要があるでしょう。
障害者職よこせ要求者組合の組織化
さて、私達全障連労働小委員会の基本的考え方として、働きたいという要求をもつすべての障害者の労働権奪還について、どのように運動を構築していくのかを考えます。
今、私たちは、先に述べた"全国障害者職よこせ集会"の基調をうけて、また関西ブロックを中心にした労働小委員会における二年間のとりくみを通して、「障害者職よこせ要求者組合」を組織しようとしています。
障害者の労働をめぐる課題がいかに重要なものか、痛切に感じています。障害者の基本的人権の一つである労働権を奪還し、現在の能力主義・生産第一主義の職場を粉砕していく第一歩としても、多くの障害者の就労保障をかちとっていかなければなりません。
「障害者職よこせ要求者組合」は、働きたいという要求をもつ障害者をほりおこし、職場における労働条件などの問題を解決する機能をもっていきたいと考えます。
関西ブロック労働小委員会では、この具体的方針について討論を続けています。その中で、大きな問題としては、労働小委員会と要求者組合をどのような関係・形態で運動していくか出されています。これについて、早急に整理し、八二年春闘の時期には、私たち障害者自身の闘いとして、「職よこせ要求者組合」を発足させたいと考えます。
共に闘い、共に苦闘し、労働権奪還にむけて奮闘しよう!
p3
赤堀闘争と保安処分新設阻止闘争を結合し、今春の闘いを貫こう!
ー赤堀さんの近況ー
全障連・赤堀闘争小委員会
赤堀さんの獄中状況
八一年は、赤堀さんへの再審活動妨害(上申書の送り先強制)、アピール文発送禁止、等々、宮城刑務所当局による獄中弾圧がこれまで以上に強められた年でした。
八二年が明けたいま、刑法改悪、保安処分新設が国会上程されようとし、そして、赤堀さんに対する東京高裁の「抗告棄却」策動の強まりといったきびしい情況の中で、これらを阻止していく闘いと同時に、獄中処遇改善をかちとる闘いを私達はこれまでよりも更に強めなければならないと思います。
さて、赤堀さんは一〇月上旬からしもやけになり、また一一月下旬と一二月初旬にカゼをひき面会ができなくなるということがありました。このため遠方からはるばる面会にきた仲間と会うことができませんでした。
宮刑当局は、「熱はあまりない、ノドにルゴールをぬって大事をとって休んでいる」と言っていますが、くわしい事は明らかにしませんでした。
更に宮城刑務所は、一一月一八日からこれまでと全く別な形で、暖房用として「使いすてカイロ」を一日一個獄中者に配布し使わせ始めたのです。(この「使いすてカイロ」は夕方三時頃くばられ、次の日の三時頃新しいのと交換になる。)
赤堀さんはこれまで、医療用と個人有料の二個の湯タンポ(両方とも夜のみ)を入れてましたが、「使いすてカイロ」が配布されることによって、湯タンポ一個(医療用)にへらされてしまいました。
仙台赤堀さんと共に闘う会の仲間が、宮刑当局に、「使いすてカイロ」を使用した事について、その理由を問いただしたところ、当局は、「湯タンポは労力がかかり、カイロは普及しており、使ったら評判がよかったという実績から判断した。一日中暖がとれるではないか」と開きなおっているのです。
宮刑がいかに「一日中暖がとれる」と言っても、実際赤堀さんは風邪をひいてねこんでいるのです。「使いすてカイロ」は一時体の一部があたたまるだけです。ましてや寒さがきびしい仙台で、それも劣悪な状況の獄中でどうして「カイロ」だけで暖房がとれるでしょうか。赤堀さんもこの「カイロ」を「風邪をひきやすくなるので使ってない」と入れてません。正月をはさんで赤堀さんは「体の調子はよい」といってますが、この状況ではリューマチ、しもやけの悪化が心配です。
このことも含め、早急に獄中処遇改善を追求していかなければなりません。
赤堀さんとの文通・面会を広めよう
赤堀さんは、獄中で二八回目の正月をむかえました。正月三ヶ日は一日一回モチが、他には折詰め、お菓子が出たそうです。
しかし、赤堀さんにとっては、本当の正月でないことは確かです。これ以上獄中で正月をむかえさせることはできません。私達は再審を開かせ、無罪をかちとり、赤堀さんと共に正月を祝う日を実現するために、闘いを押し進めなければならないと思います。
p4
今回、赤堀さんは四〇〇枚の年賀状を全国の仲間に送りました。しかし赤堀さんに来た年賀状は約一二〇枚(一月八日現在)でした。この数は例年より大幅に少ないのです。
獄中で一人でいる赤堀さんにとって、面会・手紙の量は、自分の闘いの支えと、闘いの輪の広がりを実感できるものなのであり、これらが少ないと赤堀さんの孤立感を深めていくことになるのです。
