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last update:20220625


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表紙
SSK 全障連 No.11
全国障害者解放運動連絡会議

SSK増刊通巻第720号
昭和46年第3種郵便物認可
昭和55年6月12日発行(毎月6回5、0の日発行)

目次
金井・梅谷就学闘争に勝利!――闘い抜けば、いかに困難でも展望を切り拓くことはできるんだ。各地就学闘争の掘りおこしと就学実力闘争を更に闘い抜こう!――
レポート?@ 金井闘争報告...1
レポート?A 梅谷闘争報告...13
レポート?B 仁茂田ルリ子ちゃん、小川正芳君の就学闘争勝利の報告...17
赤堀差別裁判糾弾!三・一一闘争の総括と今後の問題 全障連赤堀小委員会...18
三・三〇、三里塚二期工事阻止の闘いに参加しての感想 石川青い芝の会/犬塚和子...20
二・七狭山再審棄却決定徹底糾弾から 全障連全国事務局...22

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金井・梅谷就学闘争に勝利!
闘い抜けば、いかに困難でも展望を切り拓くことはできるんだ。
各地就学闘争の掘りおこしと就学実力闘争を更に闘い抜こう!

写真省略(校正者注:抗議活動をしている様子)
三月七日〜十五日の九日間、昼夜連続闘争によって闘い抜かれた金井康治君の花畑東小学転校闘争の大きな前進。そして三月二六日、奈良市教委を実力闘争で徹底的に追いつめ、勝ち取った富中通学、更に三月二八日、千葉では未熟児網膜性の「全盲」二児の普通学校学籍がかちとられた。
最も困難性を強いられたこれらの就学闘争が養護学校義務化強行実施の一年目にして、ここにようやく闘いの勝利をつかみ、一定ではあれ大きな展望を切り拓いたのだ。その成果は全国の就学闘争に絶大な影響を、そして義務制粉砕闘争に大きな前進をもたらしたことは言うまでもない。
私達、全障蓮は、昨年の文部省糾弾連続闘争を通してうち蝦えてきた団結と大衆的実力闘争のカをいかんなく発揮し、これらの闘いの中心を担い、障害者解放闘争の歴史の一歩をゆるぎないものとしたと考える。私達はこれらの闘いの勝利と成果が、点在を強いられている障害者仲間に支えられたものであると確信し、そうした仲間と共にかみしめたい。
以下闘いのレポートを記します。

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レポート?@金井闘争報告
3.7〜15 9日間の渾身の実力闘争を闘い抜き、足立区教委一目共一権力三ブロックの露骨きわまりない差別・排除攻撃を打ち砕いた!
金井康治君と共に障害者の自立と解放の歴史を切り拓き、転校完全実現まで闘い抜こう!

三月七日(校正者注:「三月七日」太字)
朝九時、足立区役所前に結集。車イスの障害者を先頭に集った私達の前にあったのは、なんと高さ二メートルにも及ぶ鉄柵。金網フェンス、そして鉄パイプのバリケード。私服・ガードマン・足立区職員のピケ隊約百名だった。周りの壁には厚いぺニア版で高さを補強し、裏門もチェーンで閉ざしたピケ隊を置いている。なんともすごい起成厳体制である。
これは日共―警視庁におどらされた足立区当局が「三里塚から鉄パイプ・火炎ビン・石をもって過激派が総結集する」というデマ宣伝を行い、それに日共が指導する足立区職組が(職員の安全を守る)とそうして一体となり「防災体制」を適応(まったくの違法だ!)し、徹夜作業でバリケードを築き、しかも職員を労働組合ごと庁舎内外から六〇〇人狩りだし三隊(課長が隊長と呼ばれる軍隊様式)に分け朝7時〜夜半までピケにあたらせた結集である。いかもである、区当局、区職員と癒着した警察権力=千住署は「過激派が来るから鉄パイプや空瓶を外に置くな。あやしいことをみたら通報しろ」なるビラを周辺全戸にビラ入れしていた。

これが障害者差別と闘うもの、養護学校義務制と闘うものに対する、行政ー日共ー権力三ブロックの構えであり、差別・排除・抹殺の攻撃なのだ。彼らは万全の構えをとり、バリケードで築かれた城に閉じこもり我々をあざけろうとしたのである。その為には区民に対する行政義務から放棄し、区役所へ来た区民を正門からは一歩も入れず、緊急の税申告も場所を移し、裏門でも厳重に身体チェックを行うなど、実質的に自ら業務をストップした。

だが、我々は一歩もたじろくことはありえない。考えてもみよ。全国各地で孤立を強いられながら日々一歩一歩差別の中で自らの存在をかたちとるためにどれほどの闘いをやってきたか。目に見えない徹底した排除と抹消と論理で差別攻撃を受けつつ、渾身の闘いで一つ一つの権利を作り出し勝利してきたのではないか。今、目の前にはそいれらの象徴として行政ー日共ー権力の築いたバリケードがあるのだ。
こりゃ我々にとって有利だ!いつも差別思想を力で暴こうとする君「エゴだ、暴力だ」とキャンペーンをはられ苦戦してきた。しかし今、無効はあらんかぎりのものを出し切っている。いつものように一つ一つきくずしていけば、具体的なものだから目に見えて必ず

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写真省略(校正者注:写真2枚掲載。一枚は雨の中抗議活動をしている様子の写真と、もう一枚は「金井康治君の転校を実現する全国総決起集会」の様子の写真)
勝てる。私達はそうして勝ってきたのたから。日々の闘いで鍛えてきた成果をここに出しきろう、私達は腹をくくった。
この日は雨がふりしきった。金井のお母ちゃんが言う「両ふって地固まると言います。勝利するまで闘いましょう」。バリケード前の対峙戦が意気高く貰かれる。バリケード・ピケ隊に全国のあらゆる戦線の批判を集中せよ、住民をまきこめ、足立区職員の意識的部分をたちあがらせよう。
北千住駅など四駅で情宣活動。初日から二〇〇名をはるかにこえる結結集をみ、誰もが「こりゃいけるぞ」と考えたのだ。

三月八日 (校正者注:「三月八日」太字)
朝六時半から足立区職員へのビラ入れ「不当なピケに反対しよう!」。七時半より北千住駅前情宣、カンパ活動、みんな関心が高いのかビラのさばけるのが早い。
九時から足立区役所前で区教委糾弾闘争、が続けられる。都中央区職労、都学校事務職労組が組織決定動員で来ている(都職労本部は日共が占めているが私達と共闘している区職労も多い)。労働者からピケ隊へのよびかけと批判が集中し、足立区職労もゆれ出した。
昼前、なんと金井のお父ちゃんがバリケードの内にいる。ヤツラはお父ちゃんは実力では闘わないとでも思っていたのか、そのスキをついて単身で裏から入ったのだ。「交渉申し入れ文を受けとれ」と内外一体となった徹底した糾弾に、当局は恐れをなして「受けとるから中に入ってくれ」とお父さんに言う。「我々の目の前で受けとれ」との追及には応えず中に閉じ込もったままなので、しかたなくお父さんは中に入った。ところがである。

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なんと当局はあろうことか私服を動員してお父さんをはがいじめにし、つきとばし、裏口から暴力をもって排除したのだった。それが彼らの本性である。お父さんは怒りをもって弾該する「どんなことがあっても足立区教委ー文部省を許せない。絶対に許せない。みんなとどこまでも闘い抜く」と。

一時過ぎ、部隊を分け花畑東小近辺の情宣署名活動を行う。まず花畑東小前で簡単な決起集会を行い、金井さん親子の住む花畑団地を中心にオルタ署名活動を始めた。なんと回った先の2/3の人は非常に実力的に署名をかちとると共に激励やカンパさえもいただく大きな成果を得た。
五時、北千住駅前にて情宣カンパ活動、その盾再度足立区教委糾弾に区役所前に合流、怒りのシュプレヒコールを貫く。この日も結果は二〇〇名をこえ、区役所周辺、花畑地区北千住駅前と私達の情宣言と運動の波及を作り出し、足立区当局と包括する陣型(隊列と労働者・学生・区民)と地所を確立したのだった。

