『社会的包摂/排除の人類学――開発・難民・福祉』
内藤 直樹・山北 輝裕 編 20140225 昭和堂,255p
last update: 20140316
■しかく内藤 直樹・山北 輝裕 編 20140225 『社会的包摂/排除の人類学――開発・難民・福祉』,昭和堂,255p. ISBN-10: 481221341X ISBN-13: 978-4812213414 2500+
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内容(「BOOK」データベースより)
先住民、難民、移民、障害者、ホームレス...。さまざまな現場で社会的に排除された人たち。彼らを社会的に包摂しようと支援する取り組み。ところが、その包摂が新たな排除を生み出すというパラドックス。遠い世界のどこでもない、いま私たちの足下で何が起こっているのか?
■しかく著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
内藤 直樹
徳島大学大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部准教授。博士(地域研究)。専門は人類学・アフリカ地域研究
山北 輝裕
日本大学文理学部社会学科准教授。博士(社会学)。専門は社会学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■しかく目次
序 章 「社会的排除/包摂」現象への人類学的アプローチ(内藤直樹)
第I部 開発――弱者がつくられるフィールド
第1章 ケニア牧畜民の伝統社会は開発から逃れられるか(内藤直樹)
第2章 エチオピア牧畜民に大規模開発は何をもたらすのか(佐川 徹)
第3章 ボツワナの狩猟採集民は「先住民」になることで何を得たのか(丸山淳子)
第4章 オーストラリア先住民の「暴力」といかにつきあうか(飯嶋秀治)
第II部 難民――グローバリゼーションと国籍
第5章 アフリカの難民収容施設に出口はあるのか(中山裕美)
第6章 アンゴラ定住難民の生存戦略は持続可能か(村尾るみこ)
第7章 在日インドシナ定住難民の「彼らなりの暮らし」はどう保たれているか(岩佐光広)
第8章 第三国定住難民と私たちとの接点はどこにあるのか(久保忠行)
第III部 福祉――私たちは「隣りにいる他者」といかに生きるか
第9章 ホームレス状態から地域社会への移行において何が問われているのか(北川由紀彦)
第10章 野宿者の日常的包摂は可能か(山北輝裕)
第11章 精神障害者の世界は受け入れられるか(間宮郁子)
第12章 脱施設化は真の解放を意味するのか(
有薗真代)
終 章 開発/難民/福祉の横断を終えて(山北輝裕)
■しかく
◆だいやまーく有薗真代 20140225 「脱施設化は新の解放を意味するのか」,内藤・山北編[2014:228-240]
1 まやかしの「自由」――現代社会における生の統治
2 脱施設化とフレキシヒリティ
3 国立ハンセン病療養所における患者運動
4 アサイラムからアジールへ――不可侵の効果を招来させること
cf.
◇立岩 真也 2014年04月01日 「生の現代のために・2――連載 98」,
『現代思想』41-(2014-4):-
「☆01 例えば、新刊に『社会的包摂/排除の人類学――開発・難民・福祉』(内藤・山北編[2014])がある。そこに「脱施設化は新の解放を意味するのか」(有薗[2014])が収録されている。ハンセン病者の「生活世界」のことはようやくいくらか書かれることが多くなって、それはそれでよいことではあったが、各療養所やその全国組織の運動についてはあまり書かれたことがなかった。そのことはずいぶん前から気になっていて、市野川容孝との対談(市野川・立岩[1998])でそのことを述べてもいる。
「立岩 いろんなかたちでためらわれるものがあった。この間ハンセン病のもと患者さんの話を聞いたんだけど。僕は七〇年代以降のことを言い過ぎたかもしれないけど、結核療養の患者さんとかハンセン病の患者さんの団体っていうのは、非常に劣悪な状況の中で果敢な闘争を展開されてきた団体であるんですよ。そこの中で何はともあれ多くのものを勝ち取ってきたっていう意味では、決して五〇年代、六〇年代に何もなかったということじゃないのね。ただ、[...]」
「立岩 ようやく「らい予防法」はなくなったんだけど、少なくともある時期、予防法撤廃っていうふうにストレートにはいけなかった部分っていうのはやっぱりあって。基本的に差別法だけど、その中で自分たちがともあれ生きていける保障をしてる法律でもあるっていう認識が患者さん自身にもあったから、ある意味でしょうがなかったし、僕らがとやかく言うようなことでもないと思うんです。ただやっぱりある種の、たとえばその不妊手術のことについては言い澱んでしまうっていう部分があった。
そのあったこと、あったときの空気みたいなものも含めて、やっぱりはっきりさせられるところはさせなきゃいけないし、はっきりさせた上でじゃあどうするんだってことを、非常に何というか、場合によっては疲れることだけれども、考えるしかないんじゃないか。そういうことを始めさせたのが七〇年代の運動だったのかな。」
そのときにあった文献としては、全国ハンセン氏病患者協議会編[1977]、全国ハンセン病患者協議会[1988-]。有園の論文は、4節あるうちの第3節が「国立ハンセン病療養所における患者運動」で、全国組織としての「全国ハンセン病患者協議会(全患協)」についての言及がある。そこには、その組織が与えられたもの(療養所という施設とその中での暮らし...)を「守る」闘いをしたことが書かれていて、有益である。ただやはり、たんに(とても)短いのだ。その内部には、またその外部との間には様々があったのであり、すくなくともそのいったんは今でも入手できなくはない先述した文献を見てもわかるところがある。
かつてもいまも「患者運動」という言葉が題にある本は長[1978]だけのはずだが、そこに記されるのは、結核療養所の自治会の組織である「日本患者同盟(日患同盟)」の運動であり、それに強い関わりがあったのは、終戦直後から日本共産党であり、ゆえに占領軍からの弾圧を受けたのでもあり、組織内部にも争いが起こったのでもあり、また同時にそこに関わって「朝日訴訟」は闘われたのであり、それはその人たちの運動を象徴するものでもあった。そしてハンセン病療養所にもまた結核療養所と似た性格があった。日本の患者運動は、こうして集められてしまった人たちから始まり、むしろあるいは集められてしまったから始まり、そしてそれは「無産者」たちの運動でもあった。しかしまたゆえに、同時に、それらの施設は全面的に政府からの支出によって運営されていた施設でもあった。これらが何をもたらしたりもたらさなかったりしたかである。また別の系列のものはなかったのかである。こうしたことが振り返られる必要がある。「朝日訴訟」を教科書の一番目にもってくるような社会福祉学界・業界の勢いは一時に比べれば小さめになっているのだろう。ただ、そうしたことも対象にした記述がなされてよいはずである。一九五〇年までの日患同盟の活動についての研究として青木[2011]がある。」
◇青木純一 2011 「患者運動の存立基盤を探る――戦中から戦後にいたる日本患者同盟の動きを中心に」、『専修大学社会科学年報』45:3-14
http://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/nenpo_45_aoki.pdf
UP: 20140306 REV:20140316
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