赤堀さんも「獄中での自分の支え、楽しみは面会と手紙だ」と言っています。私達は文通、面会などを通して「共に闘う」という意味をつかむことの重要性を再度確認しなければなりません。ましてや赤堀さんを孤立させ再審活動を圧殺する監獄法改悪が国会上程されようとしている時、私達の手紙を武器として、赤堀さんとの交流を強め、赤堀さんを孤立させないように闘いを進めましょう。前述したように情況はきびしくなる一方です。私達は全国の仲間と共に力を合わせ、赤堀闘争の更なる発展をかちとりましょう。
赤堀さんと文通する時の注意
(1)住所は、はっきりと書くこと
(2)返信用の封とう、二重封とうはダメ
(3)切手を必ず入れること
闘争スケジュール
◎にじゅうまる三・七 赤堀さん奪還―保安処分新設阻止! 全国総決起集会 (=赤堀中央闘争委員会主催)
◎にじゅうまる三・一八 刑法改悪―保安処分新設阻止! 全国総決起集会 (=百人委員会主催)
◎にじゅうまる三・七 赤堀さん奪還―保安処分新設阻止! 関西総決起集会 (=全障連関西ブロック主催)(校正者注:「闘争〜主催)」四角囲み)
本の紹介
○しろまる障害者差別工場にたたかう
桑原徹著/出版会刊/2,500円―
―大久保製ビン福祉工場の差別と闘う障害者の姿たちを生き生きと想いたたせる。労働現場での障害者の権利を闘いとる重要な内容を描いている−(編集部)(校正者注:「本の紹介〜(編集部)」四角囲み)
出版物・映画の案内
○しろまる全障連結成大会報告集(’76) \二五〇〇
第二回大会報告集(’77)\二〇〇〇
第四回大会報告集(’79)\二〇〇〇
全障連第六回大会報告集(’81)
近日 発行予定 \六〇〇
○しろまる「SSK全障連」毎月発行 \一〇〇
〇79・1・26〜31文部省糾弾連続闘争報告集 \二五〇
○しろまる障害者解放教育・保育研究会にむけて?@
79年度養護学校義務化阻止闘争総括集 \六〇〇(セット\八
○しろまる○しろまる)
○しろまる義務化阻止学習パンフNo.3 \六〇〇
記録映画「養護学校はあかんねん!」
16m/m・50分・貸出しは全国事務局へ
○しろまる「地域福祉」政策糾弾!パンフ \二〇〇
連絡/大阪市東成区中本一丁目三−六 ベルビュー森の宮二一五号 全障連全国出版部
郵便振替番号/ 大阪 五七三四二 (校正者注:「出版物〜五七三四二」四角囲み)
p5
盲・ろう・養護学校義務制粉砕闘争の当面の課題
副幹事 楠 俊雄
○しろまる石川重朗君の転校闘争
○しろまる金井康治君の転校闘争
○しろまる資料―日教組への公開質問状
金井康治・石川重朗両君の就学闘争をはじめ、各地の就学闘争に勝利しよう!
結成以来、六年を経過した全障連は、運動の最重点課題のひとつとして「養護学校義務化阻止」をかかげて闘ってきた。この闘いはいうまでもなく、政府―文部省の障害児隔離と能力主義による選別をねらう教育体制の確立に抗する闘いであり、それは同時に、障害者の自立と解放につながる新たな教育の創造にむけた闘いでもあった。
したがって、障害児が地域校区の普通学級へ就学することもまた、それのみが目的化されるべきではなく、それらの就学闘争を通して、何が獲得されたのか、就学後にいかなる内実をつくりだすのか、さらには、それが教育全体の変革にどんな有効性を発揮しうるのかといった問題が、たえず点検されなければならない。その意味において、二年間の自主登校をふくみ、すでに五年にも渡って闘われてきた金井康治君の転校闘争や、全国でも有数の教育反動化の県として名高い静岡の石川重朗君の転校闘争に、我々はなんとしても勝利しなければならないのである。
金井康治君の闘い
さて、昨年三月の一ヶ月に及ぶ実力闘争の末、はなはだ不十分ではあったが、ともかくも「花畑東小での試験的学習参加」と「確認書実行にむけて努力する」との、足立区儀長(九月に交代)あっせん案をひき出した金井闘争は、ようやく一ヶ月間の学習参加を実現し、それなりの成果をあげたにもかかわらず、花畑小教師集団の妨害と足立区教委の居直り的対応の中で、完全転校をかちとれていない。
しかし、事態はまったくの暗闇状態というわけではない。この三月に予定されている我々との闘いに恐れをなす区教委および現場教師集団は、昨年末からあわただしく動き始め、ごまかしや恫喝をくり返しつつ、「事態の収捨」にやっきとなっている。もちろん、今年もまた厳しい闘いが予想されるが、今度こそ(校正者注:p6の始めに続く)
全障連第7回大会 全国交流大会
日程決まる!