三月九日(校正者注:「三月九日」太字)
朝十時、有楽町駅付近での情宣、カンバ活動。そして一時、全国総決起集会が、始まる。雨の中にも関わらずなんと一五〇〇が結集した!
講演に立った山下氏(地域・校医で「障害児」の教育県を保障させる学者・研究者の会)から自身が義務化反対の立場にいたった経過をふまえ、全障研の差別性を明らかにされた。そして就学闘争を実力で闘っている親からアピールが続き、梅谷さんからは「金井さんの闘いを全国の仲間の力で絶対勝利させてほしい」と胃の手術を受ける入院の体をおしての猛烈なあいさつとともに千葉の仁茂田さんから「障害児が地域工区の学校に入れないのは親の責任だ。障害児の就学闘争を進め、障害児とともにいきていく全国の親は結集しよう」と積極的提起がなされた。
全障連代表幹事の八木下氏からは「康治君にかけられている差別攻撃は、我々全ての障害者にかけられている攻撃だ。康治君とともに闘い何としても勝利しよう」とアピールがあり、部落解放同盟東京都述からも「我々は差別と一貫して闘ってきた。今足立区役所前にあるバリケード・ピケ隊、そして日共、権力のかけている攻撃は、我々の受けてきた差別と全く同じものとしてある。最後まで闘い抜く」とした。しかも全国各地から送られてきた数多くの放電は更に全国闘争のダイナミズムをこれよとばかりに報告されたのである。会場の熱気はおさえることのできぬほどの盛り上がりを見せ、「勝利するまで闘い抜く」決意を全体のものとした。

それは、どしゃぶりの雨の中、集会後日比谷公会堂から東京駅を過ぎた常盤公園までの二時間を八〇〇名のデモ隊で貫いたことを見ても明々白々である。障害者解放運動史上、独自で最高のデモは前から後ろの隊列が見えないほどであった。全障連も車いす障害者五〇人を先頭に二〇〇名がデモを貫いた。
私達は新ためて確信をもった。彼らのキャンペーンをはるかに越え、私達の実力闘争を全面にした運動の波及力が全国をおおったと。前日からは、陣型、地所を使って力の対決である。

三月十日(校正者注:「三月十日」太字)
早朝、足立区職員へのビラ入れ、北千住駅頭ビラカンパ活動。九時足立区役所前対峙戦前日に固められた団結は一糸もくずれず続けられる。
足立区民は当局のあまりにも強権的対応に怒りをぶつけ、私達の隊列の中に入り共にシュプレヒコールをとばし、マイクを握って糾弾までする「それでも足立区役所か!足立の

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職員か!すぐにバリケードをはずして話し合いに応じろ」。マスコミも私達に味方し足立区当局を批判する記事を大きく載せる。
近くの小学校の子供が数人やってくる「おい!おっちゃんなんで話したらへんのや、おかしいやないか、立っとらんと何とかしたれ」。ここにも康治君の仲間がいた。その子供も教師が見えると「やばい、逃げろ」と、そして教師が通り過ぎると又やってくる。いったい誰が敵か、子供達と教師ってどうなっとるのか?この子供達、毎日毎日それも仲間を増やしながらやってくる、康治と文字盤で話して帰る。最後にはマイクを持ってシュプレヒコールの指揮までやっていた。

尽に、足立区職労内にピケ隊反対、託し合いに応じろという公然たる声がまき起こった。区職労内の総務分会、福祉事務分会、学校事務分会が声明を出し、福祉事務分会有志三名が体をはって職務命令ピケ狩り出しを拒否しているという。またこれを受けて執行委員会十六名中四名であるが連名で執行部批判を表明した。
そうなのだ。行政―日共―権力に完全にガードされたはずの区当局が、私達の闘い、あらゆる戦線・足立区民・マスコミ世論に包囲され孤立した上で、内部からもガタガタに揺さぶられてしまったのである。今や城が城でなくなり、まるはだかの暗室でしかなくなってしまったのである。私達の闘いは、背影にある日共の力を無効とし、それをのりこえて私達自身が情況を作り出すまでに勝利したのだった。
五時、北千住駅前情宣・カンパ活動

三月十一日(校正者注:「三月十一日」太字)
この日は赤堀差別裁判糾弾全国闘争と並行して行なわれた。早朝ビラ・情宣・カンパ活動。いやはや、さすが足立区職員も早朝出勤泊り込みのピケ隊には嫌気がさしたりだろう。出勤も九時前の通常になり、ピケ隊も数を1/3程におさえている。当局の困惑額が目にうかぶ。九時、足立区役所前対峙戦。赤堀に半分が動員されていることもあり一〇〇名前後だが闘いは一歩も後退なく続けられる。康治君は赤堀闘争に参加アピールを行うなど、赤堀―金井を貫いた実力闘争を担いきった私達は四時、足立区役所前に総結集、いっきょに二〇〇名を超える部隊となった。しかも各地区職労代表もまきこんだ闘いと、その輪が広がる一方であった。そしてこの日、自治隊、社会党両中央本部が金井闘争を支援し、具体的に動き出すとの情報が明らかにされた。
こうして追い込まれた足立区教委は、夕方になって自らの弁明をとりつくろうために記者会見を闘争場の只中で行い、この闘いの経路と区当局の無謀ぶりを明らかにした。その結果は当然ながら、各マスコミとも足立区教委の不当性を批判し、話し合いに応じるように記事にしたことは言うまでもない。区教委にとってもう情勢はおしとどめることはできなくなった。

三月十二日(校正者注:「三月十二日」太字)
早期ビラ情宣、カンパ活動。マスコミ報導を見ながら意気揚々と区庁前に結集、対峙戦。そこで明らかにされたのが、又しても大勝利。奈良を始め北海道、大阪、兵庫、福岡、鹿児島・・・続々と自治労各道府県本部から支援の激電が届く。大阪市職労・市従労組・兵庫県、職労からも、大阪の学校分会からも。自治労中央本部も支援表明した。そして自治労・社会党両中央本部が労働調査団を送り出す計画を明らかにもした。都内地区評にも中央から動員がかかる。地区評独自も動員をかけた。すごい、障害者を中心とした大衆的実力闘争のダイナミズムが全国の闘う仲間をよびおこし、ここに集結しようとしているのだ。これ

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はほんものの全国闘争だぞ!歓声がなりやまないほど響き渡った。
みろ!目の前にある差別の象徴=バリケードがみるみる穴をあけくずれていく。今私達の闘いはバリケードを破り足立区教委をつぶすことではなく、バリケードを突き破り区教委の差別性を妥当し康治君の転校を実現することにある。勝てるぞ!闘い抜け!バリケードを前にした対峙戦にほんとにしんどい。それを貫くことだけに集中するのは他の闘いより身心ともしんどい。だがそれこそがこれだけの成果を作っている。やろう!区教委が転校を認めるまで、後何日もかかっても闘い抜こう。絶対に勝ってやるんだ!一三日までと予定された闘いは勝利するまで続けられることに参加者全員の圧倒的確信をもって方針づけられた。介護者のいる障害者は緊急に連絡・調整を行う。動員体制の再点検・連絡網が作られる。
そして闘う決意は更に固められた。明日からは昼夜・断固としたすわり込みをやろうかと。

三月十三日(校正者注:「三月十三日」太字)
結集している仲間は朝から緊張しつつも輝いている。今日こそ目にものを見せてやると!
通路用に作られた扉の鉄柵(私達の闘いに恐れていた全く開かれていない)をゆさぶったら、なんと鉄パイプが一本抜けてしまった。そこから金井のお母ちゃんが入り「話し合い要求書を受け取れ!」と迫る。今度は誰も対応しない。ピケ隊は顔をひきつらせ、下を向き、何かをじっとこらえているのみである。いったん外に引くと扉は机二つで閉ざされた。そして次に障害者の仲間一人がバリケードをのりこえて中へ突入したのだ。「我々は闘うぞ!バリケードを打ち抜いて闘うぞ!」怒りのレプレヒコールはバリケードを震わせ
写真省略(校正者注:写真が2枚掲載されている。1枚目はバリケード前で抗議をしている様子。もう1枚はデモをしている様子の写真)

