『全障連』No.6
last update:20220624
■しかく文字起こし
表紙
SSK
全障連
全国障害者解放連絡協議会 No.6
写真省略「今秋54年度養護学校義務化阻止の全国的陣型を!(77年4・25全国闘争より)」
SSK通巻第436号
昭和46年第3種郵便物認可
昭和53年8月10日発行(毎月5、0の日発行〉)
目次
全障連機関誌No.6 目次
横塚晃一全障連・全国代表幹事を追悼する......全国事務局...2
全障連第三回大会への呼びかけ......第三回京都大会実行委員会...4
7/2交流集会の報告と全国各地の「共闘会議」の情況......教育小委員会...8
障害者解放闘争としての赤堀闘争へ......赤堀小委員会...12
本の紹介......編集局...16
全国各地のさまざまな闘いの紹介と提起
交流会の報告......埼玉"たけのこ会"...18
54年度養護学校義務化阻止、すべての障害児を普通学校へ!......杉並・中の保育・教育を考える会...19
金井康治くんの就学闘争の経過......足立教育と福祉を考える会...22
点字を学ぼう......点字学習会(関東ブロック)...24
編集後記...26
p2
横塚晃一 全障連・全国代表幹事を追悼する
横塚代表幹事の意志を受け継ぎ全障連の更なる発展を
全障連・全国事務局
悲しみをのりこえ
障害者解放運動の更なる前進を!
全国の仲間の皆さん!障害者の兄弟の皆さん!
大変悲しい知らせを報告しなければなりません。私達全障連の代表幹事である横塚晃一さんが、七月二〇日、十二時四〇分かねてより入院中の駒込病院で死去なされました。
横塚さんは、全障連結成以降、全国代表幹事を二年間つづけてきました。思えば、結成大会ごろから病症をおして会議に参加していました。とりわけ大阪での結成大会期間中、控室で横になりながら参加していました。そして結成大会が成功し、大会宣言が圧倒的な拍手で確認されたとき、横塚さんのホットしたそして、にこやかな笑顔が印象的でした。また、横塚さんは、全障連の代表幹事であると同時に、全国青い芝の会長でもあり、病症中でありながらも闘い続けなければなりませんでした。たとえば、川崎のバス闘争において反動週刊誌(週刊新潮)などの個人的ヒボウ・中傷日共=全障研などのトロツキストキャンペーン攻撃のなかで闘ってきました。第二回東京大会では、大会前日入院すると言うなかで、大会に参加できず全国代表幹事挨拶をアピールとして送ってきました。
私達は、横塚さんが病魔と闘いながらも、常に全障連の発展の為に運営をおこなってきたことを知っています。また、障害者解放運動の指導者として全障連内外をとわず、信頼と尊敬をもたれていました。そして、思想的にも強固な信念をもち、障害者の歴史については深い研究をおこなっていました。
現在、三年目をむかえた全障連運動は、内外をとわず解決しなければならないことが山積みにされています。そうした時に、横塚さんを失なったことは、私達全障連にとってはかりしれないほどの損失です。しかし、私達は悲しんでばかりはいられません。
私達は、全障連運動を積極的に進めてきた横塚さんの死を深く追悼するとともに、横塚さんの意志を受けつぐためにも、目前にせまった第三回京都大会を成功させ、全障連運動の発展と障害者解放運動の更なる飛躍に向けて闘っていこうではありませんか!
p3
横塚晃一氏の死をいたんで
全国事務局長 楠 敏夫
先日電話で、横塚さんの死を知らされた時、私は、おもわず「ああ......とうとうと」ためいきをついてしまった。その時、私の両手のゆび先には、一ヶ月前病院に見舞にいった時ふれた彼のやせ細ったてくびと骨だらけとなったからだの感触が、くっきりとよみがえってきたのである。
言うまでもなく、横塚さんは、全国青い芝の会総連合会の会長であるのと同時に、我が全障連全国代表幹事でもあった。昨年病床につくまで二年余り、私は、横塚さんとともに、全障連の運営の任にあたってきたが、彼と会うたびに私は、彼の思想的信念の強固さと、それ以上になまなましい人間くささにあっとうされたものだった。また彼は、青い芝思想の伝統を固持しつつも、ゆれ動く現代の政治情勢や全障連の現状についても、的確に把握しており、余りこまかな点にこだわらずに運営をつづけてきた。私も横塚さんから多くを学んできたが、彼とじっくり討論する機会がなかなかもてず、「そのうちに」とおもっていたやさきに病床にたおれ、ついに永遠にその機会を失なってしまったのである。
先日の病院見舞のさい、わかれぎわに「何もできなくて」と言うかすかな、そしてさびしそうな言葉がまだ耳のおくにのこっている。彼の意向にこたえる為にも、私としては、なんとし ても全障連を、名実ともに発展させたいと決意をあらたにしている。
最後に、全国の仲間とともに、つつしんで横塚さんの御冥福を御祈りして別れの言葉にかえたいと思う。
写真省略「ありし日の横塚晃一氏」
p4
すみずみに障害者のたちあがりと自立をうながし すべての人々の力で54年度養護学校義務化を阻止しよう
全障連第3回大会への呼びかけ
第3回大会京都実行委員会
隔離と抹殺の差別に抗し、自らの生命をみつめ自立と解放の道をふみしめている障害者のみなさん!障害者との関わりを通し、新たに自らの解放の闘いにたちあがっている労働者、学生、市民のみなさん!
私達全障連は、現代の社会における障害者差別の本質をあきらかにし、これと闘う潮流をおしとどめることのできぬものとしてきたと考えます。自立と解放を求める限りない障害者のたちあがりと、それに応えて、新たな質をもつ運動に共同する人々の決起は、更に着実な発展を遂げたと言えます。
54年度養護学校義務化阻止の闘いにおいては、全国の高揚をかちとり、全国いたるところで障害者ー親ー現場教師が一体となった普通学級就学の運動がまきおこされ「障害児と健全児があたりまえに共に学び育つ」という根をはった考えが、障害者解放の思想と強く結びつき、教育全体を大きくゆるがしています。これに支えられて、義務化阻止共闘会議または同様の共闘組織が全国20都府県におよび、更に社会党の就学義務反対、自治労の義務化反対、日教組内では強いつきあげによる傾斜までも引き出し世論を作っています。このことは、全障連運動の正しさの実践による証しとも言えましょう。赤堀差別裁判糾弾闘争でも障害者解放運動としての位置をしっかりとらえ、障害者運動全体の中で地域と裁判闘争を結びつけた強力な運動として作られようとしています。日常的な粘り強い運動の中でも、バスの車イス乗車を一定認めさせ、あるいは障害者別交流による実態に根ざした地域運動の形成も努力しています。
こうした動きは全障連の内でも活気を持続させ、東海ブロックの結成、障害別組織化の強化、行政別全障連の具体化が実を結ぼうとしているのです。
しかし、このような躍進が決っして明るい展望をもってはいないことも事実なのです。政府―支配者の障害者差別攻撃は強まる一方であり、またその差別思想に気づかず、障害者抹殺に手を貸す人々も後を断ちません。最近以前にも増してマスコミをにぎわしている障害児殺しや心中事件、「安楽死」思想の宣伝や更には、地域住民による施設移転反対運動などはその顕著な現われと言えるでしょう。大阪では「精神障害者」と脳性マヒ者の兄弟の家庭が死体で発見されました。兄は職を失い生活保護を切られて一ヶ月前に死にミイラ化、弟はその後外へも出られず食いつないだが3日前に死んでいたというものです。「福祉見直し」という切り捨てと、乗っかって語られた美しい言葉が抹殺の宣言であり、それはすでに始まっていることが切実に感じられ
p5
ます。そのことは目前に迫った54年度養護学校義務化でも、文部省=各地教委が私達の強い糾弾に絶句しつつも「義務化はする。選択権については言えない」とする露骨な姿勢に貫かれており、無実の「精神障害者」赤堀さんを24年間獄中に閉ざし死刑執行をもくろむ意図があり、運輸省見解が出ても車イス乗車を拒否するバス大企業を見ても明らかなのです。
