『全障連』No.9
last update:20220624
■しかく文字起こし
表紙
SSK 全障連
全国障害者解放運動連絡会議
No.9
SSK増刊通巻第657号
昭和46年第3種郵便物認可
昭和54年12月20日発行(毎月6回5、0の日発行〉)
目次
全障連第四回大会成功させる
大会総括 全障連全国事務局...1
各分科会討論報告...3
関東実委の総括 実委長 八柳卓史...4
大会宣言、幹事紹介...7
全障連の事務所が三つになりました。...10
11・25赤堀差別裁判糾弾闘争全国総決起集会に結集しよう 全障連赤堀小委員会...11
ビッグコミックオリジナル糾弾の闘い経過報告 関東ブロック事務局...14
文部省糾弾闘争を継続させ、金井・梅谷闘争を勝利させよう。
11・4〜5文部省闘争の報告 全障連教育小委員会...18
てんこうするまでがんばる!金井康治君の転校をめぐって...20
心の中 恋愛、差別 伊藤ミツ子...22
全障連第三回大会報告集の発行断念の報告とおわび...23
p1
全障連第4回(79.8.11〜12)
2,000名の結集で成功させる!
障害者解放運動が根づいた今 大衆運動の内実を厳しく提起
全障連第四回大会の総括 全障連全国事務局
全障連第四回大会は、八月十一〜十二日、東京明治大学和泉校舎において、二千名を結集してかちとられた。第三回大会以降、全障連は、今年一月の対文部省連続闘争を頂点に全力をあげて養護学校義務化を阻止する斗いを進めてきた。この斗いのなかで、私たちは、残念ながら、文部省の義務制化強行実施を許すという斗うカの弱さをつきつけられはしましたが、いくつかの成果をえています。第四回大会は、この一年の斗いの弱さと成果の総括を深め、今日の障害者解放運動に求められる具体的な方向を求められた大会といえます。
養護学校義務制をテコとした差別・選別体制の強化、赤堀さんへの死刑策動攻撃の強まり、狭山差別裁判における再審棄却策動、三里塚第二期工事開始のたくらみなど差別・抑圧攻撃の強まるなか、全障連は、二つの全国統一斗争と共斗の拡大に応え、また、障害者解放の理論を深め、障害者が生きていく上でつきあたる様々な課題を集中して討議し、斗いの統一した流れを確固として築いていくことが求められています。
第一日目の全体集会は、二千名を結集し、参加者のほぼ半数を障害者が占め、親、労働者の参加も増加した。また、部落解放同盟、三里塚芝山連合空港反対同盟、社会党、自治労をはじめ、義務化阻止斗争を共に担った教組、労組などからのアピール、メッセージ、檄電も多数寄せられ、全障連の斗いの広がりと社会的位置の確立を示した。これは、これまで、各地において、分散して斗われていた
写真省略
p2
障害者解放運動が、義務化阻止斗争において、統一した流れをつくりだし、全障連の斗いが具体的に影響をもちだしていることのあらわれであり、また、全障連の組織情況と課題も明らかにしています。二千名の結集の中には、多くの個人参加があり、まだまだ各地において、全障連の一員として責任をもって活動する人々、共に斗う人々の組織化が充分に進んでいないことを示しています。このことをふまえ、義務化阻止斗争の成果のうえにたって、全障連に結集する障害者を中心に広範で多様な運動を各ブロック―団体で追及していく必要があります。とりわけ、一定の前進をみせたとはいえ、各地での運動には、まだまだ日常的な運動がかけており、親、教育労働者、施設での組織化が進んでいません。これまでの文部省斗争を頂点とする斗いを、各ブロックで点検、総括し、障害者の団結の拡大と運動の発展をめざさなければなりません。
各分科会は、十一日午後からと十二日午前午後ともたれ、十一日夜には第三回京都大会にひきついで、障害別交流会、階層別交流会がもたれました。
分科会は、とくに生活、教育に障害者が多数結集し、施設、労働も多くの結集があり、それぞれの課題について真険な討論が行なわれた。一方、赤掘斗争の分科会は、「障害者解放斗争としての赤堀斗争」は、中斗委体制のもと確立されつつあるが、障害者の結集が少なく、まだまだ全障連全体のものとするための総括と討論が必要です。
義務化阻止斗争の前進の一方で、交通小委員会の強化が問われ、医療は、交流会という形しかとれなかったという問題もある。また、労働、施設の小委員会の確立と日常的活動も要請されています。
第四回大会は、義務化阻止斗争を軸として、北海道から沖縄まで全国的な結集を示したが、その実態はまだまだ統一性に欠けており、各
写真省略
ブロックの強化が問われています。特に、全国青い芝の会の脱退、あるいは、運動の破及がかちとられていない県などが若干残されており、全障連の斗いのよりいっそうの拡大が求められています。これについては、各ブロックでのブロックとしての活動と日常活動を確立し障害者の掘りおこしが求められているといえるでしょう。
第四回大会は、厚生省の本年十月一日より行うとする(私たちの闘いにより十二月一日までのばした)身体障害者全国実態調査に反対する決議を採択し、各地で、あるいは厚生省斗争に決起することを確認しました。また、これまで、全障連規約で各地もちまわりとしてきた全国事務局は、来年五回大会開催地である仙台に移すことを決定しました。
全障連は、まだまだ様々な弱さを内部にもちつつも、日々、障害者差別の強化される中、自立と解放にむけて前進しています。
全国の仲間が、第四回大会の成果をふまえ、日々の活動によりいっそうまい進されることを!
p3
全障連連第4回大会
各分科会討論報告
大会宣言・幹事役員の紹介
第一分科会=交通(校正者注:「第一分科会=交通」太字)
昨日と今日の交通分科会の中で次の事が話され、今后の方向性として確認されました。
一つには去年の夏に運輸省が車イスのバス乗車に関する見解という全国統一基準という形で出してきましたが、それに対して関西の方から具体的問題が出されました。それは、統一基準が出される前は一人で車イスで乗車していたが、それ以降、いろんな条件がつけられて、かえって乗車しにくくなった現実があるということです。その条件とは、介護人を二人付けなければ乗れないとか、安全ベルトを付けろという形であるが、やはりこれに対して一人でも車イスで乗車し、安全性についても車イスに乗ったままの万がいいということは判っているので、新たな条件をはねつけて、現実に乗っているし、運動の万向性としてもその必要性が提起されました。
もう一点としては、各地斗っておられる所での交通労組、労働者への働きかけということです。障害者の乗車要求をする峙、むしろ組合が労使一体となって、自分たちの目先の利益にとらわれて、障害者の要求に敵対するようなところがある。各地では、すでに労働者との関係ということで、組合に対する働きかけを行なっていると思いますが、今后更に強力に働きかけをやって行き、労働者の意識の変革―障害者と共に交通の問題を考えていく。障害者を切り捨てたところでの労働者の問題は解決しないということを説得していかなければならないことを確認しました。
また、こうした運動を通して障害者の問題は単に交通、あるいは乗車のことだけでなく生活総体を理解させていく、そこに関わりを求めていく必要があることが提起されました。
最後に、各地で交通機関に対する取り組みをやっていくと同時に、運輸省に対して運輸行政に示されている差別に対して、全障連に参加している皆の徹底した紙弾斗争が必要だということが出されました。ところが、今交通小委員会は斗争は全国的に拡まっているものの、結集してくる力は弱く、この一年も運輸省に対しこの取り組みや、全交運に対しての取り組みもキッチリしていない。やはり、交通小委員会を強めていき、運輸行政や全交運に対しての取り組みを作っていくことが確認されました。
第二分科会=生活(校正者注:「第二分科会=生活」太字)
生活の分科会、この第一分散会でまず基調報告が拍手をもって確認されました。次にレポート報告が、広島から生活保護申請の行政交渉、山形から福祉電話と介護加算について、東京の練馬区在障会はヘルパー制度の問題点について、また千葉から介護料の特別基準についての報告がなされた。
東京のヘルパー制度の問題点については、障害者をもつ家庭を援助するための制度で、障害者自身の政策としてあるのではないことが提起された。そしてヘルパーの意識の変革、ヘルパーの人員を増やすことの必要性が話された。
福祉電話獲得問題では、重度障害者の場合、介護者のウラづけが必要である。また大阪から、福祉法第二十条の団体助成金年間二百万を要求している闘いが報告されました。それと各々の問題で地域による制度の格差があることが話された。
各地域で行われている運動と情況を交流していく必要性が確認された。そして現在、生
p4
活小委員会でやっているように、それを進め今後、全国討論集会をもち、できるだけ早く厚生省交渉をもちたい。地域での障害者と健全者の関係や介護料、ヘルパー制度、福祉電話など、要求闘争を発展させ、厚生省につみあげていくことを確認しました。
第二分散会の報告をします。ここも基調報告を行い、その後障害者解放運動を行っている団体内部の健全者の障害者女性差別の問題をとりあげ話し合いを行ってほしいという提起を受けて、多くの時間を費した。これについては今後関東ブロックを中心に話し合って