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て響いた。くり返えされた。これにド肝を抜いた当局は部隊をとりまく私服や制服警官に通報もなし得ず、庁内にはり込んでいた私服警官数十名がこの障害者と、共に入った学生にとびつき、庁内へひきずり込み、私達の見えない所でなぐるケルの文字通りあらん限りの暴力をはたらき裏口から放り出したのである。この二人は全身に打ぼく傷をおい筋をねじらされる程であった。
こうした彼らの恐怖に明らかな様に、私達はこの直接行動により、最終的かつ徹底的に彼らを追いつめきったのである。「七日から実に、七日間、実力闘争をもって足立区当局を包囲し、行政―日共―権力の完全と思われた城を孤立化させ土台から崩れかけるまでにした。私達は勝利するまで一歩も引かないしこれ以上いたずらに逃亡するならば最後の手段も辞さないぞ!もう転校を認めるしかないのだ。これは情勢や世論も、誰もが支持していることだ」この行動は当局にそれを示したのである。
四時、自治労中央本部、社会党中央本部の合同調査団が来た。合同調査団は次に記す六点をつきつけ入庁を要求する、区当局は「裏口から入れ」と対応する。「バリケードの存在自体が許せないのに裏口とは何か!バリケードを解け!」国会議員のけんまくに当局は

一九八〇・三・一三
金井康治君転校要求に対する足立区の態度についての見解
―現地を調査するにあたって―
日本社会党・自治労合同調査団

一、三月七日以来、職員のピケットと鉄パイプのバリケードで区役所を閉鎖するというこの異常な事態は、区民の窓口利用を妨害し、正常な区役所業務をマヒさせている。区民に開かれた行政を実現するため、ただちに原状を回復すべきである。
二、この厳戒体制の目的は、支援看たる区民はもとより、金井君とその両親さえも、区役所内に立ち入れないようにすることにある。しかし、話し合いを求める区民には、話し合いをもって応じるのが、行政の基本的な責務である。
三、この厳戒体制は、「防災体制」「防災出勤」の名において、区長側が業務命令を出したことから始まっている。しかし、災害発生の恐れのない現状では、このうな業務命令の根拠はまったくなく、従ってまたそれは何ら拘束力をもつものではない。(もしこれが「防災」ではなく「治安」のためというなら、かえってそれは区職員の業務でないことが明白である。)
四、刑法第一九三条は、公務員の職権濫用を禁じ、「公務員はその職権を濫用し、人をして義務なきことを行なわしめ、又は行なうべき権利を防害したる時は二年以下の懲役又は禁錮に処す」としているが、
?@根拠のない業務命令を出していること、
?A区民(金井君側)の区役所利用権を妨書していることの二点からみて、区側の行為が同法に違反していることは明らかである。
五、社会党および自治労は、「養護学校の義務化」が養護学校への就学強制であってはならないとの立場に立っている。この観点から、本人及びその両親の意志を尊重し、花畑東小学校への転校を実現するよう区教委に強く要請するものである。
六、最後に区当局、千住警察及び区職労執行部の挑発的な過剰警備に対して、秩序ある抗議行為を続けられている金井君とその支援の皆さんに深く敬意を表する。(校正者注:「一九八〇〜表する」四角囲み)

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なすすべもなく尽にバリケードの一角(通路用扉)が開けられた。
足立区当局はこの調査団に対しても、社会党とは会うが金井闘争を支援している自治労とは会わないとしていたものの、私達の闘いで追いつめられ何らかの動きをせざるを得なくなっていたので、尽に調査団との話し合いを行い、この調査団を通して花畑東小学校にむけた話し合いを打ち出してきたのだ。しかし当局の面子だけは保とうとする悪らつな策略が何度もくり返され闘いは続けられる。
私達の闘いは「前向きの姿勢が出た」で終るものではない。あの差別むき出しの、許すことの絶対できない区教委を、そしていつも前向きの方向が出ると正面から敵対してきた日共の妨害を打破するためにも、徹底的に最後の最後まで当局を追いつめるべく闘いは続けられた。夜は部隊を分け、お母ちゃんを先頭に五十名をこえる仲間が寝袋、フトンにくるまって寒風の中星空天井ですわり込みに入ったのである。

三月十四日(校正者注:「三月十四日」太字)
早朝ビラ情宣カンパ活動。区職員は日共系活動家以外はあいさつをする「ごくろうさま」。区民も顔なじみの様になり状況を聞く人もいる「がんばんなよ」。
九時、待機していた部隊とすわり込み部隊がシュプレヒコール交歓で合流、予定を越えた闘いにもほとんどの仲間が居残り意気高く対峙戦が貫かれる。しばらくするとまたしても雨がふってきたが私達はものともしない。すでに用意していた大きなアルミホイール(布の様に巾広く巻かれているし、ビニールがついているので破れない)をもち出しバリケードを渡して屋根を作った。あわてた当局はガードマンと職員を使って二、三度アルミホイールを破ろうとしたが、「隊長はぬくぬくと天井の下にいて下役を使って障害者を雨ざらしにすることが許されるのか!」「バリケード自体違法なのに、それを使って雨やどりするのがなぜ悪い、規定を言ってみろ!」この糾弾のつぶてに、もはや世論を敵にしている彼らはただ見守るだけだった。又しても私達は敵の武器を自らの武器にかえ、圧倒的な勝利の下手作りの「解放区」を作りあげた。「オモロイナー!やれば何でもできる、ホンマ楽しい闘いやなー」まきおこる歓声であった。
午后に入ってから事態が急にあわただしくなった。足立区教委が社会党足立区議を通じて尽に当面の解決案を出してきたのだ。闘争本部では何度も情勢判断と「案」の評価を検討し方針を協議している。
挿絵省略(校正者注:雨の中座り込みをするために段ボールやアルミホイールで作った仮設テント?の絵)
五時、教育委員会が開かれ区教委の最終決定が協議されている。六時から記者会見が予定されており、そこで最終的提示がされるはずだ。時間の流れるのが遅い。どうなっているのか、市役所前ではシュプレヒコールの連呼が続くがじんまりともできぬ緊迫感が漂う。
六時四十分。やった!区教委がとうとう二項目を提示してきたぞ!勝った、康治君が花畑束小に転校できるよう話し合うことをかちとったぞ!八日間の攻防がここで明らかになった。バリケードをみごとにつき破って区教委を糾弾しきった。私達は勝利宣言をし集会を行った。

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写真省略(校正者注:写真2枚が掲載されている。1枚目は拡声器をもった男性が皆の前で話をしている様子。もう1枚は、バリケードの前に人が集まって講義をしている様子)
一、金井康治君は、昭和五十五年度一学期より都立城北養護学校に在籍して、足立区立花畑東小学校に週二日の交流を行う。
それを進める際、足立区教育委員会は、事情により段階的に実施する。
二、今後できるだけ早く足立区立花畑東小学校できるよう双方が努力し話し合う。(校正者注:「一、金井〜話し合う。」四角囲み)

ところが、区教委の記者会見を終えた記者を待って私達の記者会見を始めようとすると、記者が「区教委は二項目の説明の中で、?@週二日の通学は六年の終りまであり得る、?A転校は康治君の機能回復の状態による、と言っている」と報告があった。
なんという区教委か。二項目の文面を見れば離もが考えられないイチャモンをっけ、実質的にホゴにしようとしてきたのだ。これでは勝利ではない、事態は何も変わっていない。説明を断固として徹回させ文章二項目をその通り確認させろ!区教委のあまりにもエゲツない差別的対応を絶対に許さないぞ!
勝利宣言集会は急きょ次の闘争確認集会に変わった。区教委に二項目完全実施を行なわせるぞ!早朝団体交渉を勝ちとるぞ!日共の敵対―二項目確認妨害を詐さないぞ!そして闘争本部は社会党を通し、区教委に抗議と闘争継続を宣言し、そして二項目完全実施と確認書とりかわしの方法を粘り強くつめたのである。