私達全障連は、この3年目において、自ら試練の時代をむかえようとしています。この激動の社会情勢の中にあって、障害者自身の歴史を、そして障害者と関わる全ての人々にとっての道のりを明らかにする巨大とも言える責務を感じています。
障害者解放運動の広範なたちあがりをうながしつつも、一方地域に根ざしたまた障害者の生活実態と密着した運動を強め、結びつける努力が不充分だったこと。現実におこっている具体的闘いに対する積極性が劣しかったことは深く考えねばならないことです。
ところで、全障研(全国障害者問題研究会)は、こうした障害者差別の実態とは全く切り離れてしまい、最近にいたっては私達の正しい考え方が浸透するにつれ動揺と分岐を深くしてしまった福祉労働者、教育労働者、親などに言を左右し、全障研を批判する部分の排除(時には行政―権力と一体となってつぶしてくる)に手いっぱいとなってしまい又、私達に対するヒボウ、中傷すらできなくなっています。私達の課題はすでに全障研をのりこえ、差別攻撃をひとつひとつはね返し、障害者が地域社会で自立して生きていく根強い運動が要求されていると言えます。
今大会はこうした全く新しい情勢、それは勇気をふるいたたせるものですが、それをふまえて、地域に根ざしたより広範な障害者のたちあがりを作り出すことに最大の目標をおくとともに、それぞれの課題毎に地域での具体的な運動を交流し問題を整理し、原則論にとどまらずどういう方向でどう闘っていくのか、その時それぞれの立場の人々と、どんな関係を作るのかを出していきたいと考えています。そして分科会討論を大会だけのものとせず、今後の運動に責任をもち継続した運働の基盤にしていくことをめざしています。
それと同時に今大会では、障害者別交流会階層別交流会を設け、障害者の実態に基づく運動の形成と組織化、また労働者、親の立場でのしっかりした運動基盤を作りたいと考えています。
全障連第3回交流大会が、障害者解放と大きな礎となり、この情勢をきり開く内実を生み出すべく、すべての人々の参加を心より強くよびかけます。
p6
●くろまる日程
8月12日(土)
8:30 受付
9:30― 開会のあいさつ。連帯・共闘のアッピール
12:00 基調報告(案)の提起。質疑応答
昼食/記念講演会
13:00― 分科会 基調報告(案)の提起
16:00 質疑応答 レポート報告
夕食
17:00―20:00 分科会討論
宿泊/移動
20:30―23:00 障害別・階層別交流会
8月13日(日)
9:00―12:00 分科会討論
昼食
13:00― 分科会討論のまとめ
15:00 分科会基調の採択
15:30― 全体会分科会報告 基調採択
17:00 新役員承認 会計報告承認 スローガン
●くろまる地図省略「会場・宿泊所」
阪急「四条河原町」・京阪「四条」―市バス201系統にて『東一条』下車。
◆だいやまーく会場への交通機関 国鉄京都駅―?@市バス200系統にて『百万遍』又は65系統にて『東一条』下車。?A市電6番にて『東一条』下車。 ?B市バスで四条烏丸に一旦出て、市バス201系統に乗る方法もあり。
※(注記)会場では、移動・介護・手話の係の人と共に、保育室と休憩室を準備します。これらは参加者全体にご協力を願いますが、特に利用される方、またこれら以外に必要となるものがありましたら参加申し込みと共に御連絡下さい。
●くろまる宿泊と食事について
宿泊は、11日夜が京都大学熊野寮(宿泊費1円、000)12日夜が光明寺(宿泊費1円、900)となります。なお障害別・階層別交流(校正者注:p7の始めに続く)
分科会・分散会の案内(テーマは仮称です)
第1分科会=交通 交通行政の欺瞞的姿勢をうちやぶり、障害者の無条件の乗車をかちとろう
第1分散会 ゴマカシに満ちた運輪省見解を批判し、交通機関に対する具体的要求をうちだそう
第2分散会 健全者(労働者)との共闘のあり方を再点検しよう
第2分科会=生活 障害者が地域で生きるための生活権を確立しよう
第1分散会 介護と生活を保障させる闘い
p7
(校正者注:p6の「
●くろまる宿泊と食事について」における「なお障害別・階層別交流」の続きから)
会は光明寺で行なわれますが、この交流会終了頃は交通の便が非常に悪くなりますので、考慮の上予約を早急にお願いいたします。当日受け付けは非常に困難ですので、男女別・交流会参加の是非と共に申し込み下さい。
食事は12日昼・夜と13日昼を準備します。今大会では生協の協力が得られず仕出し弁当となります。これも数の集約を急ぎますので期日までに申し込みして下さい。
●くろまる参加申し込みについて
先にも案内しましたように、障害別・階層別交流会の成功をめざすため、また宿泊・食事の都合で期日までのキッチリした集計が必要です。是非とも御協力願います。
参加申し込みは、全障連発送の所定の用紙に事項(参加人数・連絡先・泊・食・参加される分科会・分散会と交流会―とくに、障害別・階層別交流会参加の方は男女別に泊の人数)を記入の上、現金と共に送って下さい。ひきかえに金券と宿泊場所を連絡します。
申し込み期日 7月20日〆切
振替口座 「大阪57342 全障連全国事務局」
障害者別・階層別交流会の案内
時 8月12日 午后8時30分から
所 大会宿泊所(光明寺)
障害別交流会 視覚障害者交流会・聴覚障害者交流会 「精神障害者」交流会などを予定しています。
階層別交流会 福祉労働者交流会・教育労働者交流会・障害児者をもつ親の交流会
記念講演(12日昼)八木晃介氏
(校正者注:p6の「分科会・分散会の案内」における「第1分散会 介護と生活を保障させる闘い」の続きから)
第2分散会 地域で障害者が生きていくための関わりをつくり出そう
第3分科会=教育 目前に迫った54年度養護学校義務化を全国の仲間の力でうちくだこう
第1分散会 義務化阻止にむけた行政闘争の進め方
第2分散会 養護学校、施設内教育の実態を暴き内部からの闘いを組織しよう
第3分散会 地域・校区の普通学級への就学運動をおし進め、教育労慟者との共闘を広げよう
第4分散会 義務化と保育及び就学前の諸問題(健康診断・就学指導委員会など)
注―これらの分散会は人数により小分室を設けます
第4分科会=労働 労慟における障害者差別の実態を明らかにし、地域・職場から具体的な闘いを組織しよう
第1分散会 働く障害者を結集し交流を深め、職場における差別との闘いを組織しよう
第2分散会 重度障害者を原点においた労働のあり方
第5分科会=施設 施設内の障害者との交流・連帯をおし進め、福祉労慟者と共に内外一体となった闘いを作りあげよう
第1分散会 施設と生活
第2分散会 施設と教育
第3分散会 施設と労働
第4分散会 施設と医療
第6分科会=医療 障害者差別の医療を暴露し、医療の告発を行っている人々との共闘を作りあげよう
第1分散会 障害者差別に貫かれた医療のしくみを具体的にあばこう
第2分散会 一つ一つの差別を糾弾し、医療に対する独自の要求を整理しよう
第7分科会=赤堀闘争 障害者解放運動としての赤堀闘争のあり方を点検し、赤堀さんを生きてとりもどす闘いを拡大しよう
注―この分科会は同一テーマで二分散会をします
大会当日の連絡先
全障連全国事務局・京都実行委員会で連絡を受け取りますが、緊急の際には次の電話を利用して下さい。なお大会参加者との直接の連絡はできませんので御了承下さい。
☆京都大学熊野寮(宿泊と大会会場との中継) ?075(751)4050〜1
☆光明寺(宿泊所) ?075(211)0919
p8
7/2 交流集会の報告と全国各地の「共闘会議」の情況
教育小委員会
写真省略「78年7・2 第三回文部省交渉を勝ちとる!」
p9