第四回大会を終って
第四回東京大会関東実行委員会
委員長 八柳卓史
全障連第4回東京交流大会は、8月11〜12日、約2000名の全国各地で障害者差別と斗っている仲間を結集し成功裡のうちに閉会しました。
大会運営の不備にもかかわらず、たいした混乱もなかったことに対し、第4回大会関東実行委員会を代表して、大会参加者のみなさんに感謝いたします。
関東実行委は6月24日の結成集会以降、毎週水曜日の定例会、土曜日の街頭情宣活動を担い、大会準備のさまざまな活動を行ってきました。その中で、関東実行委の場を、たんに大会への動員のつなとしてではなく、大会を担うことが関東ブロックの強化、すなわち障害者解放運動の団結を作りあげることを目ざしました。具体的には、6・30〜7・2の金井康治君の花畑東小転校斗争に、関東実行委として参加したりしました。また、定例会での論議も、視覚・聴覚・肢体障害者の差別されている現状を互いにぶつけあい、他の障害者のおかれている状況をつかむことを、大会準備の事務的ことがらに優先して行ないました。特に手話、点字については基礎的な知識と歴史などの学んだりしてきました。このような形で実行委が行なわれたことは、いままで、なりがちだった、うけおい事務局会議的実行委ではなく、障害者みずからが、みずからの関係性を獲得し、創造していく実行委に、一歩前進したと自負しております。
大会当日の全体運営は、参加者の協力もあって、宿泊場所の分散した点などを除いて、まず順調にはこびました。しかし、点字については、今回は基調の点字製版ができず、平打であったため、圧倒的に部数がたりなくなったし、各分科会のレポートの点字版もほとんどの団体が作成していませんでした。手話通訳に関しても、一部の団体にたよりがちであり、今後、各団体、各ブロックでも、点字、手話学習会等を行い、点訳者、手話通訳者の獲得は早急になさねばなりません。
関東実行委は、大会終了後、大会の総括論議を行ない、関東ブロック定例会と学習会に実委全体で参加して行きました。その中で、これまで不充分であった、各分科会・各分野での討論の全体化を、ブロックで日常的に行なっています。これは、大会前の実委の討論で出てきたのですが、自分の出席していない分科会で話されている内容がわからないということから、関東ブロック内で、横断的に、さまざまな問題と斗いをお互いに討論しあっていこうとしています。例として、「なぜ、狭山、三里塚斗争に関るのか、あるいは関らないのか?」とか、「障害者にとって赤堀斗争はどのように斗かわれるのか?」といった問題、さらにもっと根源的には「障害者はどのように生きて行こうとするのか?」「障害者と健全者のかかわりはどう作るのか?」といった問題まで話し合い、これらの確認をつくり上げていく中で、関東ブロックの団結を強固なものにしていきたいと考えています。(校正者注:「第四大会〜考えています。」四角囲み)
p5
いくことで確認されました。次に石川青い芝の会から健全者と障害者の組織関係というテーマのレポート、大阪の門真障害者の会の報告を受け話された。
石川からは、健全者と障害者の関係について、障害者の位置(社会の優生能力主義、生産主義の中の)を健全者に提起し、そして、健全者は何をやっているのか追求する中で、関わりをつくること。門真障害者の会からは、介護料、介護人、ホームヘルパー、住宅問題単身者入居の問題が出された。次に大阪青い芝の会から在宅訪門活動を基盤として生活要求を受け入れていく提案がなされた。
その後、討論に入り、全障連生活小委員会を中心に、この秋厚生省闘争を行うことを確認し、これは国の障害差別行政を糾弾する斗いで、これまで障害者の隔離を行ってきた福祉政策を変え、地域での自立する障害者の要求を認めさせていく斗いであることを確認した。具体的要求にあげられたものを言うと、障害者自身の自由な判断で選択できる介護者の社会的保障、今のヘルパー制度ではヘルパーの増員、また男性ヘルパーなんかもとっていく。他には介護料の増額などがあげられた。そして今後、生活小委員会のあり方について反省をふまえ、秋の厚生省斗争をふまえて、これから、連絡体制を密にしていき、そしてこの大会の分科会に提起した団体を中心にして、連絡紙を作っていくことを確認した。
次いで、地域社会で自立生活を保障させる厚生省闘争をふまえ、全障連生活小委員会の今後の方針を提起したい。
1. 各地で生活に関してどの様な闘いが行なわれているのか情報集約する。
2. 生活の自立、介護の保障、年金など、どういう要求問題があるのか整理する。
3. 各地のとりくみの中で、地域住民への働きかけ、福祉労働者への働きかけを追求する。同時に、養護学校義務化阻止共闘会義に集う教師や多くの労働者に対し、ホームヘルパー年金、諸手当、収入認定、介護料特別基準のしめつけ、重度障害者の福祉手当うち切りなど地方自治体との闘いを追求し、共に闘うよう呼びかける。
以上の議論をふまえ、全障連が、これまでの不充分さを認識し、障害者の自立と解放をかちとる厚生省闘争を全国的とりくみとしていかなければならない。今大会での問題を徹底して、引き継ぐことが重要である。更にこの大会だけでは話しきれない事について、生活小委員会を中心として、生活小委員会の連絡紙の発行、事務局体制の強化、生活討論集会で討論を深め、生活問題での連絡を強くする。それをもって、この秋、厚生省闘争を行うことを確認しました。
第三分科会=教育(校正者注:「第三分科会=教育」太字)
教育分科会は三つに分けました。一つは、これからの文部省闘争の進め方、二つ目は、各地就学闘争、三つ目は各層の組織化ということで討論しました。
第一の文部省闘争では、非常に人数が少なくて、この問題については全障連の中でも十分総括しなければならないと思います。話されたことを四つにまとめてみたいと患います。まず第一に、文部省闘争の進め方では、組織での実践、就学闘争や障害者の自立といった下からの積み上げによって進めていく。これを受けた形で全障連が闘争を準備していく。下からの積み上げと全障連の方向が一つになった時、始めて大きな闘いが組めるというふうに考えるわけです。決して、全障連が単に定期的に文部省闘争を組んだとか下からの積み重ねだけで文部省闘争を考えるというだけでは決して大きな闘いは組めないということが話されました。
二番目には、組織を作っていく。特に教師
p6
の組織を強化していがなげればならないだろう。金井君の闘いを支援している中に教師が多くいるが、ここの組織を中心に、囲りに呼びかけ、あるいはここへの結集、あるいはここからの呼びかけに対して各地域で組織を作っていく。そういうふうにして日共の敵対をはね返していく。そして、組織強化を計っていかなければならないだろう。
三番目に文部省闘争の結集が、全障連大会への結集の一割にも満たない場合がある。その原因はどこにあるのか。討論の中では結論には至らなかったが全障連の中で十分に総括する必要がある。
次に東京の金井君のところで不当にも逮捕されるという事態が起ったわけですが、そこで裁判斗争が行なわれている。この裁判斗争をどう闘っていくのか。一つには、権力からかけられた攻撃を打ち破っていかなければならないだろう。そういう、仕かけられた攻撃に対してはあくまでも闘う。そして、この裁判の場を利用して我々の立場をキッチリ提起していく。そして、行政、権力を糾弾していくことが必要であろう。ただ、我々の側から裁判闘争を組んでいくことは今の段階であり得ないし、そういう闘いにはならないだろう。我々の闘いは、やはり実践をもって闘い、闘いの中に勝利の展望を作り得ると考えます。
この分科会では人数は少なかったが、以上のように実のある討論がなされました。それから、皆さんに訴えたいが、我々の闘いは終ったのではない。文部省が強行したから終ったというのではなく、我々の闘いはこれから始まるということを分科会の中ではっきりと確認しました。
次に第二分散会ですけれども、ここは各地就学闘争として行なわれたわけです。全障連でも金井、梅谷の就学闘争が行なわれていますが、その中でしっかりした運動を作っていかなければならないだろう。又、新しい運動を作り上げていく必要がある。それはもちろん、他の課題をそれぞれの運動を自分たちのものにしていきながら新しい運動を作っていく。梅谷、金井の闘いは地域の子供たちとの生活があって始めて勝利が見える。地域の子供たちとの関係が必ずいるという形での闘いがこれから行なわれていく。とりわけ、梅谷さんの所ですが、学校外で「尚司君と遊ぼう会」が作られていますが、こういう形で子供たちの組織を作っていくことが必要だろう。ここでは学校側が「そういう会には行ってはいけない」と生徒を行かせないという状況があるようですけれども、あくまでも、こういう子供たちのグループが必要だと思います。康治君の場合も子供たちで介護し合う関係を作っていく必要があるだろうということが話されました。