この日の夜は嵐だった。雨と突風がふきあれた。最終局面に、またしてもどうなるか全く予断を許さない事態が夜明けまで続いた。手作りの屋根は用をたさず、どしゃぶりの雨

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が直接寝袋やフトン、そして顔をたたいた。厳しい厳しい徹夜すわり込み二日間だった。

三月十五日(校正者注:「三月十五日」太字)

早朝、嵐は去った。朝焼けが目にまぶしい。本部から報告が入る。...勝った...勝った!足立区教委の、それでも憎みきれない怒りを残しつつあの差別!を突破し勝利した。
九時、区当局が部隊を引かないとバリケードがとれない(突入されると恐いーフザケルナ!)と言うので、きれいに片づけてやり、仲町公園に移動し勝利宣言集会を開く。それと並行して区役所別館にて、まず康治君、両親で確認書を文し、その後支援四団体と覚え書きを文した。

確認書
一、金井康治君は、昭和五十五年度一学期より都立城北養護学校に在籍して、足立区立花畑東小学校に週二日の交流を行う。
それを進める際、足立区教育委員会は、事情により段階的に実施する。
二、今後できるだけ早く足立区立花畑東小学校へ転校できるよう双方が努力し話し合う。右のとおり確認する。
昭和五十五年三月十五日
足立区教育委員会
教育長 梅山純次 印

保護者
(住所)足立区花畑五の十八 五四ー一〇五
(氏名)金井邦次 印
(氏名)金井律子 印(校正者注:「確認書〜律子」四角囲み)

覚書
一、本日金井康治君の転校問題について保護者と区教委との間で別紙のとおり確認がなされた。
二、支援者は、この確認事項を支持する。
三、今後別紙確認事項の実施により金井康治君がたくましく成長することを期待する。
昭和五十五年三月十五日
支後者代表(足立区民)
(住所) 足立区六月2-19-4-1201
(氏名)村田秀樹 印
足立区教育委員会
教育長 梅山 純二 印 (校正者注:「覚書〜順次」四角囲み)

あの恨みこもるバリケードはなかなかはずれず、職員がどうしても手に負えないので夕方になって工務課が出勤し溶接バーナーで切断してようやくとり払われた。それを見る区民はあきれ顔。...区教委戦争は絶対に続くぞ!

一時、足立区民センターで勝利報告集会。集会には一五〇名が集り最後まで闘い抜いた誇り高い面々が疲れもみせず結集していた。
これに先だち記者会見が行なわれ、お母さんが次のコメントを読まれた。

金井 津子(談話)

一、区教委から出された提案について私達の見解を述べます。まず、康治の転校について、第2項目に書かれている様に私達の、この3年余に渡る要求を基本的に認めたこと。その上に立って第1項目に、それに向けた具体的乎だてが出されていると考えます。

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私達は、この基本的見解に立って、来年度1学期の最も早い時期に、区教委の事情=花畑東小学校の教師・PTA・子供達が康治に対する認識と理解を深めること、平日の全日2日間の通学を実現し、ただちに転校実現=学籍を移す交渉を団体交渉の場でおこない、2学期からでも、それが実施されるよう、双方が努力するものと思います。
二、従って、区教委が私達のねばりづよい自主登校と、今回の全国の仲間の結集でようやく、私達の要求をききいれる姿勢を示したことを評価します。そして、康治の転校実現の一歩が、勝ちとれたことと認識し、この提案に同意しました。
三、なお、昨日、区教委は報道関係の記者会見の場で次の二点を示したといわれます。
1、週2回の通学は、6年の終わりまで続くことも考えられる。
2、転校については康治の機能回復の状態に依り判断する。
これについて明らかにします。まず区教委は本日、確認書をとりかわすなかでこの点も含め、確認書二項目以外の、いっさいの説明を、行っていません。又、二点については、疏確認書二項目とは内容としても、文脈としても、全く関係はありません。区教委は、一般的見解を、述べたとも考えられます。康治の転校要求の運動の経過とこの確認書が出される経過を見れば、この一般的見解は、全く、的はずれであることは、明らかと考えられます。従って、私達は、この二点についていっさい認めることは出来ません。また、区教委としてもなんの説明の意味もないものと、断言できます。
四、この転校実現に向けた、勝利の一歩をかちとれたことは、私通と共に闘い、支持していただいた、支援する会・全障連・部落解放同盟東京都連・東京養護学校義務化阻止共闘の皆さん・自治労中央本部・多数の道府県自治労本部・都内各区職労、そして、足立区職労の良心的な人々、さらに社会党の中央本部、国会議員、都議団、足立区議団の努力と協力によるものです。そして、足立区民の皆様や、マスコミの方々にもあたたかいご支援をいただきました。このように全国の力が私達の闘いに結集されたことを本当にありがたく思います。「障害」者、労働者、農民、学生、市民の皆さんが、ここに一致して一緒に闘い抜いていただいたことを、心より感謝し報告させていただきます。
五、しかし、この確認書は、あくまで、転校実現に向けた第一歩でしかありません。
私達は、皆さんと共に勝ち取ったこの一歩を、大きないしづえとし、転校の完全実現、そして、普通校での障害児の教育保障を勝ち取るまで、共に運動をつづけていく決意です。今後の話し合いは、支援者抜きでは、みとめられない。来週の後半にも第一回目の話し合いを持ちたい。そして、私達の運動を、もっともっとひろげ、全国の「障害」児、その家族が、地域の学校で、共に学び、共に育つ運動を進めている皆さんと共に、差別を受けることなく、地域社会で生きていけるようがんばってゆきたいと思います。
ありがとうございました。 (校正者注:前頁「金井 律子(談話)〜ありがとうございました。」四角囲み)

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康治君が「はいれてよかった」と文字版を示す姿に記者も、そして誰もが「やった!」と涙をうかべる。あの一瞬にこの九日間の凝縮された想いがあったと思うのだ。
この勝利集会で全員が確認した。行政―日共―権力の総力をあげたバリケード、差別キャンペーンを粉砕し、全国の闘う障害者、労働者、学生、市民の結集を大きくかちとり実力闘争で勝利した。そして区民、康治君の仲間、マスコミすら共感をまきおこし味方にして闘い抜いた。私達は障害者を差別、排除しようとする勢力を打破し、歴史的一歩を築き、康治君の花畑東小転校の大きな前進をかちとったのだ、と。
だが一方に、もう一つの確認も共にしている。今回の勝利は昨年の奈良での三・三〇確認書の勝利と同様であり、とり交した確認書と覚え書きを武器とし真の勝利をかちとるためには今後こそ更に強い団結と闘いが要求されるのである。

この集会の中で最も感動を生んだ場面は、九日の全国総決起集会で八木下全障連代表幹事が提起した「康治君の闘いは我々全ての障害者の闘いである」という内実がしっかりと根づいたことだ。康治君の生き様と闘う障害者の生き様が二重に重なって見えたことなのである。バリケードに突入を貫行した障害者仲間は言う「康治君の要求は痛い程判る。私は養護学校に行かされ権利を奪われ、養護学校はいやだという声は共有している。康治君の闘いは私の、私達の闘いだ。だからバリケードをのりこえずにいられなかった。共に闘い抜こう」と。康治君も又障害者仲間、先輩との会話を始めた。文字版を使う障害者仲間は康治君の発言に声をはりあげ歓呼して連帯を訴える。
康治君のお母さんは「車イスの障害者がこれ程に強いと思わなかった。闘いの勝利はこの人達のおかげだ」と話される時、障害者の生きる姿がここに明らかにされているのであり、「康治君よ!我々と共に闘い、次の世代を築け!」と言葉を送ろう。