七月二日、東京代々木のオリンピックセンターにおいて、目前にせまった「五四義務化」に対して、全国各地で闘っている活動者一〇〇名を結集して交流集会を開催した。
講師として、岡山障解委中川氏、茨城大山下氏、都立八王子養護学校小福田氏を招き、「五四義務化」に関する講演を一時間にわたって、それぞれの立場から行なってもらった。中川氏は「五四義務化」に関する法制度の構造を明らかにし、文部省の一方的解釈を批判していった。現行の教育基本法にてらしてみても、「五四義務化」は、さまざまな問題点をもつ、しかし、「五四義務化」反対が単なる法解釈論争になったのでは意味がないということも付け加えておく必要があるだろう。
山下氏からは、「発達」をテーマに講演を受けた、我々は、今まで、政府も全障研も、「発達」の名の下で、障害者差別を強要してきている事実を多くの体験としてもっている。口を開けば「発達」「発達」と、このハッタツという言葉にこめられた意味や内容をほとんど検討することなく乱発し、障害者を抑圧してきている。こうした現実から、我々自身が「発達」をどうとらえ、どう考えるかを討論課題にしたのである。我々の側からすれば当然、「発達論批判」になるわけであるが、山下氏の講演をもとにさらなる深化が必要なテーマである。
小福田氏からは、養護学校のもつ問題性が現場教師という立場からリアルに語られ、わざわざ遠くの養護学校に障害児が通わせられるおかしさ、地域での生活を奪われたところでの発達はありえないことなど重要な視点が提起され、活発な論議が、参加者との間でかわされた。
昼の部は、講演・討論を中心に進行し、夜の部に入って、全国各地での運動報告と交流が行なわれた。
各地の活動報告はだいたい次の通りであった
(東北) 〈仙台かちとる会〉
構成団体
宮城障解研、宮城教労研、仙台赤堀さんと共に闘う会、東北福祉大社保研、東北大など
七六年に「かちとる会」を結成し、「五四義務化」阻止に向け二年間活動してきたが、七七年、仙台市が構想を打ち出し実施にふみきった仙台市障害児センター建設阻止闘争を中心に県内で障害者、教育労働者、自治体・保育労働者をはじめ一〇〇名を結集した集会を実現させてきている。
他に、秋田、福島、山形、等で、討論集会、市民集会が開催されてきたが運動はあまり前進していない。
(関東)
〈東京阻止共闘〉
構成団体
教育を考える会連絡会(がっこの会)、都教組西多摩支部福生地区協、西障研、八王子養護学校分会、都障教活、村田入る会、都教組太田、墨田有志、杉並・中野保育・教育を考える会、岩楯入る会、福田会、実調阻止全都実行委、東学大「五四」阻止共闘、全障連関東ブロック
六月三日付で都教委へ公開質問状と交渉要求を、賛同団体、都教組西多摩支部、港支部自治労東村山市職労、日本社会党政審、他四十数団体の連名で送付、六月二二日交渉拒否の電話があったが、抗議・追及のすえ会うことについては認めざるを得なくなってきている。七月二二日結成集会、秋に向けて着々と運動の輪を広げ、広範な共闘が実現してきている。これまで準備会として五回の集会をもちのべ千人以上を動員している。
〈神奈川阻止共闘〉
構成団体
神奈川青い芝の会、神障研、つみきの会ひまわり父母の会など
七七年、八〇名の結集で結成後、県教委交渉を行なった。それ以後十分な活動はしきれていない。
p10
〈埼玉阻止共闘(準)〉
構成団体
たけのこ会、所沢実調、のぞみの会、全関単一労組長田製作所分会、八木下さん、
埼玉県下で「五四」阻止闘争を交流会という形で進め、教育労働者も八月六日阻止共闘準備会結成集会に注目してきている。秋には結成の予定
(東海)
〈静岡阻止共闘〉
構成団体
浜松のグループ、通学研、島対協、共に闘う会、青い芝の会、ゴンベよ、東部養護学校を考える会、労研
七七年末に阻止共闘会(準)が結成され、養護学校設置反対運動や情宣を行なってきたが、今年六月四日に阻止共闘主催の集会へ百名が結集している。
また、二月五日に岐阜で、四月、名古屋で「五四義務化を考える映画上映会」が開かれそれぞれ、百名、一五〇名の参加をかちとっている。七月三〇日の東海ブロック結成集会をもって、今後の運動をつくりあげてゆくことになるだろう。
(北陸)
富山
七七年四月九日、「つながりの会」の呼びかけで、障害者、親、教師、施設労働者約四〇名が参加し、「養護学校を考える集会」が開かれ活発な動きがみられたが、その後、あまり十分な運動はやっていない。
(関西)
一九七七年二月、三五〇名の結集で全関西「五四年度養護学校義務化」阻止共闘が結成、大阪府教委交渉を重ねてきている。
〈大阪阻止共闘〉
構成団体
青い芝、ゴリラ、障害者の郵便労働者の会、大阪市大障解研、寝川市教組青年部、八尾 市民の会、電々公社の障害者就職差別と闘う会、関西障解委、労闘、労闘、大障研など
七七年三月一二日結成集会に一五〇名が参加、その後市教委交渉や地域共闘を追求してきている。府教組城北支部青年部では、「五四義務化」反対の決議をあげており「しよう会」は普通学級入級運動は根強く行なっている。
〈兵庫阻止共闘〉
七七年五月八日結成、県教委交渉拒否、その後、抗議行動をつづけながら地域での就学運動をすすめ、七八年、尼崎、上ノ島保育所から二名の障害児の立花小入学をかちとり、七月二一日には、地域報告集会を多教の参加を得てかちとった。
〈京都阻止共闘〉
一九七七年七月三日結成、府教委交渉は拒否
〈和歌山阻止共闘〉
一九七七年一月結成、行政の対応は拒否
〈奈良〉
一九七七年五月「梅谷尚司君の富中入学を実現し、みんなで教育を考える会」の結成、その後も尚司君入学闘争は全関西阻止共闘も全面的に支援して対行政闘争として展開されている。
(中・四国)
この間、岡山を中心に「五四義務化」を問題にし、これに反対してゆく動きが各地に広がってきている。
〈岡山阻止共闘(準)〉
構成団体
岡山障解委、森永告発する会、全岡山女性解放研、障害者解放活動者会議、婦人民主クラブ岡山支部、がんばる青年教師の会
毎月県教委交渉を行なっており、今後どのように大衆的に県教委をおいつめるかが課題となっている。
〈鳥取阻止共闘(準)〉
構成団体
全国背損者連合会山陰支部、鳥取大障害者問題を考える会
p11
七八年三月十二日、第一回準備会が開催され、さらに運動を広げて六月十一日、六〇名の参加で準備会が開かれた。これをステップにして結成を目ざしてがんばっている。
他、六月十七日高松で、六月十八日徳島で映画上映集会がそれぞれ六〇名の参加でかちとられて「五四阻止共闘」の準備が開始されてきている。
(九州)
一九七八年一月十六日「五四阻止九州共闘」会議を結成
構成団体
九州青い芝連合会、九州ひとで連合会、福岡障害者解放研究会、森永ヒ素ミルク被害者のつどいの家、福岡地区合同労働組合。中村病院と精神医療を告発する会、柳下村塾、部落解放同盟福岡市協青年部、同某、朝倉地協青年部、同佐賀県連合会、鹿児島難病友の会長崎世直し共闘、部落解放同盟長崎県連合会
一九七八年二月二六日長崎県共闘会議結成
三月二一日「五四義務化阻止佐賀県集会」
四月福岡県共闘会議結成
以上のような取りくみを基礎に、九州地区での活発な運動を展開し全国集会へ向けて準 備している。
全国各地での報告は以上であったが、今後全障連としてこれらの阻止共闘の運動を全国 的に統一し、文部省へ向けた闘いを巨大につくりあげてゆくために第三回京都大会、そして秋の「五四義務化」阻止全国集会の成功をかちとらねばならない。
最後に第三回文部省交渉では、三〇名という文部省交渉のきびしい人数制限にもかかわらず。各地の代表がきびしく文部省を追及し、文部省「義務化」の実質的な放棄ともいえるような発言をひきだしてきていることを報告し、次回交渉で全力をもって文部省を追及すべく、くわしい報告を次回行なってゆきたい。
全障連第2回大会報告集
77・8・13〜14 於明治大学
内容
●くろまる報告編
8・13全体会 8・13〜14分科会報告