8月6・7・8日(岡山)
○しろまる6日 午後・開会全体会(岡山市民会館)/夜・歓迎交流祭
○しろまる7日 分科会討論(岡山大学)/夜・障害別・階層別交流会
○しろまる8日 午前・分科会討論 午後・総括全体会(岡山大学)
―以上の予定です―(校正者注:「全障連〜予定です―」四角囲み)
p6
三度目の正直、奈良の梅谷闘争の勝利がもたらした教訓−闘いの勝利は必ずや多少なりとも現場の教師や健常児たちを変える−を力に、康治君の転校をぜがひでもかちとらねばならない。
石川重朗君の闘い
一方、闘い初めてすでに三年を経過しようとしている、石川重朗君の転校要求もまた、静岡県教委、清水市教委、静岡盲学校の三者おのおのの無責任かつ反動的対応の前に、大きな困難を強いられている。この二月、我々全障連は、この闘いでは始めて全国的実力闘争をうちぬくことを決意している。
二月、三月に闘われる、この二つの就学闘争に勝利し、各地の就学闘争をさらに強めることは、今後よりいっそう強まるであろう、盲ろう養護学校義務化体制さらには一連の教育反動化の流れにくさびをうちこむことにはかならないのである。
日教組教育研究集会(日教研)へのとりくみをテコに、障害者解放教育の全国的流れを創り出そう!
一月二九日〜二月一日におこなわれる日教研集会において、我々はいわゆる「自主教研グループ」や各地の教育労働者・教組と連携して、日共−全障研系教師集団と対決し、さらに日教組全体にも鋭い問題提起を行なおうとしている。また、この日教研にさきだち、我々は障害児の教育を校区の普通学級で保証する立場に立ついくつかの団体や個人とともに、日教組に対し公開質問状を提出する。
こうしたとりくみを通じて、障害者、親・教育労働者・保育労働者・福祉労働者・学者などが、ひとつのまとまりを作り始めており、我々はこの動きを足がかりに全国的統一へと発展させたいと考えている。これこそが、我々の義務化阻止闘争の中で定期してきた「障害者解放教育保育研究会」の基盤になろう。
この研究会の内容については前号でも提起したが、今回のこの統一の動きを基に、来年はなんとしても全国規模の「障害者解放教育研究集会」の実現をめざしたい。能力主義や「発達保障論」と真に対決しうる、新しいうねりと内容の創造に向けて共に闘おう。
全障連全国活動日誌(校正者注:「全障連全国活動日誌」大文字、四角囲み)
12月
5・日弁連主催・名古屋パネルディッスカッション糾弾行動に参加
7・金井康治君の花畑東小完全転校実現実行委員会
10・SSK全障連(臨時号)発行
12〜13・全国幹事会
14・金井康治君の花畑東小完全転校実現実行委員会
15・SSK全障連No.15発行
16・第1回全国障害者と労働者の連帯集会総括会議
21・金井康治君の花畑東小完全転校実現実行委員会
24・(校正者注:同上)
25〜28・(校正者注:同上)対区教委闘争
26・日弁連−法務省「刑法問題意見交換会」粉砕闘争に参加
1月
9〜10・全国障害者職よこせ集会総括会議
10・DPI日本委員会事務局会議
挿絵省略
p7―8
(校正者注:p7〜8に一枚開きになっている。)
差別を許さない全国の仲間の支援と結集をよびかけます
写真省略(校正者注:運動会?に参加している石川重朗くんと手をつなぐ生徒の様子)
石川重朗君の飯田東小学校への年度内転校を実現しよう
全国から?静岡県・清水市へ
ふたごの弟、善昌君が目の前の飯田東小学校に通うのに、重朗君だけが地域から切り離され、2時間もかかって盲学校という特別の場に行くのはおかしい――4年前、石川重朗君は盲学校への通学をやめ、飯田東小学校への転校願いが出されました。
お父さんの訴えは、この間に、家族の心を固く結び、重朗君と共に生き共に闘う人々を広く作り出しました。そして、地域の人々の関心と支援を生み出してきました。
石川重朗君は、未熟児網膜症という医療被害による、視覚障害と「ちえおくれ」の重複障害をもつといわれる。11才(学籍は4年)の子どもです。毎朝、地域の子どもたちにまじって飯田東小学校に登校し、朝の体操に参加しています。そこでは、子どもたちは、声をかけたり、手をつないだりして、重朗君を身近かに受けとめてきています。けれども、教師たちは、重朗君の存在を無視し、視線すら投げかけません。