次に第三分散会ですけれども、ここは二つに分けて行なわれました。まず第一ですが、ここでは地域での運動を強化する必要があるだろう。今行なわれている就学闘争、新たに作り出される就学闘争を強化する必要があるだろうと。今、教育だけを中心にして義務化阻止闘争が闘われているわけですが、もう少し政治的な面でも考えていかなければならないだろう。もっと、そういう法律、あるいは生活等全ゆる面で義務化の問題を考えていかなければならないだろうと思います。
次に第二ですが、レポートとしては尼崎、大阪の西成高校、東京の西多摩という所から出された。基本的な確認としては「選択権」ということが言われているが、この「選択権」は個人の問題として考えられるのではないか。それに対して、「選択権」という場合、総合教育、普通教育を保障するということで考えていくということだと思います。「選択権」というふうに固定化した場合、結局個人に限定されてしまうと言える。
次に高校入学の場合に、選択制度があって障害児を高校へ入れていくことがこのままではできないとの発言がなされた。
解放教育、保育研究会を全障連が提起して
p7
いるわけですが、特にこういう組織作りを強化していかなければならないという確認を行なっています。
第四分科会=労働(校正者注:「第四分科会=労働」太字)
第一、第二の二つに分けて行なわれました。
第一は、だいたいにおいて軽度障害者の労動権奪還についての分科会です。レポートとしては、レポート集の他に大久保製ビン、東京の遠藤さん、片平闘争を支援する会から、それと鹿児島からの問題提起がありました。一日目はレポートの提起と問題提起で終りました。
全障連第四回東京交流大会宣言
政府、支配者階級による障害者への差別分断・隔離・抹殺の攻撃は日々強まっている。
今年の四月、多くの反対の声をよそに養護学校義務化を強行した政府―文部省は、各地の教育委員会を使って、就学闘争つぶしと健診・就学指導等の選別体制の強化にやっきとなっている。そこには「ゆとりある教育」などとは裏はらに、能力主義的再編の意図が露骨に示されている。
一方、すでに二六年目の獄中生活を強いられている赤堀政夫さんの第四次再審請求棄却―死刑執行、獄死攻撃の策動も強められ、とりわけ監獄法改悪をテコとした獄中弾圧の中には権力の「じゃま者」抹殺の意図が明らかにうかがえる。
又、厚生省も「年金見直し」や実態調査の強行、東京都が重度手当打ち切りをつらつかせるといった。障害者切り捨て攻撃の激化もすざましい。これら一連の政策を通して軽度と重度、「従順な者」と闘う者というように、障害者に対する差別・抑圧・分断の姿勢をはっきりとみてとることができる。
このように私たちをとりまく情勢は厳しさを増しているが、こうした中にあって私たちは、いま第四回交流大会を圧倒的成功のうちにかちとり、新たな決意をもって八
○しろまる年代の障害者解放運動の発展を期すべく、ここに次の諸点を確認するものである。
一、私たちは盲・ろう・養護学校義務制を粉砕し、すべての障害児が校区の普通学級に入学し差別なく学習を保障されるよう闘う。
一、障害者解放闘争としての赤堀闘争を更に発展させ第四次再審闘争に勝利して一口も早く無実の赤堀さんを私たちの手にとりもどすために闘うと共に、刑法―監獄法の改悪・保安処分の新設に反対して闘う。
一、実態調査の強行、福祉切り捨て等、障害者の自立生活を否定する諸政策を糾弾し、地域の障害者や親と共に自立生活を保障させる具体的要求をかかげ闘う。
一、融和主義の本質を暴露し、融和主義者の敵対を粉砕するために闘う。
一、強められる新たな差別攻撃に対し、障害者解放の道すじを明らかにし、全障連の組織体制を確立強化し、八〇年代における勝利の展望を切り開くために全力をあげて闘う。
以上、大会参加一同の決意をもって宣言する。
一九七九年八月一二日(校正者注「全障連第四回〜八月一二日」四角囲み)
p8
二日目に入って基調報告にもあるように、労働小委員会をもって運動の強化を考える必要があるということが話されたわけですが、片平さんから障害者に対しては、賃金や年休の労働条件について、又健全者に対しては職場に障害者がいるかどうかの質問が出され、これは全ての人に聞くわけにいかず二〜三人の人に答えてもらった。先に言った様に、労働小委員会をどうやって作っていくのかの論議にだいたい終始したわけですが、地域で障害者の就労の場合、職安があるけれども障害者の就職についてはほとんどやっていないということです。又、公職員試験では岡山などで障害者採用試験、これは雇用率をとる為の試験ですが改正されたが、それの一・九〜一・八%とした低い雇用率の問題、あるいは重度障害者の場合に「一名で二名の雇用とする%を上げる制度です。
労働小委員会を作っていく場合、労災、職業病など中途障害者の問題をとりあげる必要があるだろう。
労働小委員会は単に障害者の情報収集、交流の場ではなくて、様々な闘いに対して支援連帯していく運動をしていく。又、障害者だけの労働小委員会ではなく健全者にも開かれた小委員会が出された。積極的に労働小委員会を作って運動をやっていくことが確認され
「全障連各地方ブロック幹事」
●くろまる東北ブロック
富山 哲夫 宮城「障害者」解放研究会
梅津 政一 山形「障害者」問題公開講座
島崎由美子 福島障害者解放研究会
●くろまる関東ブロック
八木下浩一 川口「障害者の生きる場」をつくる会
荒木 義昭 関東「障害者」解放連絡会議
猪野千代子 「障害者」の足を奪い返す会
○しろまる北陸プロック
平井誠一郎 富山青い芝の会
大塚 和子 石川青い芝の会
間 定子 外へ出よう会
○しろまる東海ブロック
戸田 二郎 岐阜障害者解放研究会
○しろまる関東ブロック
楠 敏夫 関西「障害者」解放委員会
大島 秀雄 〃
西岡 務
○しろまる中四国ブロック
中川一二三 岡山障害者解放委員会
三原 正士 徳島障害者の生活と権利を守る会
「全障連全国役員及び事務局」
代表幹事 八木下浩一(関東ブロック)
副幹事 中川一二三(中四国ブロック)
荒木 義昭(関東ブロック)
事務局長 楠 敏夫(関西ブロック)
次長 富山 哲夫(東北ブロック)
* * *
全国事務局 東北ブロック(事務所―仙台)
全国出版部 関西ブロック(事務所―大阪) (校正者注:「全障連〜―大阪)」四角囲み)
た。
第二分散会。今回始めて共同作業所に関する分散会をもった。レポートはなかったが、各地の共同作業所の情況報告がなされた。一つは大阪のワークメイツ、これは重度障害者による共同作業所の建設の試みです。大阪の解放作業所。国分寺の作業所作り、これは廃品回収とか様々なことをしている共同作業所徳島での養豚を中心とした農業作りを進めている作業所作り。また多くが印刷を中心とする作業所、名古屋にワッパの共同作業所が作られて、七〜八年になるが地域における活動を中心に、名古屋のカンガルーはワッパから離れて皮製品の販売を中心にやっている。
p9
そして、今后、今大会をきっかけとして、交流を深め、共同作業所内の連帯を作っていくことを確認しました。
第五分科会=施設(校正者注:「第五分科会=施設」太字)
第一、第二、第三と三つの分散会をもって討論してきました。
その中で各分数会の討論が同様の内容を持ってきたことで、二日目の昼から合同で討論を行ないました。
内容としては、福祉施設の中の障害者の意見が少なかったので施設の中の障害者はもっと施設に対する告発をしていかなけれはならないこと、福祉労働者の参加は多かったが発言が少数者にかぎられていて、甲山学園、福田会、不二愛育園の斗いがだいたい報告されただけだったので、もっと多くの斗争、実践の報告がほしかったことなどがあげられます。
また、討論を通して、まだ障害者と福祉労働者の共斗した斗いは組めていない、施設内での障害者からの要求が充分でない、福祉労働者の多くは障害者に対して抑圧する側にまわっているなどの現状があきらかにされました。
しかし、今大会において福祉施設はすべて解体されなくてはならないという考え方ではなく、障害者があたりまえに生きるため、地域においてであろうが施設においてであろうが、それぞれの場所において立ち上がる必要があるという考え万が出された。また、多くの福祉労働者が職場において何をなすべきか把握しきれていないので、右往左往している現状だが、福祉労働者が一人からでも立ち上がり、斗う中でのみ労働者と障害者の連帯は考えられます。
福田会、甲山学園の斗いは支援共、関西社会福祉共闘のバックアップで大きく前進しています。福祉施設の斗いはこのような地域闘争があってこそなりたつものです。施設の障害者と福祉労働者が連帯して闘っていくことが、まだまだなされていない中で、どう連帯していくのかを、どちらからも出しきれていないが、障害者の方からは、施設の中で抑圧されている現状が出されそれがあまりにも大きく、福祉労働者の斗いとの連帯については具体的に出ませんでした。
第六分科会=赤堀闘争(校正者注:「第六分科会=赤堀闘争」太字)
まず、赤堀分科会について報告の前に、司会担当者としての感想ですが、全体的には分科会参加者が圧倒的に多かったようです。昨年の大会と比べると、まだ障害者自身の結集は若干弱いようですが、労働者の参加者が、かなり増えたようです。それと、論議は非常に活発だったんですが、十分に時間がなくて討議ができきれなかったことが少し残念でした。