夕方からのデモは区民センターから区役所前を通り干北住駅まで最後には二〇〇名をこえる仲間と共に貫かれた。
区役所前ではバリケードがなくなっている。「これがあの区役所か!ウソみたいに見えるな」「やった、ほんまに勝ったぞ!」デモが着く前に応援にかけつけてきた仲間がバンザイやっている。
しかし、あの張り紙はなんだ。

足立区民の皆様へ
三月七日から三月十四日までの八日間わたる長い間花畑東小学校問題の一連の行動行為のため区民の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。心からお詫び申し上げます。
三月十五日朝、区教育委員会の提案をもって解決いたしました。この間のご協力に深く感謝申し上げます。足立区教育委員会 (校正者注:「足立区民〜委員会」四角囲み)

最後まで、面子にこだわる区教委だ!クソッタレ!私達の怒りは決っしておさまったのではないし、いやますます高まっている。この区教委はどんなことがあってもどうしても許せない。
九日間の闘いを通して知ったものはあまりにも大きい。どんなに苦しく困難でも闘い抜いてこそ一つ一つかちとれることを覚えた。また、全国闘争のなんたるかを知った。戦い方にはほんとにいろんなやり方があることも覚えた。
私達の闘いはこれからこそ、もっともっと大きく強く、そしてしぶとくにもなるだろう。
(以上)

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レポート?A
3・26梅谷尚司君の富中就学闘争の報告
大衆的実力闘争を背景に市教委交渉をもち富中への実質就学をかちとる!

梅谷尚司君は昨年三月三十日、十日間にも渡る連続実力闘争をもって、奈良市教育委員会に対し富中学籍を認めさせた。しかし奈良市教組、富中現場の強力な妨害工作にあい、この二学期から週二回計四時間の「訪問教育指導」におしとどめられていたのである。
これに対し、奈良の「尚司君の富中入学を実現し、みんなで教育を考える会」(以下考える会とする)を中心とし、一月、二月の二回の奈良市教委交渉を行い、?@二学期での「訪問教育」の総活と、?A新年度の学習保障の方針の二点を追求してきた。この中で市教委は作年三・三〇の三項目確認を実質的に破棄する内容をもつ「訪問教育で成果が出ているから続けるべき」「富中ヘキッチリ位置づけるには就学指導委員会にかかってもらう」と居直り回答してきたのだった。常に力を見せつけ圧力をかけないと確認を破棄する市教委に対し、もはやどのような差別的対応とゴマカシを許さないと、三月二十六日、考える会のよびかけに応じ、全障連、全関西義務化阻止共闘、部落解放同盟、金井康治君の花畑束小転校実現を支援する会、婦人民主クラブ・奈良大阪青い芝の会、まどの会など百五十名余りが結集し、市教委糾弾行動と市教委交渉を行った。
この日は、市教委側が最畿まで交渉日を明らかにしなかったため(内部意見調整ができず日取りが決まらなかったのだろう)準備が遅れたものの、全障連は、全国代表幹事、全国事務局他、関東、北陸、東海、関西から五十名が結集した。人数はあまり多くなかったものの、前段集会から東京の金井闘争に続こうと、実力闘争に自信と確信をもった燃える意気込みで始まった。支援にかけつけてくれた金井君転校を支援する会からも「九日間の圧倒的実力闘争に続き梅谷闘争にも断固勝利しょう」と激がとばされた。どの団体もが、この前日に胃の2/3を切除する大手術を行った梅谷のお母ちゃんに想いをよせ、お母ちゃんに怒られない闘いを貫こうと宣言し、婦人民主クラブからは「お母ちゃんは一時も早く戦線に復帰したいが為にあえて手術を選んだ、お母ちゃんをそうさせているのは市教委だ。絶対に許さず闘い抜き勝利しよう」とアピールがされた。誰もがこの日の闘いにお母ちゃ

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んの姿がないのに寂しい、だからこそなんとしても勝利することなくしてオメオメ帰れるか!という決意をみなぎらせたのだった。
確認集会の後、交渉団約五十名が一時からの交渉に入った。

交渉の冒頭、市教委(代表は教育次長が出てきた)は「障害者は特別な人ではなく平等に対処されるべきと考え、具体的に一歩前進させる為に訪問教育を続けながら富中との交流を行いたい」ときり出す。しかし待て、私達は一般論や小手先の技術論で問題解決しようなどとは考えてはいないのだ。まずこの間の訪問教育とそこで市教委が何をしてきたかを明らかにさせねばならない。
まず、担任教師を養護学校との兼任とし、富中教師集団との協議の場を作らず富中への位置づけを一切行なわなかったばかりか、市教委がこの教師と話し合いをしてきていない。市教委は「富中へ位置づける必要を担任教師からも強く要望されているので、本年度は富中専任講師を担任とし、55年度設置される障害児学級の教師集団の一員とする」(以下「」内は市教委発言)と言う。
とにかく技術論で逃げようとする市教委に追求は鋭くなる、では運動会の時、富中校長が尚司君の参加を止めたことをどう考えるのか。...「他の健全児のじゃマにならないと思われるから参加した方がよかった」。やっぱり市教委の障害児に対する徹底した差別と排除の論理に変わっていなかった。交渉団の怒りは暴発した。差別故に、市教委の排除の故に障害者は集団の場、生活を奪われてきた。その上で集団に適応しないから「ダメ」とは更に差別の居直りでしかない。
交渉団の一人から説得が行なわれる「ある所では障害児も含めた子供集団が保障され教育が行なわれている。そこである健全児が障害児を友達として見て勉強を手伝ったりノートを見せたりしていた。するとその子の親が障害児がいるからウチの子の勉強が遅れると文句を言ってきた。その時、その子は「そんなこと言う親をもって恥かしい。僕は友達と一緒にやるのが正しいと思ってやっているんだ。成績の問題やない」と言って泣いて訴えて両親や教師を説得したという。市教委はいったいどっちの側に立つんだ。そしてどう指導する気か」と。障害児をもつ親がつきつける「私らは普通学校の障害児を見る目、考え方、教育のあり方を変えろ言うてるんや。
今の普通学校はもともと障害児を排除してきたのに、そのままではお客さんにされるだけや。ウチの子をどんなえらい目して通学させようとしているか、教育を変える為やないか」
追いこまれた市教委は「一人一人の障害児の状態と、集団がその障害児を認識するその相互理解の問題と考える。差別はやはり差別する側があるから存在するので、この相互理解を作ろうとしているがすぐには・・・。富中の現状に理解がないのは事実だ」。
つけ圧力をかけないと確認を破棄する市教委に対し、もはやどのような差別的対応とゴマ
だからこそ私達はこの間追求し続けてきたのである。尚司君が「訪問教育」を受ける時も毎日の生活リズムや習慣を身につける為に本人、家族、支援する者、そして担任教師が何をどう努力してきたかも知らず、一方で市教委は富中に対して何ら指導責任を放棄してきたばかりか、あの差別者、富中校長をのさばらせているだけなのだ。責任の所在は市教委にあることは明々白々なのであり、されば、いかにして尚司君を富中に通学させるかは市教委が富中現場をどう指導するかのみにかかっている。
ところがここに致って市教委は、しかし「富中にキッチリ(何年何組、あるいは障害児学級)位置づける時には就学指導委員会の判定による」と、又しても、又してものうのうと言い出したのである。交渉団は騒然となった。外に待機する仲間の部隊にもすぐさま報告され、シュプレヒコールとデモによる糾弾行動が開始された。