●くろまるまとめ編
全体会総括、各分科会まとめ
発売中 B5 223ページ 頒価 2000円
編集・発行 全国事務局関東出版部 (校正者注:「全障連〜出版部」四角囲み)
p12
障害者解放闘争としての赤堀闘争へ
赤堀小委員会
☆まずはじめに
赤堀闘争は、現在大変厳しい情勢を向かえています。東京高裁小松による即時抗告棄却攻撃の強まりである。又、前号、赤堀小委員会の文章でも報告されたように、三者共闘(全障連、「病者」集団、全活)の形骸化のなかで、闘う内部に不統一があらわれてきたことである。
こうして中で、私達全障連は、今までの赤堀闘争が全活を中心に闘いが進められてきており、集会等の時にしか共闘がなりたっておらず、日常的な障害者と健全者との関わりが欠如していることを、この間全活に提起してきている。
障害者が赤堀闘争を闘おうとするとき、健全者との日常的な関わり(介護等)をぬきにして、主体的な闘いなどは存在しない。
私達が、何故障害者と健全者の日常的な関わりを強調するかと言うと、24年前、赤堀政夫さんが放浪の旅にでなければならなかったのは、地域社会から日常的な排除があったからである。赤堀さんを奪い返す力は、地域社会で赤堀さんと同じような立場にいる"シャバの赤堀さん"とどう共に闘っていくことではないだろうか、"赤堀さんと共に闘う会"運動は、このことを出発点とした運動であったはずである。私達全障連は、今後も"闘う会"に結集する人達にねばり強くこのことを訴えていくつもりである。
又、前号の赤堀小委員会の文章のなかで、『赤堀政夫さんが、24年間の獄中生活のなかで「かわいそうな無実の死刑囚・赤堀政夫」としかいいきれない、赤堀さんのたたかう質の弱さを、どのように克服していくのか、われわれ全障連にとっては、何よりも大きな課題である』と言う展開をおこなうなかで、『この「かわいそうな障害者」としてたたかっている赤堀さんの弱さが、24年間も裁判所や警察の障害者差別を、はねのけきれなかった弱さとなっていることも否めない』と言う箇所について論理展開が説明不足であったので、補足の説明をおこなっていきたい。
現在の障害者解放運動の現状は、全障連の結成などによって、自立と解放に向けて闘いが進められている。しかし、圧倒的に言って障害者をとりまく環境は融和的である。そして、融和的な社会のなかで、障害者自身も圧倒的に"融和的"な考えを持っているのが現状である。自立と解放に向けて闘っている私達が、こうした現状の中にいる兄弟達に、入っていけない私達自身の弱さを痛感している。それと同じように、24年間も獄中に閉じこめられている赤堀政夫さんが「かわいそうな赤堀政夫」としかたてきれていないのは、赤堀さんの弱さだけでは決してなく、私達障害者自身の弱さとしてとらえていかなければならない。そうであるならば、私達全障連は、
p13
赤堀さんと、そして"シャバの赤堀さん達"と共に闘うなかで、障害者の弱さを克服していく闘いを進めていく決意である。
赤堀さんをとりまく情況
昨年3月、即時抗告を行なって以降、東京高裁・小松正富は裁判資料を読みながらも一切沈黙しています。
だが、弁護団の抗告理由補充書提出、5月1日の「犯行日は3月10日ではない」とする大阪市大の助川鑑定、元静岡県警刑事の南部さんの同じ趣旨の上申書提出など、即時抗告をめぐる情勢は煮つまっています。
私達は、この赤堀差別裁判の情況、不当逮捕25年目に入り、東京高裁・小松の即時抗告棄却攻撃、宮城刑務所の獄中弾圧の強まりのなかで、「赤堀さんを生きて、私達の手に奪い返す闘い」をより一層おしすすめねばなりません。
この間、主体の弱さ、種々の問題点をふくみながらも、3・11、5・24をはじめ、各地での闘いがおこなわれています。
いま、赤堀闘争の戦線は、全障連、全国「精神病者」集団の指導性を確立し、一丸となって闘いぬくために討論と具体的な作業に入っています。こうして、私達全障連には、主体的な赤堀闘争への取り組みがますます要請されています。
障害者解放闘争としての赤堀闘争へ
全障連結成以降、私達は赤堀闘争を54年度養護学校義務化とならぶ障害者解放闘争の重要課題として闘ってきました。それは、なにより赤堀さんが、「精神障害者」差別ゆえにデッチあげられ、死刑を宣告され、この社会の維持、延命のために赤堀さんを虐殺しようとしていること。赤堀さんの生活史、「精神障害者」差別の歴史と現実、私達障害者の差別的現実の根源が、赤堀差別裁判を通じて重なりあっており、日常的な権力の赤堀抹殺、障害者抹殺を許さない闘いをぬきにして障害者解放闘争はありえないことを確認してきました。
そうした闘いの一環として、私達は、赤堀闘争を?赤堀さんと障害者大衆の歴史との現実の共有化をはかりつつ?障害者大衆が赤堀闘争へ決起しうる条件の保障を通して、再審貫徹―赤堀奪還の闘いの具体化をかちとるため全障連総体として相呼応して闘っています。
そして、運動の方向性として、まず?@赤堀さんとの具体的な関係をつくり出すことを全体的課題としなければなりません。そのためには、面会、通信(手紙、電報)署名、ハガキ、情宣及び無実を明らかにするための立証作業、学習会を恒常的に行う。?A権力機関にたいする闘いとして、高裁、法務省への糾弾宮城刑務所への糾弾、静岡地裁糾弾の取り組み。同じように、そのような活動の前提として、「第2、第3の赤堀さん」を生み出させないために、?B地域の障害者との日常的なかかわりと、"闘う会"への、そのことの提起を通して、行政闘争をはじめ、障害者解放闘争の具体的推進をおこなっていかなければなりません。
現在、赤堀さんは、6月12日の宮城沖地震の為という理由で、獄外との面会も制限されています。宮城刑務所の外壁が倒壊したことをもって、不当にとじこめられている赤堀さんに攻撃をかけてくる宮城刑務所にたいして、徹底した糾弾を行なっていきましょう。
今回の宮城沖地震の翌日から、宮刑・仙台拘置所当局は、「警備のため職員の手がたりない」として、赤堀さんをはじめ全収容者との面会を禁止してきました。面会禁止の理由、赤堀さんの安否について口を閉ざしたままの宮城刑務所へ、全国の仲間の抗議電報などの諸行動を通じて、6・14差し入れ、6・15宅下げ、6・26面会の部分的解除をかちとってきました。しかし、この解除は、「当面、一日一組(2名)のみ」というもので、一日五組(10各)を反古にするものです。
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これに対し、私達は、?@面会制限の根拠?A期限?B地震後の獄中生活の状況?C従来通りの面会の保障のうち、四項目の「要望書」を提出し回答を要求していますが、宮城刑務所は、「一切回答できない。面会はこちらがきめる」と居直っています。
5月24日に、宮城刑務所につきつけた獄中処遇の改善、面会にあたっての諸設備の改善などの「要求書」に口を閉ざしたままの宮刑にたいして、私達は、再審をめぐる切迫した情勢のなかでかけられた赤堀さんへの死刑執行―獄死させる攻撃の一つとしてなんとしても粉砕していかなければなりません。緊急に全国の力をもって、宮城刑務所に抗議・糾弾のハガキ、電報を!赤堀さんに激励をしていこう。
また、現在展開している東京高裁と法務大臣あての全障連・赤堀署名に積極的にとりくみ、労組、地区の運動諸団体にもちこみ、障害者解放闘争としての赤堀闘争のうねりをつくりだそう。
各ブロックで、共に闘う会をはじめとする諸団体および、「精神病者」集団との日常的な運動の結合をうみだし、ブロック内での学習会、共同情宣など共闘体制をつくりあげ、赤堀闘争の大きな高まりの中で、東京高裁小松、法務省=宮刑の即時抗告棄却策動、獄中弾圧、死刑(獄死)攻撃を粉砕して、再審貫徹―赤堀奪還の勝利の旗をわが手に握ろう!
54年度養護学校義務化阻止学習パンフレットNo.2
好評発売中!