それでは第六分科会のまとめを行いたいと思います。まず基調提起を行ない、レポート提起を全障連関西ブロック赤堀小委、岡山「障」解委、岐阜の厚見中学校放火事件に於る「聴覚S」に対するデッチ上げ攻撃と斗っている本人、小笠原氏と支援の方、そして宮城「障」解研より受け、その後、他の団体、個人からの問題提起をうけ、討論に入りました。特に問題提起の中では赤堀さんの「自白調書」にふれ、このデッチあげ「自白調書」自身を再考、徹底して見直し、全国各地で「自白」通りに実験することを含めて、この差別性、デッテ上げの事実、そして決して赤堀さんは「犯人」ではないことをあばき出し、再審斗争の中で裁判所につきつけていくことが出され、論議が集中しました。そして全体で赤堀斗争、島田事件について学習会、実調等を組織化し、裁判斗争の方針として煮つめ上げていこうということが確認されました。
全体のまとめとして、第一に赤堀斗争を全障連の全国統一斗争として更に発展させる。そして第二に障害者解放斗争としての赤堀斗争として障害者を軸に斗い抜き深化させてい
p10
く。第三に各地に於る「病者」障害者健全者の三者北斗を日常化、実態化させていく。第四に、そうした斗いを発展させていくものとして、赤堀中斗委の結成をふまえ、中斗委体制を強化させていくということです。
更に赤堀斗争―障害者解放斗争を全ゆる人民との共同斗争として発展させていく為にもとりわけ被差別大衆との結びつきが必要であり、権力の障害者殺し、差別によるデッチ上げを許さず共に対決していかなければならない。これは、昨日の全体会でも提起された聴覚障害者小笠原さんに対するデッチ上げ攻撃にもみられる様に、こうした差別に基くデッチ上げを許さず、日常的地域的な「病者」障害者の支援、防衛体制の強化としても打ち立てることがせまられているだろうと思います。同蒔に、それは、この間の名古屋に於る「病者」集団の斗う仲間に対する厳しい権力の弾圧の中に表われている様に、権力の介入弾圧は「病者」一人一人の弾圧と斗いそのものを圧殺するものとしてあり、各地域に於る支援体制の強化を抜きにして、赤堀斗争そのものの発展もないだろうと思います。
以上、分科会の集約と報告にかえたいと思います。
全障連の事務所が三つになりました
◎にじゅうまる全国事務局の移転と新全国事務所の設置
全障連全国事務局/全障連東北ブロック事務所の設置案内
仙台市小田原二丁目二−四三 佐幸ビル四〇三号 TEL〇二二二−九五−八四九八
地図省略
◎にじゅうまる全障連関東ブロック事務所の設置案内
東京都豊島区巣鴨三丁目三四番三号
ワラワーコーポ 三〇三号
TEL〇三−九一八−八五七二
地図省略
◎にじゅうまる全障連全国出版部/全障連関西ブロック事務所はこれまで通り
大阪市城東区新喜多二丁目一−九
TEL〇六−九三四−〇一二九
◎にじゅうまる全障連各ブロック連絡先
北陸ブロック
富山市太郎丸町一〇六−二 平井誠一郎方
TEL〇七六四−二一−九三八九
東海ブロック
岐阜県羽島群笠松町円城寺六〇〇 戸田方
TEL〇五八三八−八−一八六四
中四国ブロック
岡山市中央郵便局私書箱四号 岡山障害者解放委員会あて
TEL〇八六四−七三−四七〇七(笠原) (校正者注:「全障連〜(笠原)」四角囲み)
p11
11・25
赤堀差別裁判糾弾闘争を障害者解放闘争としてうち固め、赤堀さんを生きて奪い返す
全国総決起集会に結集しょう!
全障連赤堀小委員会
「障害者」の自立と解放を目指して斗う仲間の皆さん!
来る11月25日、赤堀全国斗争への総結集を呼びかけます。赤堀中央斗争委員会では、来る11・25赤堀全国斗争を、まず何よりも無実の「死刑囚」赤堀政夫さんへの獄死、抗告棄却・死刑執行攻撃を絶対に許さず、赤堀斗争を「障害者」解放斗争として更に前進させていくものとして、昨年11・26我々全障連、全国「精神病」者集団を軸に結成してきた赤堀中斗委の意議について確認し、全国総結集の斗いとして設定しました。
赤堀さんは、獄中生活26年目を向えている今日、厳しい弾圧の中で、なお不屈に無実を叫び続け、かつ我々「障害者」に対しては日々、「一致ダンケツシテタタカウヨウニ」「皆仲ヨク、タスケアッテガンバルヨウ」に、そして「健全者」に対しては「障害者ヲ支エソシテ、タスケルヨウニ」訴えかけています。この赤堀さんの叫びの中に、私たちは彼が差別故に懲役26年もの永きにわたる獄中生舌を強いられている怒りと、シャバの私たち「障害者」「病者」も同じように差別によって苦しめられている、皆死に追いやられようとしていることを同じ運命存在として団結して斗おうとしていることを痛感できます。「死ンデモ死ニキレナイ」という赤堀さんの言葉の中に、彼の憎みでも余りある差別への怒り、生命をかけた不屈の斗いの重さを我々はしっかりと受け収めなければいけない!絶対に赤堀さんを殺してはいけない!くやしい時、悲しい時、「死ンデモ死ニキレナイ」差別への怒りの中で、日々赤堀さんのことを思い起こし斗おう!
差別裁判の本質を見抜き学習しょう!
赤堀さんは「通常(差別!)の社会生活に適応できない」からと今殺されようとしている。77年3月11日静岡地裁は赤堀さんの無実を百も承知で、第四次再審請求でつきつけた全ての無実の証しを陰ペイし、握りつぶして「精薄の赤堀のいうことはあてにならない」「自白」の矛盾(犯行順序の食い違い等)を認めながらもそれは「赤堀の記憶ちがい」「殺ったという大筋においては間違いない」とまさしく、ただただ「赤堀=精薄=殺人犯」
p12
という差別に基いてのみ節四次再審請求の棄却決定を打ち下したのだ。まさしく裁判所は国家権力の意志として公然と「障害者」差別―虐殺を宣言したのだ。この赤堀さんへの攻撃を許しておけようか!赤堀さんの運命―「じゃま者」「役立たず」「危険な者」として殺されようとしている存在―の中に我々「障害者」の運命をすえきり、抗告棄却―死刑執行を絶対に許すことなく斗わなければならない。11・25の斗いをまずこのことをしっかりと確認して、差別され、虐げられ、殺されてきた我々の多くの仲間の憎しみと怒りをひめて結集し、政府―法務省、高裁にたたきつけよう!
障害者解放運動として中闘委を強化しょう!
そして、第二に昨年11・26赤堀中央斗争委員会の結成の意義を一人一人がしっかりとふまえて、赤堀斗争を「障害者」解放斗争として発展させ、更なる中斗委体制の強化を勝ち取ろう!生活そのものは困難だ!斗うことも決して容易なことではない!共生北斗の思想で斗う「健全者」の仲間もまだまだ十分にかく得できない!しかしだまって殺されるわけにはいかない!赤堀さんを見殺しにはできない!赤堀さんは全ての「病者」「障害者」の運命を背負って不屈に斗い抜いている!その赤堀さんの斗いに応え赤堀斗争を「障害者」解放斗争として前進させる為に一人でも多くの「障害者」の仲間を組織して、11・25斗争に総結集しよう!
赤堀中斗委の結成は、「病者」「障害者」が軸になって斗わない限り、「障害者」解放の斗いとして前進することはできないものとして勝ち取られた。「赤堀さんを殺して私たちの明日はない」と全ての「精神病者」の日常の差別の現実の苦悩と怒りを引きさげて斗う全国「精神病者」集団と共に、我々全障連も斗い抜くことを宣言し共に中斗委結成を勝ち取った。赤堀さんがデッチ上げ逮捕―裁判―「死刑判決」をかけられている攻撃は国家権力の「障害者」抹殺の意図が追及されているこは当然のことながら、しかし、それを支えているの誰か!差別主義、同情、隔和主義に満々たこの社会であり、家族や斗う労働者を含めた「健全者」の差別意識だ。赤堀さんも、誰一人彼の無実の叫びに対して、悪らつな権力のごまかしに対して手をさし述べることも防衛することもなく、そればかりか権力の「精神障害者」差別煽動に屈服し、彼をゆずり渡してきた。我々もそうした予断と扁見、厳しい差別の中で今斗い抜いており、斗いの中ですら切り拾てられ、差別されてきた。我々は赤堀斗争を「障害者」解放斗争として発展させる為には、差別抜き、「障害者」抜きの権力への斗いではなく、その内実こそを問うてきた。
真に赤堀斗争を斗う「健全者」一人一人が日常的介護の問題、家族や其他の問題を含めて「障害者」の24時間の生活領域に渡って格斗してきたのか!斗いの困難さ、日々の「障害者」の思いをみてきたのか!それ抜きに決して団結は作れないし、第二、第三の赤堀さんを生み出さないような斗い!「障害者」「健全者」の共斗関係も築き上げることはできない。赤堀中斗委の結成は、まさにそうしたこれまでの斗いを突破して、厳しい差別、抑圧状況にありながらも「病者」「障害者」が主体となって赤堀斗争を「障害者」解放斗争として斗うべく結成された。同時に、「病者」「障害者」が差別分断を突破して団結しそれぞれの苦斗に対して助け合い共有し合って、赤堀さんの命を我ものとしてふまえながら、圧倒的な「病者」「障害者」の堀り起こしを行なっていく。この団結を軸にして全ての斗う「健全者」に共生共斗を突きつけ、権力の「障害者」殺しの攻撃に打って一丸とな
p13
って対決し、共に地域社会そのものの差別、排除を許さない斗いを生み出していくものとしてあった。このことをはっきりと確認して更なる中斗委体制の強化を共に勝ち取ろう。
障害者差別に基づくデッチ上げ逮捕を許さず共に闘おう!