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写真省略(校正者注:写真が3枚掲載されている。1枚目は広い会議室のようなところで集まり説明会を実施しており、前方の市教委?の人が頭を下げている様子。2枚目は街頭で抗議活動をしている様子。3枚目は1枚目と同じ会場で抗議活動をしているメンバーが市教委の説明を聞いている様子の写真)
交渉団から糾弾の発言が続出する「三・三〇の大衆団体との確認を破棄するとは、それでも行政の責任があると言えるか!」「就学指導委員会の判定には関係ないと一度言っておいて、その上一年間何もしておらずに、又もや障宮児にしわよせする気か!」「就学指導委にかからねばならない根拠などどこにもない。理由を言ってみろ!」「訪問教育は三・三〇には書かれていない。市教委が段階的と言うからやむなくしたのにどういうことだ!」「三・三〇の闘いをもう一度やって欲しいと言うことか!受けて立つぞ!」
市教委は内外の部隊の怒りの糾弾に恐れをなし、内部の意見凋整をしたいとして部屋をいったん出たが、この打ち合わせが小一時間も続いたのである。そして出てきて説明する
「相互理解については、学校側に問題があったと考え、市教委として指導したが浅く充分できなかったと認める」「就学指導委員会の発言については撤回する」
三時間半もかかってようやくに不充分ではあれ「訪問教育」の総括が出されたのであるでは具体的方針は。尚司君の通学はどうなるのか、「富中現場の理解を作りながら実施する」と答える。現場にきり込む際、最も重要な担任教師の問題は「富中専任講師とし、富中にキッチリ位置づけたい。その旨県教委に要請している」。だがしかし、これまでも確認が日共に指導される市教組や富中現場の妨害で後退させられてきた。ほんとに責任もって市教委が指導できるのか「できると考えている。信頼してほしい」。通学の教育保障は「カリキュラムにキッチリ示す」と言う。
私達が考えていた基本的方向はだいたいにおいて確認されたと考え、大衆団休交渉をうち切り、勝利宣言を外の部隊へ伝えると共に

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確認文書作りに代表5人を残し、報告集会が始められた。
しかしながら、この確認文書作りには入ってからまた難行し、なんと二時間の時間をかけるハメとなった。それは市教委が、ただただ市教組や現場を気にし、自らの指導性に自信をもてないが故に、通学の位置づけを「訪問教育の延長として障害児学級との交流にワクづけ」しようとしたのである。私達の立場は、「訪問教育」を受けた経過もあり今すぐにやめろとは言わない。又富中現場が受けとめるようになるまで段階的な通学方法も考えられる。しかし尚司君に、富中の学籍がある以上、交流はありえず通学が原則である。夜七時過ぎに至り、ようやくにして次の三項目の確認をかちとり勝利報告集会と合流した。

昭和五年度、梅谷尚司君の就学に関する合意
一、梅谷尚司君は、昭和五五年四月から、カリキュラムに従い富雄中学校に通学する。只し、当面は「障害児学級」との交流を中心としたものとする。
二、梅谷尚司君の担任教師は、富雄中学校の専任講師とするよう県教育委員会に要請する。
三、市教育委員会は富雄中学校全体が尚司君を受けとめるよう指導する。
以上 (校正者注:「昭和〜以上」四角囲み)

勝ったぞ!金井・梅谷、二連勝だ!やったぜV?U!代表団を迎えて歓声があがる。この闘いでは、奈良市教委が又しても三・三〇確認を破棄せんとし、就学指導委員会をもち出し、あろうことか「健常児の迷惑にならない限り集団の場がいい」と露骨に障害者差別・排除の姿勢を出してきた。これに対し私達が徹底した実力糾弾の中で、ことごとに粉砕しえたことは闘いのつみ重ねで自らが強くなってきたことを示す。そしてその上で今回の勝利を勝ちとれたことは、実力闘争、とりわけ三・七〜十五金井闘争の闘いが大きな力となっている。又、この間奈良の地で作られてきた、差別と闘う様々な勢力がここに一致し強く団結し大きなカをたくわえてきたためであろう。
一方、今回の市教委に見られる様に、市教委の差別姿勢は依然強く少しでも気をゆるめると一挙に後退してしまう。また日共に指導される市教組や富中現場、日共、全障研のまき返しと妨害は一層強められると考えねばならない。今回の勝利をまた一つのバネとし大きな闘いを組む必要があるだろう。
そしてこれからの闘いは、尚司君の実質的富中通学を契機とし、担任教師とも固い絞を結び、富中現場の障害者排除の体制をつき崩していくものとなる。教師集団、PTA、そしてこれまでの教育で編見を植えつけられた生徒達にどのように理解と受け入れの体制を作っていくかは、今まで以上に粘り強くしんどい闘いともなるであろう。全障連も義務制粉砕闘争の中で普通学校での教育保障をかちとる闘いを大きく位置づけている中、私達も全力でとりくむ必要があると考えられる。
梅谷尚司君の闘いは、今富中への実質的通学までは勝ちとったものの、これからの道のりはまだまだ遠い。尚司君は「ピカピの二年生」が始まった。これからも完全入学実現まで闘いは続けられていく。
挿絵省略

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レポート?B千葉
仁茂田ルリ子ちゃん・小川正芳君の就学闘争勝利の報告
文責・関東ブロックK・Y

三月二十八日、仁茂田ルリ子ちゃん(真砂小)小川正芳君(幕張西小)の就学に向けた対市教委闘争がおこなわれました。
仁茂田ルリ子ちゃん、小川正芳君の就学闘争は、両親の切なる願いを教育委員会に訴えることから始まった。これに対して、千葉市教委は、「盲児は盲学校合へ」と差別的な主張をくり返してきたのです。しかし、ルリ子ちゃん正芳君の両親の、なんとしても普通学校へという願いから、運動へと発展してきた段階に入ると、干葉市教委は、「条件が整えば....」という一見地域の学校に就学させてもいいかのようなポーズを取りながらも、その裏で、両親と支援団体を分断するためにやっきとなってきたのです。そして、三月末になるにつれて、時間切れを理由に盲学校へ入学させようとしたのです。
しかし、こうした千葉市教委の卑劣な策動に対し、ルリ子ちゃん、正芳君の両親は、三月二八日に、市教委に対する抗議行動と交渉要求を設定し、その前段として、総決起集会を予定していました。
千葉市教委は、全国からよせられた抗議電報と三月九日〜十五日までの金井康治君の実力就学闘争の勝利、奈良の梅谷尚治君の就学闘争の勝利の前に、行政の責任のがれがもはやできないことと、なによりも金井康治君の闘いと同じようになるのをおそれて、ルリ子ちゃん、正芳君の両親に、市教委の方から、二八日午前中に交渉を申し入れ、マスコミ関係者立ちあいのもとに学籍を普通学校へおくことで就学闘争の勝利をもぎとった。
しかし、このルリ子ちゃん、正芳君の就学闘争は、康治君の闘いと同様これからがほんとうの闘いである。何ぜならば、市教委は、ルリ子ちゃん、正芳君の点字保障等々をまったく考えていなく、いかに「普通学校からおいだし」ができるかだけを考えているのです。
私達全障連は、養護学校義務制粉砕を各地の阻止共闘、及び障害児をもつ親と共に闘いぬき、各地の就学闘争を勝利させて来ています。だが、文部省=各教育委員会の、普通学校に入学している障害児に対する「おいだし」に対し、より一層の闘いを取り組んでいかなければなりません。とりわけ、義務制粉砕に結集している教師、親に対し、私達全障連は、障害者が地域のなかで自立して生きていく闘いをねばり強く訴えていくことである。「共生、共闘」は、言葉一般ではなく、実践のなかでこそ重要であり、その意味では、全障連が提起している「障害者解放教育・保有研究会」(仮称)の構築が早急に求められているであろう。

金井康治君の転校実現
三月全国行動勝利!!
報告・資料集(校正者注:「報告・資料集」太字)

怒りが鉄柵をつきぬけた ―金井康治君の完全転校を勝ちとろう!
500円 (校正者注:「500円」太字)
編集/金井康治君の転校実現三月行動実行委員会
取り扱い/全障連出版局・各ブロック

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赤堀さんを生きて私達の手にとりもどそう!
静岡地裁の第4次再審請求棄却弾劾!
3・11闘争総括と今後の課題
全障連赤堀小委員会