全関西義務化阻止共闘会議結成大会の基調と闘いの経過/障害者・親・教師からの発言/4・24〜25全国総決起集会によせて/関西各地の『共闘会議』の報告/資料:養護学校と特殊学級ほか
全関西54年度養護学校義務化阻止共闘会議
全国障害者解放運動連絡会議関西ブロック
大阪市城東区新喜多2−1−9?06−934−0129 (校正者注:「54年度〜0129」四角囲み)
たいまつ新書 26
島田事件と赤堀政夫 赤堀闘争全国活動者会議編
挿絵省略「無実の赤堀政夫を殺すな!!」
■しかく昭和二九年静岡県島田市で幼女殺害事件がおきた。犯人として一人の「精神薄弱者」が、逮捕された―赤堀政夫である。
■しかく冤罪とは、どうしても犯人を上げねばならぬ窮地に陥った警察が、あらゆる違法をおかして犯人を作りあげることだ。島田事件は精神障害者を徹底的に悪用したその典型である。
■しかく全国へ連帯の輪を広げる二十代の青年たちは、精神障害者の差別糾弾とその解放をかけて、赤堀政夫の無実を証すために本書を著わした。
赤堀闘争全国活動者会議事務局
六八〇円 (校正者注:「たいまつ〜六八〇円」四角囲み)
p15
ライターを購売しよう
54年度養護学校義務化阻止!!
全障連第三回京都大会を成功させよう!! 全国事務局
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本の紹介 編集局
最近、二人の障害者による本が出版されました。一冊は、堀勝子さんによる32年間の生活史をつづった詩集『心をしばって下さい』です。堀さんは、この詩集を作るため、ノートにぎっしりと書きこまれた詩を、岐阜の堀さんと共に闘う仲間と編集作業をおこなうなかで、自立生活を始めてきています。また、もう一冊は、岩楯恵美子さんの五年間の就学運動をおこなってきた経過をまとめた『私も学校へ入りたい』です。この、二冊の本の著者は、地域社会の障害者差別によって、隔離されてきたなかでの「生かされてきた」自らを変えていくものとして本を書いています。全国の皆さんに、この二冊の本を推選いたします。(編集局)
心をしばって下さい(校正者注:「心をしばって下さい」太字)
動かないように
しばって下さい
これ以上こわしたく
ないのです
少女じみたと
笑わないで下さい
あの人のかたちを大事に
くみたてている私を
あばれないように
しばって下さい
どうしようもないのです
子供だと
笑わないで下さい
あの人の後をもう
見たくない私を
とばないように
しばって下さい
何回かくみたてました
今度こわれたら
少女じみたと
笑わないで下さい
わからないのです
いつか求めている私が
身動きできないように
しばって下さい
これ以上いると
大切な人まで
よわいと
しかって下さい
あの人のかげに
おびえている私
一九六八・十二・十五
写真省略「心をしばって下さい 堀勝子」(校正者注:本の表紙)
●くろまる障害者文化シリーズ 1
心をしばって下さい 堀 勝子著
定価 一二〇〇円
『障害者自立センター』設立準備委員会
連絡先 東京都文京区千石2−44−3
白砂 巌
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私も学校へ行きたい
岩楯 恵美子
私は一九五一年六月一九日生まれです。私は生まれつき脳性小児マヒのため、二六歳に至る今日まで、教育の場から切り離され、自由を奪われて生きてきました。
私の父は、私が七歳のとき、病気のため死亡し、母親はその後まもなく再婚し、私は祖
写真省略「
●くろまる教育を奪われた障害者の叫び 私も学校へ行きたい 岩楯恵美子」(校正者注:本の表紙)
●くろまる教育を奪われた障害者の叫び
私も学校へ行きたい
柘植書房 岩楯恵美子 著
「岩楯恵美子学校へ入る会」編
定価 一二〇〇円 (校正者注:「
●くろまる教育を〜一二〇〇円」四角囲み)
父母に引き取られ、一六年間育てられてきました。祖母は、私が十四歳のときに死亡、その後二年間は祖父に育てられてきました。しかし、私が育った世界はあまりにも狭すぎた。それは自分の部屋だけの世界でした。人と話すこともなく、ただ私にあったものはテレビと漫画の本、わずかな時間に食事という、本当に隔離された生活でした。
そして十六歳の中頃、祖父が「もうお前の世話をすることが困難になってきた」と言い、「施設へ預ける」と言い、施設をさがしてみても、当時は今よりも施設そのものが少なかったため、私は当時日本橋にあった老人ホームへ預けられた。その頃の私は、まだ自分が差別されていることにも気付いていなかったのです。
その後、現在住んでいる府中療育センターへ在所しました。私はセンターへ在所してから二年目になったときから、自分が差別されているんだということに気付いたのです。なぜ同じ人間なのに障害者は施設に入れられなくてはならないのか。なぜ養護学校や特殊学級、施設内学級、訪門教師などという風に分断され隔離された場で教育を受け、生活をしていかなければならないのか、これこそが、何よりも代えがたい障害者差別ではないのかということに気付き、やはりみんなと同じ場での生活を求め、隔離された生活の場から、私はやはり一般のなかで自分は生きていきたいという気持ちから、また差別と闘っていかなければ、障害者は隔離された場で、差別されたままで一生終わってしまう。私は差別と闘い、一人の人間としてまたどんな困難にも負けずに生きていける人間として、本当に差別というものがなくしていける日まで、私はこれからも闘っていきたいと思っております。
私の闘いはまだ不十分です。ただ一つだけ、この本を読んでいただくみなさまに心から訴えたいことがあります。それは、一人でも多くのみなさまが、差別を許さず、差別と闘っていってもらいたいということです。私はまだ本当に未経験で、なにも分からない一人の人間ですが、私はこれからも、生きているかぎり闘いつづけていきます。本当に、心からの自由と解放をかちとるまで、私の闘いは永久に終わることなく続く闘いです。
またこの本を、多数の障害を持っている方々にもぜひ読んでいただきたいと心から願っております。
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全国各地のさまざまな闘いの紹介と提起
交流会の報告
埼玉"たけのこ会"
昨年の11月から今年の6月にかけて、"たけのこ会"呼びかけの「54年度養護学校義務化」阻止を考える交流会が4回にわたって開かれました。
〈第1回交流会〉一九七三年一一月二三日
第1回の交流会には、障害者、障害児の親、養護学校の教師、普通学校の教師、自治体労働者など、多くの人たちが集まり、?@養護学校の教師、?A普通学級の教師、?B普通学級に障害児を受け入れ教育している教師という三者から提起を受け討論しました。養護学校の教師からは、「通学時間が長く、地域の子供たちとの交流がもてないなど問題点はたくさんあるが、今の普通学級に入れるのにも不安がある」という疑問が出されたり、普通学級の教師からは、「能力主義的なつめこみ教育によって、おちこぼれの子供たちがたくさんつくられてきている。また教師自身に対する管理体制も強化され、山積みされた問題に気づかないという現状がある。」という問題点が提起されました。また普通学級に障害児を入れ教育している教師からは、「障害児と普通児が日常的に交流していく中で、いっしょに遊んだり、生活することがあたりまえのことになっていった。いろんな子供たちがぶつかりあい生活し育っていくことが大切なんじゃないだろうか......。」という意見がだされました。このように第1回交流会では、様々な立場での問題点を出しあったり、経験を交流しあったりすることができました。
〈第2回交流会一九七八年一月二九日
第2回交流会では、前回でだされた様々な問題点をふまえながら、「54年度養護学校義務化」とはいったいどういうものなのか、皆なで考えようということで学習を中心に開かれました。?@ 戦後文教政策と「54年度養護学校義務化」?A「地域管理体制」の強化という二つのレポートの提起を受け学習討論していきました。「54年度養護学校義務化」が、戦後の教育基本法から一貫して流れている、障害児に対する差別、選別教育体制の完成と能力主義教育のさらなる強化をめざすものであるということが、戦後文部省から出された様々な文教政策の内容を明らかにしながら提
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起されました。また「54年度養護学校義務化に向け、地域においても三歳児健診、就学時健診等、"早期発見"の名目のもと、管理体制が強化されていることが報告されました。