赤堀さんと同じく、現実的にも多くの「障害者」の仲間が差別によって権力に捕われデッチ上げられている。その一人が「厚見中学放火事件」の「犯人」としてデッチ上げられている「聴覚障害者」小笠原氏である。差別の結果、十分な教育も受けられず、職につくことも困難な「障害者」をだまし卑劣な手段でもって「犯人」にデッチ上げ、一生を「犯人」として葬り去っていく権力の手は常に我々の身の回りにおそいかかってくるのだ。
小笠原氏への「放火犯」デッチ上げ攻撃を赤堀斗争と共に斗おう!
77年2月21日末明、岐阜市立厚見中学校が放火によって校舎一棟の3分の1を焼失するという事件が起きた。23日岐阜南警察署へ刑事三名が来て同行させられ、窃盗一件について取り調べを受け、「やった」ことを認めた。取り調べは三時頃に終り、それから何と114日の長期に渡って拘留されたのだ。小笠原氏はそこで、無理矢理認めさせられたものも含めて窃盗20数件を自供していった。権力は4月18日より放火についての取り調べを行ない、心あたりもなく当然の事として否認する彼に筋書きを用意し「早くしゃべれ裁判は2・3回で終る。釈放されたら仕事の世話をしてやる。しゃべらないといつまでも取調べるぞ」「裁判の時、供述調書と違ったことを言えば裁判が長びくだけだ」とだまし、たばこを吸わせたり、わざわざ留置場から外に出し喫茶店に連れていったり、彼の弱みにつけ込んで「犯人」に仕立て上げたのだ。しかも弁護通訳者をつけるのは供述調書を作る時だけであり、逮捕当時も警察は勝手に作る「事実書」「供述調書」取調ベメモの内容も文章も理解できず、ただ言われた通りに署名捺印するという全く不利な状態にたたき込まれていた。
まさに「障害者」差別をもって権力は小笠原氏を「放火犯」に仕立て上げていったのだ。しかし、彼は、公判が続く中で、権力のごまかしを見抜き、5回公判より否認を開始し、79年2月判決に於ては「放火については無罪、窃盗については懲役二年、執行猶予二年」を受けた。にもかかわらず、権力は何としても彼を「犯人」にすべく名古屋高裁に抗告申立をするという。許しがたい暴挙に出ている。そもそも、この逮浦―裁判の全過程には、77年11月の終り頃に弁護士より裁判資料の差し入れがあるまで、自分がデッテ上げられているという不利な状況すらわからなくさせられていた程、「聴覚障害者」への差別が貫かれていた。このことに対し彼は今、怒りに満ち満ちて断固として斗い抜いている。こうした小笠原氏の斗いに対して、赤堀斗争を第二、第三の赤堀さんを生み出さない斗い、現実の権力の差別デッチ上げ攻撃に対決していくものとして、結合させて共に斗い抜こう!
写真省略(校正者注:全障連大会の様子)
p14
ビッグコミックオリジナル糾弾の闘い
経過報告
全障連関東ブロック事務局
全障連関東ブロックは、10月28日、ビックコミックオリジナル糾弾集会を約50名の結集でおこなった。
私達全障連関東ブロックは、ビックコミックオリジナル第17号(小学館発行9月5日号)「夜光虫100話=児心音異常』が発行された時、この劇画には、重大な障害者差別が存在している為、ただちに全障連としてビックコミックオリジナルに抗議をおこなった。
ビックコミックオリジナルとは、7回に渡って確認会をおこなってきた。そのなかで、ビックコミックオリジナル側は、私達全障連が要求してきた?@障害者差別を助長する9月5日号の全面回収?A原作者及び劇画家との話し合い?Bビックコミックオリジナルに謝罪文の掲載の以上3点を形の上では「誠意」をもって対応して来ているように見える。しかし、7回に渡る確認会のなかでも、何ぜこの様な劇画を製作し100号記念として大々的な宣伝までして出したのかと言う。私達の当然の質問に即しては、ただただ『申しわけない』『反省しています』を繰り返すのみであった。
私達全障連関東ブロックは、10月28日の糾弾集会に向けて次の2点のことを追及していくことを確認してきた。?@100号記念である「児心音異常」の編集にあたり原作者及び編集部では、どのような話し合いがなされていたのか、?A障害者に対する視点がたりなかったと反省していると言っているが、何を自己批判するのか、結局「障害者は役にたたない」「やっかいもの」としてとらえているところに原因があるのだ。
糾弾集会では、こうした私達の追及に対し内容そのものには極力ふれようとせず、「差別であるとわかったからこそ、私達の要求に対してもあらゆる労力をおしまず誠意をもってやって来た」といなおるありさまでした。
私達は、ビックコミックオリジナル糾弾斗争を斗って来たなかで考えなければならないことは率直に言って、形の上ではビックコミックオリジナルに社会的責任(具体的には、全障連が要求した3点である)については一定勝ち取ったことを評価できる。しかし、問題は、糾弾斗争として斗って来た私達障害者の主体的取りくみの問題である。このことは、ただ単に糾弾集会を開くとか、あるいは抗議行動をおこなっていくと言うことではなく、私達障害者が何を怒り、何を糾弾していくのかが非常に弱かったのではないか。糾弾斗争とは、被差別者が不当な差別をおこなわれること、もしくは不利益をこうむることに対し自らの命をかけても差別者に対し非妥協的に斗っていくことである。
私達関東ブロックは、ビックコミック糾弾斗争がこれで終ったたわけでは決してなく、糾弾集会のなかでも確認した障害者の側にたった劇画の作成を、単に謝罪の意味だけで出すと言うことを許さず、障害者と接し、共に生活を共有すると言う立場でビックコミックオリジナルにかかわらせなければならない。
ビックコミックオリジナル糾弾斗争は、これからも多発化してくるであろう障害者抹殺攻撃に対して、私達障害者の糾弾行動の第一歩であった。
資料?@
障害児殺しは現実に行なわれている!
全障連全国代表幹事 八木下浩一
p15
小学館の出しているマンガ雑誌、ビックコミックオリジナルの中で「夜光虫」という連載マンガの一〇〇号記念に障害者を題材として、障害児が医者によって殺されるストーリーがててきます。
私達、全障連はすぐ小学館に抗議に行きました。なぜ、私達はこのマンガが障害者差別なのかを糾弾しに行ったのでしょうか。
障害児・者は「生きていたらジャマな存在」としてあります。戦後、三十五年間、障害者が殺されてきました。私達が調べた、朝日、読売、毎日の新聞記事でも、年間三〇〇件くらい障害者殺し、親子心中がありました。
この「夜光虫・児心音異常」では、親が苦しいから、障害児が殺されてもやもうえないという形で、作家と編集部によって当然のように語られています。
私達は決して障害者を題材として作ったのが悪いとか言っているわけではありません。
歴史的に見れば、江戸時代、明治時代「間引き」の対象として障害者があったことは事実です。いまも巧妙な形で障害児が殺されてきています。親子心中とか障害者が親に穀されている事件は氷山の一角にすぎません。
その中で、このマンガのように「やっかい者」と、だから医者が母親の苦労を感じて、殺すということは、現実にもあったことです。私達が住んでいる埼玉でも、ある医者が生まれたばかりの障害児にビニール袋を首にかぶせて、ちっ息させた事件がありました。それは新聞にも、テレビにも報道されずに、関係者以外はだれも知りませんでした。このような事件は埼玉県だけではありません、全国的にあります。
障害者としては、どんなに寝たきりでも、「植物人間」といわれても、力によって殺されることはあってはなりません。このマンガは、いかに親がかわいそうか、医者がさも良いことをしたか、おもしろおかしく書かれています。ビッグコミックは数十万の読者が見ており、子供から、年寄りまで様々な人達が障害者が殺されていくことを当然なこととして受けとめてしまいます。この社会的影響力は絶対に許すことはできません。このようなマンガを書き、発行した作者、及びビッグコミックオリジナル編集部に対し、糾弾し、地域で障害者みずから生きる世の中を作っていこうではありませんか。 (校正者注:「資料?@〜ありませんか」四角囲み)
大阪糾弾集会の報告
大阪では、十月十四日に主催:大阪青い芝の会、共催:全障連関西ブロック、尚司君の富中入学を実現し、みんなで教育を考える会誰でも乗れる地下鉄をつくる会、大阪グループゴリラ、リボン社で、約二〇〇名の結集により、東淀川勤労者センターで行なわれた。
小学館の差別図書糾弾は「ピノキオ」の編集姿勢に次いで二度目だが、彼らは始めから糾弾される内容に対する答えを一言一句まで準備して、それをだらだらとしゃべりまくるそれは現実の障害者差別の実態には少しも迫ろうとするものではなかった。それに対し、参加した障害者から、実態告発のするどい追求がなされた。あるいは障害者差別と開運して、医療差別、医療問題、女性差別が奥に流れていることも出された。
しめくくりとしては、?@小学館全体の責任であること ?A小学館、オリジナル編集者、関係者の差別意識と企画編集姿勢の変革 ?Bオリジナルに今後障害者差別を許さない立場での劇画を企画編集すること、の三点をつきつけ、関東からの報告と同様の確認を行った。
p16
資料?A
全障連からの公開質問書
ビッグコミックオリジナルへ見解を求める!
