第6回多様な「生」を描く質的研究会(2011年度第5回多様な「生」を描く質的研究会)開催報告
last update: 20120323
■しかく目次
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開催日等
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論題
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論題1(日高友郎)の問いと議論
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問い
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議論
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論題2(赤阪麻由)の問いと議論
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問い
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議論
■しかく開催日等
・開催日時:2012年3月14日(火)15:00〜18:00
・開催場所:立命館大学衣笠キャンパス創思館312教室
・参加人数:4名
■しかく論題
論題1:「ライフの支援という観点から見た、病の分類についての一考察」
担当:
日高友郎
論題2:「当事者研究の現状」
担当:赤阪麻由
■しかく論題1(日高友郎)の問いと議論
□しろいしかく問い
病者の「ライフ」(生)に軸足を置きながら、「(必ずしも『治った』状態にならずとも)より快適な生を営むための支援のあり方」を提示するにあたり、どのような視点・枠組みから「病い」を整理することが可能であろうか。
「難病」の語は行政用語としての背景を持つ一方、心理学や社会学における「難病」の研究範囲は、医学・行政の範疇に限らず幅広い対象を研究している。たとえば特定疾患にとどまらず、希少難病・難治性疾患・慢性疾患などで語られるとしても、注目を向けるその先は、さまざまな困難に直面している人々を含んでいる。心理学・社会学の先行研究も踏まえることで、既存の病いの枠組みの再考にも繋がる可能性がある。
本報告では、ファーストステップとして、「難病」の一つであるALS(およびその他の神経難病)に注目しながら、どのような「病い」の整理・分類が可能となるかを幅広く議論・検討する。なぜALSに着目するのかの問いは、「より快適に生きていくための支援のあり方」の理由と必要性、つまりは意義の提示への道筋となるだろう。
□しろいしかく議論
1. 病いの分類をすることで、個別性が病気で分類されてしまうおそれ
個々の人間のライフは多様である(個別性がある)はずが、「分類」というプロセスによって、その個別性が捨象される恐れがある。したがって、研究者は自らの立ち位置(分析の視座)を明らかにする必要がある。
2. 生きる「場」(フィールド)に注目した、整理の可能性
報告者は在宅療養のALS患者、つまりALS患者の自宅での「生」を捉えてきた。施設(および病院)と在宅での療養は異なるイシューであり、研究の文脈も異なる。生きる場があり、そこに生活者(とそのライフ)があり、その人が病い(ALS)とともに生きている―このように研究フィールドに基づくことで、「心理学・社会学における先行研究は、どのような生きる「場」を対象としてきたのか」という視点からの整理が可能になるのではないだろうか。「在宅療養」はALSのみならず広く病い、障害、あるいは認知症などとともに生きる人々にとっても関連の深いイシューであり、これらとの接続も見込まれる。
■しかく論題2(赤阪麻由)の問いと議論
□しろいしかく問い
当事者とは誰なのか?
当事者とは、「その事柄に直接関係している人」、「受益者」「対象者」、「ニーズの帰属する主体」などであるが、研究という文脈においては「研究される対象」とされることが多い。
では当事者と研究者の立ち位置とは?
従来の研究では、研究者は?@当事者たちから距離を置き、上空から全体を俯瞰する位置を取り、客観性・普遍性を求める立場と、?A当事者に密着し当事者に近い距離からものごとを見る立場、当事者との「共同発信者」としての立場がある。
これらの2つの立場とは違った、新しいポジションとして当事者が研究者になるという立場があるが,これはどういうことか?
アーサー・フランクの「病いの語り」に代表されるように、当事者が研究者になるというのは、奪われてきた声や主体性を取り戻し、自らの問題に取り組む側面を内包する。つまり「当事者を離れることなく、当事者と研究者が協同的に言葉を作り、物語る」のであり、そして発信するのである。そして,それはフィールドに役立ちうる知見として発信することを志向するアクションリサーチとしての側面も持ち合わせている。
□しろいしかく議論
当事者研究は、当事者が俯瞰的に物事を見ながらも、当事者というところから乖離しないという前提を持っている。それゆえに、常に自分の問題と向き合い、自身の当事者性を研究として扱うことになる。率直に、当事者研究をしている「私」を書くとして、どの程度書くか、どのように書くかが難しいところである。
また、「当事者」はある事象の主体という意味だけでなく、「当事者性」「当事者感」という形であらゆる人が持ち合わせているという捉え方ができる。研究者として当事者と色々な関わりをする中で,当事者と「対話する」ためのツールが「当事者性」「当事者感」でもある。そして,それはしばしば当事者と密接に関わり合う中でさまざまな形で表出してくることがある。たとえば他の当事者へのインタビュー場面において、インタビューという相互作用(または行為)の過程にあって対象者から反対に当事者として質問を受ける、または意見を求められるという、研究者から当事者へと役割の変化も起こる。
当事者が研究者であることの利点は、既存の話とは異なった当事者として携わっているからこそ見える視点(当事者感)である。そもそも研究には、色んな視点があって然るべきであり、そのようなスタンスに立つならば、当事者も他者も含めトランスビューとしてまとめることは当事者研究として不自然ではない。
当事者研究は、「奪われてきた声や主体性を取り戻し発信する」のであることや、また心理学の分野で従来行われてきた「研究者」と「当事者」の単純な二分法への問い直しを迫るという意味で野心的な研究と言える。目的の一つが「発信する」である以上、当事者から非当事者へ了解可能なものにしなくてならない。だからこそ理論的なバックグラウンドを要し、トランスビューという視点も取り入れる。
しかし、その一方で、自分(当事者であり、研究者である自分)にとって、それはどういう意味があるのかという問いは常に起こる。また、自分の当事者性についてや、その扱い方、自分が何をしているのか、というようなことに対して常に自覚的であること、つまりreflexivityの視点を常に持っておく必要がある。
*作成:
谷村 ひとみ