1はじめに
去る三・一一、あの憎みても余りある「障害者」抹殺宣言を許すことなく、無実の赤堀さんを生きて奪い返すべく、第四次再審棄却決定弾劾全国総決起会を全障連の総力を挙げて闘い抜いた。
この三・一一闘争に於て、我々は再度、三・一一第四次再審棄却決定が「障害者」抹殺を宣言したものであることを確認した。まさに、この棄却決定は「精薄の赤堀が覚えているはずがない」「殺ったという大筋において間違いはない」と「精神障害者」差別に貫かされて下されたものであり、しかも、第四次再審請求で提出された数多くの無実を明らかにする証拠を一定認めながら(無実を承知の上で)下された決定であった。これこそ、国家の「障害者」に対する支配理念として「障害者」は差別、抹殺されるべき存在として打ち出されたものである。この三・一一差別決定の意味をはっきりと確認し、獄中二六年の赤堀さんの怒り、無念さを「障害者」全てのものとして闘い抜いた。そして、赤堀さんを生きて奪い返すことなしに、決して「障害者」の解放もないことを。
更に、七日からの金井康治君の地域の普通学校への転校実現に向けた闘いと結合した闘いとして全力で闘い抜いた。政府―権力の攻撃は赤堀差別裁判を頂点に「障害者」は「あってはならない存在」という差別煽動を行ない、養護学校義務化等を通して「障害者」を地域からしめ出し一挙的に貫徹しようとしている。このような中で、とりわけ就学闘争勝利を通して義務化体制を打ち破っていく三月決戦の闘いと固く結合して闘い広き、赤堀、義務化を貫く「障害者」差別、抹殺に対決していくものとしてあった。金井君の闘いに対する足立区教委、千住警察、日共=組合執行部一体となった「防災出勤」―バリケード封鎖という前代未聞の大弾圧に抗しつつ赤堀闘争にも百名以上の結集で共に闘った。各ブロックからも「赤堀、義務化を共に勝利の日まで闘い抜く」と力強く決意表明が訴えられた。「障害者」の結集もより増え、差別を徹底して糾弾し自立と解放を勝ちとっていく立場を鮮明に突き出していった。
又、今日の差別裁判をめぐる情勢が、去る二・七の狭山再審棄却にみられるように、司法―国家権力は強権的な棄却決定をもって差別をより強化しようとしている。まさに法の名の下に無実の被差別人民を死に追いやり、差別社会(体制)を守り抜かんとしている。この攻撃をはっきり見抜き、法廷内外の糾弾

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闘争を強化して打ち破っていくことを確認してきました。そして、赤堀差別裁判糾弾闘争に於て、去る二・八無実を明らかにする足跡の新鑑定が高裁に提出されたものの、決して安心することなく、検事側の差別意見書、高裁の抗告棄却決定攻撃に身構えていくことを確認してきた。

2 三・一一闘争報告
八丁堀労働福祉会館には約四百名が結集し午前十時より集会が始まった。
写真省略(校正者注:写真2枚掲載されている。いずれも3・11差別棄却決定弾劾全国総決起集会の様子)
司会の開会宣言を受け、赤堀さんからのアピールを確認していった。彼は三・一一棄却決定への怒りと、「病者」「障害者」への介護支援を訴え圧倒的触拍手で確認された。
赤堀中闘委からの基調提起は、七九年、「障害者」差別抹殺の諸政策が系統的に一挙に打ち出され、八〇年の「障害者」支配がより激しく貫徹されようとしている情勢について強く提起された。更に抗告棄却―死刑執行を絶対に阻止し、赤堀さんを先頭に闘い抜き、足跡新鑑定をもってより無実、差別を明らかにしていくこと。これ等の闘いを赤堀中闘委体制の強化をはかりつつ、赤堀闘争の大衆的発展をもって勝利していくことが訴えられた。
基調報告に続いて、赤堀一雄氏、部落解放同盟狭山闘争木部、精神神経学会、監獄法改悪阻止全国連絡会議、三里塚反対同盟の「障害者」からの連帯アピールが寄せられた。この後、高裁、法務省への要蒲団が派遣され、要請団は四千名以上の署名を手に参加者全体の拍手で送り出された。次いで、転校実現三月決戦の先頭で七日から足立区役所前で実力闘争を闘い抜いている金井康治君、支援する会代表からの特別アピールが送られた。康治君は「転校するまでがんばる」決意と共に闘い抜く様訴えた。
昼休み時間は独自集会を行ない、我全障連部隊は三・一一「障害者」抹殺宣言への煮えたぎる怒りと、康治君転校実現!義務制粉砕の闘いに勝利していく決意を固め、集会場全体を圧倒する熱気で集会を貫徹した。
議事は後半に移り、獄中支援センターから赤堀さんの近況、獄中弾圧の実態の報告と闘いの方針が提起された。特に二・二六宮刑の交渉拒否にみられる赤堀さん抹殺攻撃を粉砕して赤堀さんとの団結強化をはかり共に闘っていくことが強く訴えられた。又、法廷闘争委員会からは、二・八足跡新鑑定は赤堀さんの無実をより明らかにするものであり、これ

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を武器に闘いの前進を勝ち取っていく方針提起がなされた。最後に各地闘う会のアピールに入り、「障害者」との日常的な介護、支援の状況、この間のパネルヒーター設置要求の署名活動の現状等が報告された。
要請団からは要請行動の「高裁、法務省は署名用紙は受け取ったものの獄中処遇改善、死刑執行阻止の要請、抗議を封殺せんとした」との報告を受け、更なる糾弾闘争の強化を確認した。最後に、二・二六宮刑所長交渉拒否-暴力的排除への抗議声明、集会を終了した。
全障連部隊は直ちに足立区役所前へとかけつけると共に、代表を狭山闘争集会会場へ送り、部落解放闘争との連帯、共闘の深化を勝ち取っていくことを確認していった。

3 赤堀闘争の課題
(1)先にも述べた様に、高裁、法務省は抗告棄却―死刑執行策動を強めており、差別裁判糾弾闘争をめぐる情況は極めて厳しくなっている。かかる中で、とりわけ赤堀闘争に於ては弁護団の全どが日共=国民教授会系で占められ法廷闘争の困難さがあり、我々自身が囲う法廷闘争方針を確立し突き出していかねばならない。差別をもって赤堀さんをデッチ上げ、デッチ上げを通して更に差別をあおり「障害者」抹殺へと貰かれてきた差別裁判の本質の全面的な暴露をもって闘わなければならない。一貫して、「精神障害者」差別を全面に突き出し、無実の証拠を封殺し乗り切ってきた裁判所の攻撃に対し、具体的な裁判過程の整理を通し矛盾デッチ上げの本質を暴き出し、大衆的前進をもって弁護団再編、闘う法廷闘争方針へと打ち固めていかなければならない。
(2)これ等の闘いを小委員会を軸に成し切りつつ、裁判が繰り返し「障害者」抹殺に大きな役割を果してきた現実(「障害児」殺し判決等)を見抜き、全ての仲間、各ブロックに於ても差別裁判糾弾!赤堀さん奪還!に向けて闘いを組織化すること。そして、全ゆる闘いを赤堀闘争と結合させ、何よりも赤堀さんの獄中二六年の不屈の闘いに学び、獄中内外の団結を打ち固めていかなければならない。
(3)更に中闘委体制の強化、「障害者」「精神障害者」の解放に向けて、とりわけ全国「精神病」者集団との交流、団結を強めていくこと。そして相互に共有し、「病者」「障害者」の二十四時間の生活全ての領域を問一題にしきり、共生共闘を大原則にした赤堀闘争、「障害者」解放闘争の大衆的発展を勝ち取っていくこと。
(4)これ等をふまえ、闘いを強化する為の学習、討論会の組織化、多くの「障害者」の結集をはかると共に、今、宮刑の厳しい獄中弾圧に抗し日々苦闘している赤堀さんとの文通、面会の強化を勝ち取っていかなければならない。各ブロックに於て、現地調査等を通じて闘いの深化、組織化をも準備しよう。
なお、赤堀小委員会では、この全国機関誌を通じて全国的な闘いの統一と強化をはかる為に次号より「学習シリーズ」を準備しています。六回にわたって掲載する予定です。