私達、全障連(全国障害者解放運動連絡会議)は、三年前に障害者の自立と解放に向けて結成した団体です。
さて、ビックコミックオリジナル第17号(9月5日号)に掲職された「夜光虫第100話=児心音異常」は、内容に重大な障害者差別が存在しています。なぜならば、物語りのなかで殺される側の障害児の存在をぬきにして、「障害児の子供が生れなかったら幸せでいられたのに」「夫婦にとって障害児は、重荷でしかない」等々、終始、障害者を、あってはならない存在であるという主張がなされています。そして、最後は、障害児を抹殺すると言う結論を引き出しています。この問題は、単にフィクションの劇画のなかでのことではすますことはできません。いやむしろ「障害者は役にたたない」「やっかい者」「施設にでも入れ」と言う社会的風潮を隔離=抹殺へと助長するものであると考え、私達、全障連は、障害者差別を助長する劇画を掲載したビッグコミックオリジナルに対し強く抗議をするとともに、この問題を正しく解決するために次の三点を要求いたします。
一、障害者差別を助長する9月5日号を早急に回収して下さい。
二、この問題を通り一辺の「反省しています」と言うことに終らせるのではなく、原作者、柿沼宏氏及び、構成画、篠原とおる氏と私達との話し合いの機会を作っていただきたい。
三、ビックコミックに謝罪文を掲載するとともに、今後、この様なことがないよう編集活動をおこなっていただきたい。
以上の三点を、ビックコミックオリジナルとして誠意ある回答を早急に御願いします。
一九七九年八月
全国障害者解放運動連絡会議
代表幹事 八木下 浩一 (校正者注:「資料?A〜浩一」四角囲み)
資料?B
ビックコミックからの回答書
先日は、ビックコミックオリジナル第17号「夜光虫」の内容に関し貴重なご意見をいただく機会を得、私ども編集部は大変感謝いたしております。
障害者問題に対する十分な認識を欠いたまま、企画を押し進めかかる事態を招来せしめた私どもの責任はたんなるおわびや反省のことばでは消しさることができないほど重大だと考えております。私どもは、今回を出発点として障害者問題についての正確な学習と研究を常にもち将来ふたたびあやまちのないよう努力をつづけてまいる所存です。
先日の会合にて、私どもが回答を裕余していただいた諸点につき、本日おこたえしたいと存じます。結論の出ているものと、ご相談申しあげたいものとがございますが、合わせてつぎにご提示いたします。
記
一、該当誌の全面回収について
前回お伝えいたしました通り、8月23日より書店残品の回収を進めてまいりましたが、9月5日現在で45,000部回収されております。この回収の徹底を一層はかるため読者からの回収も行うことに決定いたしました。細目は検討中ですができる限り効果的な方法で、全面的に回収したいと考えます。回収についての読者への告知は、ビックコミックオリジナル20号にて行う予定です。
二、謝罪文の全国紙掲載について
謝罪文をビッグコミックオリジナル19号(9月18日発売)に掲載する点はすでにお伝えいたしましたが問題の重大性を考慮し、更につぎのように新聞紙上に掲載することを決定いたしました。
p17
掲載紙 朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、サンケイ新聞
掲載日 昭和五十四年 九月十八日朝刊
三、討論会、集会等への関係者の出席について
各方面から関係者全員出席の集会開催の要求をいただいておりますが、基本的には集会の出席については、前向きにとりくんでいきたいと考えます。今回の問題発生の原因はビッグコミックオリジナル編集部及び小学館に全面的にあると考え、集会は学習的内容として、私ども小学館の関係編集者が多数参加できるよう、合同集会を東京と大阪で開催する方法をご検討いただけないかと考えます。
なお、原作者柿沼宏氏からは、病状悪化のため療養に専念したい旨の申し出があり「夜光虫」の連載があやぶまれる状況となっております。編集部といたしましては、この問題に対する小学館の責任、作者の病状と反省等を考えて、この際「夜光虫」の連載を20号(10月2日発売)にて中止すべきであるという結論に達しております。かかる状況でありますので柿沼宏氏の前記集会への参加出席は何とぞおゆるしいただきたいと考えます。
以上、私どもの反省の上に立った諸決定をご報告申しあげました。集会の開催などなおご相談を続けさせていただきたい点もございますが、何とぞ右回答を、ご了承いただけますようお願い申しあげます。
昭和五十四年九月十日
小学館ビッグコミックオリジナル編集部
全国障害者解放運動連絡会議
代表幹事 八木下 浩一 殿 (校正者注:「資料?〜浩一殿」四角囲み)
資料?C
回答書
前回(9月10日)の会合にて、ご要求のあった諸点につき、本日つぎの通り回答いたします。
一、ビックコミックオリジナル回収について
・回収方法―読者より当該誌を郵送していただき編集部からお礼として特製ネクタイ止め及び郵送料を返送する。
・告知方法―ビックオリジナル20号「夜光虫」記事中に「回収のおねがい」を掲載する。
・その他の回収―右の郵送による方法以外に本社(東京)北海道支社(札幌)関西支社(大阪)九州支社(福岡)の店頭においても読者からの直接回収に応じます。
二、関係者出席の集会について
集会の細目につき早急に協議いたしたいと思います。私どもとしては、日時、場所をつぎのように設定したいと思いますのでご検討をお願いいたします。
日時 九月二十五日 午後6時〜
場所 小学館5階講堂
三、謝罪文の掲載について
すでにお伝えした通り、本日(九月十八日)ビッグコミックオリジナル19号及び朝日、読売、毎日、サンケイの各紙全国版に掲載いたしました。
20号に掲載予定の記事原稿については編集部で別稿の通り修正いたしましたので、ご検討ください。
四、将来の作品制作について
障害者の立場にたった作品の制作については、作者編集者ともども十分な研究と学習ののち取材のご協力も得たうえで、企画を進めたいと考えます。
「夜光虫」の連載中止の件は、作者から病状の悪化と反省を理由に中止の申出があり編集部としてはやむを得ず中止を決断したものです。
以上、四点、回答申し上げました。何とぞご了承いただけますようお願いいたします。 (校正者注:「資料?C〜いたします。」四角囲み)
p18
盲・ろう・養護学校義務制粉砕!
文部省糾弾闘争を継続させ
金井(東京)梅谷(奈良)就学闘争を勝利させよう!