〈第3回交流会〉一九七八年三月一八日
第3回交流会は、「54年度養護学校義務化」阻止共闘会議をつくろう。というたけのこ会の呼びかけで、具体的に「54年度養護学校義務化」を阻止していくためには、どんなことをしなければならないかを討論していきました。たけのこ会からは?@親を中心とした入級、入園運動、?A就学相談、就学時健診等ふりわけ機関に対する実態阻止の運動?B「54義務化」をうちだしてくる行政に対する反対阻止の運動。以上三つの運動を軸に、阻止共闘会議を作ろうと提起しました。
〈第4回交流会〉一九七八年六月三日
第4回交流会は、第3回での「54年度養護学校義務化」阻止共闘会議をつくろう。という呼びかけを、具体的にどう実現していくのかについて、埼玉各地で、それぞれ闘ってきたグループや、多くの人達が集まり、討論しました。東京の阻止共闘会議(準)の人から、 東京での経験が語られ、東京でも、?@入級、入園運動?Aふるいわけ機関に対する運動?B行政闘争という三つを軸に闘われていることが報告されました。討論の中では、"行政闘争"か"地域での運動"か、という討論もされましたが、あくまで三つの運動を軸に、阻止共闘会議を作ろうということが確認され、運営委員会を作り、具体的にすすめていくことになりました。
現在、運営委員会で阻止共闘会議への呼びかけ文をつくり、多くの闘う団体へ、阻止共闘会議への参加を呼びかけています。
(一九七八年七月一〇日)
54年度養護学校義務化阻止
全ての障害児を校区の普通学校へ
杉並・中野保育・教育を考える会
これまでのあゆみ
杉並区は都の障害児教育のモデル地区に指定され、区教委の徹底した管理行政の基に差別・分断政策が貫徹されている。その歴史も古く、済美教育研究所が中心に親に対する強制的な相談によって障害児は養護学校、特殊学級へとふり分けられている。杉並では現在、二五〇名以上の障害児が区内の小中学校の精薄、弱視、難聴等の特殊学級に在学していて、他区より"進んでいる"地域で、全障研サークルにいる親もかなりおり、障害児教育総体では地盤の深い地域である。その中で二年前、杉並・中野保育・教育を考える会は、全障研サークルから離反した親たち数名を含め、産声をあげた。
当初はいく人かの親とその知り合いの集まりにすぎなかったこの会も、今では地域で共同保育を行ってる保母や共同保育所に子供を預けてる親、区職員、教師が参加してきている。東京の54年度養護学校義務化阻止共闘会議(準)に参加していく中から、都内で障害児教育保障を行政に要求し闘かっている仲間を知り、地域で具体的に行動を起す必要があると考え、杉並区を中心として区の差別行政を糾弾し行政政策を変えていく運動にとり組んできた。一咋年は、区内でははじめて、就学児健診に反対する運動を行い、全ての障害児を差別なく区内の小学校の普通学級へ入学させるため集会をもち、区教委との交渉をもった。さらに杉並、中野区内のできるだけ多くの小学校にビラまきをし就健に参加してくる親に訴えた。去年は、七月就学相談を前にして集会を行い、多くの親が参加して討論を深化してきた。
杉並区は十一月、「杉並区基本構想」という区の憲法とも言うべき、長期財政計画を発表した。それはコミュニティケアの充実と福
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祉向上をうたい、地域の福祉事務所、教育行政保健所の一体化で生涯教育を進め障害児の早期発見、治療を意味するものだった。私たちはそれが、「不幸な子供を生まないために」行政が差別を体系的に組織するものだとして基本構想に反対し、会員のひとりが「請願」にいき、意見をのべてきた。
そして今年、去年同様就健時期にあわせ集会を一月、80名の参加でかちとり、各小学校に反対ビラを配り、さらに各小学校教組分会に対しても差別教育をやめるための要望書を送付した。昨年に引き続き今年の学務課の交渉は、あらかじめこちらから交渉前に公開質問状を送り、一月と二月に二回にわたり三〇数名が各回参加して行った。杉並区では、54年義務化と同時に、区立の養護学校を、開設する計画かありその事を含めて質問状を作成した。その内容は、先に報告した済美教育研究所に対して判定の仕方の追求や就学相談を希望してない親に対して無理に相談する理由、親が希望してない養護学校に子供を送りその後の責任をどう考えるのか...等々を追及した。(ここでは二回にわたる質問項目が全部記載できないので詳しく知りたい方は後記の連絡先まで)交渉の中で?@、子供の就学先決定権は親にある。?A、まもなく、全ての子供の就学先を決める作業は完了する。との発言を引き出すことはできた。しかしながら、区教委学務課は私達の提出した質問項目について全て回答するのを避け、区側にとってまずい質問は答えずというものであった。養護学校に子供を送りこむ基準の問題、判定の方法としての心理テストの信頼度の問題についても回答せずのままになっているのだ。
ざっと今までの経過を報告しましたが、親を中心とする54義務化阻止の闘いは、大きなインパクトがあると思います。次に最近行われた集会の報告をします。
障害児・普通学級で2ヶ月
六月四日、入学式から2ヶ月たって、「子供と学校を語る討論集会」が約80名の参加で行われた。今年小学校に入学した親や三年前に入学した親、そして中学校にわが子を入学させた親が杉並、中野、港、八王子から集まった。親が参加者の半分近くを占めた他、区役所の労働者、共同保育所保母、杉教組、岩楯恵美子学校に入る会、福田会労組、足立・教育と福祉を考える会、国民総背番号制に反対し、プライバシーを守る杉並区民の会、社会党区議等々が参加した。
集会は、各地区で障害児を普通学校に入れた親たちの入学するまでの経過とその後の小学校での体験を中心に話し合いが集中した。「義務化を一年後に控えて」というこの間の運動の報告と親がどのように阻止していくのかの基調報告のあと討論がはじまった。発言の内容をいくつか紹介してみると......
◇ある肢体不自由児の母「入学当初『きょうはどうだった』と聞く私に『近くの遊園地みたい。広いし、お友達がいっぱいいるし、楽しい』とゴムまりがはねるように答えてくれた。それが二ヶ月近くになると『学校ってきびしいよ。お兄ちゃんにいじめられるし、算数は早くてグチャグチャになるし、つらいよ』に変ってきました。」
◇ある自閉児の父「最初は他の子供の迷惑になるという遠慮もありました。せめて特殊学級にもと思って見学に行ってびっくりしました。普通児とは隔離され、なごやかさはまるでない。教委には猛反対されたが『何としても普通学校へ』と思い、二ヶ月間交渉し、仕事も休んでかかりっきりで、それでやっと入れました。」
◇自閉児の父「妻は付きそいで大変なのですが、友だちは
○しろまるちゃん、
○しろまるちゃんと遊んでくれる。これまで子供たち同士では遊べなかったのに自分から子供のそばへ行けるようになりました。それでいままで一ヶ所に座ることすらできなかったのに、座って数字を書いているのです。」
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◇ある母親「うちの子が成長するよりも、周囲の子供が『こういう子も社会の中にいる』と認めてくれる。そうした中でこそ、この子が生きやすくなる。そう考えました。」
◇知恵おくれの子の親 「入った当初は糸の切れたタコのよう。変な子が入ったなという目でみられていました。そんな中で三年間、でもこの子と付き合う中で先生たちの態度もずい分柔らくなりました。何かが変る事を信じて......」
◇6年間、普通学級に通い、今年、中学校に進級した自閉児の母親 「いまだにうちの子はチューリップしか書けません。でも勉強だけではない。もっと大きな事を友だちから学んだ気がするからです。運動会の練習というと友だちが手を引いて走らせてくれる。クラス対抗リレーの時、『リレーで遅れてもいいよ。ボクらががんばるから』と言ってくれました。」
◇知恵遅れの子供をもつ父親「障害を持つ子でもいずれは社会の荒波にもまれなければならない。だれが好んで養護学校へと思いながら、行政の手によって選ばされ、また親も楽な方を選んでしまう。でも何が本当にこの子たちのためになるのか。親たちも自分たち自身の内面と闘っていかねばならないのでしょうか」
様々な意見を持ちながら、障害児を普通学校に入学させた体験の持ち主では一致してるそれらの報告交換を、全員の拍手で確認しながら共に今後も、子供を普通学校で学ばせるためにがんばるとの誓いのあいさつも含めて活発な討論がされた。さらに今回は、足立区で養護学校から花東小学校への転校を希望し、ここ二ヶ月間、自主登校の闘いを展開してる金井康治君を支援してる労働者からの提起を受け、共に闘おうと支援の拍手で確認した。