静岡県教育委員会は、「重朗君の転校問題の窓口は県教委だ」としつつ、「就学校の決定権は教育委員会にある」と、強権的に転校要求を拒否しつづけています。最近まで、私たちとの交渉すらもたず、全国に支援の輪を広げることで、団体交渉をかちとり具体的追及を行なってきました。
昨年末には、全国各地で、障害児が普通学級で共に学んでいるにもかかわらず、静岡県教委がこれを否定していることを追及しました。すると、県教委は、大阪府下での実践例を一件のみ調査し、事実をねじまげて「やはり転校はできない」との結論を出したのです。
これは、大阪をはじめ、全国各地で、障害児や親・教師の粘り強い努力と、障害者の自立と解放をめざした教育実践への悪意に満ちた敵対です。そして、先進的なとりくみを、教育委員会の名で否定し、運動の前進をくいとめようとする露骨な差別攻撃です。
私たちは、石川重朗君の転校要求が、重朗君の、弟や姉・両親・おじいちゃん・おばあちゃん家族の、地域をとりもどし、人間性をとりもどし、生活をとりもどす闘いと考えます。一人の障害児の生活と権利と、誇りと未来をかちとる闘いと考えます。そして、能力主義に貫かれ、反動政府が権力的介入を強める。教育のあり方を鋭く問い、私達の側から変革していく闘いと考えます。
全国の、差別を許さない人々、人間を奪い返す教育をめざす人々、そして障害者の自立と解放を共にかちとらんとする人々、仲間の絶大な支援と結集をもって、重朗君の飯田東小学校への年度内転校を実現すべく、心より訴えます。
2・11 地域情宣・署名活動 PM 1:00 石川宅
12 対県委交渉要求・抗議行動
13 (校正者注:同上)
2・14 全国総決起集会・デモ PM 1:00 静岡交通ビル
15 対県教委転校実現闘争
16 (校正者注:同上)
↓
石川重朗君の飯田東小学校転校を実現する会
清水市高橋町1546-3 石川宅 0543-65-8026
全国障害者解放運動連絡会議
東京都豊島区巣鴨3-34-3 フラワーコーポ303 03-918-8572
地図省略
p9
金井康治君の花畑東小転校を実現しよう
1・25〜28 対足立区教委連続行動の報告
全国事務局 八柳卓史
昨年五〜六月かけて行なわれた学習参加の花東小側による一方的中断によって、転校への道を閉ざされていた金井康治君の闘いは、八〇年三月一五日に足立区教委と金井両親との間で結ばれた「確認書」の履行を迫る一二月二五日から二八日の対区教委行動によって新たな局面を切り開いた。
この間の経過
言うまでもなく「三・一五確認書」は、「康治君の転校にむけて交流を行う」という内容のものでした。しかし「交流の権限は教委にない」とする、足立・花東小の日共系教員の執拗な妨害のため、昨年の春になってもその実現がはかられなかった。そして三〜四月の障害者解放運動史上最大の一ヵ月闘争によって勝ち得た「四・四足立区議会議長あっせん」によって、転校に向けた学習参加の開始が決定されたのであった。だが、この学習参加もまたもや花東小日共系教師の妨害工作(校正者注:「工作」傍点)により一方的に打ら切られてしまった。学習参加の打ち切りの理由は「転校の是非を判断する」というものであったが、養護学校側教師の「転校は可能」という所見に対し、花東小側はこれを拒否し、かたくなに康治君の転校を認めようとしなかった。こうした膠着状態におち入った後、区議会議長の再度のあっせん・「週二日の交流開始」が提案されたが、またしても、花東小は「?@親の態度が悪い、?A転校運動はやめろ、?B個別交流指定校にせよ」などの条件を出して、このあっせんにも応じようとしなかった。
このような日共系教師の妨害に対し、私たちは、花畑地区での子供会などの運動の取り組みを拡大し、康治君のみならず他の障害児と健全児を含めての共育共生の場を作り上げようとしてきた。また、区教委に対しては「確認書」履行を迫る交渉を、あっせん者の議長が一〇月に交代して後、幾度となく持っていった。康治君は現在既に五年生であり、今年の四月からでは、花東小へ行けるのは、六年生の一年しかなく、何としても年度内に転校を勝ち取りたいとの強い決意のもと、区教委との交渉は進められた。
12・25〜28行動
一二月二五日は、午後から区教委に対して交渉の申し入れを行なったが、区教委幹部は、私たちの前に姿を現わさず、区職員をピケに張り出すばかりであった。夕方より決起集会を行ない、康治君が「ヤナギシマショウ(学校訪問で行った他区の普通小)ハ オモシロカッタ ハナヒガシデモ ヤレルト オモッタ」と発言した。