3・30 三里塚二期工事着工阻止の闘いに参加しての感想
石川青い芝の会 犬塚和子

現地にやっと到着し、集会場の最前列に並んでいる我が全障連の仲間と合流できたのは正午過ぎであった。前夜(二十九日)、権力の動きにさまたげられ雨の中を大阪を出発するのが二時間も遅れた上、途中の高速道路上でガソリン切れなど始めて三里塚に参加した

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私としては到着するまでのほうが、権力の校門の事も含めて少し緊張状態であった。
地面のドロンコぬかるみ具合は相当なものだったが、雨上りの空はカラカラと晴れ渡って大気と全国から集ってきた闘う者達の息吹とが混り合って一層、気温が上昇したようであった。次々と中央の壇上でアッピールが進む中で全障連を代表して矢内さんがアッピールした。九日間を闘い抜いた金井康治君の、そして三・二六の奈良の梅谷尚司君の就学年争の報告と共に三里塚農民を攻撃して来る権力の策動は、私達「障害者」を抹殺して来るもの(校正者注:「もの」傍点)であり、また、闘う者すべてを押しつぶそうとしている権力と、それと加担して敵対してくる差別者集団日共に対する鋭い糾弾の意味を込め闘いの決意に満ちたアッピールは共に闘う私達と、障害者解放闘争に関わろうとする人すべてに力強く追った。集会後のデモは保育の部隊の直ぐ後に続いたが全障連の「空港紛争」と「差別糾弾」のコールが、最後尾の子供達には保育の部隊のコールと混って聞こえちゃうらしく、とまどっていたのが、微笑えましかった。デモが進むにつれてよく耕された肥沃な黒い畑が広々と続いて視える。夕闇が迫る頃、全障連は畑の近くの道路上で独自集会を行った後に解散したが、三里塚農民の血と涙がしみ込んでいる筈のあの土地を奪って軍事目的に利用しようとする思想は人間の生命を破壊する思想だ。任意を破壊されきた私達「障害者」は抑圧の中から然り、立上った総での人民と一緒に闘っていかねばならないと思う。しかし、それぞれの闘いと障害者解放運動との内実としての結合をもつことは決してたやすいことではない。
故戸村一会員長の発言とかに止まらず、現在の住民運動や反権力闘争が「障害者」に対する差別性を把えてない質の問題であり、私達「障害者」は、お互いの変革を求める意味でつきつけていかねばならないし、具体的な接触の中で討論の場もつくっていきたい。これは十年間もひたすら三里塚曳地に行き続けているBさんや、地道に三里塚闘争に関係り続けている仲間の運動の中で求められてきたものでもある。デモの際にも真険に配慮してくれた野戦病院のAさん始め現地では共に闘う方向での方向が生まれて来ているように思う。
始めて参加したことで私の中で三里塚は確かなものになってきたように感じられるが、私が今度の三里塚闘争に参加できたのは、共に障害者解放運動を闘う仲間達の配慮と支援の結果として実現したことも忘れられない。これからも、機会を創って三里塚の闘争に参加して行きたいと考えている。
一九八十年 四月

全障連連絡先
全国事務局
・東北ブロック
仙台市小出原二丁目二-四二佐幸ビル403号
電話〇二二-九五-八四九八

・関東ブロック
東京都豊島区巣鴨三丁目三四番三号フラワーコーボ303
電話〇三-九一八-八五七二

・北陸ブロック
富山市太郎丸町一〇六―二 平井方
電話〇七六四−二一−九八三九-九三八九

・東海ブロック
岐阜県羽島郡笠松町円城寺六〇〇 戸田方
電話〇五八三八−八一−一八六四

全国出版部
・関西ブロック
大坂市城東区新喜多二丁目一―九
電話〇六−九三四-〇一二九

・中四国ブロック
岡山市中郵便局私書箱四号「岡山障害者解放委員会」
電話〇八六四-七一―四七〇七 (校正者注:「全障連〜四七〇七」四角囲み)

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二・七狭山再審棄却決定
徹底糾弾声明
全障連全国事務局

二月七日、東京高裁四ツ谷裁判長は狭山再審請求を棄却した。私たちは、この攻撃に怒りをもって糾弾する。
この棄却決定はもっとも重要な石川さんの無実の証拠、脅迫状の日付訂正問題をはじめ、筆跡問題、足跡、スコップなどの新証拠新鑑定などを無視して、政治的意図につらぬかれた許すべからざるものである。
石川さんは、この棄却決定に対して、「再審決定は容易でないことを私自身にいいきかせていたというものの......今回の決定に怒りの涙を禁じえませんでした。この不当な政治的な棄却決定に対し、勝利の目まで不屈にたたかう決意であります」と述べている。
私たち、全障連は、石川一雄氏が、無実でありながら部落差別によって狭山事件の「犯人」として有罪とされていることは、障害者差別とたたかうものとして許すことはできない。赤堀さんは、障害者差別によって、二六年間の長期にわたって「死刑囚」として獄中にある。障害者の立場から、狭山闘争と連帯、共闘し、同時に赤堀さんを生きて奪い返すたたかいを担っていくことを確認し、たたかってきた。
この棄却決定は、私たち、全障連をはじめ闘う労働者、学生、とりわけ、同盟休校など、狭山再審闘争勝利にむけたたかいを貫徹した部落解放同盟とその運動をつぶそうとする攻撃である。
再審闘争と差別糾弾―障害者解放を掲げて闘いぬいている赤堀闘争にも、東京高裁小松をして、石川さんへの棄却決定にみられるような攻撃を狙っていることをしっかりと見つめておかなければならない。
狭山のたたかいも赤堀さんのたたかいも、国家権力を頂点とした支配の差別作、暴力性を全面的に暴露するものである。だからこそ権力は、それが、被差別人民を先頭にした大衆運動の高揚の中で白日のもとにさらされるのをおそれ、治安問題として、運動の活性化と差別糾弾闘争の前進による支配の破綻をおそれて、強権的差別的な棄却決定を下だしてきたのだ。
私たちは、この攻撃にたいし、よりいっそう、部落差別糾弾!狭山闘争勝利と障害者差別糾弾!赤堀闘争勝利の反差別共同闘争の絆を強め、さらには、赤堀中闘委のもと、「病」者集団との相互の学びあい、支援の関係、三者の共同闘争のなかで赤堀さんを生きて奪い返すたたかいの勝利によって応えていこう。

出版物の案内
しろまる79・1・26〜31文部省糾弾連続闘争報告集 \二五〇
しろまる障害者解放教育・保育研究会にむけて?@
54年度養護学校義務化阻止闘争総括集 \六〇〇(セット\八〇〇)
しろまる地域での障害者の自立生活をめざして
?@自立生活パンフレット \一五〇
?A厚生省「地域福祉」政策糾弾!\二〇〇
しろまる全障連結成大会報告集\一五〇〇
しろまる全障連第二回大会報告集\二五〇〇
しろまる全障連全国機関誌「SSK全障連」 No3〜No10 \二〇〇
定期購読(6回分) \一三五〇
しろまる義務化阻止学習パンフNo3 \六〇〇
点字学習(パンフレット) \二〇〇

全障連第四回大会 報告書 完成 \二、五〇〇−(校正者注:「全障連〜五〇〇−」四角囲み)
連絡/大阪市城東区新喜多ニ丁目一ー九
〇六―九三四―〇一二九

郵便振込 「大阪 五七三四二 全障連全国出版部」

裏表紙(奥付)
全国障害者解放運動連絡会議(全障連)
機関誌 No11
発行日/1980年6月12日
編集人/東京都豊島区巣鴨3丁目34番3号フラワーコーポ303号
電話 (03)918-8572
八木下 浩一
編集者責任/大阪市城東区新喜多2丁目1-9
電話〈06〉934-0129
全障連全国出版局
印刷/騒々社

作成:山口 和紀

UP:20220625 REV:
全障連『全障連』(全国機関誌)目次障害者(運動)史のための年表
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