最後に今後の杉並区教委との行政交渉を持続させる事、そのためには多くの教組や労働者、市民の参加をかちとる事が重要である。同時に54義務化を阻止していくため各地区での共闘を推進し、都教委や文部省を糾弾し来年4月までの時間をフルに使って阻止しようとの意見も出されるなどして、集会は終った
直、杉並区では、先に報告したように「杉並区基本構想」のもとに今年9月、区役所にコンピューター・電算化がされようとしている。
国民総背番号制実施をねらおうとする攻撃に対してそれに反対する闘いが必要である。現在、杉並の区労協が中心となって「国民総背番号制に反対しプライバシーを守る杉並区民の会」がここ数ヶ月闘いを組織してる。この集会に代表者が参加したが、54義務化阻止との関係での共闘が課題として出てきている。
連絡先・杉並・中野・保育、教育を考える会
杉並区阿佐ヶ谷南一〜一〜九
《全障連機関誌定期講読のお願い》
全国の障害者差別を許さない闘いを紹介し、共に自立と解放の運動を考えていこう。また全障連全国統一闘争を要に、全国的な状況と情勢、さらに課題や方針を積極的に提起していきます。
差別を許さず日夜闘っておられる全てのみなさん。機関誌の定期講読をお願い致します。
◎にじゅうまる隔月刊/B5、30ページ、一部二〇〇円 年間一三五〇円(送料込み)/「SSK」開封
◎にじゅうまるお申し込みは 全国事務局、又は各ブロック事務局へ料金を添えてお廟いします。
◎にじゅうまる全国事務局
大阪市城東区新喜多2〜1〜9
郵便振替「大阪・57342」 (校正者注:「《全障連〜57342」」四角囲み)
《原稿募集》
「全国各地のさまざまな闘いの紹介と提起」に原稿を送って下さい。
全障連は、全国各地のさまざまな障害者の自立と解放運動の交流と、それに基づいた論議を求めています。あなたの進めている運動を全国の仲間に知らせると共に、社会的アピールの場にどしどし活用して下さい。また障害者解放の道すじをより明らかにするような小論文も期待しています。
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金井康治くんの就学闘争の経過
足立教育と福祉を考える会
私達は、3月23日、不誠実な区教委の態度に対して、「4月6日から花東小に登校する」「この件で生じた問題の責任は、教育委員会で負ってもらう」旨の内容を書いた通告文を区教委持木次長(現部長)へ手渡し、同写しを花東小、城北養護、都教委にも提出しました。
通告文を受けとった持木次長は、深刻な顔をしたかと思うとすぐに話合いの日時を設定してきました。しかし、自ら設定した日時を、「他の用事が入った」という理由でやぶり、日時の変更を告げてきました。私たちは当初の日時に区教委へ出かけ見解をただしたところ、鈴木心障教育担当主査は「話合いは区教委の決定を両親に指導・説得する為におこなう」ということを述べるのみなので、これ以上話してもむだだから「4月6日から自主登校をする」ことを再度通告し、区教委との今回の話合いはおこなわず、4月6日からの自主登校にのぞみました。
4月6日の始業式当日は、5名の支援者とともに康治君は登校しましたが、学校の入口には、区教委の4名のピケ隊が門を閉め康治君の前に立ち「中に入ってはいけない」と入校を阻止しました。押し問答をしながら門の内側へ入ったところ、他の区教委職員、計10名が私達の囲りをとり囲み、「帰れ!」といってきました。しばらく押し問答をしていると平出校長が出てきて「区教委の人たちと話合いをしてください」といい、その言葉を聞いた区教委の職員は、一転して「金井さん、会議室に行きましょう」と云ってきました。私たちが「ピケを解いて康治君を三年生の教室に入れてくれれば会議室へ行きます」といったのですが、区教委は最後までピケを解きませんでした。
?ピケの中を毎日自主登校
4月6日の始業式以後、康治君は支援の人とともに自主登校をつづけています。この間区教委は4月11日から17日までピケを解きましたが、「廊下や教室に入った」という理由で18日から再びピケをはじめました。「近所の子どもたちと同じ教室で学びたい」という康治君の意志は一方的に無視し「校長の指示に従わないから」と管理一途の校長の意志により再びピケがはられました。
こうした中で、地域の人たちに呼びかけておこなった集会には、区教委から会場の区民センター全職員に対して集会に対する監視が命ぜられ、支援の教師らに対しては、身元調査や「クビになるかも知れないゾ!」というおどかしがおこなわれてゆきました。しかし、私たちの呼びかけで、以後自主登校や話合い、事務局会などに参加してくれた人もいます。
区教委は、康治君の自主登校に対して、5月18日までは5名、それ以後は3名というピケ隊を連日くり出して来ました。集団登校の子どもたちといっしょに登校する康治君に対して、校門を閉め、康治君の前に立ちはだかり、他の子どもたちを小さな門から急いで入れ、全員が入ると小さな門も全部閉めて康治君をシャットアウトします。
しかし、区教委職員の中にも強行派からしぶしぶピケをやらされる人がいるようで、こちらが強行に校内へ入ろうとすると阻止できない人たちもいます。ピケを突破し校庭に入ると校長は用務員の人たちに指示して校内のカギを全部かけさせます。たとえ体育の授業で子どもたちが校庭にいても出入口という出入口には全てカギをかけ、さらにかさたてをつみ上げバリケードを築きます。徹底的に「
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過激な人たち」というイメージをつくろうとしました。
?区教委交渉
私たちは、自主登校をつづけながら区教委に対して交渉を要求して行きました。区教委は、学校長の中立ちということで4月10日に区教委、学校長、金井夫妻との話合いに応じましたが、内容は「城北にもどりながら話しをつづけましょう」というものでした。
区教委独自の話合いは、5月1日になってはじめてもたれました。しかし、持木学校教育部長は、話合いの前提として(1)ピケの件(2)4・9集会への干渉(3)支援の教員に対する調査いやがらせについて事実確認をしたいという金井さんや私たちに対して6時間以上もの間「両親以外とは話さない。」と事実確認すら答えなかったのです。
次いで、5月18日には、金井さん、足立教育と福祉を考える会、共に育つ教育をねがう親の会の3者代表5名出席のもとにおこなわれましたが「交流について考えて欲しい」という提案があらたに出されました。
?PTA登場
6月12日からPTA役員を中心に登校時お母さん方が校門付近にあらわれてきました。つづいて15日PTA副会長ら3名が申入れ書を金井さん宅へとどけに来ました。申入れは一方的であり、事実を知らずに書いたのだろうということで、お父さんがPTA会長宅へ話しに行きました。自分たちの書いた文章の内容に関してお父さんが質問していく中で、PTA会長は、一方的な、そして内容もわからないような申入れに関して謝罪することでひとまずPTAの申入れに関しては決着がつきました。
?話合いに教育長出席
6月23日、一ヶ月以上すぎて話合いがもたれました。前日まで教育長は出席しないと云っていた区教委は、親の生の声を聞くという理由で教育長を同席させました。しかし、話合いも、その内容は進展せず、転校反対の最大の理由だった「養護学校での訓練」については云いませんでした。
金井さんは「交流に関しては全く考えてない。あくまで転校である」という意志をつらぬき、進展のないまま話合いを終えました。
?あくまでも転校である。
康治君、両親の希望は「城北にもどらない。あくまで転校」です。
区教委側は、城北にもどって地域ぐるみの交流を提示しましたが「どの子も地域でともに育ち合う」という根本的なところをないがしろにしての交流など認めません。
養護学校の先生は、やはり康治くんは機能訓練など専門的な指導が必要といっていますしかし、決して今まですごしてきた城北養護学校の生活が無駄であったということはいっていません。ただ、どうしても隔離されているという実態をみるとおかしいと思います。養護学校の中でどんなにすばらしい教育がなされても、地域との関係がなければ何もなりません。
?康治くんの毎日
まわりの心配をよそに康治くんは、まっくろになりはりきって登校しています。自主登校につきそった人に、何をしたいといろいろと文字表で要求します。中休みの時など、花東の教頭先生に「ヤスミジカンダケナカニイレテクダサイ」と訴える康治くんです。