あけて二六日、この日は午後から八者協(四・四あっせんの当事者=金井両親・区議会前議長、区教委、都教委、城北養護学校、花東小、都教組、都障教組)が開かれる予定で、あったが流会、区教委と私たちが交渉を行うが、区教委は「二八日に臨時教育委員会を招集して解決策を提示したい」「解決策はまだ未定」と答える。
一日おいて二八日、私達は朝一〇時から区役所前で集会、情宣を行う。午後三時と五時にかけて区教委の決定が私たちに伝えられた。これは、招集された教育委員会の席上、最終的に花東小市来校長へ交流再開の打診が行な
p10
われたが、校長は「金井君の学習参加が再開すれば、同じ学年の親がいやがり、転校希望者が続出、署名運動も起こり、学校教育が成り立たなくなる」とくり返し、「一人のためにあと八八〇人の児童を犠牲にできない」と強調し、学習参加の再開を拒否した。―中央心身協国障年特別委教育部会に提出した文部省の意見書そっくりだ―その結果、区教委の方針は決定された。
82・12・28区教委決定の内容
その内容は「?@足立区教育委員会は、花畑東小学校長の責任を問い花畑東小学校の交流を考える。?Aしかし、花畑東小での実施が難かしい場合は、他校での交流を考える」というものであった。この決定は単に教育委員会が決定したものでなく、足立区長、区議会新議長、四・四あっせん者の前議長の間でも確認されたものであった。この決定の具体的内容は、?@あっせんを拒否したのは花東小であり、その責任は校長にあるので、校長は更迭する。?A「交流」は「転校にむけての交流」ないし「転校を前提とした交流」である。区教委は八〇年三月一五日確認書を実行する。?B新校長のもとで花東小での交流を実施するが、なおトラブルがある場合は他校を考慮する、といったことであると、区教委と四・四あっせん者の前議長は金井さんに設明した。
この決定は後に述べるように、非常に不充分な面があるとはいえ、大きな意味を持っている。
まず第一に、交流→転校を阻んできたのが花東小の教師達であるということを、区教委として明確に宣言したことであり、第二に、これまで私たちの力と花東小の力を両テンビンにかけていた区教委をして、確認書履行、すなわち転校を前提とした方向に進めさせたこと。第三に、このような区教委の方向転換によって、さしもの結束を誇った花東小も内部崩壊のきざしが見えてきたことである。もちろん決定されたことそのものは、単に交流の開始だけであり、転校を明言したものではなく、あまつさえ「他校も考える」といった責任回避の姿勢すらあるといった大きな問題も充分認識しておかなければならない。
今後のたたかい
このように、今回の区教委決定は依然として、まだまだあいまいさと言いのがれを残している。しかし、少なくとも、確認告の履行という意味では、花東小の妨害を認めないという立場にまで、私たちは、あのバリケード区政の足立区を追いこんだ。そして、私たちが昨年の一ヵ月のたたかいで学んだ、私たちの運動の強さと力を信じ、康治君の「アト一ネンシカ ナイ」とのさけびを受けとめ、更に区教委、そしてこれから反撃に出てくるであろう足立・花東小日共系教師集団との花畑での地域争奪のたたかいを、全国の障害者の力で勝利し、康治君の完全転校・地域での自立を勝ちとろう。
三月に花畑でまた会いましょう。
○しろまる二・六 年度内転校・大情宣と決起集会
11じ 区教委交渉(足立区役所前)
2じ 区役所前集会
3じ 足立区内大情宣
6じ 総決起集会(足立区東部センター=地下鉄千代田線「綾瀬」東口)
○しろまる三・一四 年度内転校実現・全国総決起集会
○しろまる三・一五 全国実力闘争突入
↓
挿絵省略(校正者注:「〇二・〜挿絵」四角囲み)
p11
=資料= 公開質問(校正者注:「=資料= 公開質問」大文字)
第三十一回日教組・第二十八回高教組・教研集会にあたり、貴組合の日頃の御努力に敬意を表するとともに、今後における相互の連帯を密にするための期待をこめて、下記の文書をお渡しするものです。
私たちは、日頃から教育問題全般について深い関心をいだいておりますが、特に障害をもつ子どもたちの教育に関して、それぞれの立場における原則と主張に基づいて、社会に対して各種の働きかけを行ってきております。
私たちが共通していだいている基本理念は、すべての児童が、障害をもっていると否とを問わず、それぞれの属する地域の学校において、地域共同体との密接な関係のもとに教育を受けるべきであり、いかなる場合にも、その属する地域との連帯を断ち切られた場において教育されるべきではないというものであります。