全障連教育小委員会
十一月四・五日文部省斗争に勝利して
<八十年代の障害者解放斗争の突破口をきりひらく>
文部省は、昨年十一月十五日の我々との交渉において今年一月の交渉を約束しておきながら、その時になると不当にも交渉団三人、交渉時間三十分という許しがたい条件を出してきた。私達はこれが、文部省側の交渉拒否するためのもくろみであることをみぬき、それを粉砕するために障害者運動史上、かつてなかった、あの一週間の大斗争を展開したのである。しかし、こうした障害者を先頭とする生々しい声にすら耳を傾けようとしない文部省は、その后も我々の再三の交渉再開の申し入れに対してもがん強にそれを拒み続けている。彼らは、自らの責任を一切おおいかくして我々に対して一方的に「一月の暴力行為について謝罪せよ」などとごうまんな態度にでてきている。我々に対して暴力を用いたのは、むしろ文部省職員や警察権力ではなかったのか。今回の十一月五日の文部省斗争は、こうした文部省の居直りを障害者を先頭とする大衆的な力によって包囲糾弾し、波らを我々の前に引き出すために斗われたものであった。
五日の斗いの意志統一をはかるべく、我々はまず、四日午后一時から東京学芸大学の校舎において、三百人の仲間の結集によって、総決起集会を行なった。集会の冒頭、あいさつに立った代表幹事の八木下氏は「我々にはもっと地域での斗いが必要だが、それと同時に文部省の攻撃に対しても正面から斗いをいどんでいこう」と力強く呼びかけ、全障連としての新たな決意を表明した。続いて、無実の死刑囚である赤堀政夫さんをとりもどすために我々と共に斗っている全国「病者」集団からのアピールがあり、その中では特に「地域での日常的共斗を克ち取ろう」という提起がなされた。次に、狭山中央斗争本部からのメッセージ、更には、三里塚空港反対同盟の婦人行動隊長からの「三里塚の地においても、障害者との関わりをつくっていきたい」という決意がのべられ、三里塚斗争への決起が呼びかけられた。ひきつづき、東京の金井康治君奈良の梅谷尚司くんの両お母さんからの斗いの報告と決意がのべられ、さらに、仙台の獄中からの赤堀政夫さんからの熱烈な連帯のアピールを全体の圧倒的な拍手で確認した。
次に提起された基調報告では義務化実施後の情勢と今後の斗いの方向性について提起された。まず、情動においては、義務化が教育の反動化と一体のものとして進められ、しかも表面上の理由である障害児の教育権保障と
p19
は裏腹に訪門教育指導によって今年四月入学の障害児の半分近くを家に閉じ込め、また、半分近くを強制的に地域の学校から養護学校へもどしている実態。更には、文部省が十ケ年計画で押し進めようとしている「四十人定員の学級」も、かけ声ばかりで、実際にはますます能力主義にもとづく受験競争をあおりさえしていること。などが特長として提起された。
今後の課題としては、四回大会でも提起された地域就学斗争、文部省斗争、障害者解放教育・保育研究会の建設の三つについて提起された。第一の就学斗争については地域でとの就学を希望する障害児のほりおこしと支援。就学指導委員会や就学時健診を許さないとりくみ。地域の障害児の在宅坊門と実態把握。地域運動組織の形成。障害者の自立生活、労働などの要求との結合。などが具体的に提起された。文部省斗争については、これを、ある意味での政治的な斗いとして位置づけ、大衆的な糾弾斗争で斗い抜くこと。できる限り交渉の再開を実現し、そこにおいて文部省の教育路線そのものを打ち破りつつ、同時に、各地でおきている就学をめぐる「トラブル」に対し文部省にその責任をとらせること。が提起された。一方、障害者解放教育、保育研究会については、まず、その基本原則として教育、保育労働者が、障害者の運動に学び、親との連帯を密にすること。中教審路線―義務化体制と斗うこと。労働運動の一課題として位置づけること。などが確認され、さらに、今後の実践を進める上での課題として発達論に対する視点、教育条件、教材の検討、医療進路の問題、などが具体的に提起された。
この基調を全体で確認した後、各地共斗会議からの報告を受けたが、各地とも就学斗争のほりおこしは、今だに不十分であり、行政
写真省略
の対応もますます強行になってきていることが報告された。しかし、とはいうものの「養護学校はあかんねん」の上映を中心にして、運動の広がりは目ざましく進んでおり、今後に寄せる期待は、きわめて大きいといえよう。
翌五日は、午前十一時から日比谷小公園で集会が行なわれ、全障連各ブロックからの斗いの報告と決意表明がなされた。そして、我々は、一時から二百名を越す隊列で文部省を包囲し、斗いぬいた。文部省前には、これまでの斗いの時と同様、警察権力が待ち受け、文部省管内にも、相も変わらず多くの職員が、我々の前に立ちはだかった。我々はまず、用意した交渉申し入れ書を読み上げ、ただちに交渉に応じるよう要求したが、文部省側からは、特殊教育課の課長補佐がこそこそと顔をのぞがせ「今日はあえません」といい残してひとことの理由すら言わずに、かくれてしまうという、いいかげんな対応を行なった。それ以降は、管理課長が、全体を指揮し、これまでと同様、トイレすらかそうとせず、そればかりか、我々の仲間に不当な暴力を行使するという許しがたい対応をとりつづけてきた。雨の中で、四時間にわたって、我々は文部省との間で激しい闘いをくり返し、文部省を恐怖させることに成功した。五時すぎ、我々は怒りにもえるシュプレヒコールで、必ずや交
p20
写真省略
渉を克ち取ることを宣言し、その後、簡単な総括集会をおこなって、斗いをおえた。
今回の斗いは、全国事務局の移動など情宣不足、準備不足があったにもかかわらず、斗いの盛り上がりを克ち取ることに成功し、今後の斗いの重要なステップとすることができた。交渉の再開こそ、克ち取れはしなかったが、しかし彼らは、決して我々の前から逃亡することはできない。今後の予備接渉を通じて我々は来年の一月にでも、何としても文部省との交渉を実現し、てっていした追求を行なうであろう。多くの仲間の再度の結集と、各地におけるねばり強い斗いを期待するところである。
てんこうするまでがんばる!
金井康治君の転校をめぐって(7月〜10月現在まで)
支援する会事務局
金井康治君の自主登校も二年目の二学期をむかえました。ここでは、一学期の末から夏休み、そして二学期にかけ、私たちの転校要求にむけられた共産党の対応を中心に書いてみたいと思います。
一、赤旗から始まったデマ宣伝
(1)7月8目、共産党機関紙『赤旗』の三面トップに私たちが「学校、教育委員会で暴力」をふるっているという記事が掲載されました。(2)さらに7月16日には、花畑東小平出省三、教職員一同名による「学校現場は、こんなに困っている」と題するビラが都教組の教員と花畑周辺の全域にまかれました。(3)そして7月19日の足教組ニュースでは、このビラを全画的にバックアップすることを報告しています。(4)このあと都教組新聞が康治君の問題をとりあげ、(5)8月21日には共産党の渡辺区議が金井さんの近所で「自主登校で学校現場を混乱させている」というデマ宣伝を行なっています。(6)それで足りない共産党は8月26日付『赤旗』で再び「児童への影響も深刻。暴力的介入をやめ、話し合いを」と題してとりあげています。(7)8月30日の花東小で行なわれた共産党の政治集会で「支援するグループは解放同盟とともに暴力集団である」だから「金井親子を地域からもマスコミからも孤立させることだ」と話されました。
このように共産党が表面にでてきたことには、世論が「どの子も地域の学校へ」という思想、障害児・(者)を地域から隔離することの不当性を個別的な闘いを通して訴え始めているために危機感をもったことがあげられます。しかし、それだけではなく、今や康治君の闘争は全国的にも大きな力を持ち、そこをうちやぶらねば自分たちの身の保全もできかねないということになってきました。
p21
二、区議会でのこと
さらに9月18日には、足立区議会で、共産党は自民党とともに、康治君の転校要求を「暴力集団には妥協するな」と区教委におどしをかけ、花東小PTAから出された「陳情」と「花畑地区の町連会」から出された「請願」を本会識で採択してしまったのです。
三、公判にむけて
9月3日に行なわれた尾崎君に対する刑事弾圧公判に対して「父母一〇四人、教師一八人」(9月12日付足教組ニュースから)を早
写真省略
朝から動員しました。この動員は教師から直接クラスの役員を中心に連絡され、集められたもののようです。(金井さんには一切知らされていません)当日は地裁前で学年ごとに出席をとるなど、どうみても傍聴の中身を知りたくて集まった人ばかりの集団だとは思われませんでした。
私たちはこの時、ひとりの傍聴者もだすことができないという最悪の事態をまねき、その反省と総括のもとに、10月15日の公判にむけて活動してきました。ひとつはなんといっても花畑地域駅頭などのビラまき。花畑地域ではお母さん、お父さんのおもいをビラにして情宣していきました。私たちにとって公判とは何なのか。あたり前のことをして逮捕された尾崎君の無罪を勝ちとること、康治君もあたり前に花東小にかよいたいことなど。
10月15日第三回の公判がひらかれました。この日は抽選時間の12時45分までに約二百四十名もの人々が地裁前に列をつくりました。結局、数でまさっていた私たちが11枚の傍聴券を手に入れることができ、保志野主事(花東小)平出校長の検事側の尋問を傍聴しました。
四、今後のとりくみ
転校問題に関する交渉は区教委、都教委にむけ戦ってきました。しかし今や、共産党が前面にでてきています。世論を一方的な報道といい、金井康治親子や、私たちのやっていることに敵対し、地域で孤立させようと叫んでいます。都道組足教組(日共系教師)などは花東小を全面的に支持する見解をだし、さらに花東小では、「学校現場に混乱を持ちこむ」という中身のない宣伝をしています。それだけにとどまらず、尾崎の公判にむけて父母の動員を文書で(子どもたちのカバンに入れて持ち帰えらせる)よびかけてきています。彼らにとっては父母の動員は最後の切り札でもあるようです。私たちの方でも、地域の情宣に全力をそそぎ、少しでも、現在のような花東小教師とPTAのつながりにクサビを打ち込んでいこう思っています。それには言葉だけではなく、康治君の子ども会への参加、花東小PTAの中でつながっていける父母たちへの働きかけなどを中心にねばり強くすすめる必要があります。
また、尾崎の公判に対しても、支援の輪を広げ、様子などをきちんと知らせ、方針を出し権力の弾圧をはねのけていきます。