こうして自主的な芽をつんでしまう教育とはなんだろうと思うのです。今後、康治くんの毎日の生活と私たちがどのようにかかわっていけるのか、そのあたりをつめて考えたいと思います。
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点字を学ぼう
点字学習会(関東ブロック)
全障連関東ブロック事務局の呼びかけで、点字学習会を始めたのは、77年10月27日からでした。それから約九ヶ月、二、三人の人を除き、ほとんど点字にふれたことのない障害者、健全者、労働者、学生が集まって、毎週月曜日、三田の障害者福祉会館に、講師に視力障害の人を迎え、学習会はとにもかくにも続けてまいりました。
点字学習会を始めるそもそものきっかけは全障連第2回東京大会において、大会基調の点訳本を制作する活動のなかで、点訳できる人が少ない現実をまのあたりにしたことでした。一つのパンフレットなり、文章なり、全障連として、すべての障害者の共通した運動をやっていこうとする時、当然、視力障害者に対する配慮(原則としては、点訳本の同時出版である訳ですが)もおこなわないことには話になりません。一歩ゆずって、同時出版が不可能な場合でも、全障連出版物を視力障害者から読みたいという要望が出された時、当然それに応えうる活動を全障連として担っていくことが大きな課題であるわけです。
そうした全障連大会における反省にもとづいて始められた、点字学習会ですが、いまや点字の学習会を終えたあと、視力障害者の講師をまじえて、喫茶店へくりこんだりして、いろいろ話をすることの方が、学習会参加者には、たのしみの一つとなっています。
さて、点字学習会の方は、どうか?といえば、いま、せっせと、1月22日23日の、54養護学校義務化阻止、全国総決起集会の基調全文を分担して点訳している最中、常時10人〜15人の人が参加し、わかちがきに悪戦苦闘。点字も「ガ」の字を打っているつもりが、「ナ」の字になったり、技術的には、まだまだそれでも和文の点訳に関しては、どうにかこなせるようになったようです。
では次に、点字学習会参加者の声を順に招介したいとます。
点字学習会のてつだいをして
新井健司
一年間の約束で、僕は、この学習会のてつだいをひきうけた。「視覚障害者」は、他の「障害者」と同様、行動上の束縛や、職業、結婚、家族や地域のなかでの差別等いろいろな問題をかかえている。文字の問題では、点字が名ばかりの公用文字で、実はまったく文字としての正しい評価を受けていないと言う現実のなかで、情報摂取においても、何かを書く必要にせまられた場面においても、劣悪なる条件をしいられている。活字の犯濫とか洪水と言った情況とは正反対に、点訳や、点字出版により、点字使用者に利用可能な資料を選ぶことさえできぬほど少ない。その原因のひとつひとつをあげる余裕はないが、読書と限定せずとも、日常必要最少限の情報の点字化もおこなわれていない。デパートや一般の書店で、品物になんらかの点字の説明書をほどこしたものをみたことがあるだろうか、日刊紙を始め、駅売りの雑誌や書店にならぶ本のなかに、点字の本はあるだろうか?よくわれわれ「視覚障害者」は、むりとは思いつつも、一日目をつぶってくらしたと想像してください。私達は、"そんな毎日をおくっています"と言うことがある。
p25
点字で書いた手紙を友人に送る時、それを入れる封筒に点字であて名を書くことはできない。官公庁の書類などに点字で記入できるものがあるだろうか?選挙の投票や請願書の署名で、点字が公的に認められること、そんなあたりまえのことが大げさにさわがれる程度の現実でしかない。
全障連が、「視覚障害者」にまだ支持されていないとすれば、そのおもな原因のひとつは、全障連の発行物の点字化がなされていない点である。ちょうど契約書の内容もわからず判を押せないのと同じで、内容のわからない団体は気味がわるいではないか。
僕が、一年でやめられるかどうかわからないが、"学習会が自力で"点字普及と点字資料の確保に働く母体になってほしい。
あらゆる会議で、すくなくとも一般の参加をゆるすものなら、点字の大会資料とか、大会議事録を作るのは当然である。まして、障害者解放をとなえる団体においては、それは義務と言っても過言ではない。
点字学習会に参加して
八柳卓史
「20何年生きてきて.........」視覚障害者と話をしたり、酒を飲んだりしたのは初めてだった。
盲学校が義務化され地域から視覚障害者がしめだされ、交流の場がないこと自体問題だが、それに甘えて晴眼者が視覚障害者を無視し続け、盲学校の教師ですら点字を知っているのは3割しかいないという姿勢こそ告発されねばならない。
てなこと、カッコ良く言ったってボク自身何にもやらずサボッてきたので、「今からでもおそくない」と思い、毎週月曜日通い始めた訳です。
点字を覚えることは視覚障害者とのコミュニケーションを創りだす段階であるが、その講師である新井さんが視覚障害者であるということで、単に技術の習得だけでない、方法と目的の一致が図られ、充実感がある。でもこれだけで喜こんでいたんじゃいけないので、もっと、ちゃんと点字を覚え、多くの視覚障害者と関わりを作りたいと思います。
「私と点字学習会」
清水弘子
私が「点字」を習いはじめて九ヶ月が過ぎました。 その間、この学習会を通じて「点字を習得する」ということの他に、障害者一人一人の置かれている立場や実態を知っていく機会が増え、私の中の障害者問題の関心を高める場となり、問題を身近に捕えていくことができ、私はこの学習会に参加して良かったと思います。 また、私は高校生活の中で一緒に地域の障害者の人達と知り合える友だちを増やしていくために、少しづつ在宅障害者の人を訪れ、みんなと友だちになっていったりしています。そして今後も、「私たちでいったい何ができるのか」互いに見つめ合い話し合い、障害者問題を考えて行こうと思います。
挿絵省略
p26
編集後記
○しろまる第二回大会報告集を七月末に発行し、機関誌も大会前にやっと出すことができました。
"やっと"と言う言葉に実感がでているのではいけないと思っています。さて、咋年八月から機関誌業務を関東出版部が担当して三回(一月、四月、八月)発行しましたが、年六回の予定は達成できませんでした。しかし、関東出版部もなんとか体制ができつつあるので、三回大会以降から定期的に発行できると思います。いや"思います"ではなく、実行しますといいかえます。
○しろまる大会目前にして横塚代表幹事が死去なされ、悲しみにつつまれています。全障連運動にとって、これからと言うとき、横塚さんを失なったことは誠に残念としかいいようがありません。
しかし、横塚さんの意志を受けつぎ、全障連運動の更なる発展の為に、ひとりひとりの障害者が、障害者として自覚を持つことによって、全障連運動を進めていかなければなりません。これからも、地域、職場で更にねばり強い闘いをおこなっていきましょう。 (編集局)
挿絵省略
全障連各ブロック事務局の連絡場所
●くろまる全国事務局・関西ブロック
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?〇二二二−七四−一一八三
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?〇三−八七〇−〇三〇二
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?〇七六四−二一−九三八九
●くろまる東海ブロック
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?〇五八三八−八−一八六四
●くろまる中・四国ブロック
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岡山「障害者」解放委員会
?〇八六四−七三−四七〇七 (笠原)
●くろまる九州ブロック
福岡市東区馬出五−一九−四
福岡青い芝の会気付
?〇九二−六四一−七七四三 (校正者注:「全障連各〜七七四三」四角囲み)
裏表紙(奥付)
全障連(全国障害者解放運動連絡会議)機関誌
No.6
発行日/昭和53年8月10日
編集人/東京都足立区西新井本町4−18 A−3−207
横塚 晃一
編集責任者/東京都足立区西新井本町4−18 A−3−207
関東ブロック TEL. 03(870)0302
全障連全国事務局 関東出版部
印刷/ハザマ印刷
SSK通巻第436号
昭和46年第3種郵便物認可
昭和53年8月10日発行(毎月6回<5・0の日発行>)
発行人 身体障害者団体定期刊行物協会 東京都世田谷区砧8−21−3
頒価二〇〇円
作成:
山口 和紀