しかるに、これまでの教研集会のいわゆる障害児教育分科会においては、多くの場合、いわゆる養護学校・盲学校・ろう学校およびいわゆる特殊学級における教育に理論が集中し、私たちが考えているような形での障害児の教育のあり方については、いまだに充分な論議がなされておりません。
ことに、一〜二年来のいわゆる障害児教育分科会においては、障害児を普通学校へ入れたいという強い希望をもつ父親や母親たちの発言を、あるいはヤジ等による恫喝をもって、あるいは巧妙なる会議の運営によって、暴力的にこれを圧殺しようという傾向がみられることは、教研集会の本来の性格から考えても誠に奇怪であり、私たちとしては断じて容認できないところです。
右のような情況に鑑み、私たちは今次の教研集会に際して、集会の民主的な運営に関する貴組合の考え方と責任を問うと同時に、貴組合としての基本的考えを明確にしていただきたく、ここに質問状を呈するものです。むろん、教研集会の本来のあり方から考えれば、各関連分科会および全体集会において、障害者本人ならびに障害児をもつ父親および母親は当然発言する権利を有するものと私達は考えております。したがってこの質問状は、そうした権利を自明の理として確認したうえで、あえて書面をもって提示するものであることを御了解いただきたいと思います。
誠意ある回答をすみやかにいただきたく、お待ちしております。
記
一、養護学校義務化の名のもとに、多くの障害児たちが地域から切り離されて、遠隔地の養護学校・盲学校・ろう学校に通学もしくは寄宿させられている現状を、貴組合はどのように理解していられるか。
一、金井康治君の問題に代表されるように、障害児の普通学校への就学が大きな社会問題になっているが、このように、普通学校に通学したいという障害児本人および親の強い希望に対して、貴組合はどのよう誠意ある対応を考えていられるか。
一、現在の公教育が能力尊重主義に偏むき、そのために児童たちの人間性が深刻にそこなわれつつある事態について、貴組合はどのように把握し、どのように闘っていくつもりでいられるか。
とりあえず、以上三点につき、迅速にして誠意ある回答をお願いする次第です。
以上
一九八二年一月二十七日?
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日本教職員組合 委員長 槇枝元文 殿
・障害児教育に関して日教組の姿勢を質す会
・全国障害者解放運動連絡会議
・視覚障害者労働問題協議会
・全国青い芝の会総連合会
・障害児と共に生きる全国親の交流会
・「障害児」の生活と教育を保障しよう市民の会・大阪連合会
・金井康治君の花畑東小学校完全転校実現実行委員会
・石川重朗君の飯田東小学校転校を実現する会
・障害者の自立をめざす会
・月刊「障害者問題」
・障害者自立センター
・明るい福祉を考える会
・地域の校区で「障害児」の教育権を保障させる学者・研究者の会
ほか (校正者注:「=資料〜ほか」四角囲み)
各地の運動?@ =富山県=
解放講座―第三回―
楠氏の講演会を企画して
サンの会・平井誠一
富山県というところ
富山県というところは、あらゆる運動がほとんどない現状だが、わずかながら反原発運動と労働運動があります。
また、富山は「教育県」であり、日本海でゆい一の工業県でもあり、また持ち家率が全国で一番高い県としてあります。そんな地域性で、あらゆる運動が、マイホーム作り、マイホーム主義におちこんでいってるようです。人々の生活は、となりの家が新築すれば、自分ところも新しくし、となりがヘイや門を作れば自分ところも作る...... いわば、いきつくところもない果てしない競争が続いているのです。
労組や障害者団体の意識
私たちは、このような現状の中で、この一一月二二日に、楠氏の講演会を企画し、主に労働者とのつながりを考えてよびかけ、情宣を行いました。
三〜四ヶ月にわたる企画、情宣の中で、国際障害者年というものに労働組合や障害者団体がどのような意見や批判をもっているのかわずかながらわかった気がします。労働者においては、障害者問題を健常者側から「理解してやるもの」という考え方が強く、障害者は「差別だとか、社会が問題だとか言わずに健常者にもっと理解してもらえるようにしないと...」という対応をしています。でも、わずかながら、労働者の中には、合理化や首切りの問題を通して障害者差別について考えていこうとする部分があり、今後のつながりの課題としてあります。
