内容(「BOOK」データベースより)
1990年代に何が起きたのか? 思想は今や、大学からストリートへ飛び出した! ホームレスや外国人労働者の新しい支援運動がスタートした90年代。イラク戦争反対デモからフリーターの闘争までの、様々な運動が活発になったゼロ年代。音楽やダンスなどのサブカルチャーや「カルチュラル・スタディーズ」などの海外思想と結びついて成立した、新しい政治運動の淵源をさぐる。インディーズ文化など80年代の伏流が、90年代の「知の地殻変動」を経て、ゼロ年代に結実するまでの流れを追う異色の思想史。
本書のねらいは、新しく生まれてきた若者たちの運動を、「ストリートの思想」という観点から捉えなおすことにある。けれども、こうした動向を左翼思想史や社会運動史の中に回収しようとしているわけではない。むしろ、そこからこぼれおちていくものとして「ストリートの思想」を位置づけようとしているのだ(p. 12)。
ヴァルター・ベンヤミンを引くまでもなく、歴史とは常に勝利者のものではあるが、敗北者の視点から歴史を捉えなおすことで、別の歴史を構想することができる(p. 14)。
「ストリートの思想」は、伝統的な思想のように書籍や論文、活字テキストによってのみ表現されるわけではなく、音楽や映像、マンガ、あるいはダンスカルチャーなど非言語的実践を通じて表現されることも多い(p. 21)。
「ストリートの思想」が、なによりもメインストリームのメディア文化、とりわけ消費主義と対抗的な関係にあるということである(p. 21)。
「ストリートの思想」は、一方で、論壇でも大学アカデミズムでもない場所で、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションをベースとした小さなコミュニティやシーンを形成した。その一方で、必要に応じて、インターネットやマスメディアを活用しつつ対抗的な言説を紡ぎ出したのである(p. 22)。
メディアのスペクタクルに抵抗する「ストリートの思想」の別の例として、渋谷駅周辺を中心に活動している「二四六表現者会議」を紹介したい(p. 225)。
「渋谷アートギャラリー二四六」が、高架下壁面をギャラリースペースとして利用するという理由で、そこで野宿生活をしている人びとに「移動のお願い」をしたことである。これを問題視したアーティストの小川てつオと武盾一郎が、二四六表現者会議を結成した(p. 225)。
二四六表現者会議が重要なのは、一足飛びに政治的な反対運動を組織するのではなく、これをきっかけに人々が「アートの名に於いて」継続的に路上で出会い、話し合う場所をつくろうとしているところにある(p. 227)。
ネグリとハートは、人々を運動に駆り立てる「愛」や「情動」を「ポッセ」という語で表現している。ポッセとはラテン語で「活動力としての力」を意味する。ルネッサンスの人文主義において、この語は「知と存在をともに編み込む機械」として「存在論的動性の核心部」に位置づけられていた。ネグリとハートがおもしろいのは、この古い哲学用語をヒップホップ用語の「ポッセ」と重ね合わせているところだ。「ポッセ」とはヒップホップ文化では、「集団」、「仲間」、「連中」、「奴ら」というニュアンスで用いられる。ヒップホップ用語と重ねられることで、この古い哲学用語は、現在のマルチチュードの存在様式の核として再生するのである。ここで発見された「ポッセ」とは、いかなる対象を超えていくような「公共性とそれを構成する諸々の特異性をもった個の活動」であり、「新しい政治的なものの現実の起源に存在する」とされる。ここで重要なのは、「ポッセ」が、何かに対抗して生まれるもの―たとえば、資本主義の不当な搾取に抗して生まれる反対運動のようなもの―ではないということだ。それは、労働を通じて人間が自らの価値を決定する力であり、ほかの人とコミュニケーションをはかりながら協働する力であり、究極の自由を求める力である(p. 243)。
ヒップホップの現場には、ラッパーやDJ,そして観客がいて、その間に応酬(コール&レスポンス)がある。ヒップホップのシーンを支えるのは空間の熱気であり、ダンスをする身体であり、その快楽である。「ポッセ」とはそうした快楽を共有できる連中のことだ。ヒップホップを作り上げているのは、ラッパーでも音楽産業でもなく、こうしたさまざまな「ポッセ」なのである。一般にヒップホップ文化は、ストリートカルチャーの代表例として認識されている。ストリートとは、そうした身体が出会う場所なのだ(p. 244)。
ヴィルノによれば、文化産業の誕生とともに、それまで一部の人たちに独占されていた名人芸が大衆化した。ここでいう「名人」とは、いわゆる芸術家の中でも絵画や彫刻のような自律した「作品」を生産しないパフォーマー、つまり音楽家や俳優、舞踏家なのである。彼らの名人芸は、常に自分たちの身体、そしてオーディエンスと結びついている(p. 247)。
名人芸的・パフォーマンス的労働は身体と分離することができないので、労働と余暇の間の思考やコミュニケーション、人間関係、こうした行為すべてが、すでに労働に組み込まれていく。その結果、文化産業の労働者は、労働と政治を区分することもできなくなる。コミュニケーション的な労働は、人の政治的信条の形成に不可分に関与するし、逆に日常の政治的活動も労働の一部になる。そして、それ以上に重要なことは、こうした労働が、協働的な知識を生産するという政治的な実践の一部になることだ(p.248)。