『静かな黄昏の国』
篠田 節子 20120325 角川書店(角川文庫),382p.
last update:20151114
■しかく篠田 節子 20021030 『静かな黄昏の国』,角川書店,348p.
→ 20070325 『静かな黄昏の国』,角川書店(角川文庫),381p. ISBN-10: 4041959055 ISBN-13: 978-4041959053 619円
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→ 20120325 『静かな黄昏の国』,角川書店(角川文庫),382p. ISBN-10: 4041002907 ISBN-13: 978-4041002902 667円+税
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■しかく内容
「終の住みかは、本物の森の中にしませんか?」「ようこそ森の国、リゾートピア・ムツへ―」終身介護施設の営業マンの言葉に乗り、
森や自然に囲まれた家に向かったさやかたち夫婦だったが...。化学物質に汚染され、もはや草木も生えなくなった老小国・日本。
国も命もゆっくりと確実に朽ちていく中、葉月夫妻が終のすみかとして選んだのは死さえも漂白し無機質化する不気味な施設だった...。
これは悪夢なのか、それとも現代の黙示録か―。知らず知らず"原発"に蝕まれていく社会のその後の生を描く、おそるべき世界の兆しを告げる戦慄の書、
緊急復刊! 3.11後、著者自身による2012年版補遺収録。 表題作「静かな黄昏の国」を含む8篇の作品集。
■しかく著者略歴
1955年東京生まれ。1990年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。1997年『ゴサインタン――神の座』で山本周五郎賞、『女たちのジハード』で直木賞、
2009年『仮想儀礼』で柴田錬三郎賞、2011年には『スターバト・マーテル』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
■しかく目次
リトル・マーメード
陽炎
一番抵当権
エレジー
刺
子羊
ホワイトクリスマス
静かな黄昏の国
あとがき(2012年補遺)
解説 陣野俊史
■しかく引用
あとがき(2012年補遺)
手元に一枚の写真がある。窓一つない建物の磨き抜かれたような床の上に立ってにっこり笑っている私自身。柏崎刈羽原発の原子炉建屋内、
原子炉の真上にあたる場所で記念撮影したものだ。うろ覚えなのだが、おそらく一九九四年前後のことではないかと思う。東京電力「生活と電化研究会」
で行われた原発研究会で訪れた折のものだ。
その二、三年前からレアメタル採掘のために強制的に立ち退きを命じられた一家が、自宅の庭に原子炉を造って抵抗する、という話を書いていたのだが、
原発の原理や仕組みは調べられても小説としての描写ができるような、個々の機械や燃料などの具体的形状がわからない。小説自体は、
悲惨で危険で悪趣味な風刺満載英米系コメディのファンである私が、そうしたタッチを目指して書いたスラップスティックストーリーなのだが、
だからこそ核になるテクノロジーの部分がリアルでないと大人の読者がついてこない。困り果てていたところに、東電から委員にならないかと声がかかった。
原発から圏央道建設までとりあえず反対集会に顔を出したことのある私の素性など先方は知るはずもない。二つ返事で引き受けた。年に数回行われた研究会では、
専門委員会と一線を画す素人の集まりだけに、原発に限らず、生活と電気全般について、委員と社員の間、あるいは委員間で活発な議論が交わされた。
「太陽光や風力等自然エネルギーによる発電コストが高く、電力の質が悪いという言い分>378>はおかしい。原発一辺倒のエネルギー政策下で、
そうした研究開発に金も人もつかないから技術が進まないだけだ」「それ以前に、エネルギー多消費型の我々のライフスタイルを見直すべきでは」
「いや、人に優しい社会は必然的にエネルギー多消費型にならざるをえない」
原発の見学会もそうした研究会活動の一環として行われた。一般的な見学コースの他、原子炉建屋内や中央制御室にも入れてもらい、説明を受けた。
委員からは様々な質問が飛び出した。「地震が起きたら?」「「北からのミサイル攻撃を受けたら?」「燃料プールの水洩れの可能性は?」
「温排水の生態系への影響は?」
「大丈夫。事故になることはあり得ない、なぜなら......」という答えは事業者として当然のものとして、明らかにおかしな回答もあり、
施設の心臓部まで見せられたからこそ、不満と危機感がつのる。
水力、火力、そして原子力、どんな発言方法も何らかの形で環境に大きな負荷をかけ、同時に高いリスクを伴う。「あり得ない」を前提にしたら、
事が起きたときに対処できない。しかしこと原発に関しては「あり得る」と一言でも口にしたら、たいへんなことになる。
説明する社員の言葉にそれがひしひしと感じられた。帰りの電車の中で、他の委員との安全性、必要性について延々と議論したのを覚えている。
青森県六ヶ所村にある核燃料サイクル施設見学会はその二年後ぐらいに行われた。そこで目にしたPRセンターや施設の様子、広報担当者の説明、
さらに見学バスに同乗した推進派地元住民のスピーチ等は、柏崎原発とくらべても、はるかに胡散臭いものだった。
そのときの危機感を元に書いたのが「静かな黄昏の国」だ。まさか福島原発のような劇>379>的な形で事故が起きるとは思ってもみなかった。
帰路に東通村の発電所予定地に寄り、周辺の原生林の美しい環境の中に身を置いたとき、ゆっくりと確実に、
本州の外れから国土全体がむしばまれていくイメージが立ち上がり、身震いしたものだ。
『斎藤家の核弾頭』そして本書『静かな黄昏の国』の二冊を刊行したにもかかわらず、その後、東京電力からは何の抗議もなかったし、
嫌がらせめいた物言いをされたこともない。「生活と電化研究会」が終了した後、数年経って「広報委員」を引き受けているが、
やはりそちらでも様々な立場の委員によって、活発な意見交換が行われていた。代替エネルギーに関する建設的な意見やレポートも出されていた。
批判的な人間を複数、委員として組み入れ、反原発的な発言な反広報的な作品を発表することを容認したのは、半官半民企業としてその中立性を示すためだったのか、
文筆や教育、文化に携わる人間の影響力の乏しさを熟知していたからなのかわからない。
いずれにせよ、原発の建設も稼働も、国のエネルギー政策に則って行われる事業であり、にわか反原発論者が一企業をスケープゴートにして済む問題ではない。
日本人のライフスタイル自体が、今や半永久的に、豊富に、供給される電力を前提とするものになっている。今後、一市民として何を取り
何を捨てるのか、
冷徹に見極めて、生活そのものを変えていかざるをえない、と痛感している。
二〇一二年二月
篠田 節子
■しかく書評・紹介
■しかく言及
◆だいやまーく北村 健太郎 2013年02月20日
「老いの憂い、捻じれる力線」
小林 宗之・
谷村 ひとみ 編
『戦後日本の老いを問い返す』:120-142. 生存学研究センター報告19,153p.
ISSN 1882-6539
※(注記)
*作成:
北村 健太郎