一方、障害者団体は、「お祭りごとで終るのだから」「何もわからないし、関係ない」「福祉切り捨てと言うているのに、何が国際
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障害者年だ」「いまさら障害者は主体性をもてと言われても」などという意見が多かった。そんな中にも、戦前から生きぬいてきた障害者は、「社会の片隅におかれてきたんだ。社会の片隅においやっていこうとすることがくやしい」と、怒りをぶちまけられたことが、私の心の奥深く響くものがありました。
私たちみたいに喉争を知らない障害者が、私たちより二倍以上生きぬいてきている障害者からそのおいたちを聞き、今後くるであろう軍事強化から戦争の道を、そして障害者を社会の片隅においやっていく社会を、いかにぶちやぶり、障害者がいかに生きぬいていくのかを話していきたいと思います。
しゃべりながら風がふきぬけていく
今回の講演会を、マスコミ会社によびかけ、協賛団体として名前を出してもらって、テレビ、ラジオ、新聞などで情宣を行いました。また、街や駅・地域でビラまき、情宣、ステッカーをはらしてもらったりして、当日の講演集会には約八〇名が集り、かつてない大がかりなとりくみをしました。
それは、理論や理屈では語れないものを内にもっていました。「地域で住んで生きていきたい」「みんなと暮らしたい。なぜ、私たちだけが分けられなければいけないのか」という、飾りのない気持ちが何よりも行動へとかりたてていったと思います。いろいろな情宣、話し合いの中で、理論と想いをならべたてても、なぜか風がふきぬけていくようなものを感じました。
「ことばじゃない、理屈じゃないんだ」と心の中で思いながら、しかし語らなければならない私たち。障害者の自立と解放への道に結びつけていく、一つ一つのことばの重大さを知りながら、労組回り、障害者団体回りをしてきました。
集った、八〇人ぐらいの中には、労組が四〜五団体、学生、障害者三団体、障害児をもつ親などがきていました。楠氏の講演は、生いたちから始まり、その生きてきた中で感じてきたことなどを中心に話されました。その後、時間が少ないながらも討論を行いました。内容としては、障害児が産まれるとわかっているとき、その子どもを産むのかどうか―障害児の「発生予防」ということについての質問などがありました。
現代社会と障害者差別
国際障害者年の国連提唱の一〇ヶ年計画にある「障害児の早期発見・早期予防・早期治
挿絵省略
各ブロック 連絡先
全国事務局 関東ブロック事務所
東京都豊島区巣鴨3丁目34の3 フラワーコーポ三〇三号 03(918)8572
全国出版部/関西ブロック事務所
大阪市東成区中本一丁目3−6 ベルビュー森の宮二一五号 06(974)0791
東北ブロック事務所
仙台市小田原2丁目2−43
佐幸ビル四〇三号 0222(95)8498
北陸ブロック連絡所
富山市大町西部52番 サンの会気付 0764(91)3385
東海ブロック連絡先
岐阜県羽島郡笠松町円城寺六〇〇戸田方
05838(8)1864(昼)/05821(71)4643(夜)
中四ブロック連絡先
岡山中央郵便局私書箱4号 岡山障害者解放委員会気付 0862(41)1390 (校正者注:「挿絵〜1390」四角囲み)
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療」の目的は、一般の人々にとっては、「障害者は不便だから、かわいそうだから産まれないほうがいいんだ」とする考え方にむかうように感じられます。遺伝子工学によって遺伝子の組み替えの技術、母子保健センターなどの建設と業務によって、「劣性な者と優生な者」(優生思想)という考え方でつき出している医学、科学、法律―政治は、どんなに私たち障害者を無視)・存在そのものを消しさっていくものかを物語っていると思います。
どこにでも、コンピューター化と機械化、ロボット化されていく現代社会において、私たち障害者はますます施設・コロニーへとおいやられています。そんな社会に、私たち障害者は、労働者を中心の対象として、「日常的な労働からも、生活からも、障害者がますます社会の片隅においやられていっているんや」「私らも地域で生きていくんやさかい、共に生きることを考えていってや」というところに、今回の講演会の位置があったのです。