区教委に対しては、あくまで「転校要求」をつきつけていきたい。そのためにも自主登校をさらに強化し、康治君の生活をともに考えてくれる人たちの輪を広げ、強力なものとするよう力を合わせていきたいと思います。
p22
心の中
恋愛・差別
伊藤ミツコ
私が、今思うことは、恋愛とは、人間が基本的にもつ本能というものではないか、ということである。人が人を好きになることが基本的なものであるし、......という意味からいうと、明白なことである。
私が、こういう風に思ったのは、3人の男性を好きになり、私の「物事をはっきりさせないと気がすまない」という性格のためにひとりの人(A君)を傷つけることになった。
A君とのことは、先輩と後輩の仲からの淡い感情であったと思う。それは、養護学校という特殊な環境から生まれたものであるが、そのことが、私にとっては、その当時、恋愛に対する疑問、反発の材料としてあったことは、事実として、後から述べる。そのことは、B君との出合いにおいて、明白になると思うが、それは、さしおいてA君との関係にもどりたい。
その当時、私たちの学校には、高等部がなかったために、二年先輩のA君は違う学校の高等部に進学していき、寮に入った。
二年先に私も、同じ学校に入っていったが、その養護学校というのは、ひどい所で、今まで見抜けなかった差別という名のもとに人間が人間を殺していく、という中での恋愛であったために恋愛とは名ばかりのものになっていったが、それには、まだ気づかなかった。
そうこうしているうちに、私も家庭の事情から寮に入ることとなったが、現在、私がこうして「障害者」の解放運動となるような原動力をうけたことは明白である。つまり「障害者」が「障害者」を差別するという中―そういう中で、私がA君と話ができたのも、たった一度っきり、それも30分という短い間だった。
それから三日後、私が病気になって、家に帰ったが、病院に入り、手術をうけようとは、誰がその時予測できただろうか。今考えると、あの時は、一生のきれいな思い出として私の胸に残っていた。それを、私自身の手でうちくだこうとは、私自身そこまで考えつかなかったことである。
もし、あの時病気にならなかったら、今の私はなかったであろうし、施設の中ですごしていたであろう
卒業式も出られなかった私は、喚き悲しんでいた。
私の十代は、「障害者」の差別が見えた時期としてあった。
二十代になって、先に述べたB君との出会いがあった。その一年半後にB君と共に某会に入った。その会との出会いによって、今の私の決定的な「障害者」差別との斗いがはじまったといえる。B君との出会いによって、 A君との関係があいまいになるのではないか、又、自分と同じ程度の「障害者」だったということもあり、このままA君との関係を続けていっても見通しが全然たたなかった、という思いから、A君との関係を切っていった。
今から考えると、それは差別だったと思うし、そういう差別を私がしたということは、この社会において「障害者」差別を認めたということになるし、認めざるをえなかった。 も言える。
B君は、「障害」が比較的軽かったために介護をしてたし、会の中でも筆記とか、トイレの介護とかもしていた。
p23
送り迎えもしていた。そのために私情をはさまないでは、いられなかった。
介護する側とされる側の違いは、はっきりしてきたのは、「健全者」の組織を切ってから、半年ぐらい後でのB君からの「利用」ということばによってはっきりした。
私は、そのことばによって深く傷ついたと共にその会の主旨に対しても疑問をいだくようになった。
それから後に某大学の「社福」研を通して、介護の要請をしに行った。そこでC君と出会った。C君な自分の生活史―東北の生まれで、高校の時、自分の高校で、差別問題がおこった時、それに対して、当局側に抗議をした。ということを話してくれた。その時、私は彼に対して、「自分と一緒に生活してくれるんじゃないか」と思ったのもつかのまであった。彼は、はじめて好きになった「健全者」であった。彼は「健全者」意識から抜け出せず、逃げ出してしまった。
私は、今はっきりとこう思う。人間が人聞らしく生きていくためにいわゆる恋愛とは、人間らしさをあらわすものであろと思う。
しかし、今の現実では、恋愛を私物化していると思う。つまり、恋愛の相手を自分のものとしてみるということ、又、恋愛問題を自分たちだけの問題として考え、社会問題として考えない。従って、今の恋愛に対しては反対するが恋愛本来の形は、あるべきものであると思う。
あまりにも私物化が、多いために、人殺しとかもおこっていることは事実であろうし、「障害者」も殺されていくことも事実として明白である。人間が人間を好きになることは何で反対できよう。「障害者」も「健全者」も、黒人も白人も同じ人間である以上、恋愛の対象としてみるべきものとしてあると思う。「障害者」をものとしてしか扱ってない「健全者」も多いのは確かなことである。だが、私たち「障害者」も人間なのだから、同じように、扱いも同じようにしていかなければ、人間が人間を殺していくことになってしまう。現に「精神障害者」が殺されていっている。「肢体不自由者」も殺されていっている。だからこそ、人間が人間を差別、抑圧することは避けねばならないと思う。人間らしさとは何か? (校正者注:「心の中〜何か?」四角囲み)
全障連第三回大会報告集の発行断念の報告とおわび
全障連全国事務局・全国出版部
全障連第三回大会の報告集について、これまでなんとか発行しようと努力し、その宜御案内させていただきましたが、ここに発刊断念を明らかにせねばならず誠に申しわけなく思います。
経過を説明いたしますと、七八年八月の大会後、この報告集を関東出版部の責任で発行することが決定されていましたが、関東ブロックでの結束ができず何度も出版部再建案が出されつつも果たせないままになりました。この間、機関誌発行もなされず、全国幹事会も十分な組織的とりくみができませんでした。
今年の五月になって、第四回大会が関東で行われることが決定されましたが、そのため関東ブロックは大会準備のため出版活動はできないとの考えが出され、出版部は全国事務局(関西)が預かることになりました。全国事務局では、業務をひきつぎ発行する方針をたて、関係各方面と連絡を取り集約を行いました。
第四回大会までにと考え、分科会責任者・司会団などと連絡しましたが討論内容の文章化やまとめが集まらず、とにかく大会まで全
P24
力をつくすこととしました。
ところがこれまで集約されたのは、分科会討論の文章化が予定の1/2まとめは1/6でとても編集ができません。この責任は関東出版部、全国事務局ですが、全障連の組織のこと、分科会責任者の問題もあります。
これらの総括を行い、この大会を通し、出版業務の独自活動・独立採算制で責任ある活動を行なおうとしています。第四回大会では報告集編集のため書記を独自に組織しとりくんでいます。これを全国事務局(現東北)と分け全国出版部(関西)が行なっていますが第三回大会報告集の編集に見通しがつかない旨全国幹事会の討論に上げた結果、?@今後集約が進む可能性がない ?A第四回大会の討論の土台としても意義が乏しい(時期的) ?B財政的にあまりにも厳しい、などの理由で発行断念の決定となりました。
予約者の方々につきましてはすでに御連絡さしあげ、第四回大会報告集とのひきかえ、あるいは現金返済をお願いしております。これについて、ある方から「大衆運動としての、無責任さ」を追求され、心から反省する次第です。今後出版部として、また組織全体で応えることのできるよう頑張りたいと考えます。
発行物の案内
§新刊案内§
○しろまる79・1・26〜31文部省糾弾連続闘争報告集
―障害者解放運動の新たな歴史を作った実力糾弾闘争の日誌と闘い中の熱い思いを収録― \二五〇
○しろまる障害者解放教育保育研究会創出に向けて?@54年度養護学校義務化阻止闘争四年間の"総括集"
―義務化阻止闘争は何を作り出したか そして、研究会を語るために― \六〇〇
○しろまる二つセット販売 \八〇〇(校正者注:「
○しろまる79・1・26〜\八〇〇」四角囲み)
○しろまる地域での障害者の自立生活をめざして ?@自立生活パンフレット(全障連生活小委員会編集) \一五〇
○しろまる点字学習(関西ブロック刊) \二〇〇
§これまで出されているもの§
○しろまる全障連結成大会報告集 \二五〇〇
○しろまる全障連第二回大会報告集 \二〇〇〇
○しろまる義務化阻止 78・12・15基調 \一〇〇 79・1・28基調 \一五〇 79・6・3基調 \一〇〇
○しろまる義務化阻止!学習パンフレットNo.3 (関西ブロック ) \六〇〇
* * *
全障連全国機関誌「SSK全障連」
No.1〜No.2 在庫切れ
No.3〜No.9 \二〇〇
定期購読(六回分)\一三五〇
―近日発売予定―
○しろまる全障連第四回大会報告集 \二〇〇〇
○しろまる「地域福祉」政策糾弾! \二〇〇
連絡//大阪市城東区新喜多二丁目一−九
〇六−九三四−〇一二九
郵便振替「大阪五七三四二 全障連全国出版部」
裏表紙(奥付)
編集後記
全障連第四回大会において、全国事務局の移転と全国出版部の独立が決まり、出版活動は全国出版部での独立採算 と独自活動が始まりました。とはいえ、出版部の直接担当員は数も活動量も劣しく、今は方向づけができたということです。
まったく寒くなりました。障害者のみなさんにとっては心身ともたいへんな季節です。公共料金・灯油の値上げで生活もたいへん。暖房はだいじょうぶですか。生活領域の出版物も続けて2つ出しますのでよろしく。
さて、次号の編集ですが、年内にもう一つ出そうと考えています。12・9生活問題全国討論集会の討論を中心に、赤堀闘争の報告、狭山・三里塚闘争への連帯、そして、梅谷尚司君の 学闘争に関して「考える会」からの中間総括文書を載せ読者の方々の検討を求めます。
全障連の闘いは、文部省、赤堀闘争、厚生省闘争、金井・梅谷闘争と多くの課題をもち来春にむけそれぞれ具体化しています。組織的にも労働・交通や委員会が動き始め、80年代の障害者解放運動にむけめまぐるしい情況です。
厳しいがしかし、生き生きした営みを進めていきましょう。私達もこの出版活動を担いをの一翼を果たしたいよう考えます。
全国障害者解放運動連絡会議(全障連)
機関誌No.9
発行日/1979年12月20日
編集人/東京都豊島区巣鴨3丁目34番3号フラワーコーポ303号 電話〈03〉918−8572 八木下 浩一
編集責任者/大阪市城東区新喜多2丁目1−9 電話〉〈06〉934−0129 全障連全国出版局
印刷/騒々社
作成:
山口 和紀