どんな生きざまをしていくのか
かっこいいことは何ひとつありません。わけもわからない社会にとびこんできた、施設・在宅・養護学校を出た私たち障害者にとって、夢中になって仲間を求め、地域で自分たちの生き方を求め、作ってきたことが、これからも続くし、「これでいい」というところに達することのない、「自分たちがどんな生きざまをしていくのか」という半永久的ないとなみと、存在否定されることに対する差別糾弾闘争をやっていきたい。
今後、さらに全障連運動というものを、私たち自らの手で作り出していくために、全国の仲間を呼んで前進していきたいのです。
各地の運動?A=長野県=
長野県における障害者解放運動
長野県上田地区障害者解放研究会
長野県の地形
まず、長野県の地形を説明しておこう。大きく見て三角形と言って良かろう。車がなくては、うごくことの困難な所である。この地で二年前ごろから、長野県青い芝の会、上田地区障害者解放研究会、長野県障害者自立をめざす会等で障害者の自立と解放をめざしてたたかってきました。(三者は西駒郷糾弾闘争のなかで連合体としての「めざす会」となった。)
養護学校義務制完全実施に抗して
初めての運動は、障害児の通園施設化阻止にむけてのたたかい。この問題は、七九年度養護学校義務制化の強行のなかで、養護学校の施設内分室を廃止し、(県下四ヶ所)通園施設にしようとするものです。義務制施行前まで、県は、分室を認めていながら、政府―文部省の義務制施行後の圧力のなかで屈服、強行的に通園施設化を行なおうとしたのです。
これは、七九年度養護学校義務化完全実施を成し得ない政府が、保育園や幼稚園にいる障害児を「早期発見、早期治療」のもとに隔離・収容し、一貫した義務化体制を成そうとする攻撃なのです。この攻撃は、親の反対のなかで三年間の延長がきまりましたが、すでに三ヵ所の、通園施設化が決まっています。
裏表紙(奥付)
施設での集団リンチを糾弾する
また、このようななかで、長野県精神薄弱者総合援護施設「西駒郷」における、園生に対する集園リンチ事件が明らかにされました。これは、障害者にたする差別的判定業務を拒否したたかっている職員によって告発されたものです。この問題に対して私達は、障害者差別であり、施設労働者のあり方、施設の民営化攻撃の差別的実態であり、自民党政府の日本型福祉攻撃であるとしてたたかってきました。
六月なら三ヶ月にわたる、事実確認・糾弾行動、施設労働者のあり方を問い、園生との交流を実現するなかで、長野県における障害者解放運動の一端を築くことができたと考えています。しかしこのたたかいのなかで、「西駒郷」という県立最大のコロニーに対して、私達が県行政を含めて差別撤廃を行ないきれない力不足もはっきりとみせつけられました。そして今日、長野県青い芝の会から、「めざす会」の解散の意見が出され、統一した運動が困難な状況になっています。
差別との永続的闘いを
私達は、二年間の活動を通して、とりわけ西駒郷差別糾弾闘争のなかで問われた、様々な問題をもう一度問うなかで、これからも、西駒郷に対する糾弾のたたかいをはじめ、長野県における様々な差別に対して、障害者解放=人間解放の立場から、永続的にたたかってゆきたいと考えています。
全国で地域においてぶつかっている問題を連絡し合ってゆきたいと思います。
全国闘争スケジュール(校正者注:「全国闘争スケジュール」大文字、四角囲み)
2月
6・金井康治君の年度内転校実現 大情宣と決起集会
7・狭山全国闘争
12〜石川重朗君の転校実現全国闘争
14 (校正者注:同上)全国総決起集会
15〜(校正者注:同上)全国実力闘争
13〜14 全国幹事会
3月
7・赤堀―保安処分新設阻止全国総決起集会
14 金井康治君の転校実現全国総決起集会
15〜(校正者注:同上)全国実力闘争
18 刑法改悪・保安処分新設阻止全国総決起集会
全国障害者解放運動連絡会議(全障連)
全国機関誌 No.16
発行日/1982年2月15日
発行人/東京都豊島区巣鴨3丁目34番3号
フラワーコーポ303号 全障連全国事務局
電話 03−918−8572
中川 一二三
発行責任者/大阪市東成区中本1丁目3−9
ベルビュー森の宮215号 全障連全国出版部
電話 06−974−0791
作成:
山口 和紀